三権分立をキチンと理解しましょう (下)

2012年4月15日

 最後に3点目です。
 「首相が100日は海外に行ける国会・行政の在り方を目指す。北朝鮮問題で、米・中・韓はそれぞれ首脳会談。ロシアも首脳会談に応じるらしい。日本はどうだ?相変わらず首相は国会に貼り付け」についてですが、これもシステムの問題であるというところをハッキリとさせておかなければなりません。
 日本は議院内閣制です。
 大統領制とは違います。
 日本の場合は、行政府と立法府がかなり近い距離に置かれています。
 例えば、日本では内閣の過半数を国会議員で占めなければならないコトになっていますが、アメリカの大臣に相当する人は議会議員ではありません。
 また他にも、日本の行政である内閣には法案提出権がありますが、アメリカ大統領には法案提出権がありません。
 このように日本の内閣や大臣は、アメリカ大統領に比べれば、より国会について責任を負うのです。
 日本の内閣の多くが国会議員であって、また法案を提出するトップだからこそ、議会で説明する責任があるのです。
 事実、政府ではない人が提出する「議員立法」の場合は、法案提出者が答弁者となり、時に野党の議員が答弁者となる場合もあって、この場合は政府は議論に参加せず委員会に出席する義務もありません。
 なぜ総理や大臣が国会に出ているのかと言えば、その法案の提出者だからなのです。
 日本の議会・国会だって答弁者が必ず総理や大臣だという決まりなのではなく、法案提出者だから総理や大臣が答弁する場合が多いってだけなのです。
 そして、アメリカ大統領は法案提出者では無いという理由から、おそらく議会にもそこまで出席しないのでしょう。
 
 このように、これは善し悪しの差ではありません。
 単にシステムの違いなだけです。
 
 ですから、もしこの日本の制度のままでさらに総理や大臣が国会に責任を負わなくていいというコトにするのであれば、それは行政府の権限が大きすぎるコトになってしまうワケです。
 やっぱり独裁への道です。
 過去には答弁者が官僚だった時代もありますが、しかしそれは決して内閣が国会への責任を果たしていないというワケではありません。
 昔も総理や大臣はキチンと委員会に出席して答弁していたワケですしね。
 決して100日間外遊していたワケではありません。
 
 繰り返しますが、これはシステムの違いであってどちらがいいというコトではありませんが、ただ、アメリカやロシアや韓国のような制度の方がいいというのであれば、それは大統領制のように、また今とは違う権力の分散の仕方をしなければならないというコトです。
 決して「首長のいいところどり」にしてはならないんですね。
 それは独裁です。
 独裁がダメとは言いませんが、しかし独裁ではないかのような言い方をして実のところそれは独裁の制度に作り替えるというのは、それはただの騙し討ちです。
 もし独裁がいいと言うのであれば、堂々とそう主張しましょう。
 憲法改正を主張しましょう。
 
 「総理が100日間海外に行ける制度」を別の視点で考えても、これはシステムの問題が大きいと言えます。
 単に考え方の違いで、もっとこうすればいいのにでは済まない問題です。
 例えば、同じ大統領という言葉を使っても、アメリカとロシアと韓国では、またそれぞれシステムが違います。
 アメリカには首相はいませんが、ロシアと韓国にはいます。
 ロシアは有名ですよね。
 あのプーチンさんが憲法規定によって大統領を退いた後、次の大統領の下で首相になって、そして憲法規定をクリアしてからまた大統領になったコトで有名になりましたね。
 またロシアと韓国とでも首相の位置付けは多少違うワケで、この事実だけ見ても、決して日本の制度が悪いとか、旧式とか言えるモノではないコトは一目瞭然でしょう。
 単に制度の違いだけというお話です。
 
