ナチスのやるコトなすコト全て否定しなければならないと言うのは歴史という価値観を持つ人間という存在の否定 定

 ナチスのやるコトなすコト全て否定しなければならないと言ってしまうのは、歴史という価値観を持つ人間という存在の否定です。
 ナチスの良い部分があればそれに学び、ナチスの悪い部分があれぱそれを教訓にしてこそ、それが歴史としての価値となり、人間としての成長の糧になるのです。
 そしてそこに必要なのは、事実を事実として見つめる努力です。
 まず事実を事実として受け止めなければ、それを学ぶのか、それとも教訓とするのかは判断出来ませんからね。
 
 そういった場合、ナチスが関わったコトを全て悪とする風潮、むしろ「悪としなければならない」と考える風潮というのは、歴史そのものを否定する考え方としか言いようがありません。
 事実として見た時に、それが悪なら悪でいいんですよ。
 それを教訓として繰り返さないよう努力すればいいんですから。
 例えばホロコーストです。
 民族浄化を目的とした非戦闘員の暴力を用いての大量虐殺は、当時の価値観からも現代の価値観からも到底容認できる行為ではありません。
 ですから、こういう「事実」を目の当たりにした上で、これを教訓として二度と繰り返させないように努力するというコトは、人間の歴史という面において必要なコトだと思います。
 
 しかし、ホロコーストの件だけを持ってナチスの全てを否定するコトはできません。
 いやこれだと語弊があるかもしれません。
 ホロコーストの件を持って「ナチスという組織」を悪だと認定するコトは構いません。
 ホロコーストというのはそれだけの大きな罪だと言うしかありませんから、それを行ったナチスは悪の組織だったコトは否定できません。
 しかし、ナチスという組織は悪だとしても、ナチスが行った行為の全てを歴史的に振り返った時に全否定できるかどうかというのは別の問題です。
 当時のナチス・ドイツは、それでも国家としての運営に成功し、最後は負けはしましたが一時はヨーロッパを席巻し世界と対等に戦ったのですから、やるコトなすコト全てが悪の行為ばかりでは決してそうはいかないでしょう。
 例えば北朝鮮のような失敗国家とは比べられないぐらいの国力の増強には成功したのですから、いまでもその手法としての学ぶべき点というのはあろうかと思います。
 こういうところまで否定して、「ナチスに関わるコトの全てを否定しなければお前は悪だ」と言ってしまうのは、タブーを作り出すコトにしかならず、歴史の否定であり、人間の否定とすら言えてしまうワケです。
 
 特に「民主主義の制度からナチスが生まれた」という点については、その是非も含めて多いに議論すべきコトです。
 ここから目を逸らしてはなりません。
 民主主義的に、民主主義の国家を運営するのであれば独裁者は決してそ許してはなりませんが、そうであるなら、なぜドイツはそうなってしまったのかという点については多いに検証し議論しなければなりません。
 まして「国民の大半が独裁者を望んだ」という完全に矛盾を孕んでしまう場合にはどう考えるべきなのか、ここは本当に真剣に考えなければならないところでしょう。
 しかしいまの「ナチスタブー化の空気」においては、この議論すら、というか議論するコトすら否定しなければならないと言わんばかりです。
 口に出すコトすら悪だと言わんばかりです。
 これは本当に愚かしい行為です。
 
 歴史を知り事実を踏まえてその議論をするコトと、「ナチスという組織」の評価は、まったく別の概念であり問題です。
 しかしここを同一視する人が多すぎるのです。
 これは本当に愚かしいです。
 昔、朝鮮半島をタブー化し、批判は絶対に許さない、褒めちぎるコトしか許さないと、これは国民の側からそのような空気を作ってタブー化した結果、果たして日本はどうなってしまったのか、拉致問題はどうなってしまったのか、韓国に対するいわゆる歴史問題はどうなってしまったのか等、もっと国民は自分達のコトとして、“自分達が蒔いたタネとして”考えるべきです。
 議論のタブー化は、対象がなんであれ決して許してはなりません。
 それは必ず自らの不利益という形で返ってきてしまうコトでしょう。
 
 いま多くの人が間違えているのが、「ナチスという組織の評価」と「ナチスが行ってきた行為への評価」を混同してしまっているコトです。
 そしてその結果として、「ナチスに関わるコトは全て悪と“しなければならない”」となってしまい、歴史をも踏みにじる、人間をすら否定してしまう考え方になってしまっているのです。
 歴史は学んだり教訓するタメのモノではないですか。
 それためには、事実を見るコトすら否定してはなにもならないではないですか。
 いま大騒ぎしている人達には、自分達の視点がいかにズレているのか、よくよく考えてもらいたいところです。