批判のタメの批判にしかなっていない

 今日はこちらのニュースです。
 

 4・28式典 知事出席は19都県
 
 サンフランシスコ講和条約発効から61年となることし4月28日に政府主催で開かれる「主権回復の日」の記念式典について、沖縄県を除く46都道府県知事のうち、本人が出席するのは19人にとどまることが沖縄タイムスが実施した緊急アンケートで分かった。
 
 「主権回復の日」の政府式典をめぐっては沖縄では逆に奄美群島、小笠原諸島と共に日本から切り離され米軍統治下に置かれた「屈辱の日」で、県議会野党・中立会派を中心に「4・28政府式典に抗議する沖縄大会」の開催を決めるなど県内で反発が広がっている。
 仲井真弘多知事は条約発効が米軍統治につながったことや、その後の27年間の異民族支配を経験した多くの県民感情に配慮し、高良倉吉副知事を代理出席させる。

 
 最近どうしても沖縄に関する報道には首をかしげざるを得ないモノが多いのですが、正直言いまして、沖縄は何がしてほしいのか、どうしてほしいのかと言いたくなってしまいます。
 もちろん「沖縄の声」とひとことで言っても、たったひとつの意見だけをもって象徴している意見だと言えるようなモノはないのでしょうし、よく沖縄の新聞社は極左過ぎて民意からかけ離れているとか言われるところですから、沖縄のメディアの意見が県民の総意だとは思いませんが、ただそれにしてもちょっとひどすぎるモノが少なくありません。
 また曲がりなりにも知事の発言は県民を代表してのモノと言えるモノですから、そこから推察する場合にしても、「だから結局どうしたいんですかっ」って言いたくなってしまうモノが多々あるというのが正直なところです。
 
 さてこの件ですが、ハッキリ言えば「被害者意識すぎ」と言いたいです。
 確かに4月28日は沖縄からすれば「主権回復の日」ではないでしょう。
 それはそうです。
 でも、それをもって「屈辱の日」と言うのは言い過ぎですよ。
 沖縄に対しては苦労はかけたと思います。
 日本として日本人としてアメリカと戦い、その結果として27年間アメリカの占領下に置かれたままになってしまったコトについては、他の都道府県に比べれば苦労はかけたと思います。
 しかしそれを「切り離された」とか被害者のように言うのは違うでしょう。
 日本政府は沖縄を見放したワケでは決してなく、いつでも沖縄返還を求めてずっと努力をしてきて、そして実際に沖縄は日本に戻ってきたのです。
 さも日本政府が沖縄を献上してその見返りとして主権を回復したとか言わんばかりの言い方というのは、さすがにちょっと陰謀論すぎますし、被害者妄想的と言わざるを得ません。
 
 物事は考え方によって捉え方も全然変わってきます。
 「異民族支配を経験した」なんて記事には書いてますが、支配を受けるってコト自体は絶対悪ではありません。
 そもそも沖縄は江戸時代以前は琉球の国として、シナ大陸の国と日本と両方ともに朝貢をしていた「異民族支配を受けていた土地」です。
 しかしそれは果たして沖縄県民にとって「屈辱の歴史」なのでしょうか。
 やえはそういうトーンでのお話は聞いたコトはありません。
 もちろんアメリカ占領下時代が圧政に次ぐ圧政で、北朝鮮かのような支配を受けていたのであればそのように表現してもいいのでしょうけど、多分事実はそうではありませんよね。
 だから沖縄としても、ここのところはハッキリした方がよいでしょう。
 確かに27年間は日本とは切り離されました。
 苦労もかけたと思います。
 でもそれを屈辱だとか異民族支配だとかネガティブすぎる言い方というのは、むしろ事実ではないモノの見方になってしまっているのではないでしょうか。
 
 先の戦争では沖縄は激戦地になりましたが、しかしそれは沖縄だけではありません。
 地域によって戦争の爪痕の度合いは違いますが、だけど「沖縄だけが苦労した」と思われるのは間違いです。
 広島は地獄にされました。
 長崎もそうです。
 東京は焼け野原になりました。
 地域によって戦争に対する温度差はあろうかと思いますし、広島だって原爆のせいで戦後ちょっと変な感じになってしまっていますが、それでも沖縄「だけ」が苦労したワケではありませんし、その中から必死に復興したのです。
 日本全体として戦争に負けて一時的にアメリカの占領下に置かれましたが、その場合の目下の目標はとにかく日本政府の主権の回復であり、主権の回復をしなければ国対国の対等な交渉すらできないのですから、それを最優先にしたのはある種の当然の選択だったでしょう。
 沖縄県は苦労をかけた度合いは大きいですし、それなりの補償はあるべきですが、しかしその歴史というのは沖縄県民としては立派に戦ったというむしろ誇りにすべきコトであって、被害者意識のタネにはすべきではないと思うのです。
 自分達の犠牲のもとに日本が成り立った、とまで言うコトもないのかもしれませんが、必要以上にネガティブになる必要は全くないでしょう。
 
 そもそも、怒る対象は日本政府では無いハズです。
 これは広島も同じコトが言えますが、非戦闘員を大量虐殺したのはアメリカですし、27年間も支配下に置いたのもアメリカです。
 怒るなら対象はアメリカです。
 日本政府がいつも万全に100%正しいコトを行ってきたとは言いませんが、それでも主体者はアメリカなのですから「異民族支配」なんて言うなら、その矛先はどう考えてもアメリカでしょう。
 このねじれがどうしても「批判のタメの批判」になってはないだろうかと思わざるを得ないのです。
 
 沖縄、特に沖縄のメディアは常日頃からかなり極左的、もっと言えば反日的な向きが強いですが、しかしそれは「異民族支配を経験した」という言い方とは矛盾します。
 アメリカ支配が屈辱的と感じるのであれば、つまり日本が好きで好きでたまらないハズですよね。
 日本が好きだからこそアメリカ支配が屈辱的と感じるワケなのですからね。
 でも沖縄のメディアは、時に独立すべきとか言い出してしまうぐらいの反日感情を煽ったりするワケですが、やっぱりこれは矛盾です。
 こういう姿勢も「批判のタメの批判」と感じざるを得ないところなのです。
 
 日本政府の主権が回復したのは事実としてこの日です。
 沖縄が日本に復帰した日とはもちろん違いますが、主権回復の日であるコトには変わりありません。
 沖縄はいまは日本なのですから、「主権回復の日」という事実に、必要以上にかみつく必要はないでしょう。
 そういう姿勢は、日本を混乱させるだけで百害あって一利無しだと思います。