☆よく読めば分かる人権擁護法案☆
バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳の考察・議論・自民党部会レポ〜


☆メニュー☆





■人権擁護法案をめぐる議論U■
(平成20年から書かれた関連文章)
 
第一回 人権擁護法と人権委員会の国家システムでの位置づけ第二回 不当圧力に対しての人権擁護法
第三回 具体的反対論に対する指摘第三回 具体的反対論に対する指摘(中)
第三回 具体的反対論に対する指摘(下).
第四回 道具としての法律

 
人権擁護法案の自民党議論U 1人権擁護法案の自民党議論U 2人権擁護法案の自民党議論U 3
人権擁護法案の自民党議論U 4人権擁護法案の自民党議論U 5 〜太田私案1〜

人権擁護法案を巡る議論でのある雰囲気について最近の自民党人権問題等調査会の様子




人権擁護法案(1)人権擁護法案(2)人権擁護法案(3)人権擁護法案(4)
(一番最初に扱った文章です。いまとは違う意見や間違い等がある可能性があります)



平成20年1月16日

 人権擁護法案をめぐる議論U 第一回 人権擁護法と人権委員会の国家システムでの位置づけ

 なにがキッカケなにかよく分からないのですが、またもや人権擁護法案について、ネット上で動きがあるようです。
 先日から人権法に関するコトで当サイトに新たにリンクが張られていたりしているんですね。
 どうも活動の主戦場はSNSのミクシィのようなのですが、まぁせっかくですので、これも乗りかかった船ですから、最後まで関わるコトにします。
 というワケで、今日から4回にわたって(明日は木曜ですのでおそらく福田メルマガレビューになると思うのですが)人権擁護法案についての更新をしていきたいと思います。
 お付き合いの程をよろしくお願いいたします。
 
 ■第一回 人権擁護法と人権委員会の国家システムでの位置づけ
 ■第二回 不当圧力に対しての人権擁護法
 ■第三回 具体的反対論に対する指摘
 ■第四回 道具としての法律であり人権擁護法
 
 ※人権擁護法案について中身の議論は、こちらに特設ページを作っています。この法案に対する多くの疑問や疑惑、また自民党内での議論の成り行きや、反対論に対する指摘など、それなりに充実していると自負していますし、そもそもこれから書いていくコトは基本的には今まで書いたコトと内容的には同じで、視点を変えているだけとも言えますので、法案についてじっくり詳しく知りたい方はぜひとも一読していただきたいと思います。
 
 
 
 ■第一回 人権擁護法と人権委員会の国家システムでの位置づけ
 
 人権擁護法案における取扱い、具体的に言えば一般救済と特別救済ですが、これらは「行政処分」です。
 まずこのコトを念頭に置いてください。
 
 日本の国家システムは大まかにわけて3つで成り立っています。
 立法府・行政府・司法府の三権です。
 立法府は法律を作りところであり、司法府は法律を判断するところと、このふたつは名は体を表すで分かりやすいのですが、行政府はどういう仕事をするのかというコトを一言ではなかなか言い表せないところがあります。
 行政府をものすごい大雑把に言ってしまうと、立法府と司法府の中間的な立ち位置と言えるかもしれません、時には法案を提出するコトによって立法に関わり、時には法律に則って人を裁くコトもあります。
 例えば、運転免許の点数制という制度は、行政が人の行動を制限し、また人に罰則を与える行為です。
 また、企業や飲食店に対して、なんらかの不備がある場合、営業停止命令などを出すコトもありますが(赤福とかそうです)、これも行政が行政府の権限として人を裁く行為です。
 
 これが「行政処分」です。
 
 行政府は出来るコトが多いので、その長である総理大臣がもっとも権威があるように思われますが、法的な意味で言えば行政府ではなく立法府こそが「国権の最高機関」と憲法によって最高位だと定められています。
 なので、というコトでもないんですが、行政府は他の府と比べて中間的な立ち位置であるからこそ、例えば立法府によって法律が変われば行政府は強制的にそれに従わなければなりませんし、司法府において行政府が出した判断と違う判断が示された場合には、やはりそれに従わなければなりません。
 そうしてこその三権分立です
 
 話は人権法にもどります。
 冒頭に言いましたように、人権擁護法案による各処分は全て行政処分です。
 ですから、その処分が不服であるならば、裁判所に訴えるという手段は当然用いるコトが出来ます。
 そしてもし、人権委員会が出した判断と、裁判所が出した判断が食い違った場合、これは裁判所が出した判断が優先されます。
 これは人権法に限りません。
 交通違反などで減点などの処分が不服であるというなら、裁判所に訴えるコトは可能であり、もしそこで裁判に勝てば行政処分はされなくなります。
 行政処分はそういう性格であり、人権法も行政処分である以上、構図は全く同じなワケです。
 
 人権擁護法案が成立したら、いまの何が一番変わるのかと言えば、この「行政処分」という、裁判に訴える前の段階において、ひとつワンクッションを置けるようになるという部分が最も違うのです。
 
 例えばイメージ的には、国民生活センターと言えばいいでしょうか。
 赤福とかの問題が起きた場合、もし行政府によるクッションが存在しなかったら、あとは消費者が自ら裁判所に訴えるしか方法が無くなります。
 これはとてもしんどいですよね。
 しかし消費者にとって国民生活センターがありますので、まず相談するだけなら国民生活センターに、裁判所に行くよりは気軽に出来るワケです。
 実際、赤福に対しては行政処分は下されていますが、裁判までには発展していません。
 やはり裁判にまで行くというのは、このように中々難しいワケです。
 国民生活センター自体には行政処分を出す権限はないので、厳密には人権委員会とは異なりますが、「行政府が司法府の前段階として国民に窓口を広げる」という意味においては、同じ構図だと言えるのです。
 
 人権擁護法案に対して「人権侵害の定義があいまいだ」という批判があります。
 しかしこの法案というのは、新たな行政処分の権限を新設しようというモノであり、決して人権侵害について新たな定義を生みだそうというモノではありません。
 人権擁護法案の中でいろいろと定義されている侵害行為は、これは人権擁護法案の中の人権委員会が実際に動くためのキッカケを定義しているだけで、ここにひっかかったら人権委員会が動きますよと言っているだけなのです。
 ですから、人権擁護法で人権委員会が動く特別救済には引っかからないような人権侵害であったとしても、裁判であれば人権擁護法が施行されていない現在でも有罪となる案件はあろうかと思います。
 現行法・現憲法下で定められた、それは判例や慣習なども含めた広義の法を含めて、人権擁護法で言う人権侵害の定義と今の定義とは、全く何も変わるモノではありません。
 
 よって、「定義があいまいだ」と言うのであれば、それは現行法だって言えるワケなのです。
 
 訴える方も、訴えられる方も、手段が裁判しか無いというのは、けっこうしんどいコトです。
 例えば、就職の面接などで、実力を判断し不採用としたのにも関わらず、その人がたまたま部落出身でありその手の団体から「差別だ」と言われてしまった、という話も少なくないと言います。
 このような構図は、例えば朝鮮・韓国系の団体から言われたとか、全くのエセ人権団体から言われたとか、話としてはこういう話を聞いたコトがある人もいると思います。
 そしてそういう不当圧力の話を聞いて、それが高じてこの法案とかに反対したりする人が多いようですが、しかし勘違いしてはいけないのが、「その手の団体に差別だと言われたら、それが社会の決定になるワケではない」というコトです。
 あまりこの手の団体とのもめ事が表沙汰になると非常にしんどいので、企業としては穏便な形で済ませようと意識が働き、結果的に圧力に屈する形になってしまうという場合が多いようですが、だけどこれは決して公的な社会システムとして認められた形ではありません。
 
 結局なぜ不当な圧力に屈してしまうのかというと、それは裁判がしんどいからです。
 裁判をすれば法に則っとり公平公正な判断を下してくれるコトにはなりますが、しかし裁判になると大事になり、特に日本人は裁判に対して否定的ですから見聞も悪くなってしまうので、特に企業イメージを大切にしている会社はそれを避けるため、“穏便な形”で済ませようとするワケです。
 結局、法が正しく活かされていない形だと言えるでしょう。
 
 この形を打破するためには、裁判以外の、もっとソフトな解決策を創り出すという方法が効果的なのではないでしょうか。
 そしてそれが行政による仲介であり、人権擁護法案はそれを現実可能とする内容になっていると言えるのです。
 この法案が正しく施行されればむしろこの手の不当圧力をはねのける手段となり得る可能性もあると、そうやえは思っています。
 
 
 (つづく)
 
 

平成20年1月22日

 人権擁護法案をめぐる議論U 第二回 不当圧力に対しての人権擁護法

 (つづき)
 
 数年前の話ですが、ある外国籍の女性が東京都の幹部職員試験を受けようとして、国籍が日本にないコトを理由に拒否され、それを不服として裁判に訴えるというコトがありました。
 もちろん「それは差別である」という理由であり、ある意味これは多くの法案反対派の人が危惧するような構図だと言えるでしょう。
 しかし、この裁判は最高裁まで争われたのですが、結果的に東京都の勝訴という形で決着が付きました
 最高裁の判決理由の論拠のひとつに、人権法の問題でちょくちょく出てくる「当然の法理」という概念が出てくるので人権法議論的にもいろいろと参考になる判決なのですが、このように、なんでもかんでも“その手の人”が訴えれば社会的に認められるというワケでは決してありません。
 よく人権に関するニュースが流れると「差別だと訴える」という事実だけ伝えて伝えっぱなしの場合が多いのですし、その主張だけを事実化して考える人が多いですが、一方が主張するだけでそれが正しいと社会的もしくは国家的に決定するワケでは決してないコトをまずしっかりと認識しておいてほしいです。
 
 そして前回も言いましたように、行政府は司法府の最終判断を覆すような判断を下すコトは出来ません。
 もし人権擁護法案が施行されて、もしこの東京都の件と全く同じような訴えが人権委員会に提出されたとしても、最高裁が出した判決を覆すような判断は示せません。
 行政と行政処分とはそういうモノなのです。
 
 (ただし、薬害肝炎問題の時のように、原告が政府に圧力をかけ、衆愚政治に陥ってそれに屈して立法府が動いて法律そのものを変えてしまえば、それは事情が変わってきます。この件でも分かるように、一番大切なのは国民の見識なのです)
 
 この東京都の例は、“しんどい”裁判を行ったからこそ得られた結果です。
 おそらく、なぜ裁判にまで至ったのかと言えば、訴えられた側が東京都という公的機関だからでしょう。
 公的機関の行動は全て法律に縛られるので、「当然の法理」で縛られている行為を勝手に個人の考えて変えてはならない、つまり採用担当が個人の考えで勝手に外国人を登用できないからこそ、裁判しか手段がなくそこに至ったのだと思われます。
 これが私企業なら、例え内規で「外国人は採用しないコト」としていたとしても、それを破っても法律違反にはならないですから、“穏便な形”をとるコトも可能です。
 しかし公的機関はそうはいきませんので、裁判所の判断を委ねるという形にするしか無かったワケです。
 あと、東京都ですから、裁判をする体力があったというのも、私企業とは違う事情でしょう。
 
 もし私企業が、個人や団体に人権問題で訴えられる、もしくは訴えるぞと言われたとした場合、人権擁護法が施行された後であれば、むしろ企業の方が人権委員会に「このような件で訴えられたんですけど」と相談ができるようになるのではないでしょうか。
 しかし現行法下においては、警察に行ってもおそらくそんなに親身には聞いてくれないでしょうし、そもそも刑事事件ではないですしね、また今でも人権擁護委員はいらっしゃいますけどどこまでアドバイスしてくれるのか分かりませんし権限もあまりないですし、一番効果的なのは弁護士に相談するコトなのでしょうけど、それもお金がかかるコトですから全ての企業にそうしろとはなかなか言えない方法です。
 ですからこの隙間に新しく行政サービスが生まれるというのは、とても意義のあるコトではないかと思うのです。
 
 四回目で詳しく書きますが、法律は所詮道具です。
 もし社会全体が、特殊な背景を持っている団体などに屈しなければならないような雰囲気を未だに保持していたら、それはもう法律や行政や政治や立法の問題ではなく、そのおおもとである国民の判断として、“不当な圧力”に有利なような判断を人権委員会が下す可能性はあります。
 そもそもこれは特設ページでも何度も語っていますが、人権という概念は、時代や国や社会情勢などによって変わってくる概念であり、そういう背景を無視しては語れません。
 ですから、常に国民が高い意識を持つ必要があるというのは、これはこの法案に限らずですが、大切なコトです。
 不当な圧力を不当だと、正しいコトは正しいと、堂々と言える社会を作っておかなければなりませんし、国民はその義務と責務があるのです。
 そうしてこそこの法案は、善良な国民のために働き始めるコトでしょう。
 
 不当な圧力に対する抑止力として人権委員会が機能する可能性を秘めているとやえは期待しています。
 もちろんそれには不当を不当と言う社会的な背景があってこそですが、企業に対する不当圧力も人権委員会があるコトによって、当事者だけの歪んだパラーバランスだけで決められるのではなく、ある程度の公平な視点のもとで判断が下されるようになるのではないでしょうか。
 今でも東京都の例を見るまでもなく、差別だと言う側が一方的に勝てるワケではないワケですし。
 そもそもその手の人たちが「訴えるぞ」と言っているのは、法的手段ではなく、声高らかに主張するぞと言う場合というのは多々あるワケで、その際に自分が人権侵害なんてしてないと自信があるなら「どうぞ人権委員会にでも訴えてください」とか言えるようになるワケですし、また「訴えるぞと言われた」という相談こそを人権委員会にするという選択肢も人権擁護法が施行されれば生まれてくるワケです。
 「不当な圧力」を本当に「不当」だと思うのであれば、それを正しく判断する場が作られるというのは、意味のあるコトだと思います。
 
