なぜ集団的自衛権が必要なのか、超基本編
なかなかかなりの本質を突いたコメントを頂きましたので、今日はそれにお答えしようと思います。
集団的自衛権って なんで必要なんですか?
こういう場合に対応出来ないから必要ってのを教えて欲しいのですが
普段いろいろと問題を難しく考えるのが常になっているだけに、こういうシンプルな疑問こそ本質であると逆に気づかされるご質問です。
なぜ必要か。
集団的自衛権という軍事行為を戦略的もしくは戦術的に捉えて、それを行使するコトによってどう国益を得るのかっていう部分で集団的自衛権を語るのも、それはひとつの正しい答えでしょう。
すなわち、経済的・人的な面において一国での軍事にかける国家のリソースは限られているので、複数の国が軍事を一体的に行動すると宣言するコトによって、全体としての軍事力の増強を狙い、その力によって抑止力を高めようとする、というのが集団的自衛権の基本的考え方です。
軍事力が10の国においては自国だけではもはや11以上にするコトは難しいですが、しかし他国と組むコトによって軍事力を20にも30にもできるワケで、そうすれば単純なお話として、軍事力が10の国と30の国とどっちが脅威と感じるかと言えば、当然として後者なワケで、つまり抑止力が増強していると言えるようになりますよね。
この基本的考え方は必要です。
集団的自衛権とはどういう概念なのかっていうコトをまずは知らなければ、その議論はできないですからね。
ただ、もっと基本的なコトがあると思うんですよ。
もっともっとシンプルな、集団的自衛権の考え方です。
それは、「集団的自衛権は国家固有の基本的権利である」という事実です。
そもそも現代国家において「集団的自衛権が行使出来るのか」というコトが問題になるコト自体がおかしなお話なんですよ。
キチンと冷静に国際政治を見ているのであれば、戦争自体すら国際犯罪ではないというコトは理解出来ると思います。
例えばアフガニスタン戦争は、国連決議も得た上での「合法的な戦争」でした。
また戦争をするっていうコト以上に、例えばどこかから攻撃を受けるとそれに反撃する権利も、これは国家の当然の基本的権利として認められているモノです。
これらについては、「どういう場面でその権利が行使出来るのか」っていう議論はあったとしても、「この権利は全面的に行ってはいけない」と考えるコトは、それ自体が間違いなんですね。
それは国家の固有の権利だからです。
集団的自衛権も、その1つなんですね。
本来何人も犯すコトのできない固有の権利なのです。
それを一律で行使出来ないという方がおかしいんですよ。
ですから順番でいえば、むしろ「なぜ行使してはならないのか」という理由を聞く方が議論としては正しいあり方なのです。
なぜなら、集団的自衛権が一律で行使出来ないとする方が「異常」だからです。
日本が主体性を持って「この場面は行使出来ない」「この場面は行使しよう」と、場合によっての取捨選択するのであれば問題はないのですが、とにかく権利自体を否定するっていう姿勢は、これは根本的に間違いなんですね。
現にアメリカやフランスやロシアなどの前の大戦の戦勝国はもちろん、ドイツやイタリアなどの敗戦国、そして中国や韓国などの日本のマスコミが「アジア」とひとくくりにする「特定アジア」も含めて、この際北朝鮮もそうです、これらの国々にも当然として集団的自衛権は持っていますし、行使もできるですね。
それなのになぜ日本だけが行使してはならないと言うのですか?
いまの日本における集団的自衛権の議論って逆なんですよ。
集団的自衛権を行使出来るようにするという日本は、決して世界の中で特異なコトをしようとしているのではありません。
決してワケの分からない特別なコトをしようとしているのではないのです。
であるならば、もし行使してはならないと言うのであれば、それはそっちの理由を説明する必要があるでしょう。
個人の固有の権利について行使してはならないと言うのであれば、その理由を問うのがスジなんですよ、本来は。
例えば引っ越しする自由や外国に行く自由は誰にでも認められる自由ですが、それに対して「なぜその自由を得る必要があるのか?」「どうして引っ越しする権利が必要なのか?」「国民に外国に行く自由を与える必要があるのか?」と質問するのは、それは違いますよね。
その議論は逆で、「なぜその自由を制限する必要があるのか?」「どうして引っ越しや旅行を禁止されなければならないのか?」と問うのが議論としては正しいあり方です。
構図としては「本来あるとされる固有の権利を制限する」という形こそが議論の対象になるのですからね。
この集団的自衛権に対する議論においては、基本的な認識として「日本だけが異常な状態に立っている」という現状を正しく理解しなければなりません。
北朝鮮ですら持っている、いや「ですら持っている」という表現も正しくありません、なぜなら国家の基本的な固有の権利ですから「ですら」という表現はそれを限定する言い方なので正しくないですね、集団的自衛権とは1つの例外もなく全ての国家が持っている権利なのです。
「持っている・行使出来るのが当たり前」なのが、集団的自衛権なのです。
集団的自衛権の行使は全く特別なコトではないのです。
もっと言えば、「今までの日本が異常だった」のです。
ですから、質問としては「なぜ集団的自衛権が必要なのか」という聞き方は間違いなんですね。
これは逆に問わなければなりません。
「なぜ集団的自衛権を一律で禁止しなければならないのか?」
「なぜ日本が集団的自衛権を行使してはならないのか?」
まずここから集団的自衛権の議論は始まるのです。
まずはここを考えてみて下さい。
国連でも正式に「国家の固有の権利」として認められており、全ての国家において行使出来る権利を持っているにも関わらず、ただ日本だけがなぜ行使出来ないと言えるのか、その論拠を考えてみて下さい。
ディスカッション
コメント一覧
従来の政府見解は「権利は保持しているが『使わない』」だからそれはそれで権利のあり方として間違ってはいないけどね。個別的自衛権の範囲に含まれるはずの戦災被災邦人の救助も今までやってこなかった以上、集団的自衛権を行使してもできることはかなり縛られるだろうし、その線引きは明示的でなきゃいかんから、政治的・社会的意義はあっても実効性は低いと思うなぁ。
ichibaさん
一言で言えば、日本の平和と国益の為です。
さて、なぜ平和と国益の為になると思いますか?
私がなぜそう考えるのか想像して書いてみてください。
または、
そうはならないと思うならその理由をお願いします。
集団的自衛権自体はあるのですね。行使するかしないかという話だと。
行使できないのは自衛隊が専守防衛でやってきたからですよね。
戦ったことがなく、専守防衛を柱とした軍備。
他国と一緒に戦うことを考えていないわけですから。
では、行使する必要はどうしてあるのですか。