正しいコトを正しいと言うのが正道

 特にwebサイトとかで自分の意見を表明するのであれば、正しいコトを正しいって言うのが最も正しいコトだと信じたいじゃないですか。
 少なくともやえはそう信じてずっとこのサイトをやってきました。
 決して「本当は間違っているけど、うまく誤魔化して別の主張を広めてやろう」なんて煽動的なコトはしたくありません。
 それって結局、いつも強く批判している既存マスコミの手法ですからね。
 もしかしたら理解されないかもしれない、多くの人には受け入れてもらえないかもしれない、そう感じたとしても、やえは正しいと思うコトを正しいと言い続けてきたつもりです。
 
 そしてこういう姿勢って、せっかく誰しもが公の場で自らの主張が出来るインターネットというツールが発達した今こそ、全ての人にこうあって欲しいと思っています。
 もちろん人によって正しさは違うでしょう。
 その違う正しさによって議論が起こるコトもあるでしょう。
 でもそれでいいと思うんですね。
 それこそが本当の議論というモノであって、これこそが建設的な議論だと言えるモノでしょう。
 決して目的のために手段を選ばないようなテロリズム的手法に陥らないよう、公の場で意見を表明するのですから、自分の中で正しいと思ったコトをそのまま正しく表明して欲しいです。
 
 やえは正しさの広がりはこうして生まれるべきモノだと思っています。
 例えば従軍慰安婦の件にしても、ネットによっていよいよ朝日新聞が自らの嘘を隠しきれなくなったのでああいうコトになったワケで、しかしそれは当たり前のコトとして、マスコミだから煽動していいというワケでは決してなく、国民もマスコミも全ての人が「煽動よりも正しさ」を実践していれば、そもそもとしてこういうコトにはならなかったハズです。
 当時はネットも無かったので中々一般国民がこの嘘を見抜くのが難しかったというのは否定できないところですが、それでも国民こそが日本政府に賠償すべきだという声を強く上げていた時代があったという事実は噛みしめておくべき事柄でしょう。
 もし国民が正しいコトを正しいと認識し声を上げていれば、いまは幾分マシだったと言えるハズなのです。
 
 従軍慰安婦問題と言えば、過去にも取り上げましたようにいわゆる「河野談話」も同様です。
 河野談話を従軍慰安婦の根拠だと言わんばかりの人や、河野談話があるから韓国に言われるんだと、やっぱりこっちも「河野談話根拠説」を唱える人が、未だにかなり存在するワケですが、しかしキチンと河野談話を読めば、そんなコトは言えないとハッキリしているんですね。
 河野談話の詳しい解説はリンク先を読んで頂きたいと思うのですが、慰安所はあったし、不幸な背景によって慰安婦になった人もいたけど、軍が直接関与したとは言っていないんですね。
 そしてこれって歴史的に正しいワケですよ。
 もちろん中には好んで慰安婦になった人もいるかもしれませんが、中には親に売られた人もいたコトでしょう。
 それは日本や朝鮮半島だけの特有の事情なのではなく、時代としてどの国にもあったコトであって、それを今後無くそうとしていくコトは重要ですが、ただし実際にあったコトを無かったかのように言うのは、それも違うワケです。
 「日本は悪くない」という判断と、「慰安婦なんて存在は無かった」と言ってしまうコトは、やっぱり違います。
 事実は事実として受け止めた上で、しかしその善悪の判断は、ここも冷静に当時の状況や当時の法に照らし合わせて考えるべきです。
 そうしたとき、河野談話は決して間違っているとは言えないモノなんですね。
 
 そして、こういう正しいコトを正しいって主張する人がもっと増えてこそ、正しいコトが正しいと伝わるのではないのでしょうか。
 本来はこうやって正しさを伝えていくべきなのではないのでしょうか。
 やえはいつも思うのです。
 「河野談話なんて誤解されるモノがあるから日本が責められるんだ、日本政府はなんとかしろ」と言う人がいますが、しかし河野談話自体は正しいモノなのですから、それを否定するっていう行為が果たして本当に日本のためになるのでしょうかと。
 やえはいつも思うのです。
 もしその政府批判する労力をかけるのであれば、同じ労力で「日本は間違っていない」と公の場に発信する方がよっぽど日本のためになるのではないのでしょうかと。
 
 もちろん政府が間違っているなら、それを正面から堂々と批判するコトは、それこそ日本のためだと思っています。
 でも正しいコトを「利用されているから」という理由で批判するのは、間違っているのではないのでしょうか。
 それは悪用する方が間違っているワケであり、もし批判するなら悪用している方ですよね。
 もし正しいコトを正しいと広く伝わっていないのであれば、それは正しいコトを言っている人が悪いのではなく、正しいと言う人が少ないからなのではないのでしょうか。
 ましてその中に内ゲバのように標的を間違えている人が少なくないならなおさらでしょう。
 
 やえは、正しいコトを正しいと言うコトこそが正しいコトだと思っています。
 そしてそういう姿勢の人が一人でも増えて欲しいと思っています。
 なによりネットが発達したいま、正しさを検証するコトは決して難しくないハズです。
 ネットを、感情を爆発させるツールとして使うのではなく、正しさを検証し正しいコトを広く伝えるツールとして使って欲しいと、そう思っているのです。