総理の伊勢神宮参拝

2012年4月15日

 今年も総理大臣が伊勢神宮に参拝しました。
 

 「被災地の復興祈った」 野田首相が伊勢神宮参拝
 
 伊勢市の伊勢神宮を4日、参拝した野田首相は、「日本の平和と繁栄、国民の幸福、被災地の復興を祈った。政権の課題は多いが一つひとつ乗り越えていきたい」と抱負を語った。
 中川正春文部科学相や蓮舫行政刷新相らと、外宮に続いて内宮を訪れた野田首相は、宇治橋を渡って正殿に参拝した。参道に詰めかけた参拝客から「頑張って下さい」「応援しています」と声援を受けると、「よろしくお願いします」と握手に応じていた。

 
 総理が仕事始めに伊勢神宮に参拝するのは恒例となっていまして、やえの記憶しているところでは、近年参拝しなかった総理というのはちょっと記憶にありません。
 菅前総理鳩山元総理も伊勢神宮に参拝しています。
 伊勢神宮とは言うまでもなく日本の神社の総本山的な存在であり、言わば日本人の精神的支柱の大黒柱であって、そこに一年のはじめに日本国民の代表である総理大臣が参拝するというのは、極々自然なコトであると言えるでしょう。
 つまり総理大臣が総理大臣として伊勢神宮に参拝しているワケですね。
 
 でもここでちょっと疑問に思うワケですね。
 そう言えば総理大臣や閣僚の神社参拝って、いつもいつも大騒ぎする案件がありましたよねと。
 そうです、靖国神社参拝です。
 総理大臣が新しくなるごとに、内閣が改造されるごとに、マスコミはしつこいぐらいに「靖国神社に参拝しますか?」と言を取ろうとします。
 これはある意味、「靖国神社に参拝するコトはけしからん」と言っているワケです。
 というか実際参拝すると、マスコミはやっぱり大バッシングしますよね。
 ですから、事実上総理が靖国神社を参拝するコトはダメなコトだと言われているワケです。
 
 でも実はこれ、根拠がハッキリしません。
 なぜダメなのか、という論拠の部分がかなりあやふやなんですね。
 おそらく大きく分けて2つの理由があろうと思います。
 1つは、政教分離に反するからという理由。
 もう1つは、A級戦犯が祭られているからという理由です。
 
 しかし実はこれだけではキチンとした説明にならないのです。
 なぜならですね、例えば政教分離に反するからという理由では、伊勢神宮参拝はどうなるんだというお話に、当然なりますよね。
 また、仮にA級戦犯がというコトでしたら、それはそもそも国会議員が参拝するコトすら問題視しなければおかしいコトになります。
 問題視したい人というのはA級戦犯のコトを極悪人と思っているワケですから、例えば国会議員が麻原彰晃の墓に(まだ死んでませんが)参ったらどういうコトになるのかを考えれば、やはりここでも矛盾が出てきてしまうワケです。
 結局、靖国神社参拝を問題視する論拠というのは、実はまったく理屈立っていなくて、とりあえずその場だけでの理由に聞こえるようなコトを適当に言って反対しようとしているだけにしかなっていないワケなのです。
 
 政教分離の考え方にしても、そもそも日本の神社とか仏教とかのいわゆる伝統的宗教は、それを「宗教」というキッチリとした分類できる枠にはめて良いのかどうかという問題があります。
 特に日本の場合の伝統的神道と仏教は、他の日本以外の宗教(キリスト教など)や新宗教とは違い、その行為がどこまで宗教と呼べるのかという枠組みがかなり薄いモノでありますし、なにが宗教行為で何が文化行為なのかをハッキリと分類するコトは不可能です。
 新宗教については政教分離の原則をキッチリと当てはめてもよいでしょうが、日本の精神世界を作ってきた歴史そのものである神道と日本仏教についてを、ガチガチに政教分離だと言うのは、むしろ人間の生活の幅を狭めるコトになりかねません。
 
 そしてA級戦犯の問題なんて、もはやここで言うまでもありませんが、まずもってこの「A級戦犯」という言葉の定義がどこにあるのかをハッキリさせなければなりません。
 なんてなく「A級戦犯」なんて言葉でくくられていますが、では我々日本人はその言葉の根拠をどこに求めて言っているのでしょうか。
 ここを明らかにすれば、いかにこの根拠がバカバカしいかが見えてくるでしょう。
 
 ではこの2点について次回もう少し詳しく言及したいと思います。