外交チャンネルの重要さ

 外交チャンネルが全くなくなってしまうという状態は、ジョンイルが死ぬ前の日朝関係のような状態のコトです。
 
 なにも動きません。
 もちろん日本と北朝鮮は国交がない関係ですから、もともとそのチャンネルは凄く少ないせいでこうなったというのはあります。
 ただこれは1つの例としては非常に分かりやすい例です。
 外国に勝手に上陸して、まして人間をさらって連れて帰ったなんて、誰がどう見ても北朝鮮が悪であるワケですが、しかし国家が違う、自国の公権力が及ばない国や地域と交渉するってコトは、人間の普遍的な善悪よりもさりに上位の力が働くというコトであり、そして全ては「外交」にかかっているというコトになってしまうコトです。
 ですから、コトの善悪よりも外交チャンネルの方が重要になってしまうというのは、これはもう事実として受け止めなければならないんですね。
 そして外交チャンネルがなければ、相手に善悪すら伝えるコトは出来ないのです。
 腑に落ちないかもしれませんが、それが今の世界の世の中なのです。
 
 もしそれ以上を望むのであれば、つまり外交チャンネルを無視してでも自分の言い分を聞かせたいのであれば、それはあとは戦争しかありません。
 戦争は外交の一種であるワケで、戦争はこういうチャンネル外交の延長線上にあるワケですね。
 
 国交が生まれればそのチャンネルの種類と数は大きくなります。
 政府の正式なチャンネルから、公務員が主導しているけど非公式なモノから、民間交流というモノから、時には官民問わず非合法的なチャンネルもあるでしょう。
 外交とはこれらの存在するチャンネルを、時と場合を見極めて、どれをどのように使うか、です。
 そしてなにより、結論が1つであってもその伝え方やニュアンスはチャンネルによって当然違います。
 
 例えば政府の公式な一番公的なチャンネルで言えば、それは国家の正式な態度と同じ言い方で伝えなければなりません。
 というか、その場で言ったコトが国家を代表する発言となるのですから、当然と言えば当然です。
 ですからまかり間違って一番公的なチャンネルで例えば「もう拉致被害者はどうでもいいから、核ミサイルの話は聞いてくれ」なんて言えないワケです。
 あってはならないコトです。
 ただし、別のチャンネルも馬鹿正直に全部公式チャンネルと同じ言い方をするっていうのは、これはただの外交下手です。
 交渉とは決して自分の都合を押しつけるだけの、自分の言いたいコトを言うだけのモノではありません。
 それは私人間やビジネス上でも同じですよね。
 自分の都合だけ言っては相手との交渉にはなりませんし、ゴール地点である合意契約にもなりません。
 一番上の最終的な公的なチャンネルでの合意に至るまでには、様々な段階やチャンネルで、それこそ人に言えないような内容での交渉があるのです。
 あって当然なのです。
 外交とは、いえ、交渉とはそういうモノなのです。
 
 ですから、小泉さんが訪朝する前からずっと拉致問題を取り上げてきた身としては残念ですが、ここ数年拉致問題が一向に前進しないのは、全てこのチャンネルが断絶してしまったせいです。
 そしてなによりチャンネルが断絶したのは、日本が公的な交渉事しか言わなかったせいです。
 つまり善悪だけを根拠とした、全ての日本人の返還ですね。
 そして日本はそんな態度だからこそ北朝鮮は結果的にはチャンネルを断絶してしまい、結果的には0点の一切の進歩なしだったのです。
 
 勘違いしないで下さい。
 日本としての公的な立場がそれでダメだという意味ではありません。
 そうではなくて、表向きは表向きのコトを言わなければなりませんが、反面馬鹿正直に全ての面でそう言うのは交渉としては下の下だというコトです。
 そんなのは解決する気が無いと言っても過言ではありません。
 日朝関係の場合は日朝のチャンネルが極端に少ないからという理由も大きいワケですが、しかしチャンネルが断絶してしまっては日本は日本の要求すら伝えるコトが出来なくなるという事実を確認する必要があるってコトです。
 もっと言えば、裏ではもっとえげつない交渉があってもしかるべきなのです。
 でも表も裏も一辺倒に“強行的”な発言しなかったらどうなるか、ここは是非とも現実的に考えなければなりません。
 
 対中外交ではさらにそれは明らかです。
 日中関係は日朝関係と違って歴史がありますし、何より正式に国交を結んでいる国です。
 表から裏から闇まで、さまざまな外交チャンネルがあるコトでしょう。
 こういう全ての意味を含めての「外交」です。
 こういう外交をする上においては、馬鹿正直に表だけを指して「こう言わない奴はダメだ」なんて言うのは、本当に愚かなコトとしか言いようがないでしょう。
 確かに尖閣諸島は日本の領土であって、一義的には日本が何しようが勝手です。
 日本の都合だけで何をしても当然の権利というのが公式な態度です。
 しかしそれと、日中外交交渉の様々なチャンネルにおいては全てそうだと言うのは違います。
 これは外交に限らず、例えばその人にとって全く権限のない部分のお話であっても、事前に話を通しておくコトで結果的に全体として円滑なコミュニケーションが図れるようになるっていうのは、国家対国家だけでなく、個人対個人の間でもよくあるコトでしょう。
 非公式なお話なので本当がどうかを断定するコトは出来ませんが、中国や韓国の外交役人レベルでは、頼むから矛を収めてくれと土下座してきているっていう裏話も漏れ聞こえてきます。
 こういうコトも含めて外交なのです。
 公式的には公式な発言をするのが当然ですが、それは裏までも一辺倒でなければならないという意味ではないのです。
 
 結局チャンネルが断絶したらどうなってしまうかというコトをよくよく考えてほしいのです。
 もしですね、公式の日本の立場だけを、もっと言えばプライドだけを満足させるタメに日本の強行的な主張を一方的だけにすればいいんだ、実質的な解決よりもプライドの方が大切だっていうなら、それはそれで1つの考え方でしょう。
 国民がそう望むのであれば、民主主義国家としてはもはや言うコトはありません。
 ただそれだと、拉致被害者やその家族の方々の望む問題の実質的な解決からは最も遠く離れるというコトも忘れてないでください。
 拉致問題も領土問題も、外交問題にもうなっています。
 どちらも人間の普遍的価値観、特に拉致問題はそうですね、人間の根源的な善悪で判断がつく問題ではありますが、それでも国家間の外交問題に現実的にはなっている以上は、それだけではない問題として考えなければなりません。
 
 外交は難しい政治問題です。
 相手があるコトであり、多くの場合その相手との利害は相反するからです。
 その中で成さねばならないコト、主張しなければならないコト、出さなければならない結果、全てが重なり合って存在するのが外交です。
 だからこそ、一面的な部分だけをもって「こうしなければならない」「その方法は国を売るコトだ」なんて言ってしまうのは、外交を失敗しろと言っているようなモノなのです。
 言わば時に自国を売るようなコトを裏では言うコトこそが外交交渉とも言えるのですからね。
 民間のビジネスの時の交渉事だって、ギリギリの場面ではギリギリのコトは言うモノですよ。
 それはキチンと理解しなければならないでしょう。
 
 表と裏は使い分けなければなりません。
 もしかしたら日本人はそれが苦手なのかもしれませんが、でも本音と建前を使い分けるのはむしろ得意とかも言いますよね、そういうコトが必要な場面もあるってコトは、原理主義に陥らないよう気をつけなければならないと思います。