実質的な院政ですから
昨日のお話について、もうちょっと深く掘り下げてみたいと思います。
橋下大阪市長の自らの政党は国政選挙に出るのに、橋下さん自らは出ないって言ってしまうのは、それは院政だというお話しです。
というか、後から調べて知ったんですが、もう橋下さんは自分は国政選挙に出ないって言っちゃったんですね。
一昨日のコトのようですから、最近国会のニュースばかりチェックしていたんで気付きませんでした。
というワケで、昨日は「自らは出ないのであれば」という前提でのお話しでしたが、これからはもう出ないというコトでお話しを進めたいと思います。
それは院政ですよ。
コメントを頂きましたので、ちょっと引用させて貰います。
やえちゃんの意見の多くは首肯したり、勉強させてもらったり、いつも楽しく読んでいるのですが、どうも橋下氏に対する記事はちょっと・・・
仮に維新の会から当選した国会議員が生まれたとしたら「橋下氏個人の政策に従う人」ではなくてあくまでも現時点で橋下氏が代表である大阪維新の会が示す政策に賛同する国会議員ですよね。
当然国会での会派は現在の大阪維新の会と同一ではないでしょうし、その代表も当選した国会議員の誰かが就くでしょう。
大阪維新の会代表の橋下氏個人の意思にのみ従う内閣なんて、それこそ議院内閣制の制度下では成り立たないのでは?
仮に橋下氏個人の意思と異なる言動したからと言って、大阪市長でしかない橋下氏は不満を表明することはできても、解散権も、その議員や閣僚を罷免する権力は持ってませんよね。
あと今回、院政は怪しからんと仰いながら、かつて大阪都構想で橋下氏の政治手法(アプローチ)を批判されていたときは確か、大阪都を作って公選の区長を設けるよりも自分の意に沿う府知事を据える方がいいんじゃないかという言ってませんでしたか?
これって、まさに今言われるところの「院政」ですよね?
府政では院政を推奨するけれど、国政では論評にあたいしないと断ずるのはかなり違和感感じます。
橋下氏は府知事の経験があるから府政では院政でも良いっていうならば、一期でも国会議員していたならば院政許しますか?
現場を知っている国会議員じゃないと国政に影響力を持っちゃいけないって理屈ですから、そんなこと許さないですよね。
地方行政は公選(大統領制?)だから院政はOKというのも変だし・・・
まぁ橋下氏は、そもそも総理大臣の公選制を望んでいるようですし、そうなるとやえちゃんが言うところの院政が成り立たない制度を作ろうってしてるんだから、そんなに目くじら立てて批判しなくてもいいんじゃないですか?
それよりも橋下氏の政策をやえちゃん視点で掘り下げて、悪い点良い点を論評してもらえるほうがブログ一読者としては嬉しいです。
まず、これは本題ではない蛇足になるのですが、「いつも読んでますけど、○○の件に関してだけは……」っていうコメントはもう今まで何度も何度も頂いておりまして、例えば人権擁護法案の時ですとか、国籍法の時ですとか、性犯罪に関する問題ですとか、もう毎回言われていますので、はぁそうですかという感想しか持てません。
いつも言ってますが、やえにとっては結論はどうでもよくて大切なのは論拠であって、別の方のコメントですけど好き嫌いなんていう結論は本当にどうでもよくてですね、論拠が納得できればやえも嫌いな人でも好きになりますよってぐらいですから、「この件に関しては」なんて言われると、結局論拠は見て貰えてないのかなとさみしくすら思ってしまいます。
今回コメントいただきました方は論拠も書いてくださっているのでダメとは言いませんけど、この言葉に対しては、やえは戸惑いしか感じませんので、ちょっとひとこと付け加えておきたいと思います。
さて本題です。
まず最初に誤解を解いておこうと思います。
やえは傀儡府知事の手法が良いとは言っていません。
該当部分をもう一度読んで欲しいのですが、ごめんなさい該当部分がどこか検索しても分からなかったので記憶で書きますけど、確か「それは政治家としてどうなんだとは思いますが」ぐらいのコトは書いたと思います。
で、ここがこの問題の認識のズレのポイントなのですが、形式論(システム論)と実質論(思想的な論)とは別問題なワケです。
ちょっと前にしていた都構想における言及というのは、そのほとんどが形式論です。
橋下さんの主張は「二重行政を無くす」というこの目的にために都構想という手段を主張したワケですが、しかし現在の大阪市を政治家区長のいる区に分割すると、現在大阪市の範囲の中の政治家の数は「府知事-市長」という2人から、「都知事-20人ぐらいの区長」という10倍に程にもなるという数になるのですから、こんなのますますスマートではなくなりますよというお話しだったワケです。
これはシステム論です。
やえの考え方ではありません。
ただの事実です。
仮に大阪都の中には政治家としての首長は都知事ひとりにするんだというコトでしたら、「二重行政を無くす」という目的においては今よりもやりやすくなると言えるでしょう。