 法律は道具に過ぎません。
 道具には色は付いていません。
 だから使う人によってどうとでも変容するモノですが、だからこそ国民が正しく使えば、不当を不当とはね除ける力となるのです。
 ある意味不当な圧力という差別があるからこそ、人権委員会を作る意義があるとも言い換えられると思います。
 
 個人的な視点、それはものすごくやえだけが世界の小さな視点で物事を言ってしまえば、やえはこの法案が通ろうが通るまいが、興味ありません、どっちでもいいです。
 やえはそんな目くじらをたてるほどの人権侵害を受けたコトはありませんし、たまに変な人に中傷される書き込みをされるコトはありますが、それぐらいは自分の力ではねのけるよう努力してきたつもりです。
 ですから、法案成立自体にはやえ的にはどっちでもいいんです。
 ただ、現実的にもっと広い視点を持てば、残念なコトですが差別は存在します。
 以前「差別の現実」という記事を書いたコトがありますが、差別の問題は決して見知らぬ自分とは違う世界の物語ではありません。
 また、身近にも人権侵害はあります。
 あまりにもバカらしすぎるのでいちいち反応しないのですが、やえやあまおちさんに対して明かな人権を踏みにじるような中傷がされたコトも今まで何度もあります。
 また、ネットの上でも現在進行形で、「○○は部落だ」とか「あいつはチョンのくせになに言っているんだ」とかいうような書き込みを、残念なコトですがされているコトも少なくありません。
 この法案に対する議論の中で特に目に付いてしまったのですが、自分の意見と違うというだけで、中身の議論を放り投げて人格否定から始まって、事実を確認しようのないコトまで陰謀論でこき下ろして誹謗中傷に走るという人が、これがけっこう多かったんですね、残念なコトなんですが。
 言われた本人が気にする気にしないは別にしても、この手の言動が公の場でなされるコト自体、これは明らかに人権を無視した現行法においても違法行為であり、許されざる行為です。
 そして現行法下ではこれらを十分に取り締まれていません。
 人権擁護法案の施行によってこれらが取り締まれるようになるのかどうかは分かりません(案外生ぬるい内容ですし、人権委員会への制限が厳しい内容ですので)し、圧力に対する相談等もこれは運用の問題でありますので法案が施行されていない今の段階ではなんとも言えませんが、どれくらいかはともかく少なくとも今よりも動きやすくなるのは確かでしょう。
 
 結局この法案を道具として見た場合、使いようによっては「不当圧力の排除」という方向にも使うコトができるという内容にはなっているとやえは判断します。
 ただなにをもって「不当」かというところにおいては人によって意見が違うでしょうし、保守的な考えの人は解放同盟の例えば糾弾会などは人権侵害だと言うでしょうし、一方左翼的な考えの人はあれは必要な行為であると言うワケで、このように結果を予想しての意見では道具である法案を断じるコトはできないのです。
 自分の意見で動かせるのは、法案の有無ではなく、人の心です。
 ですから道具であるところの法案を判断をするという場合においては、キチンと法案文を読んで、何ができて何ができないのか、そこを確認する作業が不可欠であり、そしてもっとも大切な作業なのです。
 
 一番の問題は使う人です。
 そしてその最もおおもとは国民です。
 そこを国民は忘れてはなりません。
 
 
 (つづく)
 

平成20年1月28日

 人権擁護法案をめぐる議論U 第三回 具体的反対論に対する指摘

 まず最初に言っておきます。
 人権委員会という存在は政府系の公的機関であり、その行動には法律による制約が伴います。
 それは公的機関・公務員全てに言えるワケで、例えば警察官は警察官だからこそ拳銃を合法的に持てるのではなく、警察官は拳銃を所持して良いと法律に書かれているからこそ持てるのです。
 警官だからという理由ではないワケです。
 法律に書いてあるからこそです。
 これが「法的根拠」です。
 そして公的機関である(と法案に規定されている)人権委員会も、出来るコトは法律に明記してあり、それ以外の行為は出来ません。
 このように、公的機関のあり方というモノをまず理解してから、何ができる/できないを考えてもらいたいと思います。
 
 では、具体的に、あるQ&Aに対して反論をしてみたいと思います。
 これは、今回やえが4回にわたって人権法について書くきっかけとなったmixiでの騒動で、一番使われたのではないかと思われる文章です。
 そしてどこで作られたモノかを調べると、「サルでも分かる?人権擁護法案」さんのところでした。
 では中身を見ていきましょう。
 
 
 ※もし結果だけ知りたいという方は引用部分のQ&Aとやえが書いた

 

 の部分だけ見てください。その上で理由が知りたい方はじっくりと中身を読んでください。
 

 Q人権擁護法案って、どんなものですか?
 
 A.人権委員会が、「これは差別だ!」と認めたものに罰則を課すことが出来るようになる法律です。 人権委員会が5名、人権擁護委員2万人によって作られ、被差別者、障害者などが優先して選ばれることになっています。
 現在閲覧可能な情報によると、この委員会は法務省の外局として扱われ、地方ごとに構成員が配置されることになっています。

 まず、《「これは差別だ!」と認めたものに罰則を課すことが出来るようになる法律です》という言い方は適切ではありません。
 人権擁護法案内で取り扱われる人権問題はキチンと定義されています。
 特に「罰則」にかかるような人権問題は、人権擁護法案の中では「特別救済」にかかる問題になるワケですが、これはかなり厳密に定義されています。
 詳しくはこちらに書いてありますが、とにかく、人権委員会は法律に則って行動を決めるワケであり、決して人権委員が全くの独断だけで「これは差別だ」と決定するワケではありません。
 確かに最終的には人権委員会が「この案件は差別である」と認定するワケですが、しかし一番守るべきは法律であり、その辺は裁判所と考え方は同じであって、このQ&Aの言い方はかなり誤解を与える言い方でしょう。
 
 次に《被差別者、障害者などが優先して選ばれることになっています》ですが、これは当サイトをよく読んでくださり、人権法はもうおなかいっぱいという方は、「またかよ」という文言ですね。
 前回自民党で議論されていた中で提示された人権擁護法案には、いわゆる「団体条項」は削除されました
 よってすでにこの言い方は全く当てはまりません。
 また、さらに言うのであれば、人権委員の方はこのような条項ははじめからありません。
 この書き方では人権委員の方にも《被差別者、障害者などが優先して》がかかるような書き方と言え、たいへんに誤解を与えかねない文言と言えるでしょう。
 
 次に、蛇足になりますが、人権委員会は厳密には確かに《外務省の外局》ではありますが、文化庁のような通常の外局とちがって、非常に高い独立性を有しています。
 同じ権限で立てられている委員会に公正取引委員会がありますが、一応これも厳密には内閣府の外局です。
 また同じように《構成員》も公取にも存在しますが、これはイメージ的には公務員・役人と捉えて問題ないでしょう。
 実際公務員であるコトには変わりありませんし。
 「公取委員」や「人権委員」は普通の役所では大臣などで、構成員は普通の役人だと当てはめて考えれば分かりやすいかと思います。
 
 では、ここのQ&Aを正しく書き直します。

 Q人権擁護法案って、どんなものですか?
 
 A.人権委員会が人権擁護法に則って、人権に関する問題を行政の立場で取り扱い、時には行政処分も下せるようになる法律です。人権委員会は5名、人権擁護委員は現在活動していらっしゃる方を中心に2万人までで作られ、人権委員は総理大臣の任命など非常に民主的な選出方法が採られています。
 現在閲覧可能な情報によると、この委員会は法務省の外局であり、公正取引委員会のように高い独立性を保ち、中央と地方ごとに公務員による構成員が配置されることになっています。

 
 

 Q.人権委員会が発足されるとどんな仕事をするんですか?
 
 A.人権委員会は、人権侵害、そして「人権侵害を誘発・助長する恐れのある」発言や出版などに対し、調査を行う権限を持っています。もし人権侵害などが疑われた場合、委員会は関係者に出頭を求めたり、証拠品の提出、立ち入り検査を行うなどの措置を取ることができます。
 また、委員会はこれらの措置に対し非協力的な者に対し、ある程度の罰則を課すことが出来る権限を持っています。
 一番辛い罰則は「氏名等を含む個人名の公表」で、これが行われれば近所からの白眼視、職場や学校での寒い居心地などが待っているでしょう・・・。
 
 差別と判断され冤罪(間違ってた)場合に、人権委員会がマスコミ等を通じて「間違ってました、ごめんなさい」という謝罪をする事は無いそうです
 
 この委員会を抑止する為の機関・法律などが存在しないため、委員会による圧政が問題視されています。

 まず《人権委員会は、人権侵害、そして「人権侵害を誘発・助長する恐れのある」発言や出版などに対し、調査を行う権限を持っています。もし人権侵害などが疑われた場合、委員会は関係者に出頭を求めたり、証拠品の提出、立ち入り検査を行うなどの措置を取ることができます》ですが、この部分はかなり悪質に恣意的に文章を略していると言えます。
 関係者の出頭や立ち入り検査を行う場合の人権問題はかなり厳密に定義されていまして、特に「人権侵害を誘発・助長する恐れのある」というような表現のある問題は、「部落名鑑」のようなモノに対する規制にかかる部分だけになります。
 書き出すと長いので敬遠されがちなのですが、しかしこのように短く切りすぎて、どのような発言でも「誘発すれば立ち入り検査」と捉えかねない書き方は、たまにマスコミが使う卑怯なやり口と似ていてちょっと悪質なのではないでしょうか。
 厳密には
 
 人種等の共通の属性を有する不特定多数の者に対して当該属性を理由として前項第一号に規定する不当な差別的取扱いをすることを助長し、又は誘発する目的で、当該不特定多数の者が当該属性を有することを容易に識別することを可能とする情報を文書の頒布、掲示その他これらに類する方法で公然と摘示する行為であり、これを放置すれば当該不当な差別的取扱いをすることを助長し、又は誘発するおそれがあることが明らかであるもの
 
 となります。
 おそらく多くの人が全部読んでも中々理解しがたいかと思いますが、ポイントは「当該不特定多数の者が当該属性を有することを容易に識別することを可能とする情報」です。
 これでも難しいかもしれませんが、少なくとも、なんでもかんでも差別を誘発するような発言全てが立ち入り検査の対象ではない、というコトを理解していただければと思います。
 
 なお、立ち入り検査についてはこちらで詳しく書いています
 
 次に《また、委員会はこれらの措置に対し非協力的な者に対し、ある程度の罰則を課すことが出来る権限を持っています。 一番辛い罰則は「氏名等を含む個人名の公表」で、これが行われれば近所からの白眼視、職場や学校での寒い居心地などが待っているでしょう・・・。》これですが、大きく誤解されている部分は、氏名の公開は、立ち入り調査等の措置に対して非協力的な者に課す過料ではありません。
 ごっちゃになっているようなので、整理しますと
 
 ・立ち入り調査等に非協力的な者に対する過料は罰金などがあり、これは裁判所が課す
 ・氏名公開等は、人権侵害に対する行政処分
 
 となります。
 過料については、これはなにも人権擁護法案だけの特殊なモノではなく、いわゆる「間接強制」と言われる類の手法であり、公正取引委員会や国税局などにも与えられている権限です。
 特に現行法下においては問題のない措置だとされています。
 
 それから、氏名公開等の行政処分は、これは特別救済における措置なのですが、もちろんこれが発動するには法律に定められたいくつもの条件にひっかかる必要があります。
 そして《これが行われれば近所からの白眼視、職場や学校での寒い居心地などが待っているでしょう・・・》とのコトですが、当然これぐらいの効果がなければ行政処分としての意味も抑止力もないでしょう。
 この措置があるコト自体に問題があるとは到底言えません。
 よって、この措置があるかどうかだけで法案の正否を問うコトなど出来はしないでしょう。
 氏名公開等の措置についての詳しくはこちらをご覧下さい
 
 なお、自民党の議論の中で改正された法案では、氏名公開等をする際には、氏名等が公開される人の言い分もあわせて公開しなければならないコトになってします。
 これは人権問題・言論の自由という観点から、かなり公平性を保っていると言えるでしょう。
 むしろここまでくれば抑止力があまりないように思えるぐらいです。
 
 次に《差別と判断され冤罪(間違ってた)場合に、人権委員会がマスコミ等を通じて「間違ってました、ごめんなさい」という謝罪をする事は無いそうです》これですが、これはまぁ確かに問題であると、やえも指摘しているところです。
 ただ現実問題として、実際の裁判で冤罪が起きたとして、どこまで裁判所が裁判所として謝罪をしているのかというところはあると思います。
 もしくは公取等の、同種の組織の場合とかですね。
 その辺の、公的機関の今のあり方全体としての議論は必要だと思います。
 ただし、人権委員会が間違いを起こして損害を被った場合には、国家賠償法による損害賠償請求は出来るコトを知っておく必要があるでしょう。
 
 最後に《この委員会を抑止する為の機関・法律などが存在しないため、委員会による圧政が問題視されています》ですが、ちょっとこの文章の意図するところがわかりません。
 当然すぎる話ですが、日本国憲法の支配下に置かれますし、他にも国家公務員法など、関連する法律には全て影響されます。
 そして当然ですが、人権委員会は人権擁護法案を基準に行動がされます。
 「圧政」とは何を指すのか分かりませんが、人権委員会は、他の類する委員会、例えば公取などと同じ存在であり、人権擁護法案を読む限り今ある組織となんら飛び抜けて権限が強い組織であるとは言えません。
 ちょっと根拠のない、恣意的な文章ですね、ここは。
 
 では、ここのQ&Aを正しく書き直します。

  Q.人権委員会が発足されるとどんな仕事をするんですか?
 
