国のあり方があってこそ制度を作るべき 2

2013年3月27日

 では選挙制度、特に一票の格差問題に関する頂いたコメントへのレスです。
 今日はこちらのコメントです。
 

 参議院議員は何時から「県の代表」になったんだか?
 各県に1人の代表が居ないと問題みたいに言うけど、そんなコト言い出したら国会議員の居ない市は?居ない町は?
 「島根県とかは衆議院の区が2区しかないから」なんてのも愚かだね。2区を1区にして困るなら、鳥取の区と合わせたら参議院と違ってくるよ。
 だいたい、旧態依然の発想に拘るから増員しか思いつかないのだよ。
 例えば「地区で選挙区にする」のではなく、投票者の「年齢」で代表を選らぶとか、性別で選ぶってのも良いかもしれない。
 国会での1議員1票をやめて、当選した議員の有権者数を与えるって方法もある。
 因みに、これらの案は全て「憲法に反さない」から国会で法律作れば実現できるものばかり。
 まぁ、ここのブログ主は、橋下徹のような従来の枠をはみ出す人間を徹底的に忌避する既得権の権化だから、新たな発想なんて出てこないのも仕方ないけどね。

 
 いいですね、こういう分かりやすいコメントは問題点がハッキリしますから。
 コメントありがとーございまーす。
 
 で、いきなり申し訳ないのですが、残念ながらこのご意見はマスコミの煽動に見事にハマってしまっている意見だと言うしかありません。
 まずですね、一票の格差問題の更新の時にも言いましたように、日本の国会議員って他国に比べたら最も少ない部類に入るんですよ。
 先進諸国を調べると、日本はアメリカに次いで2番目に議員数が少ない国でした。
 ですからまずはですね、そもそも減らすコトが適切なのかどうかを考えなければなりません。
 減らす方が無理があり、増やす方が適切なら、当然増やすコトを念頭に置くというのは当然のコトでしょう。
 まず、ではなぜ減らすのか、というところを明確にしてもらいたいところです。
 
 また、都道府県というモノは公的な制度で区切りがなされているモノであり、例えば知事の権限なんて最も分かりやすい境界線ですよね、広島県知事が山口県の中の物事を決める権限なんてないワケで、このように現行制度ではこの都道府県境というモノはひとつハッキリとした境として存在しているのですから、ではその上で一票の格差をどうするかと言えば、議員定数を減らす理由もいまいちハッキリしない中でどうしても一票の格差が悪だと言うなら、まずは議員定数を増やすコトの方が合理的だと考えるのが極々自然な発想でしょう。
 なぜ先に制度を壊すコトを考えようとするのでしょうか。
 それはおそらく、議員定数削減が正義という固定概念に囚われてしまっているからでしょう。
 いまの日本マスコミは、理屈も論拠もすっ飛ばして、とにかく議員定数を削減するのが正義だと喧伝してしまっているから、その手法が見えなくなっているだけなのです。
 大前提として「議員定数を減らす」というマスコミ煽動の固定概念が頭にこびりついているから、そこから抜け出せずに柔軟な発想ができていないと、そう指摘するしかありません。
 
 前回のお話の続きになりますが、日本という国は、地方色豊かだからこそ、地方の変化が常に絡み合ってきたからこそ、前進し進化してきた国家です。
 様々な地方の特色があるからこそ、日本は多様な文化と風土があり、それがひとつに集まって国力となっているのです。
 最も分かりやすいのは明治維新でしょう。
 各地方の様々な土壌から産まれた考え方が、京や江戸で様々に絡み合い、時にはそれが流血ともなりましたが、それがあったからこそ大きな変化をもたらし、明治維新という世界でも例を見ない大改革をやり遂げたのです。
 このように日本は地方の特色があるからこそ、素晴らしい国なんだと思っています。
 
 日本において「区分け」を考えるのであれば、まずこういう歴史や文化などのバックボーンを元に考える必要があります。
 これはやえの地方分権論のところで述べているところなんですが、もし日本を本当に地方分権にするなら藩政以前の時代の区分に戻すべきなんですね。
 なぜなら、その区分こそが地方の特色や文化や伝統の境界線になっているからです。
 やえは広島生まれですからよく分かるのですが、現在の広島県という区分けにしても、広島市と西にある県内の福山市とでは、文化が全然違うんです。
 方言も違います。
 結局それは、安芸国と備後国とで昔は分かれていたからなんですね。
 これはおそらく多くの人が自分の生まれた地域のコトで実感できるコトなのではないでしょうか。
 東京だって、下町生まれの人は、そういう差というモノを感じたコトがあると思います。
 ですから「その地方の特色に合わせた政治を実現するため」に地方分権するのであれば、東北州とか中国州とか大きい区分にするのではなく、むしろ藩政の小さな区分に分けるべきなのです。
 
 ですから鳥取と島根を合わせた選挙区にしろというご意見も、それは結局「議員定数削減が正義」というマスコミ煽動思想でしかないと言わざるを得ません。
 そんな、ただ単に数合わせでしかない人工的な区分けは、日本の文化に根付いている考え方ではありませんし、むしろ日本の歴史を作っていく中においてますます地方の文化を殺していくような制度としか言いようがなく、やえは賛成できません。
 数学的に人工的に、人間の数を綺麗に割った数字で判断して選挙制度を考える、文化も歴史も伝統も何も考えないような無機質思想な発想であれば、もはや都道府県境も文化的な境も何も取っ払ってしまえと言えるのでしょう。
 それはもちろんやろうと思えば可能ですよ。
 日本の戸籍はかなり正確ですから、ほぼ倍率1にするコトは可能でしょう。
 けど、それが日本のためになるとはやえは全く思わないのです。
 ただでさえ人口の問題で「地域の文化と伝統と歴史」の代表者がおおざっぱになっていく中で、さらに県境すら無視するかのような制度は、むしろ文化破壊論にしかならないのではないのでしょうか。
 地方分権だとか言って文化面を無視した大きな括りである州制にするなら、選挙の面においても、「地域に密着した政治」の面においても、もっと小さな区分けにすべきなのです。
 
 地方分権論のところでも散々言ってるのですが、どうして行政区分を大きくするコトが地方分権になるのでしょうか。
 やえには全く理解ができないのです。
 そしてこの問題もそうです。
 もはや議員定数は削減する一方なのが正義と、なぜか論拠もまともな議論も行われていないのに、固定概念として正義化してしまっています。
 でもそれは、所詮はマスコミの煽動に過ぎないのです。
 ここのところをよく考えて貰いたいです。
 マスコミ煽動の固定概念に囚われるのではなく、その目的を達成するためにはどの手段を用いるのが最も良いのか、よくよく考えてほしいところです。