個人崇拝はむしろ危険

 ごめんなさい、この前で皇統問題は一段落にすると言ったのですが、いただいたコメントにレスを書いたら、1回の更新ぐらいの分量、いやそれ以上になってしまいましたので、本更新に使わさせてもらうコトにします。
 決して、1回分の更新が助かったぜへっへっへ、なんて思ってませんよ(笑)
 また内容的にも、ちょうど語り切れていない部分を補える内容になったので、ぜひ多くの人に読んでもらいたいと思ったからです。
 ぜひ読んで下さい。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルやえです。
 おはろーございます。
 
 いただいたコメントを、読みやすいように部分部分に引用しますね。
 

 私は天皇家が日本人の精神的支柱だとは思いますが
 男系でなければ駄目だと言うのは分かりません。
 天皇家が続くことが一番重要だと思ってます。
  
 そりゃ男系で今まで続いてきたんだしこれからもそれで続けて行ければ
 一番良いんでしょうね。
 でも旧宮家復活と女系容認て相反するんですかね。
 どっちも平行してやれば良いと思うんですが。

 
 なんですが、なぜ男系=神武天皇家でなければならないかは、何度も何度も説明しています。
 この書き方だと該当部分を読んでいないとしか読み取れないのですが、申し訳ないですがまず先にやえのコメントしていただくならやえの本文を読んでからにして下さい。
 
 その上で1つ指摘しておきますと、「天皇家が続くことが一番重要だと思ってます。」という言い方はデタラメになっています。
 男系以外の人が天皇に即位すると、それは「今までの天皇家が続く」とは言えません。
 ここでは「神武天皇家」とは書いていませんが、しかし「続く」という表現は間違いであり、ここが一番の誤魔化しの部分です。
 そうやって、女系でもさも今まで通りの神武天皇家が続くかのような言い方は誤魔化しであり嘘であり卑怯だからやめてくださいと何度も本文で言っています。
 もう一度言いますが、まず先に読んで下さい。
 男系以外の人が天皇に即位すると、天皇家は続きません。
 断絶します。
 シナ大陸に出来てきた国家で例えるなら、漢王朝から晋王朝に変わるのと同じ意味合いを持ちます。
 どちらも同じ皇帝という役職に就く人間がトップとして君臨していますが、これをもって「皇帝家が続く」とは言いません。
 この事実は誰にも変えられない事実です。
 ちゃんと事実を理解して下さい。
 

 男系が駄目だった場合の保険として女系も容認しておくべきだと考えています。

 
 よってこれは「保険」たり得ません。
 もし漢王朝の時に「保険として新しい皇帝候補を用意しておこう」と言ったら、まぁ普通なら謀反人として死罪になるでしょうね。
 いまは当時とは違いますから死罪はともかくとしても、でもそれぐらい全く「別次元のお話」なのです。
 ここを誤魔化そうとしないで下さい。
 保険と言うと、さも女系でも神武天皇家が続くかのような言い方に聞こえますが、それは全くのデタラメです。
 事実と反します。
 そのような言い方は誤魔化しであり嘘であり卑怯だからやめてくださいと何度も本文で言っています。
 

 天皇はそのお人柄、そのお心のすばらしさを崇拝されるものだと思ってましたが男系絶対のかたがたは違うのですね。

 
 アナタがどう思うかは勝手ですが、やえは別に天皇という存在の個人の部分について崇拝はしていませんね。
 敬愛すべきに値するお方だとは思っていますが。
 これは女系容認派の小林よしりん先生もおっしゃっていますが、天皇は個人崇拝すべき対象の存在ではありません。
 過去を遡ればとんでもない天皇もいらっしゃいますが、それでも天皇は天皇です。
 繰り返しますがアナタ個人が今上を個人崇拝しているのは勝手ですが、今上の個人の資質に関わる部分を崇拝するのと、天皇という存在が尊いのとは全く別の問題です。
 仮に個人としてはとんでもない天皇で、アナタが崇拝に値しないと判断されても、しかし天皇としておわす以上は尊い存在であるのは変わりありません。
 個人崇拝と、天皇という存在の話をごっちゃにするのは感心しませんね。
 
 そして今回のお話は、個人的感情である崇拝などというものは全く関係がありません。
 言ってみれば、やえが今上帝個人を崇拝しているかどうかというのは、今回の皇統問題とはまるで関係がないんですね。
 日本の歴史と共に歩んできた神武天皇家は日本そのものであるからこそ尊い部分が大であり、その部分について神武天皇家の天皇でなければならないのであって、だからこそ日本と共に歩んできた日本そのものである神武天皇家としての天皇を存続させなければならないと言っているのです。
 日本に切り離された天皇には価値がなく、日本と共に歩んできたからこそ天皇は尊いのです。
 
 もし今上のお人柄が素晴らしく崇拝しているから意味があるんだと言うのであれば、じゃあ多くの人が個人崇拝できる人物であれば誰だった良いというコトになってしまいかねません。
 誰でもいいから崇拝出来る人物に天皇になってもらえればそれでいいというコトなんですからね。
 危険です。
 大変危険な思想です。
 本来神武天皇家としての天皇とは、一時の感情だけでどうにかできるような危険性を排除した制度を採っており、だからこそ世界で最も長く続いている王(皇)家であるのであって、アナタのように今現在生きている人間だけの個人的感情だけで天皇の価値を決めると言い出したら、これはもう本当に、シナですね。
 シナの説明しましたよね?
 その時その一瞬にたまたま最も武力を持っている人が「天に選ばれた」と勝手に主張するコトで皇帝になれると考えたのが「易姓革命」です。
 アナタの個人崇拝主義は「易姓革命」の元です。
 むしろ日本の天皇という存在を作ってきた考え方とは真反対の考え方です。
 アナタの考え方は日本にとって大変に危険です。
 おそらくそんな自覚はなく個人崇拝されているのでしょうけど、申し訳ないですがその考え方は日本を危機にさらす考え方ですから、改めていただければ幸いです。
 
 今上も先帝も大正帝も明治帝も孝明天皇もその前も、まず日本と共に歩んできた神武天皇家に連なる天皇として即位されたから尊いのです。
 まずここが出発点です。
 その上で、天皇の個人としての資質として、国民皆に愛される性格や能力をお持ちであればなお良いコトではありますが、しかしそれは天皇に即位する条件ではありませんし、天皇が尊い存在である条件でもありません。
 ここを勘違いしないようにしましょう。
 天皇は、むしろ個人の資質に寄らない形での継承をしてきたとも言える存在です。
 個人の資質だけを条件にしては易姓革命が起きてしまうからです。
 易姓革命が起こらないようにしてきたのが日本であり天皇なのです。
 ここの歴史的な部分をよくよく見直して踏まえて考えてください。
 

 やえさんは天皇それ自体を崇拝するのではないのですね。
 神武天皇家でなければ駄目だと。

 
 ですので、この理屈が通るのであれば、皇帝という位に就けば漢王朝でも晋王朝でも元王朝でも誰でもいいという意味になりますから、答えは「それ自体を崇拝しているワケではありません」です。
 やえは天皇という位だけを見てそれ自体を崇拝などしていません。
 やえが敬愛しているのは、日本と共に歩んできた日本そのものである天皇です。
 つまり天皇を敬愛するというコトは、日本を愛しているというコトです。
 アナタの言い方では、どこの国でもいいから天皇を名乗れば個人崇拝するという言い方になり、それは大変危険な思想だというコトを指摘しておきます。
 やえは日本と共に歩んできた、日本そのものである天皇、すなわち神武天皇家としての天皇を敬愛しているのです。