 A.人権委員会は、公務・職務上の差別的取扱いやその意思を表明する行為、特定個人への人種などを理由とする差別言動やセクハラ、部落名鑑のような文書の公開などに対して、氏名公開などの特別救済を行う権限を持っています。またその調査のために、委員会は関係者に出頭を求めたり、証拠品の提出、立ち入り検査を行うなどの措置を取ることができます。
 またその調査に正当な理由無く拒否した場合、裁判所から過料を科すこともできます。
 
 差別と判断され冤罪(間違ってた)場合に、人権委員会がマスコミ等を通じて「間違ってました、ごめんなさい」という謝罪をする事は無いそうですが、国家賠償法により賠償請求するコトは出来ます。
 
 この委員会は、日本国憲法と法律により規定され、他の委員会と同じように行政の一員として組織されます。

 
 
 ごめんなさい、長くなったので一旦区切ります。
 4回で収まり切りません、ごめんなさい(笑)
 

平成20年2月13日

 人権擁護法案をめぐる議論U 第三回 具体的反対論に対する指摘(中)

  さて、今日は人権擁護法案についての続きをしようと思うのですが、本日の朝、自民党の方で人権擁護法案の議論が行われたというお話をお伺いしました。
 それなりに普通のメディアでも取り扱われていますのでご存じの方もいらっしゃるかもしれません。
 前回の2年前の議論においては、当サイトはその議論の内容についてレポートしてきたワケですが、今回もお話をお伺いできるかもしれませんので、可能でしたらまたレポートしていきたいと思っています。
 というワケで、確約は出来ませんが、ちょっとだけ期待しておいてください。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 さて、いきましょーか。
 
 

 Q.人権を守るのは良いことだよ、何で反対するの?
 
 A.人権を守らなくて良いと言ってるのではありません。問題はそれを判断するために作られる「新しい機関」の権限の強さ、その人選の不透明・曖昧さ、人数です。
 なぜ数年前に廃案になった法案を再び持ち出すのか
 なぜおおやけに公表されることなく可決しようとしているのか

 まず《問題はそれを判断するために作られる「新しい機関」の権限の強さ》ですが、これは何でも言えるコトで、単に「強い」と表現するだけでは批判の材料になりません。
 強い弱いという言葉は必ず何かと比較している言葉ですので、一体この場合の「強い」とは何と比べて強いと言っているのかが問題になります。
 残念ながらそれが書かれていませんので、この有様では「問題」と言うコトは出来ないでしょう。
 ちなみに当サイト的には、他の既存法律や、他の既存委員会・組織などと比べて、特段際だって人権委員会の権限が「強い」とは判断できません。
 
 次に《その人選の不透明・曖昧さ》ですが、人権擁護法案の人選は、ぜんぜん不透明ではありません。
 決定権限のある人権委員についてはこちらに詳しく書いていますが、少なくとも民間大臣と遜色ない人選方法が規定されています。
 むしろ、なにをもって「曖昧」だと言っているのか、その方が曖昧ではないのでしょうか。
 
 また《人数》が問題とも書かれていますが、これはおそらく人権擁護委員のコトなのでしょうけど、しかしこの法案が施行されていない現在においても、人権擁護委員の方々というのはいらっしゃって活動しています。
 これで「人数が問題」とは、ちょっと言えないのではないでしょうか。
 
 次に《なぜ数年前に廃案になった法案を再び持ち出すのか》ですが、別にこれ、法案の中身には関係ありませんね。
 この理由を持って法案に反対する理由にはならないでしょう。
 この法案に限らす全ての法案というモノは、廃案になるとかならないというのは国会や政治や選挙の影響によるところが大きいワケで、ですから中身の議論には関係ない話です。
 こんなコト言い出したら、もし民主党が与党になったとしても、野党時代に廃案にされた法案は提出できなくなってしまい、民主党は何も出来なくなるでしょう。
 だいたいこの人権擁護法案は、けっこうな修正が加えられているのですから、それだけでも再提出する理由にはなります。
 
 最後に《なぜおおやけに公表されることなく可決しようとしているのか》ですが、これは可決という言葉の使い方が間違っているんだと思われます。
 数年前に大騒ぎになったあの話というのは、自民党の内部規定による議論のお話でしたので、仮にあそこで賛成多数になっていたとしても、法律として成立するワケではなく、単に自民党だけのお話でしかありません。
 ですから、これを持って公的な意味での「可決」とは普通言いません。
 法案は当たり前ですが国会に提出され、本会議と多くの場合委員会で議論されます。
 そして国会で「可決」されれば、法律として成立するワケで、つまり全ての法案は国会に法案が提出された時に「おおやけになる」と公的には言えるようになるのです。
 ですから、まだ自民党の議論の段階で「なぜおおやけに公表されないのか」と言われても、ちょっとズレているんですね。
 少なくとも「公開されずに法案が成立する」とは全くならないワケです。
 実際の法案に対して公の場で意見を言うのでしたら、国会の仕組みぐらい勉強してからにした方がいいんじゃないでしょうか。
 
 では、ここのQ&Aを正しく書き直します。
 と言っても、質問の内容からして直しようがないんですが…。

 Q.人権を守るのは良いことだよ、何で反対するの?
 
 A.なぜでしょう。デマによって煽られた人たちが、自分で調べようともせずウソの内容をそのまま信じてしまっているからではないかと思います。

 
 
 次の設問です。
 

 Q.何が問題なんですか?
 
 A.問題の一つに、差別を判断するのが人権委員会だということ人権委員会が差別と判断したら止める者がいない事です、被差別者への批判言論、外交問題においての近隣諸国に対する、正当な批判さえもが差別として恣意的に弾圧できるようになる恐れがあります。人権擁護法案よりも人権委員会の発足が危険視されています。
 被差別者を解雇したら、「差別」であるとされる可能性がある。つまり、被差別者は解雇されないという特権が生じる危険性がある。
 被差別者の過ちに対する正当な批判が、人権委員会が差別と判断したら差別になって、罰則が課せられる。そんなあいまいな基準で罰則が課せられ たら、被差別の過ちに対する批判を、差別認定されることを恐れて何もいえなくなる。
 差別と判断され冤罪(間違ってた)だった場合に、人権委員会がマスコミ等を通じて「間違ってました、ごめんなさい」という謝罪をする事は無い
 実際権力持つのは人権委員だけれども、実務こなすのは人権擁護委員であって、わずか五人、常任に至っては二人しか居ない人権委員では許可発行にも十分な審議ができるとは考えられない
 北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記や韓国の左翼的政権の盧武鉉(ノムヒョン) 大統領を批判したとする。 そうした批判は在日の人びとの感情を傷つけ人権侵害に当たるとして、事情聴取や立ち入り検査をされかねない。これでは、言論および表現の 自由は深刻な危機に直面してしまうだろう。 。

 
 まず《差別を判断するのが人権委員会だということ人権委員会が差別と判断したら止める者がいない事です》ですが、完全に大嘘です。
 人権委員会の決定が不服なら、裁判所で裁判を起こすコトは可能であり、最終的には裁判所の決定が公的な決定となります。
 こんなの言うまでもないコトのハズなんですが……。
 
 次に《被差別者への批判言論、外交問題においての近隣諸国に対する、正当な批判さえもが差別として恣意的に弾圧できるようになる恐れがあります》ですが、これもデタラメですね。
 というか、何度も言ってますが、人権擁護法案が成立してもそれによって新たな概念が生まれるワケではなく、何が差別で何が差別ではないかという部分は現行と変わらないワケですから、もし現在「正当な批判さえもが差別として恣意的に弾圧」されているような現実がある場合、もちろんこれは裁判をしても「正当な批判ではなく差別だ」と裁判所が認定するという場合ですが、それは人権委員会でも差別だと認定されるでしょうし、そうでなければそうはなりません。
 すなわち、人権擁護法案が施行されると、急に新たに弾圧されるようになるコトはあり得ません。
 不服なら裁判という手段があるワケですし。
 
 そもそも「なにをもって正当か」という問題がまずあるワケです。
 この世の中に絶対正義的に認定される「正当」なんて存在しないワケで、一方が「正当」と思っても、もう一方は「不当」だと感じるコトなんて多々あり、むしろ紛争は、だからこそ起きえるモノです。
 そしてこれを解決する手段として人間社会では裁判所などが生み出されたワケで、人権委員会もそのひとつとなるコトになります。
 ですから、この設問の段階で絶対正義的に「正当な批判」と言ってしまうのは、適切ではありません。
 本当にそれが「正当かどうか」を審議するのが人権委員会の職務の一つだからです。
 そして最終的には、裁判所が正当と認めるモノが公的には正当であり、判断基準はそこになりますし、それは原稿制度下でも変わらないワケで、繰り返しになりますが今の段階で「不当なモノ」は成立後も不当ですし、「正当なモノ」は成立後も正当となるのです。
 
 《被差別者を解雇したら、「差別」であるとされる可能性がある。つまり、被差別者は解雇されないという特権が生じる危険性がある。
 被差別者の過ちに対する正当な批判が、人権委員会が差別と判断したら差別になって、罰則が課せられる。そんなあいまいな基準で罰則が課せられ たら、被差別の過ちに対する批判を、差別認定されることを恐れて何もいえなくなる。》
 この辺は以下同文ですね。
 
 《差別と判断され冤罪(間違ってた)だった場合に、人権委員会がマスコミ等を通じて「間違ってました、ごめんなさい」という謝罪をする事は無い》ですが、ええと、これ、なんか別のところで言いませんでしたっけ?
 まぁ、ここは確かに問題ではあるとやえも思っています。
 が、これは公的機関の全体の性格として議論しなければならない問題だと思っていまして、例えば冤罪が起きても裁判所や検察や警察がどこまで謝罪するかというのは、現行でもちょっと疑問が残るところです。
 ですからここは全体として変えていきたいところです。
 ただし、ひとつだけ言っておくなら、もし冤罪が起きた場合は、国家賠償法に基づく訴訟を行政に対して起こすコトは可能です。
 決して泣き寝入りしかできないというワケではありません。
 
 《実際権力持つのは人権委員だけれども、実務こなすのは人権擁護委員であって、わずか五人、常任に至っては二人しか居ない人権委員では許可発行にも十分な審議ができるとは考えられない》
 ええと、行政府の最高意志決定機関である内閣は、現在たった18人で日本の舵取りをしています。
 あらゆる分野の日本の舵取りをする人数としては、まぁ数字だけ挙げてしまえば少ないですかね。
 ただ、そのための官僚組織なワケで、人権委員会も同様です。
 それから、他の三条委員会も、トップの委員数はだいたいこんな感じのようです。
 
 《北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記や韓国の左翼的政権の盧武鉉(ノムヒョン) 大統領を批判したとする。 そうした批判は在日の人びとの感情を傷つけ人権侵害に当たるとして、事情聴取や立ち入り検査をされ ねない。これでは、言論および表現の 自由は深刻な危機に直面してしまうだろう。 。 》
 キムジョンイル本人が訴えるならまだしも、それを理由に第三者が訴えるコトが可能とはちょっと考えられません。
 飛躍しすぎな気がしますが。
 また、「不開始事由のアウトライン」の中にも、「専ら公共を図る目的で、公共の利害に関する事実について、意見を述べ、又は論評するものであるとき」という項目がありますので、この辺はまずあり得ないと言っていいでしょう。
 この辺も、現行法下において裁判で「差別ではない」とされる類の言説であれば、人権擁護法案が施行されても差別ではないとされるのは当然の話です。
 
 
 では、ここのQ&Aを正しく書き直します。

 Q.何が問題なんですか?
 
 A.一番の問題は、法案文を読まずに雰囲気だけで反対反対と言っている人でしょうね。

 

平成20年2月27日

 人権擁護法案をめぐる議論U 第三回 具体的反対論に対する指摘(下)

 Q.大体そんな変な法律だったら、可決されるわけないでしょ?
 
 A.残念ながら、今現在はマスコミへの対応凍結で可決される可能性が高いです。また、可決されるかされないかは国民の意志ではなく、党員の意思によるもので、変な法律が可決されないというのは大きな誤りです。実際、盗聴法と悪名高い通信傍受法案は可決されてしまいました。

 うーんと、なんだかこれ、メチャクチャな内容で、どうツッコんでいいのか分からないのですが、選挙の結果は国会の場に反映されているワケで、そして憲法上、法律は国会を通さなければ成立しませんから、《国民の意思ではなく》という文言は全くのデタラメです。
 かなり悪質に事実をねじ曲げたデマだと言わざるを得ません。
 ただ、やえ的には、マスコミ条項の凍結は大反対なんですけどね。
 マスコミほど人権を、それが意図的にせよ過失にせよ、踏みにじりやすい作りになっている性格・組織は無いワケですから、マスコミへの人権侵害こそをまず取り締まるべきでしょう。
 
 いちおう正しいQAを作っておきますね。

  Q.大体そんな変な法律だったら、可決されるわけないでしょ?
 
 A.可決されるかどうかは、国民の投票によって議席が定められた国会での審議によるものです。
 また、では一体何を根拠に「変」と言っているか、それこそ曖昧な言い方ではなんとも言えません。
 まぁ、そこまで変な法律になるとは、法文を読めば、思えないワケですが。

 
 

 Q.最近初めて聞きました、本当に動いてるの?
 
 A.問題の一つに、テレビや新聞などで全く取り上げられてないことです、マスコミが動かないゆえに世間一般では、全く広まっておらず、ほとんどの人に知られずに可決されようとしてるのです。

 これはマスコミの問題ですから、法案の中身の議論ではないですね。
 マスコミに文句を言いましょう。
 ちなみに、国会の提出されれば、内容やその審議についてはオープンにされるので、自分の目や耳で確かめるのがよろしいでしょう。
 受け身でなんでもかんでも他人から与えらなければ「知られずに」と言ってしまうのは、勝手すぎる言い分だと思います。
 
 ふぅ〜。

 Q.最近初めて聞きました、本当に動いてるの?
 
 A.情報は他人に与えられるモノではなく、自分から得るモノです。

 
 
 次の設問です

 Q.マスコミが騒がないのは何故?
 
