違憲の「決定」は誰がするのか

 今日は、前回の更新にいただいたコメントにレスをしようと思います。
 「憲法違反だから」という理由では反対論は成り立たないというお話でした。
 まずはレスを引用します。
 

法案審議中は裁判所に訴えられないよ。まだ成立してないんだから
立法府は憲法に従った法案を策定する必要があるんだが
立憲主義を否定するの?
それとも立憲主義習わなかったの?

 

立憲政治の神髄は権力の乱用の防止を権力者の自制に頼るのではなく、憲法によって縛ることにある。
安部が「Aだ」と言った場合Aは国の判断あるいは方針となる。
これに対して、立法府である野党議員が「Aは憲法違反だ」と言うのは至極まっとうだ。
これが許されないと言うならば、首相は違憲判断が司法府から下されるまでの数年間、
極論を言えばフリーハンドの全権を手に入れることができる。
これは三権分立の崩壊を意味する。
 
政府はフリーハンドの権力を信託された訳ではない。
権力者が憲法を踏みにじるようなことが有れば、それに対してアメリカやドイツでは抵抗権が明文化されている。
政府の行動が憲法の枠内に収まっているか否か。
これを問う事は反権力の勢力からすれば当然の権利と言える。

 
 まずですね、やえは「それは憲法違反だ」と主張してはならないとは言っていません。
 もしそのように受け取ってしまわれた方は、申し訳ないですが前回の更新をよく読んでほしいと思うのですが、何が立法府や行政府や国民では出来ないのかと言えば、それは「決定」ができないと言っているのです。
 違憲だと確定するコトは裁判所にしかできないからこそ、その決定が前提でなければ成り立たない形になる論拠というモノには使えない、っていうお話を前回しているのです。
 「安保法制は憲法違反だから反対」という言い方は、憲法違反が確定事項でないと成り立たない論ですからね、こういう言い方はできないと言っているワケで、ただし「安保法制は憲法違反だ」という主張を行うコト自体は自由ですから、それまでダメだとは言いません。
 意見を言うコト自体は誰にでも認められている権利であり自由な行為です。
 
 ただし、ただしですよ、ここが重要なんですが、「その主張はあくまで“私感”でしかない」のです。
 
 この問題、ここが重要です。
 それは「決定事項」なのか、それとも「私感」なのか、ここが今回のお話の一番のポイントです。
 「立法府は憲法に従った法案を策定する必要がある」
 その通りです。
 これに異論はありませんし、実際そうです。
 だからこそ、安倍内閣としては安保法制が違憲なんて露とも思っていないでしょう。
 もしかしたらコメントしてくださった方は違憲と思っているのかもしれませんが、しかし残念ながらそれがこの世の中全ての人の総意ではありませんし、少なくとも安倍内閣はそうは思っていません。
 思ってないからこそ、法案を提出しているワケです。
 
 だからですね、結局どこまで言っても「私感」なんですよ。
 言わば安倍内閣の「違憲とは露程も思っていない」も私感なワケです。
 もしコメントをしてくださった方が安保法制は違憲だと思っているのであっても、それはその方の私感です。
 全部私感です。
 「立法府は憲法に従った法案を策定する必要があるんだが」
 その通りです。
 でも、「立憲主義を否定するの?」と、なぜそうなるのですか?
 まだ成立していませんが、仮にこれが成立したとしても、それは立法府が立憲主義に従った上で法案を成立させたまでです。
 安倍内閣の考えも、与党の考えも、もちろん私感です。
 裁判所の決定以外は全て私感です。
 その上で、日本の法制度上は内閣に法案提出権を与えていて、立法府に立法権を与えているワケで、その権限をそれぞれの立場で淡々と行使しているだけなのです。
 特別なコトは何もしていません。
 
 「フリーハンドを与えているワケではない」と言う人は多いですが、しかし少なくとも内閣の憲法解釈によって法案を提出するっていう行為は、これはシステム上認められている権利です。
 決して「裁判所が合憲だと判断しない限り法律は効力を持たない」とはなりません。
 日本の国内に何本の法律があるか、数百はあると思いますが、実際違憲審査を受けた法律なんてごくごく僅かです。
 大部分の法律は、法案提出者も立法府も決定権の無い中における「私感」の上で合憲だと判断しただけで、実際には運用されているのです。
 それが日本のシステムであり、安保法制も同じ扱いをしているに過ぎません。
 
 「違憲だ」という意見、これを考える時に、「それは誰が発しているモノか」を考えてください。
 安倍総理ですか?
 自民党や与党ですか?
 民主党や野党ですか?
 共産党ですか?
 与党支持者の一般国民ですか?
 野党支持者の一般国民ですか?
 裁判に関わっていない立場の弁護士という職業の一般国民ですか?
 やえですか?
 アナタ自身の言葉ですか?
 それとも「正式な裁判所の決定」ですか?
 

やえたんもtagも、自分の書いてることが理解できてないようだね
これが成立するなら、どっかの政党が「もう選挙しない法案」を提出して成立したら、それが憲法違反として認められるまで選挙は行われない。
 
民主党政権時代にこういう法案が出されても「裁判所が判断するまで待ちましょう」と?

