官僚が政治家を超えるというコト

 今日は、先日の田母神氏に対する過去の行動への批判について、いっぱいコメントをいただきましたので、それについてのレスをしたいと思います。
 田母神氏の過去の行動を擁護するようなコメントもいただいているのですが、やえのレスを読んで、今一度「官僚が政治家を超えるというコト」はどういうコトなのかというコトを考えてもらいたいです。
 
 

 要約すると、「公務員が政府に逆らうとは何事か」という主旨でしょうか?もしそうならば、残念ながら物申さざるを得ません。
 そもそも、例えとして引き出した代物が可笑しい、と言わなくてはならないでしょう。
 やえさんの具体例では、「都の広報誌では広報部長が脱原発論者なために「脱原発をめざそう」なんて広報誌で書かれたとしても、田母神知事は苦虫をかみつぶしたような顔をしながらでも認めなければならなくなるのです」でしたね。
 つまり、やえさんの例での、広報部長の間違いは、都の広報誌で脱原発を主張したからでしょう。公金を以て出される誌で、民主主義に選ばれた人と相対する見解を載せるのは相応しくないですからね。
 一方で、田母神氏の時はどうでしたか?発表したのは官報でもなんでもない、一民間企業が開催する論文発表ではありませんか。
 更に、発表した内容はどうでしょうか。確かに中で、「日本政府を倒せ、革命だ」ならば更迭されて当然でしょう。言うまでもなく、教唆に値しますからね。また、中身で「自民党こそ日本のための政党」も問題でしょう。之も政治的発言、若しくは行為に他ならないですからね。
 では、田母神氏はどうだったでしょうか。当時の自分はノンポリだったので、あの問題をつぶさに知っている訳ではありませんが(申し訳ありません)、少なくとも要旨を見る限り、「日本政府は変だ」とは一言も仰ってはいないではありませんか。百歩譲って、田母神氏が内心そう思っていたとしても、中には直接の言及は何もないのですよ。まさかそう思ってもいけないとでも言うのでしょうか?

 
 まずはじめに言っておきたいのは、例示はあくまで例示だというコトです。
 つまりそれは「一例」であって、提示した例が論の全てではないというコトです。
 例えば広報誌の件をもって「田母神氏は公金ではない媒体だから問題ない」という趣旨のコトをおっしゃっているようですが、これは残念ながら、問題の本質を理解できていないのではないかと言わざるを得ません。
 ちょっとズレています。
 この問題というのは、民主主義というモノはどういうモノなのか、つまり国民自身の手によって政治を行うコトが民主主義であって、現実問題としては間接民主主義を採らざるを得ないから、国民の代表である国会議員が最終決定権を持っているのにも関わらず、それを「国民の意思には一切反映されない形で行政の一端に関わっている官僚」が「政治家の決定を超えようとしている」、つまり「国民の意思を国民の意思以外の意思で超えようとしている行為」が問題なのです。
 ここに公金とかなんとかという問題は一切関係がありません。
 例えば仮に公金を使っていても、防衛省内部の研究であり外部に一切出さないのであれば、それは問題が無いワケですし、逆に公金が全くない形でのテレビ出演で官僚が政府見解と全く関係ないコトを喧伝しては大問題でしょう。
 対して目立たない雑誌の論文だからとか、公金には関係ないからとかは、今回の問題には一切関係がないのです。
 
 申し訳ないのですが、この主点がズレてしまっているので、後半の部分についてもズレが生じています。
 問題の本質は「国民の意思を、国民の意思以外の意思で超えようとする行為」です。
 「政府見解」も「村山談話」も、国民の個人個人で意見が違うと言えども、それでも選挙によって選ばれた政治家が大多数を占める内閣において公的に示したモノであり、これは「国民の意思そのもの」なんですね。
 法律と一緒です。
 例えばとある法律ひとつとっても、「自分はその法律に反対だから守る義務はない」と言ったとしても、それが法律を犯していい免罪符には一切なりません。
 なぜなら、法律は国民の代表たる国民そのものである政治家が過半数を持って可決成立させたモノである以上は、それが国民の意思だと間接民主主義では言えるコトになっているため、反対意見の存在は認めても、効力は等しく全ての国民が追うモノだからです。
 やえも村山談話には違和感しか覚えませんが、しかし時の政府がそれを超える談話を発表し続けい以上は、それは「国民主権の民主主義たる日本国における公式談話」であるのは、誰にも否定できない事実なのです。
 