 A.実はこれと同じような法律が数年前騒がれました。
 そのときはマスコミが大々的に報道し世論を動かしたからです。
 しかし今回のほうは修正されており、マスコミの言論規制は今のところはありません。 また、TVの天敵であるネットがまず狙われる法律です。ネットの情報が規制されれば、情報源はTVのみになり視聴率が上がります。
 だからマスコミはこの法律について放送しないと思われます。
 何度か取り上げられましたが、マスコミ規制のみ取り上げて肝心の法案の根本的問題、危険性、セキュリティー・ホール、適正手続の保障がない、名誉回復手段がない、人権委員会の罷免手続がない、を全く取り上げていません。
 マスコミは自分たちのことしか考えてないのか…

 だいぶ法案の中身とは関係ない話になってきましたね。
 マスコミについてひとつ言えるのは、「マスコミは自分たちのことしか考えてないのか…」っていうのは、その通りだと思いますよ。
 だって所詮私企業ですから。
 別にこれマスコミに限らず、どんな問題だって自分に関係ない話なら無責任にはやし立てるのに、いざ自分のコトが不利益になるような法律や施策が出ると、大反対しますよね、大衆ってモノは。
 例えば高速道路は市場経済を考えろとか言って自分には関係ない地方の道路建設には反対するのに、いざ渋滞ばかりの首都高を値上げすると言ったら、ヒステリックに大反対したりします。
 良くも悪くも、自分のコトが一番可愛いというのは人間の本能です。
 
 ところで、「人権委員会の罷免手続がない」の部分ですが、これは嘘っぱちですね。
 第十一条でその辺は定められています。
 また、これでは厳しすぎて事実上罷免できないという人がいますが、しかし三条委員会という独立性の高い委員会という性格を考えた場合、そう簡単に罷免できるような制度だと、逆に権力などによって圧力をかけられかねません。
 一方でもっと独立性を高めろと言っていたりして、では一体どうしろって話になっちゃうと思うのですが、この辺も他の法律や判例、今までの歴史や経緯を全てふまえた「法律」というモノとして考えた場合、そんなに逸脱した既定ではないと考えられます。
 
 Q&Aの書き直しです。

 Q.マスコミが騒がないのは何故?
 
 A.自分たちに不利益になるような法案には全力でつぶしにかかるのがマスコミです。マスコミはそういう存在なのです。その後この件についてあまり報道しなかったのは、それまで国民があまり関心がなかったコトの裏返しで、それはすなわちマスコミのスタンドプレーだったという証拠とも言えるでしょう。
 つまり一番しなければならないのは、国民のマスコミへの監視なのです。
 なお、前回の騒動から国民の関心が高まっていますので、最近はよく報道されるようになっていますね。

 
 

 Q.漫画が消える、小説が消えるって本当?
 
 A.漫画や小説が消えることはないと思われます、何が差別と取られるか分からないので、当たり障りのないものしか作れなくなる。
 既に発売された物については作者や出版社が差別と取られる事を恐れて、販売を中止したりする事はありえます。

 そもそも現在進行形で、現行法よりきびしい自主規制を出版社側が勝手にやってますけどね。
 何度も言いますが、人権侵害という概念自体は現行法下と変わらないワケですから、答えてとしては「今と変わらない」というのが適切でしょう。
 「何が差別と取られるか分からない」というのは、人権問題という概念の存在的にハッキリと線引きができるモノではないからであり、だからこそ出版社は今でも自主規制をひていしまっているワケで、つまりここを言い出しても、人権擁護法案の存在以前の問題だと言えるでしょう。
 だいたいにして、こわいから自主規制、恐れて自主規制、なんて逃げ腰な態度というモノも、問題なのではないでしょうか。
 権利というモノは、ある程度戦って勝ち取るモノです。
 人権擁護法案だって、訴えられる側もかなり主張ができるような仕組みになっていますし、であるなら出版社という表現の自由を最も享受している存在こそが、表現の自由を最も全面で擁護する努力をする義務があると言えるのではないでしょうか。
 やえは、出版社側の勝手な自主規制の方がよっぽどこわい内容なんじゃないかと思います。
 
 参考までに、こちらも読んでいただければと思います。

 Q.漫画が消える、小説が消えるって本当?
 
 A.今と変わらないでしょう。

 
 

 Q.問題が起きてからなんとかすればいいじゃん、自分には関係ないし
 
 A.一度可決されてしまうと、問題が起きても相当な時間をかけないと廃案にはなりません。危険性が少しでもある限り(全然少しではないですが)可決されるべきではない。可決してからじゃ遅いんです。
 この法案の活動記録は公表されないそうなので、この法案を故意に悪用した方法をとっても世間に公表されることなく、特に差別発現してない人達にも被害が及ぶ可能性は十分にあるわけです。

 用語の使い方がメチャクチャで何を言っているのか分かりづらいのですが、んーと、法案が可決されると法律になるワケですから、それを廃止するには「廃案」とは言いませんね。
 案ではないですから。
 もちろん悪い法律になりそうなら可決すべきでないというのはその通りですが。
 
 それから「この法案の活動記録は公表されない」というのは大ウソですね。
 というか、おそらく施行後の人権委員会等の活動記録という意味で言っているのだと思われますが、法案の第十九条に「人権委員会は、毎年、内閣総理大臣を経由して国会に対し、所掌事務の処理状況を報告するとともに、その概要を公表しなければならない」と定められているワケで、どうしてこのようなウソをつくのかやえにはさっぱり分かりません。
 よく読まなければ理解できないコト、例えば公務員法に縛られるから人権擁護法案には政治活動等の記載を敢えてしていないという法律独自のルールによる誤読ならまだ分からなくもないんですが、このようにハッキリと明記してある事柄に対して真っ向から反するようなウソをつくコトに、疑問というか、あきれ果ててしまいます。
 つまりですね、この人が書いたこのQ&Aはウソで出来ていると、言ってしまえるワケです。
 こんなデタラメに騙されないようにしましょう。

 Q.問題が起きてからなんとかすればいいじゃん、自分には関係ないし
 
 A.問題を認識した時点で後の祭りにならないよう動こうとするコトは大切なコトです。しかし当然ですがそれは正しい知識や情報があってこそ出来るコトです。まずは自分で情報を仕入れ、考えるコトを心がけましょう。

 
 

 Q.私でも何かできる?
 
 A.親族や友達にこの事を教えてください、それだけでも十分意味があります、賛成意見でも反対意見でもかまいません。一般世間に知られないまま正当な議論もされずに可決されるのだけはなんとしても避けたいです。
 ブログやインターネットサイトを持っている方は少しでも呼びかけていただければありがたいです、ここへリンクしていただいても構いません。

 最後の設問です。
 まとめるのであれば、「このQ&Aは多くのウソやデタラメ、デマで構成されているので、内容の信憑性や正当性は全くなく、信じないようにしましょう」となります。
 さっきも言いましたが、特にこの問題を扱うコトは、実際の法案を扱うコトであり、それは政治活動であるワケなのですから、責任を持ってウソをつかないようにしてもらいたいです。
 遊び半分、祭り気分、周りが騒いでいるからという安易な気持ちで政治を語らないでください。
 ウソからはウソの結果しか導き出されません。

 Q.私でも何かできる?
 
 A.ウソをウソと見抜く目を持ってください。政治に言及する以上は自分自身の責任を自覚してから発言してください。

 
 
 
 (つづく)
 

平成20年2月29日

 人権擁護法案をめぐる議論U 第四回 道具としての法律

 最後に。
 
 この法案に反対している人の多くは、例えば朝鮮・韓国系の団体などの不当な圧力や、また部落関係の団体などといった団体からの圧力に対して怒りを持っているのだと思われます。
 どうしてあいつらだけが、自分にはない権利を持ち、さらに自分の権利を踏みにじられるのか、差別だとさけべば道理が引っ込むのか、それこそ差別なのではないか、こういう感情から法案に反対しているのでしょう。
 
 しかし、と言うのも変ですが、こういう不当圧力に対する怒りはやえも持っています。
 そしてそんなのは、当サイトを読んでいただければおわかりになるコトだと思います。
 当サイトの管理人であるあまおちさんは、かなり昔から思想活動をしていて、最近の保守ブームで目覚めた人なんかよりもよっぽど昔から深く詳しくその手の問題には直面してきています。
 まだ朝鮮半島の批判がタブーだった時代、あまおちさんは「韓国人は日本人に敵愾心を持っている」と書き込んだだけで大論争となり、果ては「日韓友好を阻害する売国奴だ」と言われたコトもありました。
 今では信じられないでしょう、でも日本の社会にはこのような歴史があって、最近社会問題に目覚めた人はその時から逆差別的な問題に憤りを感じているかもしれませんが、昔は今よりももっとひどい現状があって声すらあげるのが大変だったという雰囲気だったのです。
 昔は社会全体が「朝鮮半島は正義」という雰囲気を持っていたのです。
 でも雰囲気に飲まれるのだけではなく、正しいコトを正しいと、当サイトは昔からずっと訴え続けてきています。
 
 間違ってはいけないのは、「法律とは所詮道具に過ぎない」という事実です。
 
 不当な圧力に怒っている人は、では果たしてこの法案を廃案にして、それで今言われているような不当な圧力が無くなると思っているのでしょうか。
 多くの人は、それを意識しているか無意識なのかは分かりませんが、この法案だけが諸悪の根源だと思いこみ、様々な団体などからの不当圧力への怒りをこの法案に転嫁して、恨み辛みを法案にぶつけ廃案というゴールを得るゲームのエネルギーにしているだけなのではないでしょうか。
 そうでなくても、どうも不当圧力に対する怒りよりも、なぜか法案に対する怒りの方が大きい人があまりにも多すぎると言わざるを得ません。
 
 しかし法案を廃案にしても、不当圧力はいまと変わらず存在し続けるコトでしょう。
 
 もし不当な圧力に怒りを持ち、これをどうにかしたいと思うのなら、それはまさにその圧力そのものを批判すべきです。
 いまこの法案に反対している人の中には、なぜか不当な圧力を行う人たちだけがこの法案を利用でき、一般の人は全く利用できない、その利益を享受できないと思い込んでいる人がいっぱいいるようですが、本来そう判断する材料は法律そのものではなく、むしろ社会問題の方です。
 最近の社会情勢をネットでしか見ていない人というのはなかなか理解しづらいかもしれませんが、朝鮮系や部落系などの団体が大手を振って圧力をかけられていたのは、それは過去の社会においてそれを許していた、最低でも黙認していたからに他なりません。
 社会全体が、「あの人達は弱者なのだから多少の我が儘は我慢しなければならない」と、そう雰囲気を形作っていたのです。
 これは決して驚くコトではありません。
 例えば薬害肝炎問題など、キッチリ冷静に具体的に中身についてよくよく見て考えれば、原告団の主張はあまりにも的外れなモノばかりなのですが、しかし社会の方が「弱者には優しく」「弱者なのだから法律だってねじ曲げて救済すべき」だと雰囲気を作り、そしていまのような結果をもたらしたのです。
 肝炎問題についてはこちらこちらでも詳しく読んでいただきたいのですけれども、おそらく肝炎問題についてもその雰囲気に未だに飲まれている人は多いかと思いますが、他にも従軍慰安婦の問題や南京大虐殺の問題も同様で、この手の問題が今でも存在し続けるのは(一部サヨク勢力が煽り、それに乗っかってしまった)社会が「弱者だからしかたないよね」と認めてしまったからであり、その手の団体が圧力を是認する雰囲気を社会全体が形成してしまったからに他ならないのです。
 そしてそれを是正したいと思うのであれば、それは政府や法律を批判するのではなく、その雰囲気や社会こそを、そして国民こそを批判しなければ決して無くなったりはしないでしょう。
 圧力を容認したのは社会本人であり国民自身なのです。
 
 法律は道具です。
 法律そのものに色はついていません。
 道具とは、悪人が使えば悪事に荷担するコトになり、善人が使えば名機と言われるコトでしょう。
 包丁も、腕の良い料理人が使うと時に人を感動させる料理の一端を担うコトになりますが、殺人鬼が使えばただの殺人の道具と化してしまいます。
 しかし「殺人の道具になるから」という理由で包丁をこの世から無くそうなんて、普通は考えませんよね。
 それは、殺人は包丁が悪いのではなく、使った人間が悪いのだからと、キチンと社会が理解しているからです。
 そして法律だって同じなのです。
 
 悪人が使えばどんな法律だって悪法になるでしょう。
 警察官は法律によって拳銃を合法的に所持できるようになっていますが、時にそれが自殺の道具に成り下がったり、罪のない一般市民を殺す凶器にすらなってしまうコトもあります。
 残念ながら法律は万能ではありません。
 ですから、せっかく作った法律が、時に悪用されてしまうコトも時にはあります。
 しかしだからといって法律全てを否定しては、現代社会は成り立たなくなってしまうでしょう。
 
 ようは、その法律が悪用しづらいかそうでないか、正しく使うコトが可能かどうか、法律を判断する場合にはここを見なければなりません。
 包丁が、必要以上に長かったり、変に曲がっていたり、二股になっていたりと、悪用しやすい形状になっていないかどうかを点検するようなモノです。
 人権擁護法案は、最初はちょっと色々と問題のある中身でした。
 例えば、修正される前の人権擁護委員の選定条件には「弁護士会その他人権の擁護を目的とし、又はこれを支持する団体の構成員のうちから」という文言が入っていました。
 しかしこれでは一部の特殊な考えを持っている人が優先的に擁護委員になれてしまう可能性が高いと批判がおき、結局自民党の法務部会ではこれが削除されるコトになりました。
 具体的には特設ページ人権擁護法案の自民党議論にて経緯を追っていますのでご覧になっていただきたいのですが、このように料理人にとって最適な包丁づくりをする作業と同じように、法律が正しく使われるための最善の方策を考えるコトこそが、法律を考えるという作業なのです。
 
