理想論より現実論

 岸田前外務大臣が核兵器禁止条約に対して「実現不可能な条約を持ち出すコトで、より核保有国と非保有国の対立を招いてしまう。両者が協力し合える現実的な案を考えなければならない」と言ったとき、しかし日本国内でこれに賛成する声はあまり聞かれませんでした。
 これについては当サイトではしつこいぐらいに取り上げていますから今さら説明するまでもないとは思いますが、特にマスコミは、理論ではなく被爆者の感情だけを一方的に取り上げるという、ただ叩きたいから叩いているとしか思えない記事を連発していました。
 しかし現実はやっぱり、「実現可能なコトをコツコツと積み重ねる」しかないワケで、それ1つの大きな実例のニュースが流れてきました。
 

 石油輸出に上限=北朝鮮制裁決議を採択―米譲歩、中ロ容認・国連安保理
 
 核ミサイル開発を急速に進展させる北朝鮮に対する懸念の強まりを背景に、米国が決議案の調整を急ぎ、核実験から約1週間という異例の早さで採択に至った。安保理の制裁決議は9回目となる。
 米国は当初、石油の全面禁輸や、金正恩朝鮮労働党委員長を渡航禁止や資産凍結の制裁対象とすることを求めていた。ただ、北朝鮮の不安定化を懸念する中ロとの交渉で、米国が譲歩し、いずれの措置も見送られた。

 
 石油の全面禁輸がどうなるかが焦点となっていた安保理決議ですが、結果的に言えば、石油の全面禁輸は見送られる形になりました。
 これについてどう評価するか、全く無意味な決議と取るか、それとも実行できる形は作れたのだから評価すべきと言うべか、しかしでは「無意味」と言うのであれば今回は決議が無しでも良かったのですか?と聞きたいんですね。
 なぜ今回の決議では禁輸までいかなかったのかと言えば、それは中国とロシアの強い反発があったからであり、まして安保理では常任理事国に拒否権を認めており、これを使われると多数決ではなく強制的に否決されるというシステムになっているからです。
 つまり日米などが禁輸を採決の場まで持っていったとしても、そこで拒否権が出されると、全てが無に帰してしまうんですね。
 だから採決の前の交渉の場において、中国やロシアも賛成に回れる案にまで落とし込んだワケです。
 否決されて全てが0になるよりは、10ではないけど5ぐらいの具体的な意味のある案を決議して、結果を出したワケです。
 
 現実というのはこういうモノです。
 決してやえは常任理事国の拒否権というシステムが良いモノだとは思いませんし、こんな不平等なモノはないと思っていますが、だからといってそれが存在する現状においてそれを無視して考えるのも無意味であり、よってそれがあるコトを前提に物事を考えなければなりません。
 そしてそれは外交や政治のお話に限りません。
 人間が複数存在する場においては、交渉なんて大なり小なり必ず発生するワケで、その中で常に理想論ばかりが採用されているなんてコトはないワケで、それは自分の身に置き換えて考えてもそうでしょう。
 ましてそれが利害が相反する相手であればなおさらです。
 お互いの利益をお互いに、100ではないけど50ずつぐらい得られるような妥協は、だれだってした経験があるハズです。
 政治も外交も、結局は人と人とのやりとりなのですから、同じコトなんですね。
 
 石油の全面禁輸が、そもそもとして議題の俎上に上がったコト自体が前進しているという見方もできると思っています。
 記事にもありますように今回の決議は6回目になるようですが、例えば1回目にいきなり全面禁輸を提案していたらどうなっていたでしょうか。
 おそらくそれだけで猛烈な反発が起きていたコトでしょう。
 それを今回は実現可能性が見えるところまで議論の俎上に持ってきたというのは、やはり前進している証拠と言えるのではないでしょうか。
 
 現実というモノは理想通りにはなりません。
 そして本来それは誰だって分かっているコトです。
 北朝鮮の問題も、核廃絶の問題も、ゴールはここにあるワケではありませんから、どうゴールに向けて取り組みを行っていくかを考えなければなりませんが、そこに向かっての道は、決して理想論だけを振りかざせばいいというワケでは絶対にないというコトは、本来だれでも分かっている現実論でもって考えなければなりません。
 北朝鮮の問題も、では次回、もっと現実的にはどう考えられるのかという部分を語ってみたいと思います。