政治家の責任も考えなければならないし、国民の責任も考えなければならない
今日はこちらのいただいたコメントについてお話ししたいと思います。
つまり河野談話なんてものが成立しちゃったのは国民のせいだと?
このコメントは先日の「民主主義制度とは国民が政治を作るという意味です」に対するコメントとしていただきました。
簡単に言えば、時代によって国民の雰囲気というモノがあって、ちょっと前まで日本は朝鮮半島に対しては配慮するコトが正義で、論拠があったとしても批判なんてとんでもない、従軍慰安婦や拉致問題などを口に出すヤツはヤクザ右翼だと、そうレッテルを貼られる時代であって、河野談話もそういう「歴史的背景」があったらか出てきたモノだというやえのお話に対するコメントです。
身も蓋もない言い方をすれば「その通りです」となっちゃいます。
国民の責任は免れないでしょう。
正直当時のこの談話が発表された時の国民の反応って、多分いまの方が反応自体は大きいですよ。
当時はここまで「あれはデタラメだった」とは言われていませんでした。
むしろそんなコト言うヤツは右翼だと言われてしまう時代でしたしね。
政治家はおろか、有識者や言論家ですらまともなコトを言うのが難しいというのが実際のところでした。
そんな国民圧力がある中で、河野洋平元議長だけに責任の全てを擦り付けて、この人だけをなんとかすれば全ての罪は消えると言わんばかりの行為というのは、言わば生け贄行為であって嫌悪すべき行為だと思っています。
こういうお話をするとなぜか「誰(だけ)に責任があるのか」という0か1かの議論になりますが、現実問題はそんな単純ではありません。
やえは河野洋平元議長に全く罪も責任もないとは言ってません。
やっぱり決定権を持つ政治家として、それを実行した責任、結果責任についてはどこまでも問われ続けなければならないと思っています。
しかし、それは国民の責任がゼロであるという意味でもありません。
先日の更新で言いましたように、この件に関しましても国民の責任は決して小さくはありません。
いくらマスコミに騙されていたとしても、100%の人間が騙されていたワケでもなく自分で疑問に思って調べてみて、これはウソだと見抜いていた人は確実にいたのですから、どう言い訳したって国民の責任は決してゼロにはならないのです。
そして同時に、国民に責任があると言って政治家の罪がゼロになるワケでもありません。
0か1かではない考え方で考えなければなりません。
今だってですね、結局朝鮮半島に対しては日本は過去に「苦痛を与えた」というのが公式見解になっていますよね。
なにをどう苦痛を与えたのかというのはボヤかしていますが、少なくとも日本は朝鮮半島に対して「負い目がある」というのが公式見解です。
でもやえは、ずーーーっと前から言ってますように、朝鮮半島に対して日本は1点のやましいコトは公的にはしていないと主張しています。
日本は、当時の状況と国際世論と国際法に則った行動しかしていません。
ですから後になってから、現在の常識で過去を裁くかのような見解を取るというのは、むしろ事後法的でありやってはならないコトで、むしろ「苦痛を与えた」というのも公的には言ってはならないコトだと思っています。
でもそれでも、現在の雰囲気はこうですし、公式見解もこうですよね。
これって結局、やえのような考え方の人もここ数年で増えては来ましたが、まだまだ一般的には日本は韓国に対して過去に苦痛を与えたのは事実と思っている人が多いからこそなワケです。
これってやっぱり国民の責任ですよね。
考えて貰いたいのは、いわゆる従軍慰安婦とか言われる虚構の問題も、国民の大部分が虚構だと気付いたからこそ今があるというコトです。
政治的にこの問題に対して何か大きな転換点があったワケじゃないですよね。
なぜここにきて見直しの問題が出てきてているのかと言えば、国民の中で従軍慰安婦と呼ばれていた問題は虚構だと気付いてきたからです。
結局国民なんですよ。
国民が動けば政治も動く。
これは民主主義政治としては当然のコトなのです。
もちろんこのお話にしたって国民の責任があるからといって政治家にはないと言っているワケではありません。
決定権者としての政治の対応というモノに対する責任は、当然政治家には常についてまわります。
しかしだからといって国民の責任がゼロというコトでもないでしょう。
それなりの意識を持っていれば先の大戦に関する日本の評価としてはどうすべきなのかぐらいは様々な意見が入ってきて、日本には一切の後ろめたいコトは無いという意見だって聞いたコトあるでしょうから、そこでその意見を振り返らないという行為を取っている以上は、国民の責任はやっぱり小さくないのです。
国民はどこまでいっても有権者としての主権者としての責任を負わなければならないのです。
政治家に騙されたから仕方ない、政治家か勝手にやったのだから自分は知らない。
こんなコトを言っているようでは、決して国民のモノである政治は一向に良くならないでしょう。
その政治は国民自身が作りだしているのですからね。
政治に意見を言うのと、他人に責任を押しつけるのとでは全然やっているコトは違います。
もし誰のせいだ彼のせいだと言うのであれば、まずは自分の責任を考えてみるべきではないのでしょうか。
自分は主権者たる国民なのですからね。
ディスカッション
コメント一覧
>その論拠が批判する対象によって変わってるのが辻褄が合わない、と言ってるんだが。
なにか論拠というモノを勘違いしておられるようですが、論拠が違うからこそ結論が変わるんですよ?