 繰り返しますが、残念ながら「料理人にとって最適な包丁」を作ったところで、それを悪用して人を殺してしまう人はどうしても出てきてしまいます。
 しかしだからといって包丁が悪いんだとは誰も言いません。
 また、この法案に反対している人というのは、おそらく戦争について悪いイメージだけを持っている人ではないと思うのですが、しかし法律そのものを否定する行為は「軍隊がいるから戦争が起きるんだ」と言っている人と構造は同じだというコトに気づいて欲しいです。
 言うまでもなく、軍隊そのものは道具に過ぎず、それだけをもって戦争の善悪を判断するコトはできません。
 良い戦争もあれば悪い戦争もあり、やえは日本の戦争は正義の戦争だったと思っていますし、しかしヒトラーはその道具をホロコーストのためにも使ってしまいました。
 でも世界は、やはり軍隊そのものは放棄をしません。
 道具は道具でしか無く、一番重要なのは使う人間であるというコトを知っているからです。
 
 話を人権擁護法案に戻しますが、やはりこれも道具です。
 やえは法案をじっくりと読んで、決して凶器にしかならない悪法であるとは思えないという判断をしました。
 細かいところではもうちょっと良くして欲しいと思う部分ももちろんありますが、しかし全体像としてはキチンと“料理に使うに相当する包丁”であると思います。
 前々回言いましたように、これを正しく使えば、多くの国民の利益にかなうよう、また不当な圧力を退ける道具になり得るでしょう。
 しかしそうなるためには、使う人間こそをしっかりと監視しなければならないのです。
 悪人が包丁を使わないよう監視し、当然ですがそれを黙認するかのような社会や国民を許してはいけないのです。
 悪人を悪人だと声を上げて言える社会を作るコトこそが、いま最もしなければならないコトなのではないでしょうか。
 
 前回の時もそうでしたが、人権擁護法案に対する人々の熱というモノはもの凄いモノがあります。
 今回もそうなりそうな気配です。
 そしてその熱の発生元は、おそらく「不当な圧力」に対する怒りなのでしょう。
 であるならば、その熱は「不当な圧力」にぶつけるべきです。
 このままでは、仮に法案が廃案になったとしても、おそらくそれでチャンチャンと熱は冷めてしまうコトでしょう。
 これでは単に「廃案ゲーム」でしかありません。
 なんのために怒りを持って熱を持って行動しているのか、手段と目的をはき違えています。
 
 現状は、まだなんとか公的な部分において、不当な圧力は不当だと言えている段階です。
 第二回の冒頭で紹介した例や、靖国参拝の問題も訴訟になっていますけどこれもことごとく原告の訴えが棄却されているところです。
 また薬害肝炎の問題にしても、最初は司法は適切な判断を下していました。
 しかし裁判にまでならない段階において、特に民間だけが関わっているような事例の場合、不当な圧力が不当に機能している場合が多々あるコトも残念ながら事実です。
 弁護士会が暴走している例も少なからずありますし、部落解放同盟が行っていた糾弾会も昔は社会が容認していたと表現せざるを得ないところです。
 だからこそよくよく考えてもらいたいのです。
 これらは当然人権擁護法案が機能していない場面での不当圧力ですが、つまりそれは今の法律があるからこのような不当圧力がはびこってしまっていと言うのでしょうか。
 悪いのは道具なのでしょうか。
 社会が国民が、本当に目を向けなければならないのはどこなのでしょうか。
 
 多くの法案反対者は、怒りを向けている敵が違っています。
 
 例えば解同の糾弾会を当時裁判所に「あれは人権侵害だ」と訴えたらどうなっていたか、これは明言できるモノではありません。
 しかし今の段階で裁判をすれば、おそらく糾弾会という存在を許しはしないでしょう。
 現に今の人権擁護局はそう言っています。
 なぜかと言うと、社会の見方が変わっているからに他なりません。
 
 結局は、道具がどうなのかというコトを論ずるのではなく、それを使う人間こそを監視しなければ、いかようにでも結果を変えてしまうコトが出来てしまうというコトです。
 
 法案を廃案にするというゴールは、とても分かりやすくゲームとしては最適な遊びではあるでしょう。
 しかしそれは所詮ゲームでしかないのです。
 目的を達成するには何をすればいいのか、そこを正しく見て欲しいと思います。
 そして、この不当な圧力の問題、差別の問題は、国民にこそ問題を抱えているという事実を、そして何よりも法律を使う人間とは国民そのものであり、アナタもそのひとりであるという事実を、やえは指摘しておきたいと思います。
 

平成20年2月19日

 人権擁護法案の自民党議論U 1

 ご存じの方もいらっしゃると思いますが、今年の2月13日、自民党の「人権問題等調査会」において、人権擁護法案が議論されました。
 昨年の臨時国会時にも一回チラっと開かれたみたいですが、具体的な議論は今回をもってで再開というコトになるでしょう。
 その17年当時の議論を当サイトはレポートしてきたワケですが、今回もお話を聞ける範囲でレポートしていきたいと思います。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 まず前回のレポートの時にも言っていたいつものお約束です。
 以下のレポートは、直接やえが部会を聞いてきたワケではなく、聞いた人にやえがお話を聞いたという伝聞です。
 よってその場の雰囲気などはやえには分からないワケで、100%やえのレポートが正しいレポートである保証はありませんし、レポートと銘打つので出来るだけやえの私情を消して書こうと努力していますが、それでも私情が入っている可能性も否定できませんので、その辺はご了承下さい。
 また、いわゆるソースも明らかにするつもりは当サイトにはありません。
 もし以下のレポートが信じられないと言うのであれば、それで結構です。
 当サイトはジャーナリズムをしているワケではありませんので、内容の正当性については、今までやえが行ってきた言論活動を鑑みていただき、また他のジャーナリスト機関が出している記事などを照らし合わせて、読んでいる方ひとりひとりがご自分の判断で断じていただければと思います。
 その結果については、当サイトが保証するモノではありません。
 
 こういう事情ですので、ちょっと不自然でも敢えて「なんだそうです」とか「とのことです」といった文体を多用しています。
 読みにくい部分もあるかとは思いますが、汲んでいただければ幸いです。
 
 
 ではレポートに入りましょう。
 
 まず、調査会の議論流れで言えば、最初に自民党人権問題等調査会の会長でいらっしゃる太田誠一先生が挨拶をし、次に法務大臣である鳩山先生が挨拶をされ、その後に法務省が出した資料の説明をして、それらを受けて一般質疑が行われた、という流れだったそうです。
 ちなみに会議の司会は、前官房長官の塩崎先生だそうです。
 
 では中身についてですが、まず太田調査会長と鳩山法務大臣のおっしゃったコトはほとんど同じだったようです。
 要約すると「いま資料として出されている法案文にこだわらず、中身に疑問があればトコトン議論して貰って、結論を出してもらいたい。その結果いまの法案文と全く違う形になったとしても構わない」というコトのようです。
 
 次に行われたのが法務省からの提出資料の説明です。
 この日の資料はいくつか出されたようですが、具体的に挙げますと、
 
 ・17年の時の議論を踏まえた上で修正が加えられた法案文
 ・人権擁護法案の概要
 ・当時示した修正案の概要
 ・その他関係資料集
 
 の4点です。
 基本的に全てコールドスリープさせた17年当時の議論をそのまま解凍したような感じのようです。
 つまり、当時の議論はこのような感じで行われ、結果としてこのような修正案が出された、という感じなのでしょう。
 ですから、やえが前回いろいろと報告してきました修正点、例えば人権擁護委員の団体条項などは当然削除された上で法案として体裁が整われているモノが、ここで改めて自民党に提出されたワケです。
 
 ここは完全に私感になっていますが、やえはここを聞いてホッとしました。
 手続き的には、前回の議論を完全に無視して、団体条項がある形でまた議論される可能性もあったのですが、しかし法務省はキチンと前回の議論も踏まえた上でまとめたようですから、少なくともやえが行ってきたコトは無駄ではなくなったワケですし、これからの議論によってはさらなる修正が加えられるのでしょうけど、少なくとも衆議院に提出されたよりも良い法案になるコトは確実だと言えるでしょう。
 やえも含めて、団体条項に危機感を持っていた方は、これでひとつ安心材料が出来たと言えます。
 
 法務省の説明が終わった後、一般議員さん達の質疑に移り、議員さん達が意見を述べたそうです。
 時間にして、質疑だけで約一時間、会議全体でも一時間半という、部会等にすればずいぶん長い時間議論が行われたらしいのですが、全体的には否定的というか、全否定も含めて改めるべしという意見がほとんどのようでした。
 もちろん議論ですから、相反する意見も出されたようで、例えば「マスコミ条項」に関しては、削除すべきという意見もあれば、凍結もしてはならないすぐに実行すべきだという意見もだされたとのコト。
 また前回の議論でも散々言われた「言論の自由が侵されるのでは」とか「人の心を縛るコトなど法律では出来ない」また「虐待防止法などの個別法で対処すべきでは」といった意見も出されたそうです。
 
 そんな議論の中で、次回への課題として出された主な論点は次のようなモノだそうです。
 
 ・なぜ三条委員会でなくてはならないのか、根拠を示せ。
 ・そもそも人権擁護法案の発端となったパリ原則は、公的機関の人権侵害について規制する法律をつくれという内容だったのに、なぜ人権擁護法案は私人間(しじんかん)の人権問題まで取り上げる内容になっているのか。パリ原則の原文を出せ。
 ・この法律により救われるべき事案とは一体どういうモノか。具体的に事案を示せ。
 
 このコトは、会議の最後に司会の塩崎先生がまとめられたそうなので、次回の会議には法務省は資料を提出するコトでしょう。
 
 また、法案の中身だけでなく、この調査会の進め方についても意見が出されたようです。
 というのも、やえのレポートでも書きましたように、以前の会議で、突然強引に採決がなされ一端は賛成多数とされ、その後自民党幹部との話し合いにより、それは無効になったというドタバタ劇があったので、その再来を危惧しての発言だったらしいのです。
 結果、太田調査会長からは、キチンと議論はすると明言がされ、また次回引き続き議論していきたいと確認がされたそうです。
 
 
 レポートとしては以上です。
 やえの簡単な感想としては、もちろん議論はこれからなのでしょうけど、特に一部の先生方には、法案文をしっかりと読んで、僭越ですが勉強していただきたいなと思いました。
 例えば、刑務所での人権問題はいま大きく取り上げられているのにまずそれを先にすべきではないかというような感じのコトをおっしゃられた先生もいらっしゃったようなのですが、人権擁護法案では公務員の取扱いに関する人権侵害は、特別救済にもかかるぐらいの重大な問題として定められています。
 ですから、刑務所問題と人権擁護法案は相反するモノではなく、むしろ推奨できるモノだと思うのですが、その辺ちょっと矛盾を感じました。
 前回の議論でもやえはいろいろと指摘してきたところですが、議論をするにはまず中身を知らないとそもそも出来ないワケで、なんでもかんでも反対と言えばいいってモノではないのですから、特に無責任な某政党とは違い与党自民党の議員さんなのですから、その辺はしっかりと実りある議論をしてもらいたいと思います。
 
 というワケで、今日のところは以上です。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、よりよい法案議論を応援しています。
 

平成20年3月8日

 人権擁護法案の自民党議論U 2

 2月29日、自民党本部において、人権問題等調査会が開かれ、今年に入って2回目の人権擁護法案が開かれました。
 本日も、その時の様子をお伺いしましたので、ご紹介したいと思います。
 
 ではまず最初のいつものやつです。
 
 以下のレポートは、直接やえが部会を聞いてきたワケではなく、聞いた人にやえがお話を聞いたという伝聞です。
 よってその場の雰囲気などはやえには分からないワケで、100%やえのレポートが正しいレポートである保証はありませんし、レポートと銘打つので出来るだけやえの私情を消して書こうと努力していますが、それでも私情が入っている可能性も否定できませんので、その辺はご了承下さい。
 また、いわゆるソースも明らかにするつもりは当サイトにはありません。
 もし以下のレポートが信じられないと言うのであれば、それで結構です。
 当サイトはジャーナリズムをしているワケではありませんので、内容の正当性については、今までやえが行ってきた言論活動を鑑みていただき、また他のジャーナリスト機関が出している記事などを照らし合わせて、読んでいる方ひとりひとりがご自分の判断で断じていただければと思います。
 その結果については、当サイトが保証するモノではありません。
 
 こういう事情ですので、ちょっと不自然でも敢えて「なんだそうです」とか「とのことです」といった文体を多用しています。
 読みにくい部分もあるかとは思いますが、汲んでいただければ幸いです。
 
 ……長いですね。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 と言っても、たいした進展……進展という表現を使うなら、まったくもって進展は無かったようです。
 今回の調査会の流れをまず言いますと、大量の資料が配られ、太田調査会長の挨拶があり、次に法務省からの説明、その後議員の先生方の発言といういつものパターンだったそうですが、法務省がやたらと丁寧に説明をしたので、ちょっと時間が長くなってしまい、ある議員から「長い」と怒鳴られてしまったそうです。
 まぁそれはともかく、調査会全体としてはさっきも言いましたように進展は特になく、結論的なコトを言えばまた次回も議論をしましょうというコトになりましたから、法務省の説明の後に行われる、議員さんの発言の主なモノをご紹介します。
 
 今回の会で全体的に多かった論調は「逆差別」についてだったそうです。
 つまり、いわゆるマイノリティを過剰に保護するコトによって、逆にマジョリティに不利益になるコトになってしまうのではないか、人権擁護法がそれに利用されるのではないかという意見です。
 主なご意見を紹介しますと、例えば、稲田朋美先生は、自分は弁護士だが、弁護士協会から「その件は人権侵害だ」と圧力をかけられ政治生命を絶たれそうになっている、例えば小泉総理の靖国参拝に賛成すると「差別を助長している」と言われて大変に困っている、と主張されたそうです。
 他にも、土屋正忠先生(ちょっと記憶が違うかもしれないとのコトです。間違っていたらごめんなさい)が、障害者の子供を普通科に入れるべきという意見もあるが、そうすると全体としての学力の低下、また教員の負担増・負担の格差が生まれてしまう、これらは難しい問題だ、とおっしゃっていたそうです。
 
