短絡的なのは手段の目的化

 右も左も安易な意見っていうのは、たいてい手段と目的を間違えていたりします。
 もっと言えば、手段を目的化してしまっている意見です。
 これ色んなところで見られる形ですが、例えば最近やえが特に感じたのが、例のユネスコの記憶遺産に軟禁問題が登録されたコトに対する外務大臣の反応への安易な噛み付きです。
 
 世界記憶遺産 岸田外相、ユネスコ分担金の支払い停止は慎重に
 
 そもそも岸田外相は「支払い停止は慎重に」なんて一言も言っていないんですが、キチンと岸田外相の発言を読めば、当たり前のコトしか言っていないのが分かります。
 

 「今後、政府として、拠出金の支払い停止など、あらゆる可能性を検討しなければならないが、
ユネスコに対する日本の影響力は、しっかりと確保していかなければならない」

 
 つまり、日本がユネスコにどう影響力を発揮するのかが大切なのであって、そのための手段はどういうモノがあるのかを、あらゆる可能性を検討するって言っているワケですよね。
 その通りじゃないですか。
 この場合、目的は「ユネスコへの影響力発揮」です。
 間違えてはならないのが、「拠出金支払い停止」は目的ではありません。
 それはあらゆる可能性の1つでしかないワケで、もっと言えば、もしそれで影響力の発揮に繋がらないのであれば取るべきではない手段だってコトです。
 実際この手段の効果はどうなのかは、これから政府が検討して、最終的には安倍総理が決定するのでしょうけど、繰り返しますがここで大切なのは、支払い停止がしたいからするワケではない、支払い停止が目的ではないというコトです。
 
 でもネットを始めとした短絡的な反応というのは、手段と目的をよくはき違えます。
 手段を達成するコトだけに目を向け、それに否定的な人を敵と見なして攻撃的な言葉を浴びせかける、こういう構図、よく見ます。
 例えばユネスコの件は主に右向きな短絡思考ですが、左向きで言えば「アベ政治を許さない」的な主張なんていうモノは、その最たるモノでしょう。
 安倍総理を総理の座から引きずり下ろすのは、こんなの目的にしてどうするんですかと。
 本来はこれは手段のハズなんですよね。
 「○○という政策に反対だから、安倍総理に反対する」という意味でなら、まぁ選挙のある民主主義としては正しいのでしょうけど、打倒安倍総理だけを目的にしてどうするんですかと。
 それを目的化した瞬間に民主主義を否定するコトになるワケで、これこそ手段と目的をはき違えている最たる例と言えるでしょう。
 
 単に溜飲を下げるだけのために批判をしてはいないでしょうか。
 自分が気に入らないからこうしてしまえ、は政治ではありません。
 右も左も、手段を目的化してしまえば、ただの同じ穴の狢というコトを理解して欲しいと思います。