国民に責任があるという結論が出ているお話については、国民の責任が大だという論拠があるからこそそう言っているだけですし、民主党に責任があるという結論が出ているお話については、民主党の責任が大だという論拠があるからこそそう言っているだけです。
だから、もし河野談話のお話等で「国民の責任が大きい」という結論に対して不満があるのでしたら、そう結論づけた論拠に対して反論してくださいと言っているのです。
これは他のお話と比べても無意味です。
この問題は、こういう理由・論拠があるから、こういう結論が導き出せると言っているだけで、他の問題がここに影響を与えるモノではありません。
もう一度よく考えてみて下さい。
>まぁみずから「そんなものくだらない」と言ってるんだから語るに落ちてるけどな
やえがいつそんなコト言いました?
具体的に示して下さい。
その論拠が批判する対象によって変わってるのが辻褄が合わない、と言ってるんだが。
まぁみずから「そんなものくだらない」と言ってるんだから語るに落ちてるけどな
>河野談話に対しては国民の責任というが
>民主党のことに対しては民主党を直接批判する。
>おかしい。辻褄が合わない。
論拠を読んでないからですよ。
結局アナタは、自民党だ民主党だ国民だという結論しか見ずに、バランスが悪いとか思ってるんですよ。
やえは責任論を言うときは必ず論拠を言ってます。
河野談話にしても、ただひとこと「国民が悪い」だけの文章なんて書いてません。
なぜ国民の責任が大なのかというコトをきちんと論拠をつけて書いています。
当サイトはいつも言ってます。
主張で最も大切なのは、結論ではなく論拠だと。
反論するなら結論部分にではなく論拠にと。
もしおかしいとお思いであれば、論拠の部分に対して、論拠をもってご反論ください。
アナタの言っているコトは「ぼくが納得いかないからダメなんだー」っていう子供の駄々コネにしかなっていません。
>匿名さん
本文と上のコメントちゃんと読んでます?
>簡単に言っても、民主党に権力を与えたのは国民の責任が大で
>すが、マニフェストを履行しないのは民主党の責任が大です。
というのが民主党の直接批判で、
>やえは河野洋平元議長に全く罪も責任もないとは言ってません。
>やっぱり決定権を持つ政治家として、それを実行した責任、結果
>責任についてはどこまでも問われ続けなければならないと思って
>います。
>しかし、それは国民の責任がゼロであるという意味でもありませ
>ん。
が、国民批判だというふうにホントに読めますか?
0か1でしか判断しないデジタル思考なのか、為にする批判なのかはわかりませんが、ちゃんと読んでコメントしましょうよ(^_^;)
客が来るとか来ないとかは余計なお世話でしょうし。
>なんでそんな公平な位置にいなければならないと義務づけられなければならないんですか?
そうでないなら拠って立つものが違うってこと。
つまり、この例で言えば「国民に責任がある」なら
民主党のことにおいても民主党批判の前に国民批判があるべき
しかし、そうではない。
河野談話に対しては国民の責任というが
民主党のことに対しては民主党を直接批判する。
おかしい。辻褄が合わない。
そうなると論旨が一貫してないから記事が信頼できない。信頼できない記事に客は来ない。
それで良いなら構わないけどな。
国民批判ばかりしてアクセスが増えるワケないだろとすら言われた当サイトに言うコトじゃないですね(苦笑)
多分当サイトは日本で一番国民批判してるサイトでしょう。
だいたいこれも結局「0か1か」の物言いであり、中身が見えていない反論の為の反論です。
簡単に言っても、民主党に権力を与えたのは国民の責任が大ですが、マニフェストを履行しないのは民主党の責任が大です。
もっと中身を見ましょう。
なら今の民主党政権のぐだぐだぶりも当然国民の責任だな。
民主党を批判する前に国民を批判しないと
すみません。上のコメントはエントリーとほとんど関係ない内容になってしまいましたが、
民主主義体制において決定的に重要なのは国民である、という考えには賛成です。
確かに、現在の日本の世論というのは一昔前とは随分違ったものである事は確かですね。「外交、領土問題」なんていう表題の討論番組も普通になりましたもんね。
これまでは政府が率先してそういう極東アジアの問題には意図的に口を噤んできたのが、民主党政権になって、功罪は別にして、軸足を米国から東アジアへ向けようとしたのがきっかけでしょうか。鳩山政権の「東アジア重視政策」は、それなりに隣国にも評価をされたと思います。
また歴代の自民党政権時代は、尖閣地域に不法侵入する中国人は極秘に送り返すだけでしたし、竹島問題を国際司法裁判所にも提訴しなかったでしょうから。ただ、自民党政権下では世論の関係で、そういう事を公に言えない状況であった事も十分に考慮する必要があると思います。
ようやく日本にも歴史問題を抱えながらも隣国との諸問題を真剣に議論する土壌だできてきたのかな、と思います。
ただ、日本はそうなったとしても、隣国はまだまだ反日勢力が優勢ですし、日本にもそういう反日国家を擁護するような発言というのは、一部の人から大変な攻撃対象となるのが現実ですよね。
領土問題などを議論する土壌ができてきたとはいえ、まだまだ歴史認識が甘い極東アジアにおいては、真に問題を解決できるような議論に発展するのはまだ時間がかかるのではないでしょうか。