ただしこれは、おそらく憲法にひっかかりますし、最低でも国会マターである法律を改正しなければ無理です。
そして橋下さんはあの時点では市長選挙に立候補していました。
つまりいくら大阪府を都にしたとしても「都知事-20人ぐらいの区長」となるのは決定事項であり、目的にはそぐわない手段ですと、これはシステムの上で言ったワケなのです。
現在の日本はそういうシステムになっているので、それを確認する意味で言っただけなのです。
しかし院政論はちょっと違います。
院政はシステムや法令等によって禁止されているモノではありません。
そもそも本家院政自体、システム的な概念ではありませんね。
天皇を譲位した上皇が、システムに寄らないところでの「存在感」によって実質的に権力を握るというのが院政です。
ですから院政時の天皇も、システム的には日本にトップであって、システムの上でその地位が脅かされたコトはありません。
院政とは最初から最後まで「実質的なお話」なのです。
ですから、「解散権も、その議員や閣僚を罷免する権力は持ってませんよね」と言うのも、これは院政論には全く関係のないお話しだと言うしかありません。
システム論の面では問題はない、言い換えましょうか、「違法性はない」というのはその通りです。
そこに異論はありません。
でも実質的な部分を見れば、橋下新党とはどういう形を成しているのか、という部分を見るべきだと、そうやえは言っているワケなんですね。
いま橋下さんの置かれている立場とは、いままでの政治を見てもかなり特異なところにあると言えると思います。
というか、国民から見た橋下さんと言った方が適切かもしれません。
いま橋下さんを支持している人というのは、突き詰めれば「橋下さんだから」という理由によっての支持になります。
もちろん橋下さん個人を支持するのであればそれでいいのですが、問題なのは「大阪維新の会」についても「橋下さんだから」という理由になっているというのは、実質的な面で否定できないところでしょう。
そもそもこれは橋下さん自身が仕掛けたコトだとも言えます。
大阪維新の会は、橋下さんが自らの政策に同調するが集まって出来た政党ではなく、「橋下さんが自らの政策を実行するために集めた実働部隊」というのが正しい性格です。
「政策のための政党」ではなく、「橋下徹のための政党」なのです。
橋下さんが開いた塾に集まった人の中に、果たしてどれだけ単純に政策だけで集まった人がいるでしょうか。
「橋下さんだから」という理由で集まった人がほとんどなのではないでしょうか。
それは現在の大阪府の中の地方議員である「大阪維新の会」の議員も同じです。
中には別の政党から鞍替えした人も少なからずいますが、その理由は結局「(人気の高い)橋下さんだから」というモノが一番大きかったのではないでしょうか。
実質論ですよ。
形式論で「それは違う」というのは簡単です。
でも実質的には、少なくとも今の「大阪維新の会」はそうだと言うしかないです。
例えばコメントを頂いた方も、「大阪都を作って公選の区長を設けるよりも自分の意に沿う府知事を据える方がいいんじゃないかという言ってませんでしたか?」とコメントしているように、いまの大阪府知事というのは、結局は橋下さんありきの政治家だというコトを暗に認めているワケです。
みんなそう思っていますよね。
これ多くの大阪府民もそうじゃないでしょうか。
「橋下さんはどうでもいいけど、松井さんの主張は素晴らしいから投票する」っていう人、果たしてどれぐらいいたでしょうか。
実際のところは「橋下さんの主張に従うから松井さんに投票した」っていう人がほとんどだと思われます。
そして松井さん自身も、橋下さんとセットで、「橋下ありき」で選挙を戦ったというのは、誰も否定できないところだと思います。
例えば、橋下さんが市長選挙に主張していなかった政策を新たに打ち立てた時、松井府知事がそれに反対するコトはあり得るでしょうか。
さらに、仮にそれが府知事マターの案件であり、そして松井府知事が反対したとき、府民はどういう反応を示すでしょうか。
多分松井さんの投票した人であっても、ほぼ反発するのではないでしょうか。
「橋下さんに賛同するから投票したのに、反対するとは何事だ」と、こう言うのではないでしょうか。
これが実質的な院政なのです。
まだですよ、市長と府知事であればかぶる仕事も多いですから、役職が違っても口を出すというのも分からなくもありません。
地方政治の首長同士が話し合いをするっていうのは、むしろ推奨されるコトではあります。
しかし地方政治と国政は全然違います。
まして首長と国会議員は、所属するのが(法的には違いますが)首長は行政であり国会議員は立法であるのですから、もう全然仕事の内容も立場も違うワケです。
こういう中で、市長の思想的オーナー政党が国政選挙に出るっていうのは、それはその市長の院政だと言うしか表現がないというコトなんですね。
実質的に考えてください。
いまの大阪維新の会って、橋下さんの思想的オーナー政党じゃないですか。
これ、否定できます?
