地震に関する報道に違和感

 先日、淡路島で震度6というかなり強い地震がありました。
 さきほども三宅島当たりで5強の地震があったようです。
 にも関わらず被害はそれほど大きなモノはなかったようでよかったと言えばよかったのですが、改めて地震に強い日本を再確認した思いです。
 
 さてところで、やえは最近どうも地震に関する報道に違和感を覚えます。
 速報のコトではありません。
 地震の後にテレビとかで盛んに伝える「これはどこのプレート」だとか、「東日本大震災の余震」だとか、「将来の大地震の前触れ」だとか、その手の報道です。
 確かに地震は例を挙げるコトまでもなく大変広範囲に大規模に被害をもたらしますし、命に直結しますからこわいと思いますし、避けられるのであれば避けたいと思いますので、そういう情報に敏感になるのは分かります。
 だから、特に大きな地震があった直後はさらに敏感になりますから、視聴率を稼ぐためにはそういう番組作りをするのでしょうけど、でもそれって果たして本当に「実のある報道」になっているのかどうかという点で、やえは大変に疑問に思うのです。
 
 結局のところ、現在の科学力では地震を完全に予知は出来ません。
 精度もかなりあいまいで、それは地球というモノが何億年という単位で“生きている”のに対して人間の寿命が80年そこらでしかないですから、地球にとっての一年と人間にとっての一年に物凄い差がありますから、その辺から仕方ないと言えば仕方ないコトではあります。
 しかし仕方ないのは仕方ないにしても、それでは人間の役にはあまり立たないというのも確かなワケです。
 もちろん今後科学が発達してもっと余地の精度が上がる可能性は十分にありますから、研究は今後もずっと続けていくべきだと思います。
 だけど、それはそれとして、現在はあまり一般の人間の生活においては有効ではないという事実はキチンと踏まえるべきです。
 
 ここなんですよ。
 地震研究はまだまだ発展途上、いえ始まったばかりと言える学問ですから、結局テレビなんかが伝える学問的内容も最後には「研究者によっては別の見方がある」とか「それとは違い意見もある」とか、そういうまったく断定できない言い方でしか伝えられないのです。
 そうなれば、そんなの地学的な知識もそんなにない一般人に伝えてどうするんだっていうコトになるのです。
 おとといのテレビでは「東日本大震災の余震の可能性がある」とか言ってたくせに、昨日は「東日本大震災には関係なく、新たな大地震の予兆の可能性がある」なんてコトを、同じ番組で言ってましたからね。
 こんなの、いたづらに無用な不安をかき立てるだけにしかならないじゃないですか。
 まして本当に大地震の予兆だったとしても、その本震がいつ来るのかなんていうのは、年単位ですら分からないのです。
 こんな報道に何の意味があるというのでしょうか。
 
 地震への意識を高める意味はある、という意見もあろうかと思います。
 しかしよくよく考えてみて下さい。
 このような行為は言わば「デマによる煽動」と呼べるシロモノなのです。
 不確かな、実際には使用不可能な情報を、あたかもすぐにでもやってくるような言い方をして危機感を煽るというような行為は、まさしく煽動以外何者でもありません。
 ましてこれらの不確かな情報は、地震への危機感だけではなく、別の事象にも影響を与えてしまいます。
 原発なんかはその最たるモノですよね。
 正しい情報による可否は当然ですが、ただの思い込みや感情論だけで国益に直結する政策に口を出すのは不適切です。
 地震への意識を高めるなら高めるで、正しい知識の元にすればいいだけです。
 そんなの東日本大震災を教訓にすれば、では現段階での日本の科学力ではどう対処しておけばいいのかというのは、おのずと分かるコトでしょう。
 個人レベルでできるコトは、せいぜい非常食などのグッツを用意しておくコトや家族との連絡先・避難先を決めておくコトぐらいでしょう。
 そしてこれら以外にも出来るコトがあれば、それこそ専門家が正しい知識を一般人に広めてほしいワケであって、しかし決してデマをもって必要以上に人に不安感を植え付けていいというモノではありません。
 危機に対して最も必要なのは「冷静な判断力」なのですからね。
 
 地震の専門家は、いまは不確かなコトしか言えないのでしょうからそれはそれで仕方ありませんし、これからも研究を続けほしいですし、それは必要なコトですが、それらをほぼ専門知識の無い一般人にどう伝えるべきかというのは別の問題です。
 どうせマスコミは、センセーショナルな画面を映し出して視聴率を稼ぎたいだけなのでしょう。
 できるだけ派手に極端なコトを言った方が注目度が高くなるので、それを狙っているだけなのです。
 このような「愉快犯」に騙されないようにしましょう。