国民の質が問われる批判

 「自民党は反対ばかりで反対しかしなかった」
 
 なぜかここ数日で急にこのような批判のようなモノが聞こえるようになりました。
 自民党の総裁選挙が近いコトが原因かと思いますが、それにしてもこのセリフ、大変に中身が見えていないモノとしか言いようがありません。
 
 むしろこのセリフを口にするコトは、自分自身を含めた「国民の質が問われる批判」と言えます。
 
 2点あります。
 まず1点目は「立法府と行政府の違いを理解しているのかどうか」。
 もう1点は「論拠に対しての反論ができているかどうか」です。
 1つずついきましょう。
 
 まず「立法府と行政府の違いを理解しているのかどうか」ですが、端的に言うと、ではどうしろと言うのでしょうか?と言いたくなります。
 野党である自民党はどうすれば反対ばかりでない行動だと映るようになると言うのでしょうか。
 主権者たる国民はそこを理解しているのでしょうか。
 
 一言で「政治」と言っても、具体的には立法行為と行政行為とではまったく違う力が働きます。
 それは当然で、三権分立なのですから、それぞれがそれぞれの領分を越えるコトは出来ませんし、むしろしてはならない行為です。
 それは憲法法律によっても定められているコトで、例えば予算の決定は立法府の仕事ですからその決定に行政府が関わるような法体系にはなっていませんし、また予算の執行に関しては行政府の仕事ですからその決定の立法府が関わるような法体系にはなっていません。
 政治と言ったら立法府も行政府もゴチャ混ぜに考えてしまいがちなのですが、実際に政治について考えるのであれば、ここの切り分けはキチンとつけなければなりません。
 
 なぜなら、権限や決定権が無いのにそれをやれと批判するのは、もはやイチャモンでしかないからです。
 警察に対してあの火事の火を消せと言いますか?
 プロバイダーに対して自分の家に電話線を引けと言いますか?
 八百屋に念仏を唱えろと言いますか?
 こんなコト言う人は完全にイチャモンを付けているとしか言いようがありません。
 でも政治に対しては、なぜかこれが横行してしまっています。
 
 ですからここを踏まえずに言うのであれば「ではどうしろって言うの?」になるワケです。
 
 例えば、この前の震災を教訓に各海岸線に大きな堤防を建てるコトを義務づける法律を作るとします。
 ではまずは基本法的なモノを作りましょう。
 「全国堤防基本法」とでもしましょうか。
 これを国会で審議して成立さてたとします。
 
 しかし法律が成立しただけでは堤防は出来ません。
 法律が成立した直後に地面からニョキニョキと堤防が生えてくるワケありませんよね。
 ですから今度は具体的に堤防を作っていくコトを考えなければなりません。
 
 もちろん堤防建設には建設業者に建設を依頼しなければならないワケですが、しかしそれをするにしてもお金が必要です。
 よって予算を組まなければなりません。
 予算の決定も国会の仕事ですから、国会で審議して成立させる必要があります。
 しかしその前に、全国でどれぐらいの予算が必要なのか調べなければなりません。
 そのためには行政機関が地方の出張所や地方自治体と協力して、現場を見てどれぐらい予算が必要なのか調べて、それを積み上げていって中央省庁でまとめなければなりません。
 そしてなにより、予算案を作るのは政府の仕事です。
 あくまで国会は審議と成立が仕事であって、予算案は行政府の仕事なんですね。
 これは憲法規定です。
 ですから行政府は各地でどれぐらい予算が必要かを調べて情報を集めてひとまとめして、そして予算案を作って国会に提出するのです。
 そして問題が無いというコトになれば、成立となるワケですね。
 
 では予算も成立したとしましょう。
 しかしやっぱり予算が成立した途端に堤防が地面からニョキニョキ生えてくるワケではありません。
 予算が付いたら実際に建設に取りかかる必要があります。
 でもその前にも色々な問題がありますよね。
 例えば地域住民にも影響があるコトですからある程度説明は必要でしょうし、場合によっては堤防を作るための一部の土地が民間のモノなんてコトもあるでしょうから、買収もしなければならないかもしれません。
 さらに建設業者といってもたくさんあるのですから、どの会社に任せるのか、そしてどんな設計にするのか、そういうところも詰めていかなければなりません。
 こういう細々としたコトを聞けなければ防波堤は完成しないワケです。
 
 堤防を作るだけでも、このような立法行為と行政行為は全然違う部分がいっぱいあるワケです。
 決定権者が違うのですからね。
 ですから例えば、「その業者を選定するとは何事だ、自民党は責任を取れ」とか言っても、完全にイチャモンにしかなってないワケです。
 業者選定は行政行為ですから、行政に今一切関わっていない野党である自民党に言っても、「八百屋に念仏を唱えろ」と言っているのと全く同じコトなワケです。
 ここの違いはキチンと国民は理解しなければなりません。
 
 「自民党は反対ばかり」と言ったとしても、しかし実際この堤防作るという1つだけに見ても、では野党自民党はどこで何が出来るのかというコトを現実的に考えれば、なかなか出来るコトは限られます。
 野党は立法府にしか権限を持っていませんから、「基本法の制定」と「予算の制定」にしか手は出せません。
 例えば「ここは立地が悪い」とか「こっちの業者は技術が足りないからダメ」とか「この新技術を導入しよう」とか、全然口が出せないのです。
 口を出す権限は立法府にない=野党にはないのです。
 結局のところ「その基本法は間違っている」「その予算はもっと組み替えるべきだ」というコトしか野党が出来るコトはないワケですね。
 
 これを「反対ばかり」と言うのでしたら、では何が出来るのかむしろ教えてほしいぐらいです。
 結局こんなコトを言っている人は、立法府と行政府の違いが分かっていない人だと言わざるを得なく、それは「国民の質」が問われる事態だと言わざるを得ないでしょう。
 
 もちろんですが、反対のタメの反対に終始するなら批判されてしかるべきです。
 自民党は理由も無く、ただただ反対するだけのために反対をしていたっていう、野党時代の民主党のようなコトをやっていたのであれば、それは批判されてしかるべきでしょう。
 しかしここを判断するタメには、キチンと自民党が何を言っているのかを知る必要があります。
 中身を見ずして結果だけで「反対しているからダメだ」と言うのは、それはやっぱり「国民の質」を問われるコトになりますね。
 ですから「立法府と行政府の違いを理解している」上で、さらに「論拠に対しての反論ができているかどうか」を国民は問われなければならないのです。
 
 
(つづく)