【朝日新聞】閣僚通信簿 第2次安倍内閣を採点する

2014年9月2日

 先日朝日新聞が載せた「閣僚通信簿 第2次安倍内閣」という記事がひどいと話題になっています。
 これに対して、産経新聞も記事にしていますが、特に沖縄・北方担当大臣の山本一太大臣が、自らのブログで批判をしています。
 

 「内閣府の担当になって50日しかたっていない記者に(中略)評価させるというのは、あまりにも手抜き(アンフェア)ではないだろうか?!」
 
 「自分はこの記者を知らない。名刺交換をしたこともなければ、言葉を交わした記憶もない。記者会見で質問を受けた憶えもない」とも強調し、「つまり、この記者は、閣僚を間近で取材してきた『番記者』ではない」
 
 「山本一太の通信簿の内容は、他の閣僚の評価と比べても最悪だった。星の数が2つだったからではない。閣僚として進めてきたさまざまな政策について、全く言及がなかったからだ。どの政策分野も『間近で取材していない』記者には、どこでどんなことが行われてきたのか、ほとんど分かっていないと思う」

 
 なかなか政治家が直接新聞の記事を批判するっていうのは珍しいですが、この批判を見れば、この記事はかなりひどい内容ではないかと想像できます。
 特に「言葉も交わしてない」「担当になって50日しかたってない記者」に、一国の大臣に対する「通信簿」がどうやって書けるのか、果たして朝日新聞の常識というモノはこれほど一般的な常識と乖離しているのか再確認させられるところです。
 
 というわけで、批判の本道である全文をキチンと見てから批判するっていうコトを実践するためにも、また第二次安倍内閣もあさってには改造するというコトですから第二次安倍内閣を振り返るという意味も込めて、この朝日新聞の「閣僚通信簿 第2次安倍内閣」という記事を採点してみようと思います。
 朝日新聞のサイトで記事が公開されていますが、会員でないと全文が読めません。
 無料会員でも読めるので、全文が気になる方はそういう手段もあるというコトをお伝えしておきます。
 とりあえず長いので、ひとりずつ記事順に引用していきましょう。
 

 閣僚通信簿 第2次安倍内閣
 
  安倍晋三首相は9月3日、第2次内閣発足後初の改造をする方針だ。戦後最長の600日を超える在任期間となった現在の閣僚たちは、政治家としてどう評価されるべきなのか。主権者である国民への説明責任、任免権を持つ首相との距離、官僚に対する政治主導、族議員らのいる自民党との関係――。各閣僚を間近で取材し続けてきた「番記者」が独自の視点で、通信簿をつけた。
 
 【通信簿の見方】
 《星(5点満点)》評価の指標
     *
 担当記者が閣僚をどのような点で評価するのかを示した上で、星を5点満点(0.5点単位)でつけて採点した。

 

■麻生太郎 財務 政権運営に貢献、失言も
 《星2.5》「麻生節」の政権浮揚効果
     *
 ほとんど自分の言葉で記者会見をこなす数少ない閣僚のひとりだ。奔放な「麻生節」はネット世界や若者の間でも人気だが、失言も多い。安倍政権への貢献という観点でみれば、功罪半ばの星2・5か。
 記者会見の名物は記者への逆質問だ。長期金利が低い理由を聞いた記者には「どうしてだね?」と切り返し、統計数字を記者に言わせようとすることもしばしば。記者が詰まると「勉強してから質問しろよ」。「経済通閣僚」の自負が強いが、法人税率引き下げの効果に疑問を呈すなど、安倍首相との距離をさらしてしまう場面もある。
 円滑な政権運営のために汗をかく、もうひとつの顔もある。集団的自衛権の行使容認をめぐっては、公明党や世論に配慮して閣議決定を少し遅らせることを安倍首相に進言した。
 そんな隠れた努力を台無しにしかねないのが失言癖だ。憲法改正の議論でナチスを引き合いにしたり、集団的自衛権をいじめ問題に絡めて語ったりして周囲をひやひやさせるが、本人に気にする様子はない。(疋田多揚)

