河野談話は河野官房長官の韓国の要請をスルーするための高度な政治判断の産物である可能性

 今日は前回からの続きで、実は河野談話は、河野官房長官の韓国の要請に対する高度な政治判断によるスルーの産物の可能性があるっていうお話をさせていただきます。
 まずは前回も取り上げたこちらの記事の引用からです。
 

 従軍慰安婦・河野談話検証チームが狙う「韓国からの外電」
 
 1987年から1995年まで、事務方のトップとして官邸を取り仕切った石原氏は、93年に作られた河野談話についても内情を知る立場にあった。実際に石原氏は、河野談話の根拠になった16名の慰安婦の証言に裏付け調査が行われなかったことを証言した。これについては当時、自民党議員の秘書として官邸に出入りしていた知人から、興味深い話を聞いたことがある。
 「いろいろ調べてみようとしたが、どうしても慰安婦の証言の裏がとれない。政務の官房副長官だった近藤元次氏らは頭を抱えていた。だが韓国は『認めてくれたら、後は何も言わない』とせっついてきた。結局、『やむをえない』ということで決断し、河野談話の形になった」
 要するに「見切り発車」だったわけで、石原氏の証言の内容と一致する。そしてその後の日本は無残なまでに韓国にしてやられる。衆院予算委員会で石原氏は「日本の善意が生かされていない」と述べているが、これは誠意をもって尽力したにもかかわらず、韓国が日本を裏切ったことに対する精一杯の抗議の言葉といえるだろう。石原氏が証言したことにより、河野談話の問題が慰安婦の証言以外にもあることが明らかになった。まずは「韓国とのすりあわせ」が行われたことだ。
 これについては韓国からの外電を明らかにするとともに、外務省出身で当時は外政審議官の任にあった谷野作太郎氏が証言する必要がある。韓国からの外電については、山田氏が「あると聞いている」と断言した。菅義偉官房長官は政府内に検証チームを結成することを表明したが、その作業に当然これも含まれる。外務省は「外交問題であるから」という理由で拒むことはできない。
 そして最後はどういう経緯で談話の文言になったかという点だ。それには名義人である河野洋平氏から直接話を聞くことが必要になる。

 
 ちょっと長めの引用になりましたが、お話の流れをまとめるとこうです。
 
1.当時の事務方の責任者の石原氏は、16名の慰安婦の証言に裏付け調査が行われなかったと、最近証言した。
2.談話発表当時、実は(おそらく官邸が秘密裏に)裏付け調査を行ったいた。
3.しかし裏を取るコトが出来なかった。
4.だけど韓国は「認めてくれたら、後は何も言わない」と要請してきた。
5.日本政府はこれを受けて、河野談話を作成した。
6.1は5を受けて、それはおかしいんじゃないかとの疑問から出てきたお話。

 
 まぁ最近の河野談話にまつわる議論の典型的な例と言えるでしょう。
 また2については新事実ではありますが、この記事では「自民党議員の秘書の証言」というほぼ匿名の形ですので、本当かどうかの断定は出来ません。
 しかし2が事実であれば、「実は日本政府はキチンと裏付け調査をしていた」というコトになりますし、さらに「慰安婦の証言を調査したけどウラがとれなかった。しかし河野談話は発表した」ってコトになりますよね。
 つまりここで重要なのは4です。
 3までは日本政府はキチンとやるべきコトはやっていた、しかし4によって新たな課題が出てきてしまい、結果的に言えば、4だけを理由に河野談話は発表された、というコトになります。
 いま問題になっているのはここでしょう。
 2はまだ一般的にはあまり話題になっていませんが、しかし「調査を行っていない」での「行った結果ウラがとれていない」もあまり構図としては変わりません。
 結局河野談話が発表された一番の原因は4だからです。
 ですからこの問題を考えるためには、なぜ日本政府が河野談話を発表したのか、4を受けて日本政府はどう考えてその行動に出たのかってコトを考察しなければならないワケです。
 
 しかしですね、一般的には悪役にされている河野談話ですが、だけど河野談話の文面をキッチリと検証した後であれば、河野談話はむしろ韓国の要請をスルーするための高度な政治判断の産物である可能性があると言えてくるのです。
 つまり日本政府が、韓国の強引な要請を右から左へ受け流すよう、ヒラッとかわした可能性があるのです。
 なぜなら河野談話の中身をキチンと読めば、果たして韓国が求めてきた「認めろ」とは何のコトだったのか分からない、むしろ河野談話とはいちいち河野談話を作らなくても歴史的事実として認められるコトしか言ってないワケですから、「韓国の要請」が河野談話に含まれているとは思えないワケで、言ってみれば河野談話とは本来キチッと読めば韓国が納得する理由なんかないハズだと言えてしまうんですよ。
 それなのに韓国はこれで良しとしている。
 つまり簡単に言えば、日本政府は「読みにくい日本語で韓国を煙に巻いた」という可能性があると考えるしかなくなるワケなんですね。
 
