竹島問題での提訴について一言

 一部で竹島問題に関して国際司法裁判所に提訴するコトを延期したという記事に対して憤っている人がいるようなので、一言言っておきたいと思います。
 
 外交にも政治にも時期とか時流というモノがあります。
 時流を理解せず、ただただ猪のように猪突猛進する行為は、むしろ国を滅ぼす行為です。
 なぜ今それをするのか、ここを理解しなければむしろ害にしかなりません。
 
 根本を考えて下さい。
 なにを求めて「国際司法裁判所に提訴する」のでしょうか。
 何を得るためにそういう行為をするのでしょうか。
 それは、簡単に言えば、国益を得るためです。
 簡単な答えですね。
 ですから逆に言えば、提訴するコトで国益を失うコトになるのであれば、提訴なんてしてはならないのです。
 ここが重要です。
 
 手段と目的をはき違えてはなりません。
 最近、もはや「国際司法裁判所に提訴する」というコトが目的になってしまっている人が多いのですが、これは完全に間違いです。
 あくまで目的は「国益を得る」コトです。
 「国際司法裁判所に提訴する」は手段に過ぎません。
 ここをキチンと理解する必要があります。
 
 その上で、この時期に「国際司法裁判所に提訴する」という手段を用いるコトが、果たして目的である「国益を得る」に繋がるかどうかを見極めなければなりません。
 
 以前民主党が提訴を準備している時、やえも文章を書きましたが、あの時であれば提訴すべきでした。
 なぜなら、あの時というのはアキヒロ大統領末期の時で、日本を叩けば韓国国内での支持率が上がるという幼稚なナショナリズムのせいで日韓外交はメチャクチャになっていましたし、なにより天皇を公然と侮辱した等の怒りが日本内外に広く伝わっていたからです。
 もうちょっと言うなら、国際司法裁判所はあくまで調停所であって裁く場所ではありませんから、提訴するコトよって何が得られるかといえば、国際評価に繋がるという部分が大きいので、だからこそ同情を他国から得られやすい時期に提訴するっていう意味で、あの時のあのタイミングであれば提訴すべきだったのです。
 全ては「諸外国にどう見られるか」です。
 あの時なら、天皇を侮辱するという行為すら行った国際慣例でも最低最悪の行為を行った時であればこそ提訴すべきだったのです。
 
 領土問題とは難しい問題です。
 特に第三国からの目や考え方というのは複雑であり、同時に重要です。
 基本的に領土問題とは当事国だけの問題であって第三国は口を挟まない、むしろ新たな火種になりますから第三国は何があっても手を出さないというのが正しいスタンスですから、それは竹島問題だって同じであり、いくら日本が正当性を主張しても、それは第三国からしてみれば「一方の主張」でしかありません。
 ですからいくら一部のいきすぎの自称愛国者がギャーギャー言っても、それが国際的に受け入れられるとは限らないワケで、そういう中で「国益を得るための手段」としては何が適切かは、それは時期やタイミングが重要になってきて当たり前なんですね。
 「自分が正しいから訴える」なんていうのは、国内ならまだしも、国際社会では通用しない考え方でしかないのです。
 
 だからこそ、同情を得やすいタイミングであれば提訴すべきだったのです。
 しかし今提訴しても、「なんで今更?」と思われるのがオチです。
 日本も韓国も政権が変わっている、しかも変わった直後というタイミングでそんなコトしても、第三国からの理解は得られないでしょう。
 であるならば、目的である「国益を得る」というゴールも見えてはきません。
 手段と目的をはき違えるコトなく、キチンと目的のための手段とわきまえれば、いまこのタイミングではないというコトは自ずと見えてくるハズだと思います。
 
 あまり言いたくないのですが、最近は「強気に出る自分」に酔ってしまっている人が多いのではないでしょうか。
 しかしそれは目的と手段をはき違えています。
 強気に出るかどうかというのはあくまで手段でしかありません。
 重要なのは目的です。
 自分のカタルシスを得るためだけに手段を間違え、その結果として国益を損なうようなコトに繋がれば、そんなのは愛国者でもなんでもありません。
 ただの売国者です。
 そこのところをよくよく考えて貰いたいです。