汚染水防止の責任は総理にあり?

 今日はちょっと疑問を提示しておきたいと思います。
 というのも、やえも流石に全ての法律を把握しているワケではありませんので、もしかしたらそれを義務づける法律が存在するかもしれないので、断言が出来ないので「疑問」というコトにしておきたいと思うのです。
 ですからもしその場合は、「法律にのっとって粛々と進めて下さい」という、たいへん平凡で更新として書く必要のない面白くない結論になりますコトをご了承下さい(笑)
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。 
 
 福島原発事故による、いわゆる「汚染水」の流出問題です。
 オリンピック招致の時に散々話題になったアレです。
 これについて、その前からいままで、そしてこれからも、どうもマスコミやネット上でも、どうも気になる言い方をされているので、ちょっと疑問を提示しておきたいのです。
 というのも、「汚染水流出は安倍総理の責任だ」と、この問題について第一義的な責任が総理や政府にあるかのような言い方が、いま普通に言われているからです。
 しかしこれ果たして政府の責任と言えるモノなのかどうか、というと語弊があるかもしれませんが、言い方を変えるなら「流出は政府の責任」なのかどうかというのが、ちょっと疑問なのです。
 
 一番の責任は東京電力ですよね。
 事故を起こし、事故というか天災によって引き起こされたワケですが、それによって汚染水が出てしまって、またその対応が悪すぎて海に流出しようとしているのは、これは全て東電の責任のハズです。
 その施設も汚染水も、東電所有のモノですからね。
 ですから、勘違いしないで欲しいのは、政府が動く必要は無いと言っているのではなく、もちろんここまで大きな事故ですから国民生活や国際的にも大きな問題と関心を集めているワケで、そういう意味では政府は動く理由にはなるとは思うのですが、しかし「動く理由」と「取らなければならない責任や義務」は別問題であって、構図としてはどちらかと言えば政府は東電の尻ぬぐいをしているという形であるハズなのではないのかなと、やえは思うワケなんですね。
 汚染水が漏れたのは政府が原因ではないでしょう、と。
 それなのに、例えばオリンピック招致のお話に絡めて「汚染水問題を起こしておいて何を言ってるんだ」みたいな言い方をして、なんとか招致成功の功績をぼやかそうとしているマスコミなんかいたりして、それはさすがにそれは言い過ぎなのではないのでしょうか。
 まぁオリンピック招致の場で安倍さんが公言したっていうコトに対する責任は安倍さんにもちろんあるのでしょうが、しかしマスコミとかの言い方は「そもそも汚染水流出の責任は安倍総理にある」と言わんばかりの、例えば福島の人達のコメントを垂れ流して「安倍総理は何もせずに汚染水を流出させて、福島のコトなんて何も考えてない」とか言わせて批判トーンを作るというのは、ちょっと筋違いだと言うしかないワケです。
 
 まず構図として「一義的には東電の責任」だというコトは認識しておく必要があります。
 つまり「一私企業のコト」である以上、政府が一企業だけに過剰に肩入れして、むしろ肩代わりして全ての責任を負うかのようなコトをするのは不適切だという前提を忘れてはならないのです。
 もちろんさっき言いましたように、事故の規模的に政府が動く理由はあるとは言えますが、しかし「まず動くべきは東電」という前提も忘れてはいけません。
 よって汚染水が流出したという「不手際」は、それは当たり前のコトとして東電がまず動いた上で、東電のミスとして発生した問題であるのですから、汚染水の問題そのものの発生までを政府や安倍総理に求めるかのような言い方は不適切ではないのですか、と言いたいワケなのです。
 
 これが国有企業ならお話は別なんですよ。
 国有企業の不始末であれば、当然政府が責任を取らなければなりません。
 しかし事故直後、当時の民主党政権時代に、東電を一時国有化しようとかいう話も持ち上がりましたが、結局それは否定されて実行されませんでした。
 こういう経緯があっていまがあるワケで、つまり東電は独立した一私企業民間企業なのですから、その行為や責任は第一義的に全て東電にあるワケで、一民間企業と一定の距離を置くべき政府にそれらを押しつけるかのような言い方というのは、やっぱり不適切だと言うしかないでしょう。
 
 例えば辛抱なにがしとかいうタレントがどっかで遭難して救助されたとかいうお話がありましたが、もちろん政府としては救出する責任はあるでしょう。
 国民の生命を守るのも政府の役目ですから、救助活動する理由や、活動そのものへの責任というモノは政府にあるワケです。
 しかし「辛抱なんとかが航海に出た/遭難した」というコトそのものへの批判を、政府にしますか?
 そりゃ無理筋ってもんですよね。
 仮に救助が失敗して辛抱なにがし氏が死亡したとかであれば、その救助のあり方に対する検証や批判はあってしかるべきだと思いますが、出航したコトや遭難したコトそのものの責任は辛抱氏自身にあるモノであって、政府に求めるべきモノではありません。
 当たり前ですよね。
 
 だからこういうコトなんですよ。
 もしなんらかの法律があって、流出そのものに関する責任が政府にあるような何かがあれば別ですが、そうでない限りはいまの政府の立場というのは、民間企業が出してはならない汚染水を出してしまったのでその尻ぬぐいとして拡散を防止する責務を負っている、と説明できます。
 こういう面から、安倍総理がいくらIOC総会の際に断言したとは言え、この件で安倍総理をメチャクチャに批判するというのは、ちょっと違うのではないかと思うのです。
 筋論で言えばさっき言った「救助に失敗したら批判は受けるのも仕方ない」ですが、それでも場合や状況があってこその結果であって、例えば大嵐の時にどこまで出来たのかっていう等はあるワケですから、失敗したというだけでメチャクチャに批判するのは、人としてどうなのかと思わざるを得ません。
 それと同じで、東電を国有化しなかった、そしてその決定を下した民主党政府を是認した(当時の谷垣自民党が不信任案を出そうとしてメチャクチャに批判したのはマスコミと国民です)以上は、まず最初に責任を負い行動するのは東電であって、政府というのはその後に対応するしか行動しようがないのですから、それをさも流出自体の責任を押しつけるかのようなメチャクチャな批判というのは人としてどうなんですかと言いたくなってしまいます。
 
 批判するコト自体はダメとは言いませんが、批判するなら筋道はキチンと建てて欲しいと思います。