コメントで「大抵、どの議員さんも何か国政に関して分からない点、迷っている点があったら、頼りにしている師匠のような人は普通にいると思いますよ」というのもありましたが、それは「ブレーン」ですよね。
では例えば「橋下市長は大阪維新の会のブレーンですか?」ってその辺に人に聞いたら、ほぼ間違いなく否定するコトでしょう。
書面をもってそれを否定するのは簡単ですが、実質的にはどうやったっていまの状況では詭弁としか言いようがありません。
橋下さんはブレーンではなくオーナーなのです。
少なくとも多くの国民とマスコミはそのような目線で見ていますし、そしてこの構図をプロデュースしているのは橋下さん本人です。
仮に国政用の大阪維新の会の新党を作ったとしても、一番注目されるのは橋下さんの発言でしょう。
そして橋下さんも、常に自分が注目されるよう、影響力を最も与えられるよう、コントロールしていくコトだと思います。
「思想的オーナー政党」がダメなワケではないです。
そのオーナーが後ろに隠れているからダメなのです。
院政のなにがダメなのかと言うと、責任の所在が隠れるところにあります。
例えば大阪維新の会が国政で与党になったとして、しかし政策が実行できなかったとしても、橋下さんとしては「政策が間違っていたのではなく、議員が力不足だったため」と言えてしまう構図を残してしまいます。
本人がそう言うという意味ではありません。
そういう構図が残るコトが、まずダメなのです。
つまり「失敗は他人のせい、成功は自分の功績」という形が院政では出来上がるんですね。
もしですよ「橋下さんはそんなコト言わない」って言うのでしたら、だったら橋下さんが自ら先頭に立って現場に立って国会議員として活動すればいいじゃないですか。
そうではなくて、肝心の実行する現場に自分は立たないと言うのですから、それは院政であり、責任を投げているコトにしかならないと言うしかないじゃないですかってお話しなのです。
まして現代の選挙を通じて政治を動かすという間接民主主義を採っているのであれば、国政の失敗の政治家としての責任は選挙でとらせるべきなのに、最も責任のあるハズの橋下さんは国政選挙で責任を取らせるコトが出来ない形になってしまいます。
国政の失敗を市長の辞任や選挙での敗北でとらせるっていうのは、歪んでいるにも程がありますしね。
それはもはや立場の違いの混同の極地です。
いくら政党として選挙に負けたとしても、橋下さん本人は他人の手による自らの立場の変更は行われないのですから、直接的に責任を取らせる方法がないワケです。
間接的に責任を取れと言われるコトはあったとしても、本人の意向を無視して強制的に責任を取らせるという方法がないのです、院政では。
これこそ院政の最も大きな特徴であり、最も否定すべき点なのです。
こんなのはもはや民主主義とも言えないでしょう。
このように、大阪維新の会が思想的オーナー政党である限り、そのオーナーが国政に出ないのであれば、どう考えたって実質的には院政にしかなりません。
やえはここを指摘しているワケです。
院政はシステム的には禁止に出来ません。
だっていくら言ったって、「党首は国会議員だ」と書面に書けば、実質的オーナーを形として証明するコトは出来ませんからね。
だからやえは、前回も、システム的やに院政は認められていませんとか、法令違反ですとかいうような表現は一切使っていませんし、いまでもそのようには思っていません。
システム的な問題だけで言えば「合法」と言うのが正しいです。
でも合法だから何をしてもいいってワケじゃないですよね。
少なくともやえは、院政を敷く方法で国政に影響を与えようとしている橋下さんの手法は思想として認められないと、肯定できないですし、否定するしかありませんと、そう言っているのです。
そして手法がダメであれば、それは政策の中身以前の問題であり、もはやこの時点で政策については論ずるに値しないというコトです。
「言っているコトは正しいのだから何をしてもいい」とは決してなりませんからね。
実質的に大阪維新の会が橋下さんの思想的オーナー政党だというところが、この院政の問題の一番のポイントです。
もしここが違うというのでしたら、院政だという批判も当てはまらないでしょう。
でもどう考えても実質的には思想的オーナーですよね、橋下さん。
この構図というのは、新党大地に似ていると言えるでしょう。
現在の大地の国会議員は鈴木宗男元議員の秘書だった人ですが、誰がどう見ても新党大地の実質的なオーナーは鈴木宗男元議員です。
こういうコトなんですね。
普通に考えれば「大阪維新の会」の思想的オーナーは橋下さんですよ。
もしこれをどうしても「橋下さんはブレーンに過ぎない」と言い張るのでしたら仕方ありません。
でも常識的に普通に考えたら、やえはやえの見方の方が普通だと言い切る自信はあります。
そもそも国政選挙のための公約の原案を国政には出ないと明言している人が発表するっておかしいじゃないですか。
もうこの時点でおかしいですよ。
選挙に出ない人が考えた政策を実現するために、ただ実働部隊として動くための国会議員として、立候補者を集めているっていうのは、これだけでも十分証明されているじゃないですか。
形式的な文章上のコトを言ったら院政なんていう概念は存在しなくなってしまうワケで、実質的にはどうなのかというコトをここでは考えなければなりません。
そうした上で、やえは橋下さんの国政に対するこの手法は院政の手法だと指摘し、そうである限りはもはや論ずるに値しないと言っているのです。
ディスカッション
コメント一覧
度々すみません。
文中の「ですがこれは「好き嫌いでないと言いながら、やっぱり印象で全てを語っている」が仰るように、」の部分ですが、敬称が抜けていました。