 まず韓国からの「認めてくれたら、後は何も言わない」という要請の存在が事実だという前提だとしても、それを受けた河野官房長官は、しかし歴史的な証拠から政府が公式に「強制連行」を認めるわけにはいかないというのばあったので、文言の中では微妙なニュアンスを残しつつ、しかし確実に「強制連行はない」という内容にしたのだと思われます。
 少なくとも河野談話の中に強制連行を認める文言はないコトは明かですよね。
 ここで矛盾が生まれるワケです。
 「韓国の要請を受けて河野談話が生まれる」と「河野談話の中身」は矛盾しているワケですよ。
 なぜなら、韓国は「慰安婦の存在」自体を認めろなんて要請はしてないハズだからです。
 だってそんなのは要求するまでもなく事実として認められているコトですからね。
 そしてそれは、世界的に見ても問題視される事案ではなく、そんな内容では韓国がいちいち要請する理由にはなりません。
 それを日本が認めたところで、韓国が有利になる材料にはなりはしませんからね。
 韓国の要請の中身とは、あくまで「韓国が有利になるコト」=「日本の不利益に関するコト」であるのが絶対条件なワケで、そう考えたら本件では「軍による強制連行」ぐらいしか考えられないワケです。
 他に想定されるモノがあれば是非教えて頂ければと思いますが、しかし実際河野談話はどうでしょうか。
 河野談話は「軍による強制連行」は実はサラッと否定しているんですね。
 ですから、これでは韓国は「何を要請したか」が分からない、「要請する意味」が全く説明出来ないのです。
 もし河野談話が韓国の要請を正面から受けて作成されたモノであったとすれば、しかしその中のどこに韓国の要請が含まれているのか、どの辺に韓国が良しとする内容なのか全く理解するコトができないワケで、そしてそれは、なぜ韓国は要請をしたいのかすら疑問視するしかなくなってしまうワケです。
 
 ここの矛盾を説明するためには、唯一「河野官房長官が高度な政治判断によって韓国を煙に巻いた」とするのが一番自然になるんですね。
 
 韓国自身は「日本は韓国の要請を受けた」と思い込んでいるだけ、というのが、この矛盾した構図を説明する一番自然な形です。
 もし「韓国の要請」が本当に存在した場合、その中身は韓国は朝鮮半島出身慰安婦が存在したコト「以上」の要求であるコトは間違いないのですが、しかし河野談話にはその「以上の中身」が存在しないワケで、こうなればもはや「談話の中身は韓国要求に伴っていないが、韓国自身は要請を受けた形になっていると思い込んでいる」という説明しかするしかないのです。
 それは今現在も河野談話の見直しに公式的に反対している韓国政府の姿からも見て取れるでしょう。
 韓国政府は今でも河野談話を「自分たちの要請したままの姿になっている」と思い込んでしまっているのです。
 でもキチンと河野談話を見れば、「韓国がそこまでして固執するような内容」にはなっていないのです。
 まさにこれは、日本政府と韓国政府の河野談話に対する意識に大きな隔たりがあればこその怪現象なんですね。
 もっと言ってしまえば、自らの要請のままの内容に見せかけているけど実は韓国の要請なんて無視している談話を後生大事にしようとする韓国政府、という滑稽な姿を韓国は今さらし続けているとすら言えてしまうでしょう。
 
 よく韓国の要請をもって「日本は韓国に騙された」と言う人がいますが、果たして何に騙されたのでしょうか?
 だって河野談話は、日本人自身も認める事実しか事実認定していないからです。
 ですからこれは逆に、「韓国の要請を日本が受けたように見せかけて何も受けてない」という、日本が韓国を騙したという見方すら出来るでしょう。
 もし韓国が怒るとすれば、むしろここでしょう。
 韓国としては認めろと要請したのにも関わらず、何も認めていない談話が発表されたのですから、まぁ騙されたと言っても間違いではありません。
 まして当時も今はそれで納得していたという部分がさらにこの問題を難しくしているワケですね。
 ですからむしろですよ、もしかしたら当時の日本政府の責任者達がこの辺を隠したがっているのは、この辺の事情があるからなのではないか、という推測もできるのです。
 つまり、事実が明らかになれば「日本が騙した」「韓国こそが騙された」という事実が明らかになってしまう可能性があるので、韓国のコトを思ってか日本のコトを思ってかはともかく、グレーの部分はグレーのままにしておきたい、と思っているかもしれないのです。
 
 まぁどちらにしても韓国の主張である「後は何も言わない」の部分は完全に反故にされているワケですが。
 ただ当時はこれでだいぶスルーできたのは事実ですから、河野官房長官の政治判断による、一見すると意味が捉えにくい難解な河野談話は、それなりに評価出来る産物だってのではないかとは言えるのではないでしょうか。
 河野洋平という人の真意でそれを行ったかどうかはともかく、その「日本政府の公式見解」としては、そう捉えるのが一番矛盾がないのではないでしょうから。