 また、中川(酒)先生は、法務省の役人さんが、なぜ民事局の人間しか来てないのか、刑罰があるんだから刑事局も来るべきだというお話や、衛藤晟一先生の「訴えたもの勝ち、30万とったもの勝ち」というご発言、さらに下村博文先生の「訴訟社会を助長するような法律はいかがなものか」という話などあったそうです。
 
 それからこれは蛇足というか、冗談のお話になるんですが、土屋先生は真面目なお話の冒頭、「前回自分が話した内容か全然今回配られたペーパーに書かれていないじゃないか。言論の自由に反する人権侵害だ(笑)」なんておっしゃっていたそうです。
 どうしてもこういう冗談がこういう場では出てしまいますよね。
 
 そして、これら先生方のご意見に対して、法務省人権擁護局から答弁がありました。
 逆差別については、人権委員会に訴えがあった場合、当然個別の詳しい事情は聞くし、訴え勝ちな状況にはならないよう、またエセ同和対策もやっているし、訴えがあってもそれが差別でないなら差別でないと言う、というようなコトをおっしゃっていたそうです。
 例えば、障害者施設においては、場合によっては身柄を拘束しなければならない場合(やえ注:おそらく患者が暴れて患者自身の身が危険な場合などでしょう)もあるワケで、それをもって差別と訴えられても必ずしもそうとは受け取らない、今もそういう運営をしているというコトも言っていたそうです。
 さらに、人権侵害だと不当に主張されたと思うのであれば、それを人権委員会に訴えてもらっても構わないとのコトでもあるそうです。
 
 もう一つ特筆すべきコトは、今の法務省人権擁護局は、部落解放同盟などが行っていた(行っている?)「糾弾会」を明確に否定されたというお話です。
 この手の私人間のやりとりであったとしても、人権擁護局は、適切なモノに対しては適切ではないと前々から言っていると主張されたそうです。
 
 また中川(酒)先生のご意見については、この法律は行政法なので刑罰はなく、人権委員会が設立されたら事務局は実質的に今の人権擁護局がスライドするコトになるので人権擁護局が説明に来ている、というコトだったようです。
 
 調査会自体は1時間半ぐらい続いたので、もちろん先生方のご発言はこの他にもたくさんあったそうですが、とりあえずはこのぐらいにします。
 雰囲気からしたら、ほとんどがこの法案に反対の方向への発言ばかりだったそうです。
 また、そもそも論が多く、過去に出された問題点をまた同じように指摘する発言も多くて、議論が噛み合わないので、司会の鶴保庸介先生が苦慮されていたようです。
 
 
 というワケで、レポートは以上です。
 やえの個人的感想を言えば、やっぱり話が噛み合わなくなっちゃってるというのは、どうなのかなと思わざるを得ません。
 これはもう時間をかけて、例えば「今日は「なぜ3条委員会なのか」という点だけにしぼって議論します」とかした方がいいんじゃないでしょうか。
 それが自民党の部会に合ってるのか合ってないのかは分かりませんが、とにかく議論されるコトはいいコトですから、ぜひ建設的な議論をしてほしいと思います。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、建設的議論を応援しています。
 

平成20年3月28日

 人権擁護法案の自民党議論U 3

 だいぶ間が開いてしまいましたが、今日は人権擁護法案の自民党での人権問題等調査会の様子をお伝えしようと思います。
 今回お伝えするのは3月11日と14日と19日に行われた会議です。
 実は今日28日の朝にも調査会が開かれたのですが、それはまた次回お伝えしようと思います。
 
 で、まずはいつものやつです。
 
 以下のレポートは、直接やえが部会を聞いてきたワケではなく、聞いた人にやえがお話を聞いたという伝聞です。
 よってその場の雰囲気などはやえには分からないワケで、100%やえのレポートが正しいレポートである保証はありませんし、レポートと銘打つので出来るだけやえの私情を消して書こうと努力していますが、それでも私情が入っている可能性も否定できませんので、その辺はご了承下さい。
 また、いわゆるソースも明らかにするつもりは当サイトにはありません。
 もし以下のレポートが信じられないと言うのであれば、それで結構です。
 当サイトはジャーナリズムをしているワケではありませんので、内容の正当性については、今までやえが行ってきた言論活動を鑑みていただき、また他のジャーナリスト機関が出している記事などを照らし合わせて、読んでいる方ひとりひとりがご自分の判断で断じていただければと思います。
 その結果については、当サイトが保証するモノではありません。
 
 こういう事情ですので、ちょっと不自然でも敢えて「なんだそうです」とか「とのことです」といった文体を多用しています。
 読みにくい部分もあるかとは思いますが、汲んでいただければ幸いです。
 
 さて。
 この3日間で開かれた調査会は、それぞれ数人の民間からの有識者を招いて議論がされました。。
 この3日間で自民党本部に出席された有識者の方は、まず11日行政法の専門家の塩野宏教授、14日は憲法学者の百地章教授と、海外の人権救済制度を研究しておられる山崎公士教授、そして19日は全国人権擁護委員連合会会長で弁護士の滝田三良先生の4人だったそうです。
 議論の中身は、この3日間については、議員の先生方がゲストの先生に質問をするという形でしたので、具体的に法案をまとめるという方向では最初からなかったらしいので、特に進展はなかったそうです。
 専門家からお話を聞いて理解を深めましょうというところなのでしょう。
 
 ではまず塩野の先生ですが、塩野先生はこの法案問題でよく出される「答申」をまとめた「人権擁護推進審議会」の会長を務めておられた立場から、全体的にこの法案自体を見た時、答申から逸脱をしているとは認識してはいらっしゃらないという感じだったそうです。
 
 具体的には、議員から「おそれの段階で特別調査や予防措置を定めているのは答申としてどうなのか」という質問に対して、塩野先生は「この法案は、心それ自体を捉えて救済しようとしているわけではない。それが表に出たところを冷静にキャッチして裁判的に救うべき者は救う、そのお手伝いをしようというコト」と答弁されたそうです。
 また、「啓発も救済のひとつであろうが、行政事件訴訟法の改正で、おそれの段位で差し止めるのが救済という意味で重要であるとの認識が日本でようやく固まってきている」ともおっしゃられたそうです。
 他にも、これはよく言われるコトですが、なぜ現行法ではダメなのか、本当にいま抜本的な改革が必要なのかという議員さんの質問に対して塩野先生は、「救済制度は二重三重にあっても一向に構わない。救済制度というのはこれだけあれば十分ということにはならない」とおっしゃったそうです。
 さらに「ある地方では同和問題はほとんどなくなった。なのに何を解決したいのかまったく分からない」という議員の先生の言葉に対しては、「比例原則は運用の問題であって、同和問題が落ち着いたから立法が必要ないとは言えない。遅れてしまったけど救済法を作ろうというのが前提であって、出来るだけ人権侵害を防ごう、起こった時はこういう制度があるというのが救済法であって、これが一番大切だと思う」とおっしゃられたそうです。
 
 塩野先生は行政法の専門家であり、答申を出した会議の会長ということもあって、この法案にとても詳しい方のようで、かなり具体的に議員さんの質問に対して細かく法案を引き出して答弁をしていたらしく、これは実際に調査会を見た方の感想なのですが、やえがこのサイトでやっているようなやりとりにとても近い雰囲気だったと言っていました。
 そのせいか、ある議員さんから「塩野先生はマニアックだ」という発言が飛び出して、塩野先生が憤慨して「そんなことを言われたのははじめてだ」とやり返したというほほえましい(?)一幕があったんだとか。
 
 
 では次に、14日の百地先生と山崎先生にうつります。
 百地先生は、この法案問題関連では有名な方ですね。
 17年の部会でも登場されて、やえはちょっと失礼をしてしまったのですが、この法案に対して強硬に反対論を唱えておられる有識者のひとりです。
 で、百地先生のご主張の中身ですが、どうも17年の時とほとんど変わらないようです。
 例えば、「人権侵害の定義が曖昧だ」とか、「答申から逸脱している」とか、「立ち入り検査等は令状主義に反し違憲だ」とか、「人権侵害の実体から見て、この法案のように強権的・包括的な一般法を制定する必要性は認められず、個別法で対処すべき」とかです。
 で、議員さんとのやりとりですが、最近調査会には法案に明確に反対を打ち出している方が多く出席されているようで、百地先生とは意見が合致するので、議論にはあまりならなかったそうです。
 敢えて特筆するのであれば、特別調査において「制裁を伴わない任意の調査であれば問題ない」と百地先生がおっしゃっていたというコトぐらいでしょうか。
 
 次に山崎先生ですが、先生は海外の人権救済制度を研究されてきた中で、日本ではどうすべきかというコトをお話されたそうです。
 例えば、本来「人権の砦」となるのは裁判所であるが、裁判は費用や手間が大変で、また判決までも時間がとてもかかるし、さらに裁判所に求められるのは主として金銭賠償であり、当事者が納得いくような関係調整や謝罪、再被害の防止などが求められない等、司法による人権救済は個別事件の救済にとどまり、人権侵害の構造的改名やその抜本的解決は期待できない、という主張をされたそうです。
 そしてその限界を補うのが「行政救済」であり、法務省がその中核を担ってきたけど、縦割り行政や権限の不十分さのため、例えば賃貸住宅への入居拒否問題や店舗への入店拒否、いじめ問題やネットでの部落差別問題、また行政書士の戸籍不正入手や恋人間でのDVなど、現行の行政制度ではカバーしきれず、また当事者が納得のいくような救済が図れていない、と分析をされているそうです。
 その上で、適切な国内人権機関には、既存の国家機関とは別の公的機関で、憲法や法律が根拠であり、独自の権限を持って、いかなる外部勢力からも干渉されない独立性という要素を持つべきであるとのコトです。
 
 山崎先生はかなり広範囲にわたって様々な観点からこの法案を語られたそうで、すべてを書き出したらキリがないのですが、特に先生の専門でいらっしゃる外国の制度の研究からの視点を紹介しますと、まずやはり外国でも人権侵害を行い、さらに居直るような輩はいるらしく、それでも私人間の問題については慎重な運用がされており、よほど悪質且つ繰り返し行われるようなもののみ、強い権限が発動されるんだそうです。
 ここから、日本の行政の運用に仕方も鑑みると、山崎先生は日本でも懸念されるような運用にはならないのではないかという考えをお持ちのようです。
 また、個別法をという意見については、例えばイギリスでは個別法で対応していたけど、女性で障害者であった場合、それぞれの担当部署でたらいまわしにされてしまうような結果になってしまい、やはり個別法よりも一般法にまとめた方がいいという流れになっているんだそうです。
 そういう現状を踏まえるなら、他国の失敗を鑑みて、はじめから一般法でもいいのではないかというコトだそうです。
 
 それから、議員の先生から、外国に比べれば遙かに日本には重大な人権問題は存在しないと思うというご意見があったようですが、それに対して山崎先生は、「日本の人権状況がどうかということは比較をすべき問題ではないと思う。ひとりひとりの被害は個別的であって、被害救済において他被害者が多いか少ないかは問題にならない」というコトをおっしゃったそうです。
 あとこれらは山崎先生の個人的ご意見になるんだと思いますが、山崎先生は人権擁護委員についてはもっと人数を減らして専門性を高めるべきだとおっしゃったそうです。
 またメディア条項については削除すべきだとのお考えのようです。
 
 
 最後に、19日の滝田先生です。
 滝田先生ご自身は、弁護士でいらっしゃいますが、研究家ではいらっしゃいませんので、前のお三方と比べれば、微妙に議論に齟齬があったようです。
 滝田先生は現場の方ですから、現場としてはこのような現状があり、こうしていただければ助かるという視点でお話をされるワケですが、しかし今現在調査会に主に出席されておられる先生方は、そもそも論を唱える方が多いので、これでは全く視点が違うワケで、どうしても議論が噛み合いづらいようなのです。
 例えば現場の立場からすれば、啓蒙活動に施設に行こうとしてもはじめから拒否されたりするコトもあるし、また実際に通報を受けて調査に意向としても、現在の法律下では全く調査に対して任意しか手段が与えられていないので、困るコトが多いんだそうですが、そういう話をしても、議員さんの目線からしたら、「強制権を与えるなんてけしからん」という話にしかならないようで、このように齟齬が生まれているようなのです。
 
 他にも、これも調査会でよく出される意見なのですが、実際に今現在本当に人権侵害問題が起こっているのか疑問だと議員さんはおっしゃるのですが、これはもはや認識の違いというか、その人の日常常識の違いのレベルと言ってもいいかもしれません、滝田先生は常にそのような問題の中心に身を置いているので、まさかそんな質問をされるとは思っていなかったのか、「いろいろと実際には問題があるコトをご理解下さい」ぐらいにしか言えなかったそうです。
 
 また、やはり人権擁護委員は現場の人なので、その使命は、自分から訴えられない弱い立場の人をこちらからすくいあげる(「救い」あげるではないです)コトだという意識を持っておられるようで、例えば老人虐待などは、やはり老人は体が弱っているので、訴えるにも訴えられない、裁判など考えもつかないというような弱い人はいっぱいいる、だからこそ我々のような存在が必要なんだという主旨のコトをおっしゃっていたそうです。
 そして、それらの被害者の方は、決してお金が欲しいワケではないので、裁判を戦ってどうこうするというよりも、まずそんな不当な扱いをやめてくれればそれでいい、それだけを手伝いしてくれれば十分だと考えている人はいっぱいいるんだというコトをおっしゃっていました。
 
 
 以上です。
 正直、4人の方々とも、それぞれの専門家ですからご主張がいっぱいあり、ここで全てを補足できたとは到底思わないので、もしかしたら見落としや解釈の違いがあるかもしれません、その辺はご容赦いただければと思います。
 やえの個人的感想を言わせていただければ、ぜひ塩野先生とは意見交換させていただきたいなと思いました(笑)
 というワケで、今回の自民党議論のレポートを終わりたいと思います。
 