 
 基本的に「失言」という印象を強くしようとする記事だという印象です。
 というか、「失言ありき」と言わざるを得ない、むしろそれしか言えないのですかと言いたくなる記事です。
 記事中で具体的な失言例を2点ほどあげていますが、正直いまこんなコト言われても「そんなコトありましたっけ?」程度にしか思わない人の方が多いんじゃないでしょうかね。
 つまり別に“国民から”の批判はそう上がらなかったと言えるワケで、やっぱり本当に批判のための批判記事なんですねという印象をさらに強くするだけの記事でしかないワケです。
 結局朝日新聞というのは「麻生と言えば失言」という、バカの一つ覚えで取材もせず頭も使わず結論ありきの記事を書く、そんな会社でしかないと言うしかありません。
 
 またこれは後述しますが、記者会見とのやりとりの中で「安倍首相との距離をさらしてしまう場面もある」という部分について、これはかなり矛盾をはらんでいます。
 というのもこれもマスコミの常套手段で、総理や内閣との方針とちょっとでも違うコトを大臣が口にするとこうやって批判するくせに、しかし全く方針通りにすると「イエスマン」とか「存在感が無い」とか言い出すのです。
 どっちにしても批判の材料にするんですね。
 
 大臣が担当の政策について、独自の見解を持つコトはそれは全く不思議ではありません。
 政策は最後に内閣全体として1つの結論が得られればいいだけのお話であって、ちょっとこの記事だけだと「法人税率引き下げの効果に疑問を呈す」がいつどこでどういう文脈での発言なのか分からないのでなんとも言えないところですが、別にこれだけをもって「総理との距離をさらしてしまう」とは言い過ぎでしょう。
 決してそれが、財務大臣としての決定事項ではないんですからね。
 財務大臣としての決定が総理や内閣としての決定と乖離しているのであれば「距離を」と言うのも分かりますが、そうでないのであれば、そんなのただのレッテルとしか言いようがありません。
 マスコミお得意の批判のための批判なのでしょう、これは。
 
 そしてマスコミの最も傲慢な点が、この「安倍政権への貢献という観点でみれば、功罪半ばの星2・5か」です。
 マスコミが大臣や政治家の政策の面において点数を付けるのはいいんですよ。
 それはまぁ民主主義として国民の権利とすら言えます。
 しかし「安倍政権への貢献」という点について評価できるのは安倍総理だけでしょう?
 せめて同じ内閣の一員ならまだしも、なぜ全然別組織の人間が、例えば民間会社なら人事課が行うような「組織への貢献度」を、どうして部外者が評価できるというのでしょうか。
 他人の組織の人間の貢献度を自分の価値観で評価する。
 朝日新聞はいったいぜんたい何様なのでしょうか。
 やはりこの朝日新聞の記事は、はじめから視点や論点がズレていると言うしかありません。
 
 

 ■新藤義孝 総務 政策の推進、官邸主導に
 《星2》地方の活性化
     *
 安倍内閣にとって経済政策「アベノミクス」の地方への波及は重要課題。少子高齢化や過疎の問題に加え、来春には統一地方選も控える。地域活性化の担当相として期待がかかったが、官邸主導に埋没。成果は乏しかった。
 靖国神社参拝など首相と信条を同じくし、「お友達枠」との見方がつきまとった。「安倍氏には『近くにいる人間は使わなくて結構です』と申し上げていた」と強調したこと自体、「お友達」を意識していた裏返しだ。
 「ふるさと納税」の拡充方針も、菅義偉官房長官の求心力を借りた。「誰が発信するかではなく、政策実現が第一」と献身的な取り組みを強調したが、推進力は「星一つ」どまりだ。
 ただ、地方活性化は多くの省庁が関わり、一閣僚だけで統率しにくいのも事実だ。総務省は、地域の金融機関が収益性があると判断した活性化策に限って、国が補助する制度を導入。地域の経済循環と創意工夫を引き出す試みに着手したことは評価する。プラス1で、トータルで星2。(斉藤太郎)

 
 これももう最初から批判するためだけの批判記事と言うしかありません。
 出ました「官邸主導に埋没」
 ついさっき「総理との距離がある」と言ったばかりなのに、今度は「官邸主導に埋没」です。
 なにをどうやっても批判するという卑怯な姿勢の最たる例ですね。
 こういう悪例こそ教科書に載せて学校で教えた方がいいのではないのでしょうか。
 