正しくはですがこれは「「好き嫌いでないと言いながら、やっぱり印象で全てを語っている」さんが仰るように、」です。
失礼しました。
やえさんこんばんわ。レスありがとうございます。
改行につきましては、この段階(書いているページ)では問題なく改行して投稿しておりまして、なぜそれが反映されないのか不思議でしょうがありません。。。笑
もし私の投稿方法にお気を悪くされたなら謝ります。ごめんなさい。
>本文でも言ってますが、思想的オーナーが悪いのではありません。
その本人が選挙に出ないのが院政なのです。
つまり、院政という政治行為や、ある特定の政治グループの思想的オーナーであったとしても構わない。
ただ国政に関してその人の意向が反映されるかもしれないのに、その張本人が選挙に出ないというのは、その政策に関して、国民が選挙で直接賛否を下せないからオカシイという事でしょうか。筋が通ってないというか、民主主義の日本国としてはよくない、という事でしょうか。間違っていたらごめんなさい。
確かにその通りでして、選挙で直接信を問えない政治家が自分の権限外の事についてあれこれいうのは、民主主義にとってよくない事ですね。だって、政治的無責任状態ですもんね。しごく当たり前な気がします。だから、責任の所在が不明確な組織というのは、今の日本を見ればその弊害が一目瞭然な所が一日本人としてツライですね。
例えばある公共事業を認可する。それに失敗する。責任の所在が不明確なので、結局誰が悪いのか分からない。だから誰も責任を取らない。
別にそれが公共事業であっても、政策についてでも、なんでも構いませんが、つまりこんな異常な状態が正常化しているのが現在の日本国ですよね、というのが私の現状認識です。
やえさんご自身の今の日本国に対する現状認識は知りませんが、私自身の現状認識としては、日本国はかなり危ないんじゃないか、と思っております。
ただ、そうはいっても経済大国日本です。今後数年から数十年はこれまでの遺産で何とかなるんでしょうし、誰が何と言おうと1945年の敗戦で文字通り焦土と化した日本をたった数十年で世界有数の先進国にしたという実績は、もっと日本人は誇っていいと思います。文字通り「無」から出発の国家がたった数十年で先進国になるという奇蹟はもはや日本人の伝統芸化してますね。
誤解のないように言っておきますが、そういった他人には自己満足に映る思想や行動というのは、ある特定の国々に対してそれを誇るのではなく、むしろ自分の胸の内にしまっておき、正に国難のこの時期にこそ、それを拠り所にして日本国は邁進すべきだと願うのみです。
ただそうは言っても、日本国は危機的状況であると考えます。
国際的には今更言うに及ばず、国内的にも震災復興活動や電力問題、さらにはある意味今国民が一番関心を持つ原子力問題等、難題が山積みなはずですが、国会ではなーーんも決まりません。「国会で物事が決まらない」というのは、人それぞれお考えが違うでしょうが、私個人としては大問題です。有り得ません。
国民の信を得て国政に当選した先生方が揃いも揃って何も決まりませんじゃあ、ちょっとお話にならないレベルの民主主義とは言えないでしょうか。
勿論国会議員の方の中にも真剣に考え行動をされてる方はいるはずです。なんですが、そもそも政治は結果を出してナンボの世界だと思いますので、結果が出ない(物事が決まらない)現在の国政の現状から考えますと残念ながらムダな努力になってしまっていると思います。
「自民党が協議に応じない」「民主党はまずマニフェストについて国民に謝罪しろ、話はそれからだ」、大体の双方の主張だと思うのですが、これって言い訳にもなってませんよね。
自民党が協議に応じないからといって、復興作業を一日でも疎かにしていいはずがありません。民主党が謝罪しないからといって、原子力問題に解決の糸口さえ作れなくていいわけがありません。
党利党略は自分の夢でやってくれ。そんなくだらない事に付き合わされる国民はもっとその事に対して文句を言うべきなのかなと思います。
まあ、そもそもの話、民主党を選んだのが国民ならば、そうしたが故の現状を甘んじて受け入れるべきとの考えもあるでしょうが、それを言ってしまうと何も議論ができなくなるので、ここでは置いておきます。
それについては国民は真摯に受け止めるべきだとは思いますが。
だいぶ話がそれてしまいましたが、私が言いたかった事は、突き詰めれば今のままではダメだという事です。
橋本氏を正当化するわけではありませんが、現状認識さえしっかりできていれば、今の橋本氏および維新の会の行動は、賞賛されこそすれ、批判を受けるべき立場ではない気がします。
もちろん、批判をする事に対して意を唱えているわけではありませんよ。ただ、その批判が的外れな事であるならば、それに対しての批判も当然ながら存在すると思います。
具体的に言いますと、以前「二重行政解消とのマニフェストなのに、役所を今より増やすのでより複雑な二重行政になる」から批判するとおっしゃていたと記憶します。
ですがこれは「好き嫌いでないと言いながら、やっぱり印象で全てを語っている」が仰るように、橋本氏の「二重行政解消」の意味は「同じ領域の問題の船頭が複数居る(大阪府並みの権限を持った大阪市長が存在する)」状態の解消を意味するものであって、その為に起こる別の二重行政状態が全く無いとは意味していないと橋本氏ご自身の言動から推測します。まあ見方によっては詐欺みたいなもんですが。。。
ですが、とにかくも橋本氏の目的は大阪ひいては日本を発展されるための行動であって、決して現在の二重行政解消のあかつきの別の二重行政をなくす事が目的ではないですよね。
ただただ橋本氏の真意を誤解されていると思われるご批判ですから、少し的を得ないものとなってしまっているのが残念です。
