事実を直視し、それを教訓にしてこそ歴史

 今日はこちらのコメントにレスさせていただきます。
 

 今さら仙谷のせいにしてもおそいんじゃないの?
 きっかけがどうあれ、既に尖閣に火はついたんだし、安倍がどうさばくかが問題だろ?
 それとも仙谷を友愛すれば尖閣は返ってくるとでも思ってるの?
 無駄な事にこだわってると大局を見失いますよ。

 
 やえのこの前のお話の主題は、仙谷官房長官や民主党をどうこうしろっていうお話ではありません。
 むしろ、ここの部分、主題の部分を読み違えてしまえば、このお話は180度意味合いが違ってしまうモノになってしまいます。
 ですから、なぜこの問題をいま考えなければならないのか、なぜやえは「歴史的な事実として繰り返して書き残しておきたい」と言っているのか考えてもらいたいと思います。
 
 これは「歴史的事実」なんですよ。
 もっと簡単に言えば、「歴史」なんですよ。
 ですから、まずもって「せいにする」とか「おそい」というのは、かなり的外れというか、関係の無いお話でしかないのです。
 仙谷官房長官の所行で尖閣諸島に関する諸問題が、領土問題になったり政治問題になったのは、これは事実であって誰にも否定できないコトです。
 つまり事実である以上は歴史であるワケです。
 では歴史とはどうあるべきなのか、我々はその歴史をどう使うべきなのかというところを考えいかなければなりません。
 
 例えば大東亜戦争。
 日清戦争や日露戦争は、終わりのコトも考えて、戦争後の交渉の闘いまで戦い抜いて奪い取った勝利だったのに、なぜ大東亜戦争は終わりなき戦いに突入してしまったのか、こういう検証をしなければならないワケですが、その前に、果たしてなんのために検証をするのかという点はまず抑えておかなければなりません。
 それは決して「○○が悪かった。こいつがいたから戦争が起きた。全ては○○のせいだ」と、悪玉を仕立て上げて、自分の責任が無いコトを証明するために、他人に責任を押しつけるために検証するワケではありません。
 なぜ歴史を検証するのかと言えば、同じ悲劇を二度と繰り返さないためです。
 歴史を検証し、よりよい方法があったんじゃないかと、違う道もあったんじゃないかと、当時は気づけなかった点でも、後から冷静に第三者的な視点で見るコトによって、また同じような状況になった時に今度は良い方向に進めるよう、そのために検証するのです。
 大東亜戦争、結果的に日本は負けたのですから、結果は悪い方向でした。
 ですから本来ならキチンと検証して、誰が悪かったとかではなく、「なぜ悪かったのか」を考えて、「ではどうすべきだったのか」を探していかなければならないのです。
 どうも大東亜戦争に関しては冷静な視点が持てずに歴史を直視できない人が多いようですが、本来はこういう見方で歴史を振り返らなければならないのです。
 
 よって、「仙谷を友愛すれば尖閣は返ってくるとでも思ってるの?」という視点は、むしろやえの前回更新の主題とは正反対にしか解釈していない上でのご意見でしかありません。
 やえはそんなコトは一切言ってません。
 もしこんな視点でこの問題を語ってしまえば、むしろ歴史を振り返るというコトにはなっておらず、ただ単に仙谷官房長官という生け贄を仕立て上げただけで終わりになってしまいます。
 これでは歴史は再び繰り返してしまうでしょう。
 やえは前回の更新の最後にこう書いています。
 
 「そしてそれはなにより、現在では考えも付かないようなコトが、ひとつの外交的失敗で大問題に発展して、未来に大きな負債になってしまうコトもあり得るというコトなのです」
 
 「仙谷のせいだ。あいつに罰を与えるべきだ」と言うだけでは、この問題はそれで終わりになってしまいます。
 そうではなく、まず歴史的事実としてなぜそうなってしまったのかという点を「事実として確認」して、その上で「なぜそうなったのか」を検証して、今後同じようなコトにならないためにはどうすべきなのかを考えなければならないのです。
 
 残念ながら、この問題に限らず「仙谷のせいだ。あいつに罰を与えるべきだ」という見方で政治を捉える人が少なくありません。
 でもそれだと同じコトの繰り返しです。
 特に民主党政権時では失敗が数多かったワケですが、その責任を単に民主党やその議員だけに押しつけて、民主党の悪口を言えば自分には責任はないかのように言ってしまうだけでは、今度は民主党以外の政党に対して同じ失敗をしてしまうコトでしょう。
 それでは歴史を紡ぐ意味がありません。
 「仙谷を友愛すれば尖閣は返ってくるとでも思ってるの?」という視点はその通り「無駄な事」です。
 しかしやえが指摘しているコトは、そんな点ではないのです。
 繰り返しますが、歴史的事実を検証し振り返って教訓にするためです。
 そのためには、まず入り口として「原因」である「仙谷官房長官の所行」を「歴史的事実」として確認しなければならないのです。
 その上で、どう検証して、どう教訓とするのか、です。
 日本は民主主義国家であり、主権者は国民なのですから、国民こそがここをよくよく考えなければならないのです。