「想定できなかった」と「想定しなかった」はまったく別モノ
「想定外」という言葉があります。
これは主に「想定できなかった」という意味で使われます。
予想していた=予想できていた範囲を超えて起こった、という意味であり、この場合往々にして「仕方ない」というニュアンスが含まれます。
例えばもし明日山も何も無いところから火山が生まれて大噴火して日本全国最悪なコトになったとしたら、これは現代の科学を越えた出来事であり、「想定外」=「想定できなかったこと」であって、「仕方ない」=「誰も責められない」というコトになるでしょう。
「想定外」という言葉は、本来そう使うべき言葉です。
しかしこの言葉は時に言い訳に使われるコトがあります。
例えば東日本大震災です。
地震の規模もさるコトながら、大津波に対しても「想定外の出来事だった」と言う人は少なくありません。
そしてこの場合、「だから仕方なかったんだ」というニュアンスを多分に含めて言うワケです。
色々な立場の人が、です。
さらに「いつだって想定外のコトが起きるんだから、最悪の事態を想定して行動すべきだ」という極論の言い訳にも使われます。
こんなコトを言い出したら人間はどこにだって住めないのにも関わらずです。
だけど、ハッキリ言ってあの大津波も「想定外」ではありませんでした。
想定は出来たハズです。
あの大津波は、「想定外」=「想定できなかった」のではなく、「想定しなかった」だけなのです。
岩手県の小さな村を大津波から救った「石碑」海外でも話題
岩手県宮古市の姉吉地区にある、大津浪記念碑。東日本大震災が引き起こした大津波は、この石碑の50メートル手前で止まり、この地に暮らす11世帯34名の人々の命を救いました。この奇跡は、海外でも紹介され「魔法の石碑」として話題になっています。
78年前に建設された大きさ約1.5メートルのこの石碑には、先人から将来の世代への警告が刻まれており、これまでも津波の度に人々の命を救ってきました。
「魔法の」と言うと先人の苦労を軽んじている気がしてならないのですが、まぁそれはともかく、この石碑、当時かなり話題になりましたからご存じの方も多いかと思います。
つまりこのように、あれぐらいの大津波はすでに日本人は経験していたのです。
経験した上に、それを後世にこうやって残して警告までしているのです。
一度起きたコト、ましてそれが記録して残っているコトを指して、どう「想定できなかった」と言えるのでしょうか。
つまり東日本大震災と大津波は「想定しなかった」だけなのです。
想定しようと思えばできたのに、しなかったのです。
「想定外」ではなかったのです。
キチンと対処すれば出来たのです。
「できなかった」のと「しなかった」のはまったく意味が違います。
日本人にとってあの地震と大津波は、想像の範囲を大幅に超えた未知なる出来事なんてモノではなく、一度以上も経験している、想定すら必要としない、経験済みの出来事だったのです。
ですから、あの一連の災厄を「想定外」と言ってはなりません。
もしそう言ってしまえば、反省しなくなってしまい、次に繋がらなくなってしまうからです。
想定外のままにしておくと、次があっても想定外で終わってしまうからです。
この石碑だけでなく、ある村の村長さんが村民の反対を押し切って巨大堤防を作って村を救ったお話なんかも当時話題になりましたよね。
こちらに詳しくありますが、
それでも、和村幸徳村長は、一歩も譲らなかった。
1mたりとも防潮堤を低くすることを、頑(かたく)なに拒んだ。
必死で県に懇願し、最後には独断で、強引に反対派を押し切った。
なぜ、和村氏はそれほどまでに強い信念を持ち得たのか?
1933年、普代村は「昭和三陸地震」の津波により、600人以上の死傷者を出した。
当時の強烈な印象を、和村氏は回想録に記している。
「阿鼻叫喚とはこのことか。
堆積した土砂の中から死体を掘り起こしている所を見た時には、なんと申し上げてよいか、言葉も出なかった」
普代村の津波被害の歴史は、これだけにとどまらない。
1896年の「明治三陸地震」においても、1000人以上の犠牲が出ている。
過去の記録を遡れば、津波が15mに迫る現実があったのである。
だからこそ、和村氏は堤防、そして水門の高さを15mとして、ガンと譲らなかったのである。
と、やはり過去を教訓にしておられたのです。
この例ひとつとっても、「人類にとっての未知なる出来事」である「想定外」のコトではなく、単に「想定しなかった」「しようとしなかった」コトだと分かるでしょう。
反省すべき点はキチンと反省しなければなりません。
対策すべきところを対策すれば、被害は最小限で収まるのです。
そもそも先日起きたような震度5とか6とかの地震が起きても、日本では被害が極小で人的被害がゼロじゃないですか。
これはなぜかと言えば、キチッと対策しているからです。
世界一厳しい建築基準と、それを守る日本人の倫理観の高さが為し得ているのです。
日本人は当たり前になってしまっているので気付かないのかもしれませんが、これは「自然の驚異だって対策すれば被害をかなり小さく押さえられる」実証なのです。
想定しているからこそ対応をして、それを乗り越えている証拠なのです。
やれば出来るのです。
「想定外」と言ってしまって、言い訳に使ってしまって、仕方なかったと諦めてしまっていませんか?
地震のコト、津波のコト、そしてそれにまつわる原発など様々なコト、キチンと想定して対策していれば被害はもっと少なくなっていたのではないのでしょうか。
実際、地震も津波も原発も、それに耐えた場所もあるのです。
それなのにこれを「想定外」と言ってしまうのは現実逃避でしかないのでしょう。
「想定できなかったの」のではなく、「想定しなかった」のです。
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