また色々と橋本氏が維新の会の実質的オーナーである理由を色々説明され、最後に
>橋下さんはブレーンではなくオーナーなのです。
少なくとも多くの国民とマスコミはそのような目線で見ていますし、そしてこの構図をプロデュースしているのは橋下さん本人です。
仮に国政用の大阪維新の会の新党を作ったとしても、一番注目されるのは橋下さんの発言でしょう。
そして橋下さんも、常に自分が注目されるよう、影響力を最も与えられるよう、コントロールしていくコトだと思います。
と結ばれましたが、理解が正しい分、その分だけ間違ってらっしゃるのではと思います。
現在の維新の会は実質「橋本氏だから」という理由だけで集まった集団というのは否定できない一面でしょうし、今の状況を作り上げた張本人は橋本氏なのは間違いないと思います。
ただし、今の橋本氏を取り巻く状況を作り上げた側に、マスコミも大いに関係していると思います。マスコミに取り上げられるから、しかもそれが意外にも国民受けがいいとなると、こぞってマスコミは売り上げの観点からも、取り上げるべくして取り上げている状態なのではないかと思います。
また政治家という職業は、実務の一切を官僚がやるという実質において、一種のパフォーマーになる必要がありますよね。指示するだけで、後は政治家はなんにもしないんですもんね。だから極論すれば、パフォーマンスの能力のない人は政治家になるべきではないのではないかと考えます。
そういう事を考えていくと、マスコミ受けする政治家というのは、もうそれだけで政治家が務まると言えます。ましてや、それが故に批判されるなんて事はあってはならない事だと思います。
そしてそういう各種ツールを利用しての自らの考えを周囲に徹底させるという手法は、しごく当然な政治手法じゃないのではないか、と思いますし、その事に対して別段危惧するような事柄でもないと思います。
ただそれでも、責任が見えにくところから国政に口出しをするかもしれないという疑惑は、晴れないと思います。
その唯一の解決策はやえさんがおっしゃるように、橋本氏ご自身が国政に出馬して堂々と自らの主張を通せばいいのでしょう。円満解決ではないですが、一応の筋は通りますね。
ただそうなると大阪市長の任期問題はどうなるのでしょうか。
前にも言いましたが、橋本氏の大阪W選挙の目的が「都構想」なわけですから、国政もいいですが大阪内だけでやることはいっぱいあるんですよ。教育にしろ、インフラ整備にしろ、医療にしろ、それこそ山ほどに。
そういう一切を改革しない限り、「都構想」もあったもんじゃなく、それこそ選挙公約違反となると思います。だから、橋本氏は国政選挙に出ることが事実上ほぼ不可能な立場ですので、今回やえさんがご指摘のような歪な状態になってしまったのかな、と思います。
ただし、直接出馬しないからといって、国政に口出しすべきではない、とは言えないと思います。
民主主義のルール内で正々堂々自らの主張を述べている人に対して、「責任の所在が不明確」だからという理由で、「もはや論ずるに値しない」と言い切ってしますのはマズイと思います。
政策の中身についての批判ならともかく、「形がおかしいから論ずるに値しない」という批判は、議論する事を理念とする民主主義それに反する行為になるのではないかと思います。
またもや長々と失礼しました。
改行されていることを祈ります。笑
>「好き嫌いでないと言いながら、やっぱり印象で全てを語っている」さん
ちょっとやえちゃんの主張の根拠が捉えられてないように思います。
・維新の会は橋下の私党ではない。橋下大阪市長(代表)、松井大阪府知事(幹事長)、浅田大阪府議会議長のトロイカ体制。
って書いてありますが、もしそうだったとしても、その人たちが国政に出なければやえちゃんが一番問題視している部分にひっかかりますよ。
やえちゃんは、「衆参議員の選挙によって国民の信を得ない人が、直接的に国政に影響を与えるのは『民主主義』としては良くない」と言ってるよう思いますが。
なので、現時点で維新の会が橋下さんの鶴の一声で全てが決まる状態でも、上記3人のトロイカ体制だろうとも、維新の会が国会で議席を取れば、国民の信託を受けてない一握りの人たちの政策が国政に影響を与えていくことには変わらず、
つまりその政策が間違っていた場合にも、選挙によって直接その一握りの人たちに責任を取らせることができない、といったことを問題視しているのだと思います。
なのでこれは、制度の問題ではなくて、『民主主義』論ですよね。
思想家らしいやえちゃんらしい観点だと思いますよ。
(私自身はそれについての正否は現時点では判断しませんが)
なので、反論される場合は、やえちゃんが前提としている『民主主義』論に対して反論するか、維新の会の政策決定のプロセスが、一部の人間によるトップダウンのみではないことを示すか、どちらかでないと話が噛み合いません。
もし今後、維新の会が実際に国政に出たり、その中で具体的な政策を決めていく場合は、
橋下さんと理念は共通するものの、細かい国政での政策を責任を持って取りまとめていく(トップダウンではなく)くらいの人が現れて、その人を中心にその理念や政策をアピールした選挙を展開していくのでしたら、やえちゃんの『民主主義』論的にも大丈夫ではないかと思うのですが、いかがでしょう。
ちなみに、私としても、橋下さんについての更新の際は若干感情的な部分が見られると思っています。今回は後半がくどくて、少し煽るようになってしまっているように見えます。
ただそれは、橋下さんに対しての好き嫌いではなく、しっかりと中身を検討しない状態でただ「なんとなくこの人ならやってくれそうだ」と考えたり、もしくは反自民・反民主で安易に支持されるような状態に対しての憤りに見えます。そんな選び方ではダメだと前回の衆院選で身に染みたはずではないか、というような意見に見えるのですよ。