平成20年3月31日

 人権擁護法案の自民党議論U 4

 今日は、3月28日に自民党本部で行われた、人権問題等調査会の様子をうかがいましたので、お伝えしようと思います。
 というワケで、いつものヤツです。
 
 以下のレポートは、直接やえが部会を聞いてきたワケではなく、聞いた人にやえがお話を聞いたという伝聞です。
 よってその場の雰囲気などはやえには分からないワケで、100%やえのレポートが正しいレポートである保証はありませんし、レポートと銘打つので出来るだけやえの私情を消して書こうと努力していますが、それでも私情が入っている可能性も否定できませんので、その辺はご了承下さい。
 また、いわゆるソースも明らかにするつもりは当サイトにはありません。
 もし以下のレポートが信じられないと言うのであれば、それで結構です。
 当サイトはジャーナリズムをしているワケではありませんので、内容の正当性については、今までやえが行ってきた言論活動を鑑みていただき、また他のジャーナリスト機関が出している記事などを照らし合わせて、読んでいる方ひとりひとりがご自分の判断で断じていただければと思います。
 その結果については、当サイトが保証するモノではありません。
 
 こういう事情ですので、ちょっと不自然でも敢えて「なんだそうです」とか「とのことです」といった文体を多用しています。
 読みにくい部分もあるかとは思いますが、汲んでいただければ幸いです。
 
 さて。
 今回の調査会では、法務省から具体的な人権侵害の事案を55件にわたって資料で提出されたようで、今日の法務省からの説明は、その資料の説明だったそうです。
 中身についてですが、例えば身体障害を理由に入学拒否した事例を出し、この件は、医師も学校生活に支障は出ないと診断したし、さらに学校側の方はその生徒がどのような障害を持っているのか全く調べずに、障害を持っているというだけで拒否しようとしたという事例であり、個別具体的に精査した結果、人権侵害問題だったと判断して、人権擁護局が勧告を出したという事例です。
 またこの件は、私立の学校であり、教育委員会などが指導する立場にないらしく、よって行政救済法は現在無く、法務局に話が上がってきた案件だったそうで、つまり人権擁護局しか窓口が無かった案件として例に出されたようです。
 他には、差別的な内容のハガキを当事者や近隣住民に出す、またインターネットでホームページを作って同和地区の住所などを表示する、などといった部落差別事件もここ数年以内に起きており、依然この問題が根深く残っているという事例も出されたようです。
 さらに、人権侵害と訴えてきたけど、調査した結果それは合法的な事案だったと認定した件や、実際に勧告を出したものの全く無視されてしまって、現行制度の限界を感じたという事案も出されたんだそうです。
 
 法務省の説明のあと、いつものように、議員の先生方の質疑です。
 と言っても、やっぱりいつも通りの変わらない意見が出されたようですが。
 
 例えば岩屋先生は、基本法をつくり、その後個別法を作るべきだという従来の主張をおっしゃり、またもし新たな人権侵害が出てきてたら、その後国会で個別に法律を作ればいいじゃないかというコトをおっしゃっていたそうです。
 また、今日出してきた具体例を見るに、これは本当に人権侵害と呼ぶべき事例があるのか疑問だというコトもおっしゃっていたようです。
 それから、いつものごとく稲田先生は、ある中国系の映画に対してどうしてこれに補助金を出すのかと主張すると、それは表現の自由に対する侵害だとか言われて困っている、というような主旨のコトをおっしゃっていたそうです。
 あとは、下村先生の私人間問題と公人の問題を一緒にすべきではないという話や、中川先生の令状無しはけしからん、人権委員会が侵した人権問題は誰も裁けないという話など、一度はどこかで聞いたコトある話が繰り返された、というコトのようです。
 また矢野先生は、徳島刑務所での囚人に対する性的な虐待などの例を出して、もし今人権委員会があったとしたらどのような対処をするのか、今とどのように違うのか答えて欲しい、などという質問がだされたそうです。
 
 これらに対して法務省は、調査会執行部の進めもあって、ほぼ一問一答形式で丁寧に答えてはいたようですが、いかんせん、現職の役人というコトもあって現在進行形の問題にはなかなか触れづらいというのもあり、そして決して説明が上手い方とは言えないようで、議員の先生方の質問に満足に答えられたかどうかは疑問符だったそうです。
 また以前から何度も出されている疑問に対しては、どうしても同じような答弁にしかならず、どっちにしてもお互いにイライラするような結果にしかならない雰囲気だったようで。
 例えば、岩屋先生の、今日出された事例は本当に人権侵害かどうかという点に対して、これは裁判所で裁判をしても違法だと法務省として判断しているモノであり、決して裁判を越える判断をするコトはないと、従来通りの返答が法務省の方からされていたそうです。
 そう言う意味において、正面から答えられたという点に関して言えば、おそらく以前の塩野先生の答弁が一番正面からキチッと答えられていただろうとの印象を持ったそうで、まぁそうすると、マニアックだと言われてしまうでしょうし、なかなか難しいようです。
 結局、特に議員さんの方が言いっぱなしな雰囲気になってしまっているのようで、特に法務省に対しては、よってなかなか議論が噛み合わないようなんですね。
 
 それを察したのか法務副大臣の河井克行先生(ちなみに広島選出の先生です)が突然挙手されて、今日はこれで一旦持ち帰らせていただきたいと発言をされたそうです。
 タイミング的にも悪くない発言だったようで、みなさんこれに納得し、今日の会議はここまでとなったようです。
 
 
 以上がレポートです。
 よって、今日はここまでにしておきますが、正直、このお話を聞いて、やえは言いたいコトがいっぱいありますので、次回、この会の調査会をベースにやえの思いをお話をしたいと思います。
 

平成20年4月7日

 人権擁護法案を巡る議論でのある雰囲気について

 最近の自民党人権等調査会での議論の様子をうかがっていて、どうしても気になると言いましょうか、どうしてそんな考え方になってしまっているのでしょうかと首をかしげたくなる議論の方向性があります。
 例えば、「ある種の意見を持っている人が人権問題を訴えると、精査無しにそれが社会的正義として認められ決定してしまう」という意見です。
 簡単に言えば、「部落の人が「差別だ」と訴えれば、必ずそれが差別だと社会的に認定される」というような感じの意見です。
 ここから、「人権擁護法案が出来たら、それを根拠に解同などが「差別だ」を連発し、合法的に部落でない人の人権を侵害できるようになる」というような考え方に繋がるワケです。
 
 まぁ言っているコトは分からなくもないです。
 社会的に見れば、実際過去にそのようなコトが無かったとは言い難いですから、それを警戒するのも理解できます。
 ただし、それはあくまで社会的な問題であり、むしろ国民意識の問題であって、法律の問題ではありません。
 実際、何度も指摘していますが、東京都の幹部職員に外国人がなれないのは差別だと司法に訴えたけど却下されたという事案もありますように、決して法の世界では「被差別者が正義」ではないコトは理解しなければならないでしょう。
 人権擁護法案の中身をキチンと読めば、決して特定の考え方の人だけが優遇されるような条文ではないのは明かであり、一体「解同や朝鮮人だけが優遇される法律」と言っている人はなにを根拠にそう言っているのか、説明して貰いたいぐらいです。
 
 こういう決めつけ的議論が、最近の人権等調査会に蔓延っている気がしてなりません。
 
 以前の調査会で、過去の人権問題事案を具体的に50例ぐらい出して資料として配った調査会がありましたが、あの時の説明で、一言で人権問題と言っても、事例によって事情は様々であり、今でも個別具体的に状況に応じて現場の人間は対応している、という法務省からの説明がありました。
 正直こんなの改めて国会議員にそう説明するのもおかしい話だと思うのですが、それでもそれを理解していないんじゃないかと思わざるを得ない議員がいらっしゃったりします。
 法務省が出した50個近くの例示の中には、人権侵害だと訴え出があったけど精査した結果そうではないと法務省が判断した事例があるのにも関わらずです。
 なんでも個別具体的に運営をするというのは当たり前のハズなのですが、どうしても「被差別の人が訴えればそれが正義」という固定観念が頭のこびりついて、そこから脱却できない人が多いという、残念な現状になってしまっているのです。
 
 政治には知性が必要なのは言うまでもなく多くの人が理解できるところでしょうけど、同時に情も必要であるとやえは思います。
 知ばかりが先走ると、どうしても冷たい政治になってしまいます。
 しかし政治とは人間があってこそ成り立つモノで、むしろ人間のために政治があるワケで、そして人間とは情がある生き物、情があるからこそ人間なのですから、政治に情は必ず必要です。
 
 もちろん何事もバランスは大切ですが、人によっては情よりも知を重んじる人がいますし、逆に知よりも情を重んじる人もいます。
 傾向的に言えば、リベラルと呼ばれる人が前者で、保守派と呼ばれる人が後者の傾向が強いと言えるでしょう。
 永田町的に言えば、宏池会(古賀・谷垣派)などの旧自由党系の議員さんが前者で、清和会(町村派)などの旧民主党系の伝統重視派的な議員さんが後者と言えます。
 派閥だけでひとくくりにすると、中にはそれに当てはまらない人、例えば福田さんはその筆頭みたいな人ですし、麻生閣下先生は元々は宏池会系でやっぱりちょっと例外的だったりするので、一概には言えないのですが、大まかに言えばこのような傾向にあります。
 そして今、人権問題等調査会に出席して反対論を毎回唱えていらっしゃる先生方は、ほとんどが知よりも情を重んじる先生方なワケです。
 
 もともと差別心というモノは人間の感情から生まれてくるモノですから、それを乗り越えようという考え方である「平等主義」は極めて知性的な考え方であると言えます。
 しかしそれが行き過ぎて、糾弾会などのような例を生み出したのも事実です。
 ですからそこに情を重んじる考え方が知を抑止するよう努力するというのも、これもやはり人間らしい政治のあり方だと思います。
 
 だけど、情が行き過ぎるのもよくありません。
 人権問題等調査会で、やもすれば「もはや日本には人権問題など存在しない」「逆差別しか存在しない」と言わんばかりの議員さんがいたりするのですが、それは情の行き過ぎです。
 どうも解同を敵視しすぎて、解同のやること成すこと全て悪だと言わんばかりの主張がありますが、そんな見方では現状を正しく見ているとは言えないでしょう。
 つい近い過去に大きな人権侵害問題が日本にもあったのは確かですし、それは当サイトでも取り上げてきたところですし、またネットを見れば「○○は部落だ」なんて書き込みを目にするコトも珍しくないぐらいです。
 さらに、当サイトのような「法案は冷静に見ましょう」と言っているだけなのに、「あそこの管理人は日本人ではない」などと、極めて人権に関わる侮辱を実際にされていたりもしていたりします。
 確かに部落問題のような分かりやすい大がかりな人権問題の例は昔に比べれば減っているのでしょうけど、実は日本人の奥底に流れる差別心というのはここにきてむしろ顕著になっているのではないかとやえは感じています。
 いじめひとつとっても、年々人間の根源に関わるような陰湿的なモノが増えてきているというのは広く認識されているコトですよね。
 それはなぜなのか、ネットの普及のためなのか、それとも教育のせいなのか、もしくは他の理由によるものなのか、それはなかなか様々な理由があるのでしょうけど、やはり総じて、最近は差別心を押さえる知のタガが簡単に外れやすくなってしまっていると言えるのではないでしょうか。
 これこそが情が行き過ぎている現状であると言えるでしょう。
 そして情を重んじすぎている議員さんは、その現状が見えなくなってしまっているのでしょう。
 
 自民党という党は、旧自由党系の知と旧民主党系の情がうまくバランスをとって機能している党です。
 しかし、いまの人権問題等調査会では、情を重んじる意見で支配されており、バランスを失っていると言わざるを得ません。
 ネットの世界では、間違った情報やデマが横行し、その後理性的な判断をしようといくつかのサイトが立ち上がった、当サイトのその中のひとつと言えるのでしょうけど、そういう流れがあるワケですが、自民党は今後どうなるのか、やえはちょっと気になるところなのです。
 

平成20年4月28日

 最近の自民党人権問題等調査会の様子

 最近自民党では、毎週コンスタントに人権問題等調査会が開かれていまして、やえも全てを把握するのが困難になってきましたので、最近レポートが滞ってしまっています。
 ごめんなさい。
 ただ、最近の調査会の様子を伺うに、全然議論は進展していないとしか言いようがないような状況みたいです。
 調査会自体は、ここ数回、人権問題にかかる個別法について、その関連省庁の方に出てきてもらい説明をさせているようなのですが、その後の議員さんの質疑応答があまりそれとは関係ない話の方が多いようで、相変わらずと言ってはなんですが、言いっぱなし議論にしかなっていないそうです。
 議員さんの発言は、やっぱり「そもそも論」にたった、立法自体が必要ないという発言が大多数を占めているみたいです。
 それでも、弁の立つ塩崎元官房長官が執行部側で議論をまとめようとされているので、なんとなくではありますが、前進していると言えなくもないという状況らしいですが……。
 
 ところで、そんな議論を伺っている中で、やえはひとつ、これはちょっと看過できないという意見がありました。
 
 現在の社会の中で、様々な紛争を解決するための手段というのは色々あって、その中でADRとか日本司法支援センターとか認証紛争解決サービスとかというモノがあるんですが、これらって主に弁護士会や弁護士が中心になって、仲介等にあたるシステムです。
 特に「認証紛争解決サービス」は、こちらのサイトにもありますように、その名の通り法務大臣から「認証」された組織が仲介する役目を負う、言わば公的なお墨付きを貰った組織が、ある程度の権限を持って仲介に立って解決を模索するサービスです。
 ですから、この制度をもって、新しい法律なんて不要じゃないかという意見も多々あるようですが、やえはそういう意見の中でもの凄く気になる点がひとつあるのです。
 