 さらに言えば、アメリカの場合は政府も国民も「アメリカは世界の警察だ」という自認があるワケで、言わば「外交政策も内政政策」だと国民自身が考えている部分が多いワケで、ここの下地の違いというのは日本に比べればいかんともしがたいモノがあると言えるでしょう。
 そもそも日本の場合は軍隊が軍隊として機能できないのですから、外交力はそれだけでガタ落ちであって、アメリカと比べる以前の問題と言わざるを得ないでしよう。
 それが良い状態とは決して言いませんが、現状はそうなっているというコトは正しく認識しなければならなりません。
 なにより、日本が外交力をいまいち発揮できないその根本的な理由はここにあるのであって、ここの問題を見ないままにただ単に「100日海外に行けばいい」と言ってしまうだけでは問題解決にはなりはしません。
 これはシステムによって制度によってこうなっているのですから、気持ちや気合いだけでなんとか出来る問題ではないのです。
 先に解決すべきは軍隊の問題です。
 口だけで「100日海外に行けばいい」と言っても、その前に立ちはだかるのは政策の違いなのではなく、システムの違いなのです。
 ここの順番はキチンと考えておくべきです。
 
 システムの問題とは、どちらかが一方的に正しい悪いと言えるようなモノではありません。
 そしてそれを改善するためは、考え方を変えるっていうコトではなく、根本にあるシステムを変えるっていう考え方をしていかなければなりません。
 少なくとも橋下さんの「もっと近代的にしなければならない」という言葉は、あまりにもひどいというか、むしろ無知の表れとしか言いようがないでしょう。
 古い新しい、良い悪いではなく、どちらともメリットとデメリットを理解した上で、どちらを選択するかなのです。
 
 橋本徹っていう人間の問題はここにもあります。
 その主張を実行するためにはキチンと考えるべき部分があるのに、それを隠すかのように別の話題にかぶせて、新しいとかスピーディーとか、そういう形容詞で誤魔化してしまう部分です。
 本来議論するというコトは、古いとか新しいとかで考えるのではなく、いままでの制度だってそれはその意義があって、それに沿って存在しているのですから、まずその意義やメリットを考慮し検討するコトからはじめるべきでしょう。
 大臣が国会に張り付くというのも、それは総理が法案提出者の責任者であり、内閣は国会にも責任を負うというシステムだからです。
 こう説明すれば、決して前時代的とかダメな制度とか一概に言えるモノではないでしょう。
 大統領に比べればより国民に近い制度と言い換えるコトも出来ると思います。
 まずここを説明しなければフェアではありません。
 ここを説明せずして、ただ単に「古い」と言ってしまうのは、そんなのただのレッテル張りです。
 そうではなくて、こうやってキチンと今までの意義とメリットも提示して、そしてシステムを変えるっていうのであればそのデメリットもシッカリと明示してから、公平に議論しなければならないでしょう。
 
 橋下さんは、この辺のコトを全部すっ飛ばしてしまい、ただ単に結果だけを提示して済ませようとするクセがあります。
 それでは、その影にデメリットがいっぱいあるというコトが分からないままです。
 もしこれを確信犯としてやっているのであれば、とんでもないコトですね。
 意識して国民の目を眩ませながら独裁しようとしているとしか思えません。
 橋下さんが言っているコトの多くは、結果的には権力を集中させるコトばかりですからね。
 確信犯ならとんでもないコトです。
 
 「総理が100日間は海外に行くべきだ」という主張は主張としてなら尊重されるべきです。
 そういう統治機構のあり方というのも、選択肢としてはアリでしょう。
 しかしそれは、誰かが邪魔しているからとか、システムが古いからとかという、そんなレッテル的な理由で片付けていいモノではありません。
 いまの制度だって、キチンと意義と意味があって、いまのような手法になっているのです。
 もし変えようと思うのであれば、まずそこから見つめ直さなければならないのです。
 
 橋下さんはよく言います。
 政治家は学者とは違うと。
 言いっぱなしの無責任な学者とは違い、政治家には現場があって汗をかいて苦労しているんだと、現場を知らない奴が何を言っているんだと、そう言います。
 であれば、国政だって現場を見ましょうよ。
 「総理が100日間は海外に行くべきだ」という主張は誠に結構です。
 しかし、それを実現させるにはどうしたらいいのかっていう部分についても、ちゃんと現場を見ましょうと言っておきます。
 
 今のシステムは古いから変えた方がいい、なんて子供みたいなコトを言うのは本当にやめてほしいです。