核兵器の非人道性について-NPDI広島会合を考える(2)

 先日広島で行われましたNPDIで採択された「広島宣言」には、次のような一文が盛り込まれています。
 

 「核の非人道性」強調へ 核軍縮会議で広島宣言
 
 議長を務める岸田文雄外相は会合の冒頭、「核兵器の非人道性についての認識を世代と国境を越えて広げ『核兵器のない世界』という目標に向けた強い思いを共有したい」とあいさつした。

 

NPDI外相会合 広島宣言(骨子)(PDF)
 
<核兵器の非人道性>
●被爆者証言は,なぜ核戦争は決して戦われるべきではないかを想起
●核兵器の破壊的な影響は,1946年の国連総会の最初の決議以来, 「核兵器のない世界」という人類の願望を動機づけ
●69年に及ぶ核兵器不使用の記録の永続化の重要性
●核兵器の非人道的影響に関する議論はすべての国に開かれた普遍的なものとして国際社会を「結束させる」触媒であるべき,多様な核リスクに対処しつつ,NPT体制を強化する実践的かつ効果的措置を要請
●世代と国境を越えて「広げていく」ことの重要性
●科学的知見を「深めていく」ことの重要性

 
 議長を務めた岸田文雄外務大臣も、そして採択された「広島宣言」も、ともに「核兵器は非人道的な兵器だ」というコトをハッキリと公言し明記したワケです。
 これはかなり大きいコトではないかとやえは思っています。
 
 というのも、今まで核兵器とは何かっていうコトを身近に考えたコトがない人っていうのは、たぶん核兵器や原爆を「ただの規模が桁違いに大きな爆弾」ぐらいにしか思っていない、感じていない人が多いのではないかと思うのです。
 でも核兵器っていうモノは、いくつか視点があるのですが、その中の大きな一つにこの「非人道性」っていうモノがあるんですね。
 つまり原爆っていうモノは、これはやえはよく言っているのですが、「人を人でないモノに作り替えてしまう悪魔の兵器」であるワケで、ただ人を殺すだけの兵器ではなく、殺すにしてもむごたらしい姿に人を変え、また生き延びたとしても様々な後遺症や、表にあらわれなくてもいつか突然発病や死が訪れるのではないかという恐怖を常に持ち続けなければならなくなってしまう、そんな人間の尊厳を根本から奪い去る兵器なのです。
 ただ一度に広範囲を攻撃出来る爆弾、ではないのです。
 
 戦争とは何かと問うと、それは外交の一種です。
 国家と国家が戦争を通じていかに自分たちの利益を確保しようかという行為が戦争なのであって、決して戦争は人間や相手国の国民そのものを殺すコトを目的としているワケではありません。
 しかし核兵器とはその範疇を超えるんですね。
 戦争が終わった後も人々を苦しめ続ける行為というのは、それはもはや「外交」ではありません。
 戦争が終われば「自分たちの利益を確保するための外交」というその意味は、もうないワケですから、その後も人を苦しませ続けても全く意味はないのです。
 
 前回ちょっと触れましたように、この辺と同じ理由でいま、対人地雷についても全面禁止にしようという世界的な動きがあります。
 後遺症の問題と、戦争後にもその被害を増やし続ける問題がその大きな理由であり、兵器としての戦略的な性格は大きく異なりますが、問題点は似ていますね。
 戦争を超えた非人道性という問題は、戦争を外交の一種であり国家にとって必要なオプションであって、憲法九条は日本国家にとって足枷でしかないと考えるのであればあるほど、真剣に考えなければならない問題だとやえは思うのです。
 
 変なお話ですが、戦争をしたとしても、その結果相手国を打ち負かしたとしても、その相手国も戦争後は発展してもらわないと困るワケですよ。
 例えば賠償問題にせよなんにせよ、もし国家がその支払い能力さえなくなり、逆に追い詰める結果になったどうなるのか、それはナチスドイツの例で人類は学んでいるハズです。
 最低限、自らが要求する事項を相手国が履行出来る状態にしておかなければ、そもそもその戦争の意味はなくなってしまいますよね。
 そのために自らも多くの血を流して戦争をしたのですから。
 ですから、自らの要求を履行させる状態にしておくコトは当然として、さらに戦争後はそれはそれで相手国にも発展が望めるような形にしておかなければならないのです。
 特に現代国際社会においては、一国だけでは発展なんかできず、自分と同じぐらいの国力をもっている国がなくなるなら、それは自国も後退するしか道はなくなります。
 間違えてはいけないのが、決して戦争は人類滅亡の手段ではないのです。
 
 こういう「人間にとっての戦争」という、ただ強い武器を持ちたいだけのガキのような願望ではなく、どこまでもリアルな問題を突き詰めると、決して核兵器という存在は人間にとってプラスとはなりはしないのです。
 
 繰り返しますが核問題というのはいくつかの視点があるワケですが、ここの「非人道性」という部分もキチンと考えてもらいたいのです。
 決して核兵器は「規模の大きな爆弾」ではありません。
 逆に言えば、単に規模が大きいだけの爆弾であれば、非人道性を問うような存在ではなかったのです。
 なぜ核兵器が特別の目で見られるのか、ここは核兵器を日本も持つべきだと持論を唱える人ほど考えてもらいたいです。