国民こそが神武天皇家の存続を願わなければ

 三笠宮崇仁親王殿下のご薨去の報に接し、謹んで哀悼の誠を捧げます。
 
 この皇統問題について、やえが一番理解できないコトは、「どうせ旧宮家復帰などはできないんだから言ったって無駄」という手合いの、どこか他人事のように言う意見や人達です。
 なぜ理解できないのか、先に結論を言うならば、こういう人達がいるからこそ実現できないからであり、こういう人達こそが一番の障害になっていると思っているからです。
 例えば「旧宮家の皇族復帰」は、もちろんご本人達の同意が必須ではありますが、そこさえ乗り越えれば法律改正で実現できるハズです。
 そして現状は、旧宮家の方達に正式に打診すらしていない状況です。
 ではなぜ打診すらできていないのかと言えば、これはまさに「国民の理解が得られないから」だと言うしかありません。
 端的に言います。
 この問題の障害は国民なのです。
 
 「国民の理解が得られない」という一文を読み上げる時、どこか自分だけはここに含まれないかのような他人事感が伴います。
 これは皇統問題に限らず政治全般に言えるコトなのかもしれませんが、「どうせ自分だけが意見を言っても全体は変えられない」とか、「自分の一票では何も変わらない」とか、どこにでも見られる、そういうあきらめのような感情ですね。
 でも、特に民主主義政治において国民自身がそう思っていては、本当に何も変わりません。
 逆に言えば、国民の主張が大きなモノになれば、政治は簡単にひっくり返すコトが出来るのです。
 国民が動かなければ政治は変わらないのです。
 そのためには、別に一人で国民を動かせなんて言いませんよ、でもせめて自分だけは「そうすれば可能だ」と主張すればいいじゃないですか、そう思えばいいじゃないですか。
 それなのになぜ「どうせ出来ない」と言うのでしょうか。
 なぜ真反対のコトを、反対するかのように言うのでしょうか。
 その必要性は全くないんじゃないですか?
 端的に言います。
 アナタが「どうせ出来ない」と言うから本当に出来ないのです。
 
 そしてその一人ひとりの思いの結果、本当に国民運動のように世論が盛り上がれば、政治は動きますし、皇族の方の気持ちだって変わってくるでしょう。
 他人を動かすコトは難しいかもしれません、でも、自分の気持ちを動かすコトはできるじゃないですか。
 それなのになぜ自分だけが特別かのように他人事を言うのですか?
 これは日本国民全員の問題なのです。
 この自覚が国民が一番欠けているのではないのでしょうか。
 
 敢えて悪意ある言い方をするなら、「どうせ出来ない」と言う主張は、自分への責任を回避した上で神武天皇家の断絶を狙っている卑怯な戦法を採っている人なのではないかと、疑ってしまうんですよね。
 本当はそうは思いたくないんですが、なぜ自分の気持ちすら反対に走るのか、理解が出来ないのです。
 つまりそういう人って、ニヒリズムを装って、実は日本の歴史の断絶を計っている人達ではないのでしょうかと。
 少なくとも、出来るコトがまだあるのに、その可能性すら投げ捨てる姿というのは、あまりにも無責任ですし、むしろ別の意図があるのではないかと疑わざるを得ないのです。
 もしそうでなければ、もう一度国民の責任をよくよく考えてもらいたいです。
 
 前回言いましたように、やえは決して新しい天皇家を否定するつもりはありません。
 しかし可能性があるにも関わらずそれを捨てる方向に進むのなら、それは事実を事実として指摘するしかありません。
 それは天皇家を敬う気持ちとは別問題です。
 「それを指摘するのは天皇家を敬う気持ちを裏切るコトになる」かのような言説には与しません。
 事実は事実です。
 ですから、神武天皇家が断絶してしまえばこれまで悠久の歴史を育んできた日本の国家としての歴史を一度断絶するコトになるという事実は指摘し続けますし、存続させる手立てがあるのに可能性すら捨てるようとしているという事実も指摘していきたいと思います。