 ですから、直接的な組織(政府や自民党)を批判したり行動を示唆するようなコト以外であれば公僕が何を言ってもいいとは決してなりません。
 公務員が公僕の立場を明確にしている以上、その言動は全て法律や政府見解の範囲内だけです。
 前回も言いましたように、公務員はあくまで手足であって、判断する器官ではありません。
 頭脳である政府=国民が定めた範囲内でしか存在し得ないのであって、その行動範囲は国民そのものである政府が決定した範囲の中だけに限られるのです。
 
 よってですね、もし田母神氏が、その氏名や職業を一切公表せず、匿名で論文を投稿していたのであれば、これは問題ではないんですよ。
 匿名でブログでもなんでもやればよかったのです。
 それなのになぜ立場をわざわざ明らかにして投稿したのでしょうか。
 それは、「その方が目立つから」です。
 つまり「航空幕僚長」という肩書きがあるからこそ多くの人に注目される、こういう立場の人間が書いたからこそ広報誌に載った、載せる方もそういう肩書きがあるからこそ注目され価値があると判断したのでしょう。
 これは想像にたやすいと思います。
 だって一般的に「大学教授」と「バーチャルネット思想アイドルの十四歳」では、どっちが世間が目を向き、メディアは重きを置くでしょうか。
 くやしいですが前者ですよね。
 つまり、意図して公職の立場を利用しようとしているんですね。
 結局そういう私的な理由で「防衛省航空幕僚長 空将」という公的な肩書きを利用したワケで(いまでもその論文は公開されていますが、肩書きを堂々と載せています)、この公務員たる肩書きを使う以上は政府見解の範囲内でしか公僕は言動してはならないのです。
 
 

 組織の中で上部と違う事が言えないのだとしたら、政治家はどうなのでしょうか。一例を挙げますと、原発維持と言っている自民党の中の河野太郎氏です。河野氏は、自民党を離党してから脱原発を言うべきという事になると思うのですけれど。
 私は、意見は意見、行動は行動だと思います。どのような意見も自由ですけれど、行動は命令に従う、それで良いのではないのでしょうか。

 
 ごめんなさい。
 「組織の中で上部と違う事が言えない」なんていうお話はやえはしていません。
 
 また、政治家というか、国会議員というモノは、原則ひとりひとりが直接(比例はともかく)国民から選ばれている代議員ですから、国民から見た場合はどんな立場であってもひとりひとりが独立した存在です。
 政府に入っている人はともかくとしても、この視点から、河野議員が自らの主張を唱えるのは、やえは特に問題ない、むしろ国会議員として当然の行動だと思います。
 党役職は公職ではありませんしね。
 もちろん自民党内の内規を破るような行為、例えば内規に従った形での決定に従わない党議拘束を破るような行為をするのであれば、それは自民党から出て行く必要があろうかとは思います。
 しかし脱原発については自民党が「反原発を唱えてはならない」という決定を下したとはやえは聞いたコトありませんから、これに関しては、それぞれの議員が個人の責任の下に発言するコトに問題は無いと言えるでしょう。
 今回の都知事選にしても、自民党は党本部としてはどの候補者にも決定は下しておらず、都連単位であったために、河野太郎議員はそれを確認した上で舛添氏以外の候補を応援するとしています。
 一応河野議員はスジを通しているんですね。
 
 

 あの人がやってきたことを、部下になった自分がやっても文句は言わせない、ということですかね。子供のような理屈ですな。
 やえさんの読者になってから、ずいぶん経ちますけど、永遠の14歳の設定でしたな。だから、わざと中二病のような言い方をしているのでしょうか。
 寧ろ私は、田母神氏はクビになったわけですから、同じようにクビにして、問題ないと思います。「同じように刃向っただけだ」と言ってきたら、「同じようにクビにした」と言えばいいのですから楽なものです。その勢いで、日の丸君が代に反対する赤い教師を次々とクビにしてもらいたいものです。

 
 なにがどう中二病なのかよく分からないのですが、「自分が使った手法は自分だけしか使ってはならない。他人は使うコトを禁じる」なんて言う方が、どこの物語の中の独裁者なんですかって聞きたくなります。
 あと事実関係の確認ですが、田母神氏は論文を理由としての退職はしてないハズです。
 厳密には定年退職です。
 