 
 極論に対しては極論のお答えになるのですが、極めてシステム的に答えれば、その通りです。
 むしろ聞きたいのは、その法案が違憲だと、だれが決定するのですか?
 やえは「違憲だ」と主張するコトはできますが、決定権は持っていません。
 もしそんな法案が提出されたら、当サイトにおいて連日のように「それは違憲だ」という主張をしまくると思いますが、ただし「やえの主張をもって違憲だと公的に決定された」なんてたいそうなコトは決して言わないでしょう。
 というか言えませんよ、そんなコト。
 それともこのレスを書いてくださった方には、それが違憲だと公的に決定できる権限を持っていると言うのでしょうか?
 それはどういう根拠ですか?
 少なくとも日本においては、それは裁判所しか持っていないハズです。
 
 その極論は感情に訴えるだけで、システム論を冷静に判断できなくなるので、あまりよくない言い方です。
 だからお話を安保法制に戻します。
 安保法制、色々と議論が分かれるところで、憲法違反だという主張も確かにあります。
 でも、では、その意見があるから立法化させてはならないと、そう言うのでしょうか?
 ちょっとキツめに言います。
 その意見があるから立法化はダメだと言うなら、その人の意見はなんなのでしょうか、他の国民の意思を超える超越的な存在なのですか?
 何様ですか?
 日本は法治国家であり三権分立を採っている国家であり、だからこそその決定権は裁判所にしかないのです。
 国民も、ここを弁える必要があります。
 

オレンジさんの意見は憲法違反なのは明らかです。
よってオレンジさんの主張は無効となります

 
 オレンジさんとは「立憲政治の神髄は~」のレスを頂いた方ですが、つまりは、それを弁えなければこういうコトになってしまうのです。
 「オレンジさんの意見は憲法違反」って主張は、裁判所ではない私感ですよね、ですから「主張は無効」という主張は成り立ちません。
 もし仮に「そういう私感や主張の存在だけで決定がなされる」のであれば、オレンジさんの主張は無効になっちゃうワケですよ。
 オレンジさんの言い方を借りれば、「オレンジさんは自分の書いてることが理解できてないようですね、これが成立するならオレンジさんの主張は無効ですよ」となります。
 ここにコメントを書くコト自体がダメな行為になってしまいます。
 なぜ憲法違反(という主張がある)のに、憲法違反行為をしてしまったのですか?って言えてしまうコトになってしまいます。
 でも少なくとも日本においては、こんなのはあり得ないワケですよ。
 
 ですから勘違いしてほしくは、この際、やえの個人的意見は今回の主題にとってはどうでもいいんですね。
 やえが安保法制が違憲だと思っていても思っていなくても、決定権が裁判所にあるのは変えられない事実ですし、そして裁判所が仮に決定を下せばやえの個人的意見なんて関係なく、それが公的な決定となります。
 もし安保法制が合憲なら実際に効力を発揮するでしょうし、違憲なら法律は廃されます。
 ここにやえの個人的意見なんて関係ないんですね。
 「共産党は違憲団体だ」とか「オレンジさんの主張は憲法違反だ」も同じですよ。
 やえがどう思っているかなんていうのはどうでもなく、ただ裁判所の決定がないから違憲という決定を押しつけるコトはできないってコトなのです。
 前回と今回のやえのお話は、こういう極めてシステム的なお話をしているのです。
 
 今回の問題、次の2点について冷静によくよく考えてみてください。
 
・違憲だと言っているその主張は「誰が」行っているモノか。
・決定されていないモノを論拠で使うコトはできない。
 
 繰り返しますが、主張するコトは構いません。
 それは自由です。
 でもそれが裁判所以外である以上は、どこまでいっても私感でしかありません。
 そして私感である以上、それを論拠にするコトはできません。
 主張するコトと、論拠にするコトは、別の行為です。
 先ほどのレスで言えば、「オレンジさんの意見は憲法違反」という主張だけならいいんですよ。
 もちろん「なぜ憲法違反なのか」という論拠は付けるべきですが、そういう主張だけなら自由です。
 でも「よってオレンジさんの主張は無効」は成り立ちません。
 「オレンジさんの意見は憲法違反」が決定化されていないからですあり、すなわち論拠にならないからです。
 ここの違いをよくよく考えてみてください。
 
 国会では特に「違憲だから反対だ」っていう言い方は国会では共産党がよく言う言い回しですが、違憲が確定なのを前提としての「反対だ」は成り立たないのです。
 もしやるのであれば、「安保法案○○条は、憲法○○条に反するのではないか」という議論のハズなんですね。
 むしろこれをやってくださいと。
 憲法違反だと主張するなら、それを論拠とするのではなく、その前に「なぜ憲法違反なのか」という部分の論拠を主張しなければダメですよ。
 少なくとも共産党に違憲かどうかを決定する権限はないのですから、違憲だという主張を論拠にするコトはできないのです。
 
 繰り返します。
 その主張は誰が行っているのか、そして主張という私感を決定事項である前提としての論拠に使っていないかどうか。
 この辺をごちゃまぜにして議論をしてしまっても、それは議論としてすら成り立たなくなってしまうでしょう。