私自身の意見は無いのですが、話がすれ違っているように思えて書き込みました。
主観ですので、違っているかもしれませんが、少なくとも私は上記のように感じています。
事実関係から
・橋下徹が国政に出ないと居たのは一昨日とかの話ではない。ずっと以前から言い続けている。もっとも彼は大阪府知事選のときも「二万パーセント無い」と言った実績があるから、メディアに出るコメンテータは口を揃えて「そうは言っても国政に出るだろう」とかイロイロ言っていた。ただ橋下徹は一環して国政に出るのはW選挙以前から否定している
・大阪府と政令市である大阪市が二重行政・二元行政と問題にされるのは首長の数の問題ではなく「同じ領域の問題」の船頭が複数居るということで、(政令市でない)普通の基礎自治体と府の役割分担を二重行政・二元行政と問題にされたコトは一度もない
・維新の会は橋下の私党ではない。橋下大阪市長(代表)、松井大阪府知事(幹事長)、浅田大阪府議会議長のトロイカ体制。とはいえ、メディアの扱いに長けた橋下徹の絶大な発信力が維新の会の影響力の根源という意味では、確かに彼の存在に依存した党であるのは事実
で自分の勘違いはプログ主が「橋下徹のやりかたは違法」と言っているのかと思っていたが、結局は「自分の考え方に合わない」=「嫌い」というコトであると判明してスッキリした。手法が自分の考えに合わなければ「政策を議論する価値もない」って、自分には「好き嫌いを言っている」としか聞こえない。政策の是非を語る人かと思っていたけど、自分の好き嫌いで政策の中身を見ない人だと判明した。
いや、個人のブログだから「好き嫌い」で問題なし。「ブログ主はレベルの上の人」とか自分が勝手に過大評価していただけなんです。すみません。
今更感はありますが面白そうな話題なので書き込みせさてもらいます。
院政という表現が妥当かはどもかく、維新の会の議員候補者は橋本さんの人気をあてにして集まっていると思います。
勿論、表向きでも橋本さんの思想や政策に共感して立候補しているはずですけど。
権限力の有無に関係なく実質的なリーダが国会議員にいないなんで問題が起きた時、責任者は何処だといこうことになると単純に思ってしまいます。橋本さん自身がケジメで責任を取るかもしれませんがシステム的には取りづらいのではないでしょうか。組織である以上、責任者は居るべきであるし、橋本さんであるべきとも思います。でも橋本さんの考えよりも船中八策というのを旗印に集まっていると大義名分を持てば逃げれますかね。そうすれば橋本さんを責任者にする必要もないかもしれないし。
民意が自民や民主に期待できず橋本さんの考えや力(討論)に期待が集まった事が、少々強引な手法でも曲がり通っているのかもしれないですね。
親がヤクザとかネガティブキャンペーンをされでも選挙に勝てるんだから大したもんだとは思います。平松陣営が策に溺れたのかはわかりませんけど。
橋本さんのやり方は手続き的に駄目ではないかとも思いますが、自分の考えが古臭く浅いだけなのかもと最近、思います。
橋本さんのやり方でないと地方自治等はできないのかもしれないし。
どっかに書いておきたいんですが、ブログって難しくてアレで申し訳ないのですが、一行開けたいときは、全角スペースを1つ置くと一行あけて改行できます。
ご参考までに。
2点ほど。
1つは、これもものすごい昔から言われているのでアレなんですけど、よく「これは取り上げるのに、なぜあっちは取り上げないんだ」というお話しです。
申し訳ないのですが、これに関しては、やえは公平公正を謳った覚えはありませんので知りませんとしか言いようがありません。
やえが何を自分のサイトで取り上げるのかというコトは、簡単に言えばやえの感情の問題ですから、お気に召さなければ読まないでいただければと最後には言うしかないですね。
やえが気になったから書いただけで、あとはあまおちさんからたまに指示が来ますけど、論理的な理由はありませんから、ここはもえやえ次第です。
世間的に目立っているから取り上げるってコトもありますし、逆に前線目立たないからこそ取り上げるってコトもあります。
公平公正ではありませんから、そこもうご了承いただくしかないんですね。
その上で院政のお話しで言えば、まぁ橋下さんだから取り上げただけで、橋下さんの他に院政はいないとはいいません。
更新でも例えとして鈴木ムネオ元議員のお話も出しましたね。
あそこも思想的オーナー政党です。
正しい姿とは思っていません。
ですから、取り上げないからといって、やえはそれを認めているっていうわけではないコトはご理解いただければと思います。
あくまでサイトで言っているコトは、大阪維新の会に対する橋下さんの行為は院政であって、他のところは一切関係がなく、それ以上でも以下でもありません。
これは他の問題もそうですね。
もう1点。
この院政論議は、その前提条件として「国政選挙に向かう大阪維新の会の思想的オーナーは橋下徹」というのが絶対の条件としてあります。
ここが崩れれば、今回の院政論は全て崩れます。
まぁ崩れてもらった方がいいんですけどね。
で、今回の更新でも言いましたように、これは概念の問題ですから、いくら実権のところを言われても、全く関係のないお話しなんですね。
言いましたように、いまの大阪維新の会に対する橋下市長を思想的オーナーではないと強弁されるのでしたら、もはややえの言うコトはありません。
それはさすがに歪みすぎた見方で、自然でも常識的でも多数的でもないとは言いますけどね。
その上で、将来の話ではなく、いま現在、国政に政党としては出るけど自分は出ないって公言している人のその実体は政党の思想的オーナーであるという事実をもって、もうこれは院政なのです。
