日常を送ろう

 東日本大震災の時にも言いましたように、被災地以外の人が一番大切にすべきは「日常を過ごすコト」です。
 同じ国の中で大変な目に遭ったいる人がいるのに、と思う気持ちも分からないでもありませんが、ただ身もふたもないコトを言ってしまえば、だからといって被災者以外が被災者と同じ暮らしをしても復興が早まるワケでもなんでもありません。
 むしろ逆です。
 被災者以外の人が無意味な自粛を行い、経済活動を縮小させてしまえば、それだけ経済が停滞してしまい、国全体の力が弱まってしまうコトに繋がります。
 ハッキリ言ってしまえば、「被災者に寄り添って、慎ましい生活を送る」は、ただの自己満足でしかないのです。
 
 もちろん義援金を贈るとかそういう非日常の行為は、余裕のある人はどんどんすればいいと思います。
 ただし、その好意が必ずしも有効かどうかという点は考えなければなりません。
 例えば千羽鶴を被災地に送っても、むしろ邪魔でゴミにしかならないというコトは東日本大震災の時にも多く言われたコトですよね。
 またボランティアにしても、本当にいまそこに必要かどうかはシッカリと考えなければなりません。
 「いてもたってもいられないからとにかくボランティアに来た」は、高確率で邪魔にしかならないワケで、普段なんの訓練も受けていない一般人が、さらに大規模広範囲での活動なのに組織的に動く教育を受けていない一般人が突然被災地に押しかけても、むしろ二次災害を誘発する要因にしかならないと言わざるを得ません。
 とにかく人手が必要だという場面では、様々な手段を用いて現場から情報発信されますので、どうしてもボランティアがしたいという人はそれを待つべきです。
 
 冷静に考えてほしい点があります。
 それは、日本においてはここまでの災害が起きても、決して略奪などの無法地帯が出来るワケでもなく、また餓死者が出るコトもない、という点です。
 地震や津波による被害によって命を落とすコトはあったとしても、逃げた先で別の理由で命を落とすコトは日本では起こりません。
 これは最近では当たり前かのような感じで特段語られるコトもありませんが、世界的に見れば相当に珍しいコトであり、もちろん被災者には確かに日常的な生活の部分で不自由な思いをしなければならなくなりますが、少なくとも命を落とすコトはないのですから、そういう意味で、被災者以外の人が「とにかく一刻も早く、何も考えなくてもとりあえず駆けつけて手伝わなければならない」なんて事態はないんですね。
 少なくとも、そういう一刻一秒を争う事態というのは、それは消防や自衛隊などのプロに任せるべきコトです。
 特に地震などは言うまでもなく1回起こればそれで終わりというコトではなく、何度も揺れて、またその回数が増えるコトに建物などの崩落の危険性が高まるのですから、そんなところに素人が行っても、プロの邪魔をするだけ、最悪、プロの仕事を増やしてしまうだけになってしまいます。
 繰り返しますが素人が今すぐ現場に急行しなければならない理由などありはしません。
 必要な場合はプロの人がキチンと募集しますから、それに従うようにしましょう。
 
 よくよく考えなければならないのは、なぜボランティアをしたいと思うのか、です。
 それは本当に「被災者・被災地のため」ですか?
 ただ単に「自分は役に立っているんだ」と思いたいだけの自己満足になっていませんか?
 
 やえは大嫌いな言葉なのですが、「やらない善よりやる偽善」という言葉がネットで流行っています。
 でもこの言葉のニュアンスというのは「やる偽善」がそれでも役に立っているという前提の言葉になってしまっているワケなのですけど、でも実際は「むしろ害悪になっている」という場合こそを本来は「偽善」と言うのです。
 つまり「やらない善よりやる偽善」を盾にして、実は害悪にしかなっていない行為すらもこの言葉は正当化してしまっているとしか思えないんですね。
 「押しかけボランティア」は、偽善ではなく、自分のコトしか考えていない自己満足の害悪なのです。
 善か悪かの心の問題ではありません。
 「他人に迷惑をかけている」という害なのです。
 「やらない善よりやる偽善」という自己満足丸出しなこの言葉、もう一度考え直してほしいところです。
 
 自粛はいけません。
 日常を送りましょう。
 その上でどうしても何かしたいなら、義援金を送るなり、被災地産の商品をいっぱい買って経済を回すなりをしましょう。
 その上でどうしてもそれ以上を行いたいという人は、そして国や自治体のサイトをチェックして、一次情報を確認した上で、自分が出来るコトを探してみてください。
 日常を送れるコトは決して後ろ指を指される行為なのではなく、これこそが国の力になるのです。