天皇の重みとその歴史

 こういうコメントをいだきました。
 

 せっかくなので一石を投じてみましょうか。今回の論の逆を行けば、日本以外の国家なり民族は国家の連続性なんぞなくとも大した問題もなく存立出来ているわけです。では、何故男系王朝を無理やり延命させる必要があるんでしょうかね?

 
 このご意見は男系云々ではなく、むしろ天皇や他の国の王室などの存在意義に関わる問題でしょう。
 「天皇や皇帝や王がいなくても国家は存立出来ているわけです」という意味にしかなりませんらね、これ。
 
 でもなんて言いましょうか、「大した問題もなく存立出来ている」と言っている時点で、これは歴史を馬鹿にしているというか、いままで先人達の苦労の上に我々はいまこの日本で生きているのに、ただ現代に生まれただけという完全に運だけのコトにえらそうにあぐらをかいて、歴史を消費しているだけの不遜で傲慢な態度にしか見えません。
 我々は本来この幸運に感謝し先人達に敬意を表して、次代にこれを伝えていかなければならないハズなんですけどね。
 自分の力だけでいまこうやって生きているワケではないのですから。
 
 だいたいにして、日本にはシナ大陸に出来てきた国家群というこれでもかという反面教師がいるのになんで分からないのでしょうか。
 というか歴史に学ぼうとしない、今だけ良ければいいと思うのであれば分からないのは当然かも知れませんが、しかし少なくともあの大陸に生まれた中華思想と易姓革命という概念がどれだけ民衆を食い物にしてきたのか知って欲しいですね。
 何の根拠もないのにただ武力があるというだけで「天に選ばれた」と主張し国家転覆を謀っても許される思想、そして「天に選ばれた」からこそ皇帝という他者の生殺与奪を自由にする権利を自由に行使できる思想が、どれだけ一般民衆にとって不幸なモノなのか考えてみて下さい。
 結局この思想は、現代でも天安門事件という上から下への一方的な弾圧を生んだのですし、また今でも現在進行形で行われているチベットなどへの民族浄化にも繋がっているのです。
 世界第二位という経済大国(というのも実際のところは分かりませんが)になったにも関わらず、いまだに一般民衆の命があまりにも軽いのも、これは共産主義のせいではなく、中華思想と易姓革命という思想のせいです。
 天に選ばれた皇帝は民衆を好きにして良い、というのが中華思想と易姓革命の思想だからです。
 むしろ長年ずーっとシナ大陸の凄惨さを最も身近で感じ恐怖を持ってきたのが日本とすら言えるでしょう。
 
 日本の悠久の歴史の中で最も大きな国家体制の変革は明治維新と言えます。
 でもこれは、革命ではありません。
 クーデターとも言いづらいモノがあります。
 なぜなら、支配体制側の武士と支配体制側の武士との戦いだったのですからね。
 まぁクーデターと言ってもいいかもしれませんが、しかし少なくとも日本では革命が起きたコトはありません。
 最近革命という言葉を軽々しく使う人が増えてきましたが、本来革命なんていうモノは多くの不幸を生む事象です。
 武力を持つ体制側と、武力を持たない民衆側が正面から争い、結果として民衆側が勝つというのが革命ですから、そこに流れる血の量というモノは想像するだけでとんでもないコトが分かるハズです。
 現在のフランスなんかは革命があってこそ今の体勢がありますから、そりゃ革命を否定するコトはしませんが、でも革命なんて無ければいいに決まっているモノです。
 幕末から明治維新にかけて、民衆の血が一滴たりとも流れなかったというつもりは毛頭ありませんが、最後まで武士対武士を貫いたというのは、世界に誇る日本人の英知だったのです。
 