ただこれだけのお話しです。
本文でも言ってますが、思想的オーナーが悪いのではありません。
その本人が選挙に出ないのが院政なのです。
一般人が政治に意見を言うとかというレベルの話ではありません。
繰り返しますが、「橋下市長が大阪維新の会の思想的オーナー」であるからこそ院政なのです。
やえさん、こんばんわ。
今まで色々橋本さんおよび維新の会の理念や政策について拝読させて頂いたり、コメントさせて頂いて感じた事ですが、
非常に僭越ながら橋本さんを少し買い被りすぎてるのでは、と思いました。失礼な物言いは百も承知ですが、敢えて申し上げました。
橋本さんは、やえさんの仰るような方では、一切ありません。断言できます。根拠ですが、ネットにUPされている、それこそ様々な動画を見て頂ければ、一目瞭然、百聞は一見にしかずそのものです。
これまでのやえさんの発言から、おそらくやえさんは橋本さんについて、ほとんど何も知らないのではと思います。そう仰っていたとも記憶しております。
そしてこれもまた前回も申し上げましたが、それについて私がどうのこうの言える立場ではありませんし、そんな事をするつもりは毛頭ありません。
ただ、毎度毎度橋本さんに関してのご発言には、どうしても腑に落ちない部分が多々あると言いますか、そんな事はやえさんの責任ではないのですが、とにかく、仰っている事が少し誇張されすぎだと思います。
今回のこのスレは、まさしくそんな感じでした。
院政は形式的には存在しないが、実質的には存在しており、それを橋本さんが行うのは違法ではないけれど、かなり歪な状態と言わざるを得ない。ホンマにその通りやと思います。もちろんの事、一首長が国政への口出しなど有り得ないと考えます。ただし、もし仮にそれが行われた場合、という条件付きです。
そして、橋本さんが、やえさんの仰るように、本当にそんな魔王の様な力を発揮できるかどうかと言いますと、そんな事は有り得ないとしか言いようがないと思います。
引用されていた方のまたもの引用ですが、
>大阪維新の会代表の橋下氏個人の意思にのみ従う内閣なんて、それこそ議院内閣制の制度下では成り立たないのでは?
仮に橋下氏個人の意思と異なる言動したからと言って、大阪市長でしかない橋下氏は不満を表明することはできても、解散権も、その議員や閣僚を罷免する権力は持ってませんよね。
・・・
もう、これってその通りじゃないでしょうか?
一市長が国会の先生を罷免できる権限なんて、もとから持ってないんですよね。
橋本さんはよくご自身の行動を、「政治のルールの中で行う」と名言されてますし、もし仮にそれが本当ならば、有りもしない権限を振り回そうとするほど、橋本さんは馬鹿ではないと思います。つまり、そういう結局政治的に馬鹿を見るような軽率な行動はしない人だという意味です。
あまりにも上の言葉が明白すぎて、私なんかは、もうホンマその通りや、と思っていましたが、なぜかここで突然「院政論」のお話になりました。
院政論自体はとても分かり易い解析でとても参考になりましたが、上の権限、つまり一市長が国会議員を罷免できる権限に対して、それを超越する権限として橋本さんには院政がある、だから問題だ、という論法は少し強引すぎるような気がしましたし、またそういう状態が、法治国家という現在の日本国では許されない事であるとも考えます。
つまり、私個人としては橋本さんであれ誰であれ、院政をするような政治家は支持致しません。
なんですが、そもそも、率直にお聞きしてやえさんが思う、橋本さんが院政を行うであろうという根拠はなんなのでしょうか。
府知事時代からコツコツと積み上げてきた実績と勢いで、今や国政にまで大きな影響力を発揮しだした橋本さん及び維新の会ですが、次の選挙で負ければ、ハッキリ言って終わりです。変な話、日本国といえばこれまで通り、大別して民主党と自民党の政局争いですよ。今現在と同じく。防衛問題一つとっても、具体例で言えば普天間移転の問題一つとっても、なーーんも決まらんのですよ。政治的な決定がないという事は、物事が進まんのです。それが良いか悪いかの話はこれとは別ですが。
それはそれで別の話になるので話を戻しますと、とにかく、今をときめく橋本さん及び維新の会という存在は、それぐらい「軽い」という事です。それこそ、もし選挙で負けて、マスコミが相手にしなくなった日には、さもそんな事はまるでなかったような日常をマスコミが作り上げ、それに国民も大方同調するのでしょうか。
私個人としてはそんな未来を期待しておりませんが、渦中も渦中、この騒ぎの張本人である橋本さんご自身がその事についてはよくご存知なので、このことは杞憂で終わるような気がします。騒ぎを自覚している、これも橋本さんは動画の中で明言されてます。
ただ、こういう政治的に「軽い」集団およびその代表その人を指して、「院政」という論理での批判は、どうも的外れというか、時期早尚なような気がします。
むしろ、的が外れてるがゆえに、読む人に橋本さんおよび維新の会についての認識に誤解を与えかねないと思います。
もし本当に橋本さんを「二重行政解消」や「維新の会オーナー」や「院政」という言葉で理解をされておられるなら、大きな間違いだと申し上げます。表面的な部分のみの理解での批判は、的外れにならざるえお得ず、そういう批判はもはや批判でもなく批難している事と変わらないんじゃないかと思います。
それと「国政に出ない人が国政に口出しするのはおかしい」とおっしゃいますが、もし仮にその理論がまかり通るとなると、我々一般人も国政への口出しはできないという理屈が通ってしまいます。民主主義の基本である法治国家の代表である国民をないがしろにしかねない、国政担当者にしてみれば正に魔法の杖になりかねません。だっていくらマスコミや国民が大バッシングしようが、時の総理に「国民に口出しする権利はない」って言われればおしまいですね。もし仮にその法案が「総理大臣終身案」なんてなった日には、それこそ戦前の軍部による独裁国家に逆戻りです。まあそれによる結果は当然違うものになるはずですが、国家の形態としては同じですよね。
