神武天皇家が続いているからこそ昔の日本と今の日本は連続した国家

 皇統問題について、ブログに移行してから最も多いコメントをいただきまして、ありがとうございます。
 やえもあまおちさんも全て目は通させていただいています。
 ので、この前の更新で一旦一段落付けようかと思ってたのですが、もうちょっとだけ皇統問題を続けさせていただこうと思います。
 
 まずですね、この問題はやっぱり2つの段階についてキッチリと分けて考える必要があるというコトを、再確認させて下さい。
 すなわち、事実の部分と、そして提案の部分です。
 今日はもう一度、事実の部分について「確認」をしたいと思います。
 
 もちろんそれは「男系以外の人が天皇に即位すると、それはイコールで神武天皇家の終焉」を意味するというコトです。
 そしてそれは、ただそれだけの意味を成すワケではありません。
 神武天皇家という存在の尊さやその価値は一言で言い表せるモノではありませんし、感覚的なモノもありますからその全てを伝えるのは難しいのですが、その分かりやすい1つをお伝えしておきます。
 
 例えば、いまの日本人はみな、江戸時代の日本をいまの日本と同じ連続した国家だと認識していますよね。
 簡単に言えば「江戸時代は昔の日本」という感覚です。
 江戸時代のコとを、今の日本とは隔絶された別の国のお話だと思っている人はあまりいないでしょう。
 「日本史」というタイトルで教育もされているワケ(やえはこれを「国史」にすべきだと思っていますが)ですし、事実として江戸時代も戦国時代も鎌倉時代も平安時代も全ていまの日本に続く「過去の日本」です。
 この感覚は間違いではありません。
 
 しかしちょっとここで立ち止まって考えて下さい。
 なぜそう言えると思いますか?
 もっと言うなら、昔の日本がなぜ今の日本と連続しているのか、その根拠はなんだと思いますか?
 
 例えば、シナ大陸あたりに出来ていた国家というのは、果たして「昔の中国」と言えるでしょうか。
 言えません。
 そもそも中国という呼び名は「中華人民共和国」もしくは「中華民国」の略称であり、中華民国の前の国家は「清」という国でしたから、これらもう全然別の国家であって、「昔の中国」と呼ぶのは日本語的に変なのです。
 清一つとっても「今の中国」とは支配体制や憲法や支配者層の民族まで違います。
 清は皇帝(映画の『ラストエンペラー』ですね)が治める国ですし、その皇帝は満州族であり、いまの中華人民共和国の漢民族とは違う民族です。
 さらにその前の明という国も、清とは違う民族の、しかも朱元璋という貧農の家の末子の出の人間が皇帝にまでなって建国された国家だったのです。
 このように、もうなにもかもが、シナ大陸に発生する国家群の間には一致するモノがないんですね。
 よってこれは、「連続した1つの国」ではないのです。
 
 こういう歴史というモノは中国だけに限りません。
 例えばロシアなんてどうでしょうか。
 仮にその国家を構成する民族があまり変わらなくとも、ソ連とロシアは全然違う国としか言いようがありませんよね。
 厳密にはソ連の間もロシアという国はあったワケですが、少なくともソ連とロシアを連続した同一の国とは言いません。
 ヨーロッパもそうです。
 ドイツとプロイセンとオーストリア=ハンガリー帝国は、やっぱり別の国家です。
 比較的建国日が明確にハッキリしているアメリカも、建国前にあの辺の土地に元々住んでいた人たちを指して、「昔のアメリカ人」とは言いませんよね。
 実は古代から中世までに遡れる連続した1つの国家というのは、大変希有な存在なのです。
 
 ではなぜ日本はそれを名乗れるのでしょうか。
 江戸時代は、いまの日本の国家体制とは全然違います。
 まず憲法が違います。
 支配者も違います。
 武士の時代からさらに遡り、平清盛の時代や平安時代、そして聖徳太子の時代、これらは全然いまの日本とは基本的に国家体制は別です。
 聖徳太子の時代から幕末までは、まだ律令制という憲法のようなモノが公的にはずっと残り続けていましたからここはこれを根拠にして1つの連続した国家と言えるのですが、明治に入ってから現代憲法を制定してからはこれも廃止されましたから、少なくとも明治前と後では憲法も違う、武家もいない、貴族もいない、憲法も違うという、全然違う国になりました。
 それでも日本は日本なのです。
 なぜだと思いますか?
 
 それが神武天皇家の存在なのです。
 
 日本は有史以来悠久の時の中を常に神武天皇家を戴く国家として続いてきたからこそ、1つの連続した国家だと言えるのです。
 例えばこれが「天皇という存在、天皇という制度を持っている国」ではダメなのです。
 では「清」と「民」と「元」は、どれも皇帝という制度のある国ですが、これらは全て連続した「同じ国」ですかって聞けば、違いますとしか言えないですからね。
 だから、制度がどうこうではなく、「同じ王朝(この場合「皇朝」とは言わないですよね。適切な語があれば教えて下さい)かどうか」が何よりも重要なワケです。
 こういうのは敢えて考えなくても、常識的な感覚の問題ではないでしょうか。
 別王(皇)家・であれば別。
 こんなのは国や地域や民族を越えて当たり前のお話ですよね。
 
 神武天皇家が終わってしまうコトは、過去の日本と今の日本を断絶させるという意味合いも含まれているのです。
 もし神武天皇家でなくなれば、日本の歴史というモノは明治以降からの歴史でしかなくなります。
 むしろこれ以外にどう江戸時代以前の日本を今の日本と結びつける絆があると言うのでしょうか。
 日本は神武天皇を戴き続けてきたという現存する世界最古の国家なのです。
 
 そして女系容認論者はこの「事実」をキチンと理解しているのでしょうか。
 まずはこの段階において事実を確認して欲しいですし、その上で容認論を唱えるのであれば、正直のこの事実を提示して「神武天皇家を終わらせ、日本を明治以前と以降に分断させる」と、ハッキリと言ってほしいです。
 そう言わなければウソですし卑怯ですよ。
 
 
 では次回は、具体的提案の部分について触れたいと思います。