ヤジも中身を見て判断を

 今日はこちらのニュースです。
 

 「首相が席でヤジを言わないで」民主・福山議員
 
 安倍首相が15日の参院予算委員会で、集団的自衛権の行使に関する答弁中、野党側とヤジの応酬を展開する場面があった。
 首相は、民主党の福山哲郎参院議員への答弁の最中、野党側から「ちゃんと答えて」とヤジが飛ぶと、不機嫌そうに「大事なところなので黙って聞いていただきたい」と反発。その後も続くヤジに対し、「丁寧に答えている。忍耐力を持って(ほしい)」と気色ばんだ。
 さらに福山氏が「自民党のある議員」として日米関係に関する発言を紹介すると、首相は「名前出してよ。分からない」と座ったまま反応。福山氏が「首相が席でヤジを言わないでください」と述べる一幕もあった。

 
 以前、ヤジと言えども議会での発言は政治家としての発言なんだから抑制するのは望ましくなく、政治家としての発言なんだからこそ中身に対して国民は判断すべき、という趣旨の更新をしました。
 今回のこの記事もそうだと思うんですね。
 ヤジっていうモノを中身を見ずして一括して「悪いモノ」だと捉えるのではなく、誰が、何を言っているのか、という部分をキチンと丁寧に精査して判断すべきだと思うのです。
 そしてそのように見れば、この民主党の福山議員のデタラメさが一目瞭然になってしまうのではないでしょうか。
 
 先日国会閉会中にも関わらず、衆議院と参議院において集団的自衛権に関する閉会中審査が行われていましたが、その際の安倍総理に対するヤジを一度動画で見てみてください。
 衆議院や参議院が動画を公開していますが、ハッキリ言えばひどいですよ。
 具体的な何かを言っているのではなく、ただただ発言を妨害する目的でしかないような、わーわー言うだけのヤジでしかないんですね。
 記事にもありますように「ちゃんと答えろ」とか「長い」とか、本当に一般的にヤジという言葉から連想される、ただの言葉の投げ付けでしかありません。
 対して安倍総理の「ヤジ」は、「名前出してよ。分からない」です。
 これって、委員長に指名されていない不規則発言でなければ、ただの質問ですよね。
 もうこれだけで全然「ヤジの質」が違うワケですよ。
 
 で、これは国会特有のお話しなんですが、党首討論を除く委員会などの国会審議っていうのは、これは実は議論でありません。
 議論とはお互いの意見を交わすコトですが、しかし国会での「審議」は、議論ではなく質問と言った方が正確です。
 つまり、政党(立法府側)から政府(行政府側)に対して質問をし、政府はそれに答えるだけっていうのが「国会審議」なのです。
 ですから、政府から政党側に対して質問するコトは許されていません。
 よくやえも「国会の議論」なんて表現していますが、これは厳密には正しくなくて、国会はあくまで立法府の議員が政府を質すっていうのが正式なあり方なんですね。
 よって、もし安倍総理がヤジでは無く委員長に指名されて、答弁席に立って正式に発言する際に「名前出してよ。分からない」って言ったとしても、これは違反行為になってしまうのです。
 
 だからヤジですればいいって言うワケではありませんが、しかしそれを考えたら今回のこの件は、質問者が卑怯だっていうコトが分かります。
 だって『「自民党のある議員」として日米関係に関する発言』っていう言い方では、それは本当に存在する発言なのかどうか分からないじゃないですか。
 こんな言い方では、もし福山議員の発言が捏造であったとしても、誰も確かめる術はありません。
 またもし一部は事実であったとしても、マスコミがよく使う「切り貼り捏造」の上での引用の可能性だって否定出来ません。
 そしてこの発言が事実であるという前提でなければ、福山議員の質問は正当性が担保されませんよね。
 国会という日本の中でもっとも公的な場で政治家として正式に発言するのに、その根拠があやふやのままに質問するっていうのは、これは大変に無責任な行為ではないのでしょうか。
 ですからこれが一般人の発言ならまだしも、国民の代表者たる国会議員の発言でしたら、堂々とその名前を出せばいいのです。
 まさか国会議員が、「勝手に委員会で発言を引用された」なんて言うワケがないですからね。
 なぜ福山議員は「自民党のある議員」なんて言い方をしたのでしょうか。
 
 しかも「総理からは質問はできないコトを分かった上」で、です。
 
 こう考えたら、福山議員になにか「やましいコト」があるのではないかと疑ってしまいます。
 福山議員としては安倍総理が自分に質問してくるとは想定していなかったので「ある議員」なんて言い方したのでしょうけど、予想外に「ヤジ」で質問をしてきたために、かなりビックリしたのでしょう。
 だからその返事が「首相が席でヤジを言わないでください」なんでしょう。
 発言自体を封じ込める言い方でしか、安倍総理の「ヤジ」を受けるコトができなかったのです。
 
 この民主党のヤジと、安倍総理のヤジを、同列かのように扱うのは、やえはかなり違和感しか覚えません。
 
 どっちもどっち、という言葉はやえは嫌いです。
 諍いがあった場合でも、それには必ず原因があり、その原因によっては本当に怒るべき理由があったかもしれないのですから、それを知らずして双方共悪いと言ってしまうのは、あまりにも無責任だと思うからです。
 それは、勝手な第三者が詳しい事情を知る努力を怠っているだけの、めんどくさいから両方を悪者にしておけという、そんな偽善的な発想でしかありません。
 ヤジも、ただ「ヤジ」っていう言葉で全てを否定するのではなく、それも政治家の言葉なのですから、そこにどういう意味があるのか確認してから評価して欲しいと思います。