思想に合わないから規制、は思想弾圧-『はだしのゲン」閉架問題

 『はだしのゲン』閉架問題ですが、この問題、色々な問題がごちゃ混ぜに語られてしまっている部分がかなり多くあります。
 そしてそれをごちゃ混ぜなままに語ってしまっているので、騒ぎだけが大きくなって、本質が語られないままになってしまっているように見受けられます。
 ので、キチンと線を引いて考えてみましょう。
 
 まず、「エログロの問題」と「思想の問題」は、もうまったく別問題です。
 『はだしのゲン』で言えば、「首を切り落としたり強姦するシーンがあるから問題だ」と言うのと、「天皇を否定する発言があるから問題だ」と言うのとは、問題そのものが別次元ですね。
 そして今回の松江市教育委員会の閉架問題は、前者を理由とした問題です。
 ですからこれを期に後者の問題で併科の賛否を言うのは、これは便乗としている言論と言わざるを得ません。
 言うならば、「そんなコトは問題になってませんよ」っていうコトです。
 
 ただ困ったコトは、思想を理由に閉架は当然だと言う意見が少なくないってコトです。
 ちょっと意外でした。
 ですから、本来今回の問題はここは関係がないのですが、今日はこっちについて軽く触れておきます。
 結論から先に言えば、それは「思想弾圧」そのものですよ。
 
 「自分と考え方が合わないから存在自体を許さない」と言ってしまうのは、思想弾圧・言論弾圧です。
 よくこういう場合、「極端に偏ってるから問題だ」とさも自分は公平かのような言い方をする人が多いのですが、しかし偏っているかどうかなんていうのは所詮立ち位置の問題でしかなく、真反対の立ち位置から見れば偏っているように見えるかもしれませんけど、それと同じ思想でも近い位置から見れば全く偏っているとは言えない見方になるでしょう。
 偏っているかどうかなんていうのは、あくまで「相対論」でしかありません。
 そしてなにより、相対論だけを論拠には善悪を断言するコトはできないのです。
 「偏っているから悪」とは言えません。
 もしこの論拠の使い方が正しければ、一昔前のサヨク的な空気が支配する日本において、朝鮮半島に対しては讃美のみしか許さないとしていた空気の中では、「韓国は日本に敵愾心を持っている」「北朝鮮は拉致事件を引き起こした」と言っていた当サイトも悪だというコトになってしまいます。
 立ち位置だけでは善悪を判断する基準にはなりません。
 ましてそれが公権力を伴うならなおさらです。
 自分の意見として「それは間違っている」と言うのは自由ですが、公権力として「それは間違っているから禁止」と言ってしまうのであれば、それは法治国家では無く人知国家に成り下がり、思想弾圧国家と言われても全く反論ができない状況になってしまうコトでしょう。
 
 事実誤認は事実誤認として訂正する必要はあうかと思いますが、思想の問題はどう書こうが自由です。
 まして一マンガなのですから、それだけで人格の全てが決定されるコトなんてあろうハズがありません。
 むしろそんな人がいれば、その人の性格の方が問題ありと言うしかないでしょう。
 広島ですら、『はだしのゲン』はあくまで自由時間に読めるマンガであって、授業の中のコトではありませんから、その受け止め方は全然違いました。
 ですからそういう意味から、もっとも公権力に近い形で人格形成に直結する形で『はだしのゲン』を読ませるコトはやえは反対しているところです。
 つまり、『はだしのゲン』を教材として使うコトには、これは前にも言いましたように、やえは反対です。
 教材に使うというコトは、これは教師や学校が「ここに書いてあるコトは全て事実で正しいコトですよ」と言っているコトと同義になりますから、そういう意味であれば、やはり『はだしのゲン』は問題でしょう。
 広島市は、『ゲン』の一部だけのようですがこれを副教材として使っているようで、やえとしては一刻も早くやめるべきだと思っています。
 このマンガはあくまでマンガとして読む人自身が内容を受け止めて考えて消化すべきマンガです。
 
 やえはこの件に関して一番言いたいコトは、「『はだしのゲン』は特に広島市を中心として多くの子ども達に読まれている漫画だけど、問題があると言うのであれば実例としてデータを提示して実証して見せろ」という部分です。
 ここに関しては、エログロも思想問題も同じです。
 今回は思想問題に焦点を当てていますので今回はここだけを言いますが、「偏ったまま成長する“だろう”」とか「~~になるに“決まっている”」とか、推測で語るのはやめてほしいのです。
 それに何の意味があるんですか?
 これがまだ『ゲン』がここ数年で出版されたモノであればお話は別ですが、いったい何年前から『はだしのゲン』は連載され単行本化され、特に広島市において学校図書館で子ども達に読まれてきたのでしょうか。
 そして子供の時『はだしのゲン』を読んで育っていま大人になっている人が果たして何人いるでしょうか。
 まして『ゲン』に関しては、広島市で教育を受けた子供とそうでない地域では、それなりに差が出ているでしょうから、検証するにはしやすい環境が整っているのです。
 ですから、思想を理由にこのマンガを問題視したいのであれば、「『ゲン』を読んだら極端に偏って思想を持つ人間になってしまう。このデータを見れば一目瞭然だ」と示すべきなのです。
 しかしやえの実感では、広島市民だけが他の地域と比べてやたら偏った思想の人ばかりとは全く感じませんし、少なくとも『ゲン』だけが真実書いている漫画だと信じ切っている人も見たコトがありません。
 もし『ゲン』が、人間の人格形成に大きな影響力を発揮できるマンガであれば、データを取れば何らかの実証が出来るコトでしょう。
 でもそれをしないのであれば、データが無いのであれば、そんなのはただの想像でしかありません。
 少なくとも公権力を行使する力になりはしないのです。
 
 閉架問題についてコメントをたくさん頂いているのですが、やえがどの部分で怒っているのかっていうところがご理解いただけてない人もいるようです。
 やえはですね、実際に広島で教育を受けて、『はだしのゲン』も普通に読んで、それこそ一回だけ流し読みしただけではなく、何度も何度も繰り返し読んできて、さらに言うなら広島の平和教育を受けてきているワケですよ。
 その中において、外から一方的に「『ゲン』を読めば発達段階で異常をきたす」なんて言われているワケですから、そりゃ怒りますよ。
 乱暴な言い方をすれば「お前は異常だ」と言われているような気分ですからね。
 こう言われれば、「だったらその証拠を見せて下さい」と、「やえに限らす何十万何百万の『ゲン』を愛読してきた広島市民がいるのですから、そこまで言うなら実証をして目の前に出してみてくださいよ」と、そうやえは言っているのです。