どの口でマスコミは「反知性」批判をするのか
アメリカ大統領選の各政党の候補者選挙の件に対して、共和党の中においてはトランプ候補に多くの票が集まっているというコトに対して、とあるテレビ番組でコメンテーターという肩書きのタレントが、「反知性」という言葉で批判をしていました。
つまりは、トランプ候補の主張などは、感情論だけが突っ走った知性の無い目先のコトしか考えてないような主張でしかないと、そう批判しているワケです。
これ自体は、やえも反論はありません。
実際そうだと思います。
仮にトランプ候補が大統領になってしまえば、トランプ候補が現実を知っておとなしくなるか、それともアメリカがついに超大国の座から降りる歴史的な瞬間を作り出すコトになるのかのどちらかだと思いますが、まぁそれは最終的にはアメリカ人の選択ですから、これについては他国人であるやえはそこまでどうこう言おうとは思いません。
ただ気になるのか、「反知性」批判というモノを、既存のテレビマスコミが言うその構図の滑稽さです。
ハッキリ言って反知性を推進してきたのは、特に大衆向けマスコミの代表格であるテレビこそがじゃないですか。
政治に対してもスポーツに対しても芸能に対しても、知性ではなく感情に訴えて瞬間的な激情を揺り動かすだけの報道を、もう何十年と繰り返してきたのがテレビのこれまでの歴史です。
そして、それこそが社会を動かす最も大きな力だと主張し、実践してきたのが、テレビそのものだったハズなんですよね。
そんなテレビがどの口で今さら「反知性」批判なんて言えるのでしょうか。
例えばSEALDsなんていうのも、反知性の代表格みたいなモノでしょう。
未だ彼らから自らの運動に対する知性的な動機を聞いたコトがありませんし、反安保にしても反安倍にしても、その行動の出発点となる知性的な論拠を聞いたコトがありません。
安保法制が成立した今しかし戦争になっていない、むしろフルバージョンの集団的自衛権を持っている国の方が大多数にも関わらず利己的な戦争なんて起きていないというコトぐらいちょびっとの知性があれば理解できるハズなのに、しかしテレビは「安保法制が成立すれば戦争になる」という最も感情的で短絡的な反知性そのものなセリフを吐く人間達を持ち上げてヒーローかのように報道を繰り返してきました。
これのどこが知性なのでしょうか。
テレビがやってきたコトこそが反知性そのものじゃないですか。
例えばこれもです。
岸井成格氏「品性、知性のかけらもない」「恥ずかしくないのか」 自身への批判に反論
岸井氏は会見で、番組編集に当たっての政治的公平などを定めた放送法4条に絡み、「公平・公正という言葉にみな、だまされてしまう。でも、政治的公平は、一般的な公平・公正とは全く違う」と主張。「権力は絶対に腐敗し、暴走する。それをさせてはならないのがジャーナリズムの役割だ」として、「政治的公平を判断するのは国民であり、事実をチェックするメディアだ」と訴えた。
(中略)
岸井氏は同会からの批判について、「低俗なあれにコメントするのは時間の無駄だ。だが、安保法制については、憲法違反で、自衛隊のリスクが一気に高まり、戦後の安保体制が180度変わる。それをあんなに反対の多い中で形で強行採決していいのか。誰が考えたって、批判するのは当たり前のこと。それがダメだと言われたら、メディアは成り立たない」と主張した。
「政治的公平を判断するのはメディアだ」しかし自分たちへの反論は「低俗なあれにコメントするのは時間の無駄だ」と言い放つ姿の、どこに知性があるというのでしょうか。
また岸井氏の「政治的公平は、一般的な公平・公正とは全く違う」とは100%岸井氏の意見であり私見です。
選挙や法律に担保されたモノではない、ただの1意見です。
ですから岸井氏がそう主張するコトは構いませんが、しかし当然としてそれに反論が存在するコトはむしろ言論の自由を認める立場としては当然想定すべきコトで、まして世に主張するコトを生業としている身であれば反論という存在を認めてそれを受け止め、必要ならば知性的な反論をすべき立場にあるハズなのに、それに対して「低俗なあれ」「時間の無駄」と人間らしい知性をかなぐり捨てた捨て台詞で終わらせる姿勢のどこが知性的と言うのでしょうか。
最後の「メディアは成り立たない」だって、メディアありきの思考停止の考え方ですよ。
公平性があってこそのテレビであって、決してテレビがあるから公平性が存在するワケではありません。
メディアが成り立つというコトが主で、公平性が従だと考えているから、残念ながら岸井氏はメディアの洗脳によって知性が、もう手遅れなぐらい低下してしまっているのではないのかと心配してしまうレベルです。
例を挙げるなら枚挙にいとまもないぐらい、テレビこそが反知性を推し進めてきた、仮にそれが無自覚だったとしても結果としては確実にそうなっているコトは、もはや多くの国民が知りつつあるところです。
それなのによくもまぁこんなコトが言えたもんだと、呆れるしかありません。
やえはアメリカ国内のコトはよく分かりませんが、日本においてはそろそろテレビやその他マスコミによる「一億総白痴化計画」に対する国民の反撃が始まりつつあるんじゃないかと感じているところでもあります。
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