核兵器廃絶に向けた主張こそ日本の戦力を高める-NPDI広島会合を考える(1)

 今日はこちらのニュースです。
 この話題、やえも何度か取り上げているところですが、しかし国内ではこういう見方をしている人はほとんどいない、少なくともそういう主張をやえ以外の人がしているところを一度も見たコトがありませんので、機会がある度に繰り返し主張していきたいと思います。
 「軍縮・不拡散イニシアチブ外相会合」通称「NPDI」が先日、広島で開催されました。
 日本での開催は、意外にも初めてとのコトです。
 

 NPDI外相会議、広島で始まる…12か国参加
 
 核兵器を持たない日本、オーストラリア、ドイツ、カナダなど12か国による「軍縮・不拡散イニシアチブ(NPDI※)外相会合」は12日午前、各国外相らの議論が広島市内で始まった。
 被爆地ヒロシマから「核兵器のない世界」の実現に向け、午後には、会合の成果を盛りこんだ「広島宣言」を発表する。
 同会合は8回目で、日本では初の開催。会合の冒頭、岸田外相は「ニューヨークで来春開かれる核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けて、有益な提言を行い、核軍縮・不拡散を巡る議論で国際社会をリードしていくため、皆さんと議論をしたい」とあいさつした。

 
 これ、広島ではだいぶ盛り上がっていたようで、街を挙げて大イベント状態だったらしいのですが、先ほども言いましたようにNPDI自体が日本や広島で初開催というのはなんだか意外です。
 一回目こそ広島でっていう感じもあるのですが、ただやはり「アメリカの核の傘にある日本」としては、いつもこの問題色々と難しい面が多々あるので、その辺の事情があるのかもしれません。
 すなわち、日本がいくら「核廃絶」と主張したとしても、しかしいざという時はアメリカの核兵器に守ってもらうんだから言ってるコトとやってるコトが矛盾しているじゃないかっていう現実問題ですよね。
 実際、アメリカと軍事同盟を結んでいる日本・オーストラリアなどと、その他のNPDI参加国では、NPDIの中でも多少温度差があるようで、広島の地方紙である中国新聞もこんな風に書いていたりします。
 

 NPDI外相会合閉幕 被爆地開催、胸張れるか
 
 NPDIの12カ国は、もともと核廃絶の方法論で温度差があった。日本やオーストラリアなどは段階的な核軍縮を目指す。一方、メキシコなどは核兵器の非合法化に積極的だ。
 注目すべきは、広島宣言で焦点の核兵器の非合法化について触れず、「核兵器不使用の記録が永久に続けられるのはすべての国にとって利益」との表現にとどまった点である。
 これでは核兵器で脅威を与え合う核抑止の現実を追認しているともとれる。廃絶へ向けた強い意思表示がみえてこない。NPDI内部の核廃絶に対する二つの論を足して2で割ったような印象である。

 
 しかしこれは、核兵器という非人道性を鑑みて即座にそれを廃止するよう主張するのか、それとも現実的に核兵器が存在し、そしてそれは国家が国家戦略として持っている以上は、他国が「廃絶しろ」と言えば済むお話ではなく、むしろそれはパフォーマンスにしかならないのだから、現実問題として核廃絶に向かうためにはひとつひとつステップを設けて粘り強く交渉していくか、という、方法論の違いでしかないのではないでしょうか。
 例えば北朝鮮問題にしても、ただ北朝鮮に対してテレビを通じて強い口調で「返せ返せ」と言うだけでは、実のところなんにも現実的には問題は前進しませんよね。
 もしこれを解決するならどうしても北朝鮮との交渉が必要であり、つまり北朝鮮と接触を図るしか方法はないワケで、核兵器にしても北朝鮮にしても、また最近の中国や韓国への外交問題にしても、関わるだけが悪と断言する短絡的な考え方というのは、それは果たして本当に目的に進んでいるのかどうかっていうところは考えなければならないのではないかと思うのです。
 果たして核廃絶の方法論として何が正しいのか、いま一度キチンと考える必要があるでしょう。
 
 またもう一点、我々広島に生まれた人っていうのは、核兵器廃絶は即正義っていう考え方になってしまっているのですが、しかしやはりここにはキチンとした論拠が必要でしょう。
 ひとつは「非人道性」っていうモノがあります。
 これは次回にでも取り上げようと思っていますが、例えば似たような理由で地雷についても廃絶しようという動きがありますね。
 そしてもうひとつは、むしろ廃絶への主張は日本の戦力を高める効力がある、という点です。
 
 こう言うとなかなかすぐには理解されないのですが、しかし実は答えは簡単で、現在日本は核兵器を持っていないのですから、世界から核兵器がなくなれば、いまより日本の戦力は高まるじゃないですか。
 相対的に。
 極端な例として北朝鮮を挙げると、日本と北朝鮮の通常兵器の戦力差を仮に10:1だとして、そこに核の力を入れ込むと、まぁここは例として数字に意味はないモノとして考えてもらうとしてと、10:6になるとします、仮に。
 つまりですね、核がなければ北朝鮮なんて脅威にすらならないぐらいなワケですから、日本としては核兵器のない世の中の方が有利なんですよ。
 
 これは経済大国日本としてはますます効果の大きなお話です。
 核兵器はすでにほぼ確立した技術ですから、それなりの研究さえ出来れば北朝鮮のような国でも核兵器は作れてしまうワケですが、しかし最新鋭の兵器については、例えばミサイル防衛システムとかイージス艦とかですよね、は、経済力と技術力がモノを言う世界であり、簡単に作れるモノではありません。
 そしてそれらが確立すれば、当然さらに最新鋭の技術をつぎ込まれた兵器が新たに開発されるワケで、この辺が戦争こそが文明を発展させた一番の力だと言われる所以ではありますが、すなわち日本が経済大国・技術大国である限り、核さえなければ日本の軍事力は世界トップレベルであり続けられるのです。
 むしろそれを邪魔しているのが核兵器とすら言えるでしょう。
 であるなら、その邪魔を排除する主張は、それは日本にとっては武器そのものだと言えるのではないのでしょうか。
 
 もちろん簡単なお話ではありません。
 みすみす自らの力を極端に下げる行為を北朝鮮がとるとは思えませんし、同時に北朝鮮のような国がある以上は、アメリカもそう簡単に核兵器を廃絶するコトはないでしょう。
 ただそれでも、いえだからこそ、廃絶に向けた主張を繰り返していく必要があるのではないのでしょうか。
 もし世界の中で廃絶の声がなくなってしまえば、それはますます「核兵器依存の世界」になってしまい、日本は相対的にどんどん戦力を低下させる結果にしかなりません。
 それはアメリカもそうです。
 核兵器のない世界の方が、相対的にアメリカは他国に「戦力差」を付けるコトができるハズだからです。
 だから廃絶の声は消してはなりませんし、世界で常識になるぐらいは高めていかなければならないのです。
 廃絶への声があるからこそ、核競争を防いでいるとも言えるハズなのですから。
 
 日本国内でも「核兵器を持て」と勇ましい声がありますが、しかしそれは、相対的には日本の戦力を下げるコトにしかならないのではないと思うのです。
 やえはむしろ、核兵器廃絶の声こそが「心理的抑止力」となり、日本にとっての戦力になるのではないかと考えているのです。