人の振り見て我が振り直せ

 先日行われた、G7広島外相会合とそれを受けてアメリカ大統領が広島に来るかもというお話に対して、広島に本社がある中国新聞が以下のような「論評」を載せています。
 

 論評 火が口と米国大統領 「訪問」すればいいのか
 
被爆地広島に、オバマ米大統領は訪れるのか―。5月下旬の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)に伴う訪問検討が表明された。広島市での外相会合で原爆慰霊碑に献花したケリー国務長官に続き、さらなる歴史的な訪問を求めるのであれば、被爆地こそが声を上げ論じるべきだろう。人間を大量殺りくした原爆投下の是非であり、核に依存する安全保障からの脱却だ。
 
(中略)
 
 平和記念公園となった旧中島本町では少なくとも597人が45年末までに死去した。ゆかりの住民慰霊祭を営む福島和男さん(84)=佐伯区=は、ケリー国務長官の来訪に接して、絞り出すようにこう話した。
 「思い出すと今もはらわたが煮えくり返る。恨んでいないかと聞かれれば、捨てきれんもんがあります」。両親と祖父母ら家族6人を「あの日」奪われた。
 投下は「今でも許せない」のか、「やむを得なかった」のか。NHKが広島市で5年ごとに続ける「原爆意識調査」で昨年、前者が43%、後者は44%となった。体験者が減り記憶の継承がきちんと図られていない。加えて、中国や北朝鮮の「脅威」に対して核の力を信奉する風潮が被爆地でも広がってはいないだろうか。
 「原爆は威力として知られたか 人間的悲惨として知られたか」。この痛切な問い掛けを60年代に発した中国新聞の故金井利博氏は、原水爆禁止運動が混迷を深める中、広島を政党宣伝の貸座敷にすることは死者に対する「許しがたい侮辱」でもあると喝破した。

 
 全体的に、果たして核廃絶を目指しているのか、それともただアメリカに恨み節をぶつけたいだけなのか、かなり疑問に感じる「論評」です。
 まして「このタイミング」です。
 もちろんだからこそのこの論評なワケですけど、あまりにも「米国大統領」に対する感情が先行しすぎてはいませんでしょうか。
 
 この論評で最も良くないのが、様々な分野でそれぞれ考えなければならないテーマを、一緒くたにして感情論で外にぶつけている点です。
 例えば引用もしました「思い出すと今もはらわたが煮えくり返る」の一節ですが、これは核兵器に対する思いなのか、それとも戦争に対する思いなのか、はたまた「戦争時における非戦闘員に対する攻撃」に対する思いなのか、おそらく全てごちゃまぜになっていますよね。
 もちろん殺された方はそんなのどうでもいい感情なのでしょうけど、でもそこから一歩引いた新聞紙上で「論評」するのであれば、それは必ず冷静な視点が必要です。
 感情論をぶつけたいのであれば、それこそツイッターででもやってればいいんですから。
 またその上で、戦争上のコトであれば法的責任であればもはや決着済みであるワケですし、非戦闘員に対する行為であれば、これは広島や長崎だけのコトだけでなく東京や沖縄なども同時に論ずるべきですし、それは法的責任とはまた別の視点で考えなければならないコトでしょうし、ただただ戦争というコトであれば、日本軍だって米国人をたくさん殺したワケであり、それが戦争であるワケですからね、なんとも言えないのです。
 
 難しい問題です。
 やえも、決してこれまでのアメリカの非道を全て水に流して見なかったふりをしろなんて言いません。
 しかし、それをただ感情にまかせて相手にぶつければいいというコトでは決してないのは確かです。
 まして前にも言いましたように、いま謝られてもそれで現状が何か変わるって問題でもありません。
 ですから難しい問題だからこそ、1つ1つ丁寧に論じていかなければならないと言いたいのです。
 「思い出すと今もはらわたが煮えくり返る」という言葉だけを相手にぶつければいいってワケでは決してありません。
 
 前から言ってますように、まずは「核兵器廃絶」です。
 核兵器廃絶と、原爆投下の責任をごっちゃにしていては、核兵器廃絶への道は完全に遠のいてしまいます。
 まずはここをどうするかっていうのが、いまの一番の考えどころのハズです。
 しかし「政党宣伝の貸座敷」という表現は、完全にそれに水を差す行為です。
 この人は果たして何がしたくてこれを書いたのか全く分からないのですが、核廃絶というのは、天から下された人類への関門とかそういうアレなのでは全く無く、これは完全に「政治課題」です。
 核問題というのは政治課題であり外交課題であって、現実の問題なのです。
 ここを忘れて、何か「自分は天に選ばれて正しいコトをしているんだ」的なような感覚でこの問題を語ってしまえば、完全に的外れになるだけか、むしろ問題を後退させるコトしかできないでしょう。
 今回の「論評」は、まさにこうなっていると言わざるを得ません。
 
 人には感情があって、立場があって、メンツもあって、民主主義国家には選挙もある。
 こういう現実を前にして、その上でどう核廃絶を達成するためにはどういう道を進むべきなのかっていうコトを、極めて冷静にリアルに考えるコトが大切なのです。
 広島の人間だからこそ、ここを考えなければならないのではないのでしょうか。
 やえは強くそう思うのです。
 
 最後にこの記事を引用しておきます。
 人の振り見て我が振り直せです。
 

 「加害国・日本が被害者になる」 反発の韓国メディア、自らの歴史認識にこじつけ? 「日本の首相は真珠湾を訪れ謝罪したことがない…
 
 オバマ米大統領が5月末に広島を訪問する見通しとなったことに関し、韓国メディアの多くは、ケリー米国務長官が今月11日に広島を訪問した前後から「太平洋戦争を起こした“加害者”である日本を“被害者”に変えてしまう」と反発しており、オバマ氏の訪問を問題視し続けている。
 韓国紙、中央日報は12日付の社説で、「東アジア全体の目で見れば、米大統領が今、広島に行くのは時期尚早だ」と断じた。その理由として、「日本は韓国や中国などの被害国から完全に許しを受けたわけではない」とし、日本の韓国などへの謝罪が、広島訪問の前提であると主張。「訪問が実現しても、日本の蛮行に対する免罪符ではないことを、米国は明確にしなければならない」と要求した。