だったら自分で立候補して多くの人に支持を得られる主張をしなさい

 選挙が近くなるといつも無責任自慢を始める人が出てきますよね。
 

 「オッサン政治」に反旗 怒りの女子会広がる輪
 
 「私は、ものすごく怒っている。この怒りを共有したい」。22日、都内で開かれた「怒れる大女子会!」と題した勉強会。熱気に満ちた会場で、横浜弁護士会所属の太田啓子弁護士は声を上げた。安倍政権が押し切った特定秘密保護法の制定、集団的自衛権の行使容認に「怒りを感じている」といい、「選挙権を持っていない子どもたちのためにも、何が起きているかを知って声を上げよう」と呼び掛けた。

 
 民主主義って何かと言えば、国民であれば誰でも選挙権を行使できる権利を有するという制度であり、その選挙権とは投票権も当然ながら、立候補する権利も全ての有権者が有しています。
 そしてそれは全ての有権者に平等の大きさの権利が与えられているのであり、だからこそ同じ一票の積み重ねによって誰しもが立候補できる中で代表者を選んで、その人に政治を委託するワケです。
 昔「○○に一万票」なんてどう考えても他人より自分の方が一万倍偉いんだと思っていると捉えるしかない人もいましたが、しかし「自分の主張の方が他人の主張より重要である」なんて誰にも言えませんよね。
 
 そういう中では、いくら女性だろうと怒っていようとも、少なくとも日本国内においては男性で怒っていない人と同じ重さの権利を有しているのであり、そんな理由だけで政治的な優遇をされるコトはありません。
 もしここを女性だから怒っているからという理由だけで優遇されるのであれば、民主主義は崩壊してしまうでしょう。
 結局この記事、だからなんですか?っていう感想しか持ち得ないんですね。
 
 でしたら、もしそんなに自分たちの政策を政治に反映させたいなら、自分たちが立候補して国会議員になればいいじゃないですか。
 そして国会議員になるっていうコトは、一定数自分たちの主張に同意する人がいるってコトです。
 逆に言えば、一定数同意する人がいるからこそ国会議員になれるワケで、それこそこが民主主義の基本ですよね。
 つまり、立候補もせず少数のままで、女性だから怒っているからというそんな理由だけで他人からたくさんの票をもらって一定数の国民の同意を得ている国会議員の意見を変えようとしているのであれば、それこそ民主主義の否定としか言いようがないのです。
 自分たちの意見が反映されないのは、それは政治が悪いワケでもなく、政治家が悪いワケでもなく、政党が悪いワケでもなく、全て自分だけが悪いのです。
 「自分たちの主張が多くの人に浸透しない」=「立候補しても当選しない」のは、誰のせいでもない自分だけの責任なのです。
 ここを勘違いしてはいけません。
 
 もちろんそれぞれが主張を行うコト、集会を開くコトは自由であり、日本国憲法にも認められている権利です。
 それを否定するつもりはありません。
 でもこの時期にこんな記事を載せるのであれば、他人に政策を押しつけて、自分は多くの人に同意を得るという苦労や責任を背負おうとせず、ただ情に訴えるだけかのような姿勢としか見えないのであり、やはり無責任だと言うしかありません。
 
 どうも立候補するコトや政党や政治家に対しては、なにか他人事かのような、自分は責任も覚悟も持たなくてよいかのような考え方を持ってしまている人が少なくないように見受けられます。
 民主主義においては、自分の考えを政治に反映させたければ立候補して自分が議員になるっていう権利を全ての有権者が有しているのです。
 立候補しない人というのは、「立候補できない」のではなく「立候補しないと自分で決めている」っていうだけのコトを忘れてはなりません。
 結局、その考え方が政治に反映されないのは、多くの人に同意を得られいないからであって、それはどこまでも自分だけの責任であり、政党や政治家や他人に押しつけられるモノではないのです。