野党はなぜ「法案第何条のここが問題だ」と具体的に指摘できないのか

 この構図っていうのは、やえ、「人権擁護法案」の時に身にしみている問題なのですが、特に法案とか議題となる文章についての議論の際、しかしそれを元にせず思い込みからくる決めつけだけで批判を展開するっていう行為は、本当に害悪なんですよ。
 そういう決めつけを、決めつけではないと説明する立場になると、それは法案や議題の文章をもとにした「論拠」を示しつつ説明するコトになりますから、これはものすごい労力がかかるんですよ。
 まして決めつける方は、決めつけですから「論拠」がいらないワケで、思いつきだけで適当に言ってしまえるので、その労力はますます差が出るワケです。
 
 今回の安保法制もそうで、一番よく聞く批判に「日本が他国の戦争に巻き込まれる」っていうモノがあると思うんですが、しかしこれ、安保法案の何条のどの部分がそうなっているから巻き込まれるようになるのかっていうところを、具体的にキチンと説明する人がいないんですね。
 少なくとも安保法制が成立していない現状では「日本が他国の戦争に巻き込まれない」からこそ安保法制が成立したら巻き込まれるって批判しているワケですから、すなわち「これから巻き込まれる」と想定するなら、その安保法制の中身に「巻き込まれてしまうと言うに値する該当する部分」があると考えているからでしょう。
 当たり前ですが、法律は法律という存在があるから現実が変わるのではなく、法律に具体的に○○と書いてあるからこそ現実を縛り変化をもたらすワケです。
 よって「法律があるから巻き込まれる」という言い方はむしろ何も言っていないのと同義であり、もしホントに「巻き込まれる」と考えているのであれば、具体的にどの文言がそれに該当するかを指摘しなければ全く意味はありません。
 逆に言えば「巻き込まれる」と断言するのであれば、どの部分が巻き込まれると断言できる条文なのか言えなければおかしいと言えるワケです。
 
 やえいま自分でもまどろっこしい説明になりましたと思っているところですが、それぐらい「論拠レス」の批判に対する反論って大変なんですよ。
 「巻き込まれる」に対して「いや巻き込まれない」だけでは反論になりませんし、相手も納得しないですからね。
 事実総理が何度そう言っても、野党やマスコミは未だにこれをキャッチフレーズかのように使い続けているっていうのが現状なワケですし。
 そして「総理は丁寧に国民に説明を」なんてもっともらしいコトを言うワケです。
 
 でも説明する順番が逆です。
 まず「巻き込まれる」と主張するのであれば、具体的にどういう理屈で巻き込まれるようになるのか、その論拠を示すのが先なのです。
 むしろ論拠が示せないのであれば、論拠無しで決めつけるのであれば、それはもう「デマ」でしかありません。
 「ウソ」と言ってもいいです。
 論拠がなければそれは論にはなり得ないのです。
 
 そして「デマ」や「ウソ」は、簡単につくコトができます。
 だって論拠がないのですから、適当に言えば済むんですからね。
 「安保法制が成立すれば日本は戦争になる」と言うだけだったら、ものすごい簡単なワケですよ、その言葉に責任を持たないのであれば。
 そしてデマやウソなんですから、責任を持つハズもなく、何も考えずにポンポンと言葉だけを至極簡単にはいていけてしまうワケです。
 
 決めつけの言葉と、それを是正する言葉、その間には何倍もの労力の差があります。
 当然、物理的な文量も、後者が莫大に多くなります。
 でもこういう構図を無視して、前者を端的な質問で後者は増長な時間稼ぎだと言ってしまっている人がいます。
 論拠も付けずに決めつけだけでしゃべる無責任さを無視して、いったいぜんたい何を言ってしまっているのでしょうか。
 論拠のない論はデマでウソです。
 本来は、まともに聞く必要すらないモノです。
 
 国会では「まともな議論」を聞きたいところです。