 その認証された組織ですが、こちらのページを見てください
 人権問題を扱う機関としては、今のところ「大阪弁護士会」「京都弁護士会」「横浜弁護士会」だけです。
 あれ?
 なんかこれ、問題じゃないです?
 2年前からこの問題をずっと追ってきた身として、この制度を積極的に支持する気にはなれません。
 特に大阪弁護士です。
 2年前、この資料が自民党法務部会に出され、大問題になりましたよね。

 第1 勧告の趣旨
 生徒の「思想・良心の自由」を実質的に保障するためには、入学式及び卒業式における「君が代」斉唱の際、斉唱や起立が強制されるものではなく、「歌わない自由」「起立しない自由」を有することを事前に説明する等して十分に指導する慎重な配慮が望まれるところ、貴殿による事前説明は実施されず、生徒の「思想・良心の自由」に関する配慮が不十分です。
 貴殿に対し、入学式及び卒業式における「君が代」斉唱につき、生徒に「思想・良心の自由」に関する事前説明を実施する等、生徒の「思想・良心の自由」を尊重して十分配慮されるよう勧告します。

 この勧告を出したのが、大阪弁護士会です。
 当時、こんな勧告はけしからんという意見が大勢を占めていて、一部は弁護士会の勧告と人権委員会の勧告をごっちゃにして(正直やえもそう思っていた時期がありました)、だからこんな法案には反対だと言う人はたくさんいました。
 また今でも、偏った考え方を持っている人が人権委員や人権擁護委員になるかもしれない、こんな判断を下すようになってしまうかもしれない、というような考え方で反対する人もけっこういます。
 
 であるならば、その偏った考え方をこのように過去実際に出した、そして自民党でもやり玉に挙がった勧告を出した大阪弁護士会が認定されているこのサービスは、決して肯定し得ないモノなのではないのでしょうか。
 少なくとも、あの大阪弁護士会が出したトンデモ勧告書を否定した人は、大阪弁護士会が仲介するようなサービスは肯定できないハズです。
 「認証紛争解決サービスがあるからいいじゃないか」と言うのは、明らかに矛盾した意見なのです。
 
 特にこれは、稲田朋美先生に言いたいです。
 稲田先生は今まで何度も人権問題等調査会で、「自分の政治家としての発言が人権侵害だと弁護士会から攻撃を受けている」と、しつこいぐらい繰り返し発言なさっていたのですから、人権問題を扱う認証紛争解決サービスの認定団体に弁護士会しか入っていないコトには異を唱えなければ、今まで言っているコトは全部矛盾にしかならないのではないでしょうか。
 このシステムについては稲田先生は特に発言をされてはいないとやえは伺っていますが、いったいどういうお考えを持っているのか、少なくとも肯定は出来ないと思うのですが、どうなんでしょうか。
 
 やえは、むしろ民間に任せるようなシステムにする方が、偏った考え方を持つ人が入り込む可能性は遙かに高いと言えるのではないかと思います。
 それは、この認証紛争解決サービスが如実に物語っています。
 また最近流行りのADRもそうです。
 これは、「裁判外紛争解決」などと言われますが、これもある人を仲介に立ってもらって裁判でない方法で紛争を解決しようという手段なのですが、これだってその仲介者に偏った意見を持っている人がなってしまう可能性はそれなりにあると言えるでしょう。
 少なくとも、人権擁護法案による人権委員会よりは、格段に高いと言えます。
 だからこそ、法律によって公的機関によって、紛争解決の手助けをするシステムをつくるべきなのです。
 法が定めた公的機関だからこそ、法によって公平性を担保できるワケですし(民間、例えば弁護士会とかだと「権力の不当介入だ」と言われかねません)、公的機関だからこそ国民が監視できるのです、
 そして最も大切なのは、この国においての正義である「民主主義」を、どこまでそのシステムに反映させられるか、なのです。
 
 2年前の議論から追っている身として、これらの意見は看破できないモノがあります。
 これは結局、理由もなくただただ反対運動しているだけ、矛盾があろうがどうしようが、反対さえできればいい、廃案にさえ出来ればいいという、そんな議論とはほど遠い、イデオロギー運動にしかなっていないとしか言いようがないのです。

 

平成20年5月31日

 人権擁護法案の自民党議論U 5 〜太田私案1〜

 5月29日、自民党党本部におきまして、かなりひさしぶりに「人権問題等調査会」が開かれました。
 今回は、これまでの調査会の流れから大きく転換する内容だったと伺っています。
 その辺も含めて、とりあえず今回は事実だけを挙げてレポートしたいと思います。
 やえの感想等は、日を改めて更新いたします。
 
 ではいつものです。
 
 以下のレポートは、直接やえが部会を聞いてきたワケではなく、聞いた人にやえがお話を聞いたという伝聞です。
 よってその場の雰囲気などはやえには分からないワケで、100%やえのレポートが正しいレポートである保証はありませんし、レポートと銘打つので出来るだけやえの私情を消して書こうと努力していますが、それでも私情が入っている可能性も否定できませんので、その辺はご了承下さい。
 また、いわゆるソースも明らかにするつもりは当サイトにはありません。
 もし以下のレポートが信じられないと言うのであれば、それで結構です。
 当サイトはジャーナリズムをしているワケではありませんので、内容の正当性については、今までやえが行ってきた言論活動を鑑みていただき、また他のジャーナリスト機関が出している記事などを照らし合わせて、読んでいる方ひとりひとりがご自分の判断で断じていただければと思います。
 その結果については、当サイトが保証するモノではありません。
 こういう事情ですので、ちょっと不自然でも敢えて「なんだそうです」とか「とのことです」といった文体を多用しています。
 読みにくい部分もあるかとは思いますが、汲んでいただければ幸いです。
 
 では行きましょう。
 
 まず大きな転換とは、人権問題等調査会の会長でおられる太田誠一先生が「私案」を出されたというところにあります。
 人権擁護法案の議論は平成17年からずっと続いているワケですが、その時からおとといまで、その議論の根本にあるのは、平成14年に衆議院に提出された法案でした。
 17年の自民党内の議論で法案は、一部修正され、手続きの面での変更はありましたが、基本的な内容は大きくその法案から変わらずに議論の的とされてきたワケですが、ついにここにきて内容についても大きく変更されると、そういう局面になったと言えるでしょう。
 
 法案名も一新されました。
 太田私案のタイトルは【「話し合い解決」等による人権救済法(案)】です。
 ただし、理由は後日触れる予定ですが、この太田私案も大まかな部分での変更点の列挙のようで、法律の形を成していませんので、正確には「法案」ではなさそうです。
 お話を詳しく聞きますと、おそらく今までの「旧法案」の上に太田私案を乗せて、法律(案)としての体裁を取るのではないかと、これはやえの推測ですが、そう感じています。
 
 では、今日はとりあえず、その太田私案の中身を、やえが伺った範囲で紹介させていただきます。
 
 一番大きな点は、この太田私案(以下法案。これまでの法案は「旧法案」と呼びます)で扱う人権侵害事件を明文化して限定しているところです。
 書き出しますと

 ・公務員及び事業者、雇用主が行う差別的取扱い
 ・公務員が行う虐待、児童虐待、施設内虐待他
 ・反復して行う差別的言動
 ・職務上の地位を利用して行う性的な言動のうち、被害者を畏怖困惑させるもの
 ・差別的取扱いを誘発する差別助長行為及び差別的取扱いの意思表示

 この以上です。
 これ以外ではこの法案では取り扱わないというコトになります。
 
 これらの条件というのは、旧法案では「特別救済手続き」に係る人権侵害事件の部分ですね。
 つまり旧法案では、もうちょっと範囲が広い人権侵害事件でも一般救済手続きとして法案の守備範囲内としていたワケですが、太田私案ではそこをすっぱり取り除いてしまったという形と言えるでしょう。
 また「差別的言動」も、「反復して行う」という条件が付きました。
 これは確か以前の調査会で有識者の方(お名前忘れてしまいましたごめんなさい)が指摘された形に合わせたというコトなのではないかと推測されます。
 
 またこれらの条件と共に、その前の前提として、この法案で扱う人権侵害事案を次のように定義しています。

 憲法14条が定める人種等による差別、障害疾病による差別、及び職務上の地位を利用して行う性的な言動、優越的な立場においてする虐待などの人権侵害、及び名誉毀損・プライバシー侵害に限定する。

 この条件というのは、人権の定義や人権侵害の定義を行わず、人権侵害の類型を列挙して、それらだけを救済の対象とする、という意図があるようです。
 つまり、「この法律に書いてあるコトをしたら救済手続きしちゃいますよ」というコトであり、逆を言えば「それは問題がある行為なのかもしれませんが、この法律には書いていませんから救済手続きは行いません」というコトでもあると言えるでしょう。
 さらにこの条件というのは、対等な立場同士の紛争は範囲に含まないという意図もあるようです。
 「近隣との紛争」のようにいずれか一方が優越的立場にあるとは言えない類型を除外した、とこのコトで、つまり簡単に言えばご近所間の紛争があったとしても、「先に訴えたもの勝ち」にはならないというコトなのでしょう。
 
 これらの条件の明示は、「定義があいまいだ」という反論に対しての答えでもあるでしょうし、大きな妥協案とも言えるでしょう。
 
 次に、「定義があいまいだ」という反論と共に、大きな批判の的となっていた「濫用の防止・訴えられた側の人権の保護」に対する私案です。
 まず旧法案から一番大きく変わっているのは、この法案で扱う事案を「不法行為」に限定したというところです。
 不法行為とは、これは法律用語でして、それなりに明確に定義が出来る事案のようで、正直やえもそこまで詳しくないのでここからここまでですとなかなか言いづらいのですが、例えばこちらとかでは詳しく説明していますし、法律家であればキチンと定義できる事案なのでしょう。
 また不法行為という言葉も、民法第709条で明記されている言葉でもあります。
 調査会での太田会長の説明によりますと、おおざっはに言えば「過去の判例によって導き出されている事案」というコトのようです。
 ですから例えばおそらく、「○○という行為は私の心を傷つけた、賠償しろ」とか主張しているだけで裁判では勝てなかったから人権委員会の方に訴えた、という場合は、相手にされないというコトなのでしょう。
 
 また、「特定の歴史観に基づく被害申し立て救済の対象から除外すべき類型を列挙する」という条件も付け加えるそうです。
 これは17年当時からから「不開始事由のアウトライン」として修正がなされていると当サイトが伝えてきたところであり、あまり大きな変更点はないかと思うのですが、おそらくこれをわざわざ明記しているというコトは、法律の方に不開始事由を列挙するというコトなのではないかと思われます。
 17年に提示されていた「アウトライン」は、これは委員会規則での内部規定で定めるというコトでしたから、より明確になると言えるでしょう。
 まぁ実質はあまり変わらないでしょうけどね。
 
 それからもう一点。
 ここもとても大きいのですが、申し立てられる側が、申し立て自体を不当として対抗措置をとれるコトとする制度を創設し、同一の救済手続きの中で処理するものとする、というシステムを新たに作るらしいのです。
 つまり「反訴」が出来るというコトでしょう。
 ここは大きいです。
 反訴が出来ないという点は、ずっとやえも問題だと指摘していたところですが、その不公平さが改善されるワケです。
 「不当に訴えられるコト自体が人権侵害じゃないか」という意見に対する、明確な答えがここに示されたと言えるでしょう。
 
 では最後に、その他として特に記されているコトを書き出します。

 1.「話し合い解決」等は、委員会の責任で行い、随時民間ADRを活用する
 2.差別的言動に対する調査については、科料の制裁を除く
 3.報道機関については特別な取扱いをせず法の下に平等な扱いとし、「話し合い解決」等の対象とするかについては、将来検討課題とする
 4.人権養護委員については現行制度を維持する

 色々と気になる部分もあるのですが、やえの感想はまた後日というコトで、説明の補足だけをします。
 
 1は、補足事項でかなり踏み込んでいまして、「調停仲裁については委員会の責任において民間弁護士に委託してもよいということ」だそうです。
 旧法案では、一般救済の際の調査について一部民間に嘱託できる制度はありましたが、決定にかかる部分においての嘱託や委託はありませんでしたから、この法案でそれを認めるというのは大きな変更点だと言えるでしょう。
 
 2も大きな変更点ですね。
 色々と大騒ぎになっていた過料に対し、「差別的言動」については無くしてしまうというコトです。
 これは「言論の自由を妨げるとする懸案に応えた」とのコトです。
 しかし全てにおいて過料を無くさないというのは、おそらく特に虐待などは間接強制をもってある程度の権限を与えないと解決に繋がらないから、という部分に配慮したというコトなのかと思われます。
 特に虐待などに対する権限の強化は、かなり多くの専門家から指摘されていたところですからね。
 
 3について、おそらく報道的にはここを大きな部分として報道しそうですが、太田会長の説明によれば、「マスコミだけを特別扱いしない」というコトなんだそうです。
 旧法案では、凍結部分ではありますが、いわゆるメディアスクラムなども人権侵害だと定義していたワケですが、この法案では、この法案で扱う事案というモノをかなり限定して定義してしまいましたので、その中にはメディアスクラムは入らないという解釈なのでしょう。
 それは、上で書き出しました「その前の前提として、この法案で扱う人権侵害事案の定義」を読み返して頂ければ、理解できるかと思います。
 ですから、マスコミと言えども、その立場を利用しての差別やセクハラなどを行えば、当然この法案の対象内となるでしょう。
 
 4については、特にありませんが、わざわざ「外国人は除外される」とされています。
 これは現行法(人権擁護委員法)では、その資格を「当該市町村の議会の議員の選挙権を有する住民」と定めているからです。
 これも、特定の思想に駆られた外国人が一方的に差別を断定するのではないか、というような批判に対する答えだと言えるでしょう。
 
 
 太田私案の紹介は、とりあえず以上です。
 補足説明や、補足資料、また旧法案とのからみはどうなのか、という部分について、もうちょっと言いたいコトがあるのですが、とりあえず今日はこれだけでかなり長くなってしまいましたので、それは次回に回したいと思います。