 またこの問題を考える場合においては、田母神氏が批判を受けた行為に対して、どのような処分を受けたのかではなく、田母神氏自身がどう受け止めているのか、という点が最も大きな視点でしょう。
 もし彼が自らの行為を心から反省して悔いているのであれば、まぁ都知事に就いた後に何らかの処分を下すのは良いでしょう。
 本来この行為は免職処分相当だとやえは思っていますからね。
 でも彼は、むしろ開き直っていませんでしたっけ?
 もし違うのであればぜひ情報を教えていただきたいのですが、もし田母神氏が「自らの批判は不当だった」と言っているのに、同じような言動をとる人を処分してしまうのであれば、そりゃあ言行不一致にもほどがあるでしょう。
 神気取りですかと、ちょっと正気かどうかを疑っちゃいますね。
 
 

 私は現地人でも関係者でもないので真実はわかりませんが
 シビリアンコントロールという意味でなら海外の軍ではあの程度普通のようですよ。
 アメリカで司令官か何か忘れたけど政府見解と違う発言をして政府が訂正したけどその後おとがめもなし、という事があったそうで。
 日本ではシビリアンコントロールというのが違うんだそうな。
 法律に違反したわけでもないし
 というような内容を田母神さんは発言していましたね。
 とりあえず忙しいので発言の正しさとかそういうのは調べてません。
 あの時の経緯を田母神さん視点で語っていた動画がありまして、
 倉山とかいう私の嫌いな人がインタビューしてましたが、麻生さんについての内容ですね。
 多分見てると倉山とかいう奴の方に腹が立ってくると思いますw

 
 もし田母神氏が本心から「法律に違反しなければ何をしてもいい」と思っているのであれば、公務員にも政治家にもまったく不適切でしょう。
 そもそも公務員が国においても地方においても公職選挙で選ばれた人の下に置かれ、政治はその議員が司るコトは憲法で規定されているワケですから、田母神氏の行為は憲法違反であるワケなんですよね。
 罰則がないだけで。
 さっきも言いましたように、彼は「意図的」に幕僚長という肩書きを利用したのですから、法律云々なんて言い訳は通用しようハズもないんですが、その程度も分からないのでしょう。
 
 さてアメリカの事情はやえには分かりません。
 その内容が本当かどうかもやえには分かりませんが、ただ、アメリカでは正しいから民主主義の原則としても正しいとはなりません。
 別にアメリカが民主主義の正義そのものであるなんて規定されているワケじゃないですからね。
 ましてアメリカは大統領制で、行政府のありかたすら日本とはかなり違う(例えば日本の閣僚は過半数は国会議員であるコトが憲法で定められていますが、アメリカの閣僚は公職選挙で選ばれた人からの選出ではありません)ので、単純に日米を比較してどっちが正しいとは言えません。
 
 本当におとがめがなかったのかどうかも分からないですしね。
 さっきも言いましたように、田母神氏自身も退職自体は定年での退職というコトになっています。
 幕僚長の職を解かれたのも、おそらく公的には「政府見解と異なった主張した」という理由にはなっていないと思われますし。
 ですからアメリカの例も本当にお咎め無しなのか、表面上だけ見ても分からないでしょう。
 そもそもこの手の問題というのは「守って当たり前」であり、それを守らなかった場合の罰則はないワケで、それこそ「法律に違反しなければ云々」というのはまさに「法の網の目をくぐり抜ける行為」であって、公僕にあるまじき行為なんですね。
 なんでもかんでも全ての罰則を付ければいいって問題でもないですし。
 
 

 保守とよばれる人々が、なぜ今まで左翼に勝てなかったかわかるような気がします。
結局、勝てば官軍なんですよね。歴史は勝者が作ると。
 
 それから経済政策に関しては、この人は「脱原発」というプロパガンダを無視してオリンピックに向けて国土強靭化の重要性を認識していますよ。
 すなわち公共事業により内需拡大、需要喚起にてデフレ脱却を目指すというデフレ化においては正しいマクロ経済を志向している唯一の候補者かと。

 
 今回のこの問題を取り扱う上での、候補予定者の方々の政策の中身については、言及を差し控えたいと思います。
 ご了承ください。