日本はいつから人治国家に?

 日本は法治国家です。
 実行可能な現実的対応と、全く実のならない感情を満たすためだけの対応と、どっちを選ぶべきだと言うのであれば、日本の政治は前者を選ばなければなりません。
 被害者の感情が許さないから条約なんて守らなくてもいい法律なんてどうでもいいなんて、法治国家になりきれないような他国であるならまだしも、日本はそんな対応は絶対にとってはなりません。
 まして感情論を優先させれば往々にして現実的には悪手になる場合がほとんどです。
 だからこそ感情は感情としても、それだけを理由に政治を動かしてはならないのです。
 
 先日採択された核兵器禁止条約についてです。
 やえも何度もこの問題については言及してきましたように、日本はこの条約の議論に初日に参加して以降欠席のままとなりましたが、それは現実的な対応のためです。
 簡単に言えば、条約に加盟しなければその条約を履行する義務を負わない以上、いくら核兵器を禁止する条約を作ったところで、核兵器を持たない国だけがその条約に加盟しても全く意味を成さないワケで、いえむしろ、核保有国と非保有国との対立を悪化させるコトになりかねないのですから、この問題については後退していると言うしかなくなるからです。
 世界政府なんてモノが存在しない現状において、国家に対して法律などで強制力を持って何かを禁止するコトができない以上は、もし核兵器の禁止を法的に担保するのであれば、核保有国が自らの意思を持って条約に加盟するしか方法はありません。
 ただ条約を作るだけではダメなんですね。
 ですから、もし知恵を出し合い議論するのであれば、条約の内容ではなく、本来はここをシッカリと考えなければならないハズだったのです。
 
 それにも関わらず、日本国内でも、そしてマスコミでも、この件に関しては感情論一本槍です。
 ここ最近この話題で一番聞いたフレーズはこれです。
 
 「日本政府は被爆者の思いに寄り添うべきだった」
 
 やえはあまりこういうコトは言いたくないのですが、お隣の国みたいじゃないですか。
 もちろんこういう感情を単に発した上で理論的な対応が可能であれば、それはそれでいいんですけど、でも今回の件に関するマスコミなどの言いぶりは、「感情を満たすためだけにやるべきだった」と捉えるしかない内容でしかありません。
 なぜなら、繰り返しになりますが、条約は加盟しなければ全く意味がないコトぐらいマスコミは分かっているにも関わらず、その無意味さ、さらには核保有国の反発すら無視した上で、得られるモノというのは「被爆者の感情を満足させる」という一切の実態と実効性のないモノだからです。
 暗に政府批判に利用しているとしか思えないんですよね。
 
 仮に日本政府の動きの目的が「被爆者の感情を満たすため」であれば、まぁ確かに参加すべきだったでしょう。
 でも言うまでもなく、これが日本政府の目的ではありませんし、こんなモノを目的にしてはなりません。
 日本は隣の国とは違うのですから。
 では日本政府は何が目的で動いているのかと言えば、そうです、「核廃絶」です。
 もっと現実的にリアリズムで言えば、被爆者の思いを踏みにじってでも核廃絶が成るならそうあるべきでしょう。
 核廃絶は決して被爆者だけのモノではありません。
 もし核廃絶の道に被爆者の思いというモノが遠回りとなるのであれば、それは優先すべきではないモノだと言うしかないのです。
 
 もう何度も言ってますように、核廃絶のための現実的な道はどこにあるのか、そこをどこまでも冷静にリアルに考えなければなりません。
 特に政治の場面においては、法的にどうあるべきかリアルの物事を考え、どう実効性を担保するのかが大切です。
 感情を優先させて、それを満足させるだけの政治を行っていては国は絶対に間違った方向にしかいきませんし、国民もそれをキチンと理解しなければなりません。
 日本は法治国家なのですから。