 そしてそういう混乱期があったとしても、武士同士の決着が付けば(西南戦争もつまるところ武士対武士の戦いでしたからね)国がすぐに1つにまとまれるのも、天皇という存在があってこそのコトです。
 「我々はみんな日本人なんだから」っていう概念は、これは日本が今まで一度たりとも本格的な分裂や革命が起こっていないからこそ疑問にすら思わない概念ですが、本来国家が存在しそれに属しているというだけでは自分のアイディンティティを確立するのは難しいコトです。
 自分は何人で、どの歴史に根付いた人間なのかというコトで思い悩む人間というのは、世界的に見ればそれほど珍しいコトではありません。
 ある意味、沖縄の一部の人もそんな風に思っているフシがありますよね。
 人間ってそういう生き物である上にですよ、国家そのものが変わるっていう際において、つまり今までの日本が日本でなくなるって言われてハイそうですかと簡単に納得出来る人っていうのは、そうはいませんよ。
 革命を主導した側の人間ならまだしも、一切革命に関わっていない民衆からすれば、何言ってんだこいつと、下手すれば日本大分裂状態です。
 その時に「日本とは天皇である」という象徴がどれほど人間の心に訴えかける力になるのか、これは紙の上だけでない人間の心の問題として考えてほしい問題です。
 
 それでも今こうやって民衆は生きているのだからいいじゃないかと思う人もいるのかもしれませんが、やえはこういう歴史なくして今の日本があり得たとは思えません。
 何度も何度も革命が起き、常に争いがあって、歴史が断絶し続ける国が、今のようにここまで繁栄するとは全く思えないからです。
 もし、韓国…というか朝鮮半島にあるような国でも良かったというのでしたら、やえはそれ以上何も言いません。
 でもやえはイヤですね。
 歴史を振り返っても、常に大国の事情に振り回され、また自力で国内統一すらままなれない国がどんな不幸を生み出してきたのか、こんなのは歴史を学べば一目瞭然です。
 むしろ「自分は何人なんだろう」と疑問に思うコトが無い現状は感謝すべきコトであって、世界的に見ればどう考えても恵まれている国にたまたま生まれてそれを享受しているコトは感謝すべきコトであって、空気のようなモノだから省みる必要は無いと言ってしまうのば、不遜で傲慢というしかやえには言葉は見つかりません。
 
 前も言いましたように、天皇の尊さや存在意義というモノは、一言で語れるモノではありませんし、感覚的なモノもありますから、なかなか説明は難しいです。
 今日お話ししたコトも確実にありますし、歴史の連続性もありますし、また「重み」というモノもあります。
 「この人がいるからどんな問題があっても最後はまとまれる」とか「この組織はこの人がいるからこそ一目置かれる」とか、そういうのは天皇の存在に限らずどんな人間関係にだってあるワケで、それを国家単位で成し遂げてしまってるのが天皇であるワケです。
 実際の人間関係の中では、これはも非常に重要ですよ。
 そしてこれらの意味というのは、1つ1つが独立しているモノではなく、絡み合って同時に存在しているワケで、その全ての意味があるからこそ、こんなにも長く、誇張無く世界一長く続いている天皇・皇帝・王として存在しているのです。
 
 1つの連続した男系王朝である意味も、ここの「重み」というのは重要です。
 例えばやえがイキナリ王を名乗ったところで、それのどこに重みがあるというのでしょうか。
 ルールに則った上で長く続いているからこそ人間は重みを感じるのです。
 それはいくら机上で議論したとしても、現実社会では天皇以外でもこういう実例はいくらでもあるのですから、それを無視するコトは出来ません。
 結局人間のための制度なのですからね。
 
 ですからやえはむしろ思うのです。
 こういうコトをシッカリと考えていない人が、なぜ皇統問題を語れるのですかと。
 天皇という存在についてまともに考えていない人が、なにをもって皇統問題を語っているのでしょうかと、やえには理解出来ません。
 皇統問題を語るのであれば、こういうコトをしっかりと踏まえた上で理解した上で語って欲しいと切に願います。