 新藤さんの場合のような、官邸主導を地域活性化担当相として政策決定を支えるっていう形がなぜ悪いのでしょうか。
 少なくとも「埋没」なんてマイナスイメージの言葉を使うのは不適切でしょう。
 むしろ「官邸主導」とは、総理がリーダーシップをとって政治主導で政策を進めていくっていうコトの体現のハズですから、ここ数年こういう形こそを国民から望まれたいた行政の姿ですよね。
 それなのになんでしょうかこの言い様は。
 ある時は独裁者と言ったり、ある時は政治をメチャクチャにするコトを「政治主導だ」と言って最低内閣を擁護したり、さすが朝日新聞だと言うしかありません。
 
 また最後にとって付けたかのようにプラスの部分を入れていますが、これだって当然のように「総理が合意した政策」なんですよね。
 結局、言い方を変えているだけ、批判するための批判しているだけというコトが、この短い文章の中で露呈してしまっているのです。
 本当に悪例として好例な文章です。
 
 

 ■谷垣禎一 法務 悪質運転厳罰化を実現
 《星3.5》「法の支配」の実行
     *
 「法の支配」が国民生活の安全安心につながると強調し、安定した法務行政を目指した。8人の大臣が入れ替わった民主党政権から一転、重鎮らしいリーダーシップを発揮。安定感を評価し省内からは「過去最高の法相」という声も出る。
 法相を自ら希望したとされる。悪質運転や少年犯罪の厳罰化など、提案した法案は次々に成立。再犯防止にも力を入れており、安定性では減点なし。
 その一方で、独自色は乏しかった。死刑には肯定的で、在任中に5度、計9人に執行した。日本の死刑制度は国連規約人権委員会などから批判されている。存廃はさておき、将来的な死刑のあり方にも言及は少なかった。刑事司法制度改革でも「私は法制審議会に諮問した立場」と、多くを語らなかった。
 閣内でも「らしさ」が出なかった。象徴的だったのは、昨年成立した特定秘密保護法。約30年前、内容が似ている「国家秘密法案」に反対したが、今回は「立ち入ったことは控える」。発信力でマイナス1・5、トータル星3・5に。(北沢拓也)

 
 「安定」という意味では、大臣の資質に大きく関わる、そしてそれは国益に直結する重要な要点です。
 その最も悪い例としては、民主党政権の時の田中直紀防衛大臣でしょう。
 あの時のガタガタの大臣のせいでどれだけ国益が失われたか、想像を絶するとしか言いようがありません。
 そういえば、田中防相の奥さんである田中真紀子外務大臣に対しても同じコトが言えますね。
 ですから、谷垣さんが安定しているから評価が高いというのは正しい評価の仕方でしょう。
 
 しかしその観点から言えば、第二次安倍内閣の全ての閣僚は最高得点を与えなければ、評価という点の公平性は担保されません。
 なぜなら、第二次安倍内閣は一度も一人として閣僚が交代しなかった期間が戦後最長の内閣だからです。
 よって、そういう観点から第二次安倍内閣は最高であるのは事実であって、谷垣さんも同様ですが、しかし同時に、谷垣さんだけこの点によって評価するというのは全く公平性が担保されていない評価の方法だと言うしか無いんですね。
 新藤さん2点、麻生さん2.5点という点数の付け方は、同じ会社の同じ記事無いというコトもあり記者が違うというのは言い訳にならないわけで、大変に不適当な、分かりやすく言えば「手抜き記事」だと断じざるを得ないのです。
 少なくとも「採点」という行為をしていい立場ではないと言うしかありません。
 
 そしてバカの一つ覚えで「独自色は乏しかった」です。
 もう繰り返しません。
 批判のための批判です。
 また「約30年前、内容が似ている「国家秘密法案」に反対したが」って、30年前と今とでは全然状況が違うのに、この記者は何を言ってしまっているのでしょうか?
 むしろ30年前から全然考え方が変わっていない人というのは政治家としては不適当でしょう。
 批判のための批判ならなんでも批判に繋げてしまう、またもや悪例の好例です。
 
 
 (つづく)