首長と一般市民は立場が違うという反論を受けそうですが、いくら立場が違うといえど、上の理屈は成り立ってしまうわけで、そういう状態は民主主義国家においてはとても危険であると考えます。
そういう理由ですので、私は一首長が国政に口出ししても問題ないと考えます。
むしろそういう事を認めてこなかった、これまでの中央集権国家そのもの日本国の現状を見れば、むしろ積極的に大いに幅広く意見を募る時期であると考えます。
長々と失礼いたしました。
お気に障らなければ幸いです。
おはろーございます。
ちょっとだけになってしまいますがお返事させていただきます。
まず「いつも読んでますけど」については、まぁあまり気にしてないのでお気になさらないでください。
いつものコトですので。
それはこの件の他の方のコメントをご覧になれば分かるかと思います。
さて、「最も楽観的に見ても「みんなの党」レベルまで行けば上等かなぁ・・・」この辺についてひとこととですが、実際どうなるのかっていうのは選挙してみないと分からないと思うんですよ。
で、やえは結果までをどうこう言おうと思いませんから、結果的に橋下新党が議席をとるのか、それとも尻すぼみするのかっていうのは、あまり興味はありません。
だから、実際にそうなるからっていうのは今回の本題には関係がなくてですね、結局橋下さんが院政の形を、おそらく理解してて分かっていてやっているというのが問題なワケです。
結果的に成功するかどうかじゃなくて、そういう形を実行しているっていう現在の点が認められないって言っているんですね。
更新でも言いましたけど、そもそも国政選挙のための公約の原案を国政には出ないと明言している人が発表するっておかしいじゃないですか。
こんな形をとっておいて、名目上は党首は別の人にするって仮にそう言ったとして、なんの意味があるのですかと。
党首ロンダリングじゃないですかと。
自分の主張を実行したいのであれば、政党を作るのであれば、自分が先頭に立ってくださいと。
これだけのコトなんですよ。
でまぁ、やえの主張はここまでです。
結果的に橋下新党が与党になったら、まぁその結果については法令に則って否定はできないですし、ただ否定しないコトと批判するコトは別モノですから、それはそれで批判はこれからもすると思いますけどね。
逆に言えば、議席が取れなくても、その手法はダメなモノとして批判対象だというコトでもあります。
コメントありがとうございました。
コメント取り上げてくれてありがとうございます。
まず最初にお詫びから、変な前書きで不愉快な気分にさせてごめんなさい。
でも、それ誤解です。本当に多くの記事は共感してますよ。
麻生さんは私も今でも敬愛していますし、民主党を虫唾が走るほど嫌っています。
今日の昼食時にテレビで岡田副総理の答弁で国会が空転したことを報じるワイドーショーを見ながら会社の同僚相手に先日のやえちゃん記事に基づいて、民主党との与野党協議がどれほど無意味なことかを力説しましたし(笑)
昨日のコメで大阪都構想の記事を持ち出したのも、私も「大阪都になれば大阪が良くなる」という橋下氏のロジックに違和感を感じていた時に、やえちゃんの「公選区長たくさん設けるより一人の府知事抑えるほうが手っ取り早い」との指摘が新鮮に感じて記憶に残っていたからです。
はじめてのコメントが反発内容になっちゃったけど、当初から橋下氏の政策の内容は論評しないって頑なな態度が普段のやえちゃんっぽくないなぁ・・・
と、なんとなく歯がゆく感じたから思い切って初コメしたんです。。。
ちゃんとこれを機会に、共感したときもコメするから機嫌なおしてください。
でも、ちゃんとコメントに対して深堀りしてくれてありがとうございます。
今回の院政の話題はシステムではなく実質的な問題だけにフォーカスしているということは了解しました。
確かに今時点での”実質的な面”を見ると大阪維新の会は政策的には橋下氏の私的政党のように見えることも否定しません。
マスコミ報道などをみて橋下イメージだけで府知事選で松井氏へ投じた人も少なからず居たと思います。いわゆる浮動票層で大阪維新の会に票を投じた人は橋下氏個人に投じた気持ちでしょう。
「だから院政を狙う橋下氏の政策は論評できない」と言われるのであれば、これ以上は議論の余地ないですね。
本当は「院政は許さないけど、まぁ政策では面白いモノもなくはないので、ちょっとテーマに」って、やえちゃんが言ってくれると嬉しかったけど。。。
ちなみに私は、橋下氏の政治思想の根本には共感できるものが多いと思ってますけど、それを政策論にまで進めた内容では、賛成できるのは良くて3割程度って、ことで決して熱烈な橋下氏ファンじゃないです。
ここからは院政の定義の議論ではないので蛇足ですが
果たしてこのまま大阪維新の会が国政に出て橋下氏が院政が敷けるかというと私はかなり懐疑的です。
最も楽観的に見ても「みんなの党」レベルまで行けば上等かなぁ・・・
一地方政党が全国規模で集票できるほど、国政選挙は甘くないですよね。
その時点で本家の大阪維新の会での橋下氏の求心力も今より劣って、きっと府政ですら思想的オーナーとしての絶対的な院政は実現しないと思いますよ。
その時には府議を3期勤めた松井府知事の真の実力が見えてくると思います(まぁその実績は全国ニュースにはならないでしょうが)
府知事候補に松井氏に決まった際に、元読売テレビアナウンサーの辛抱氏が関西ローカルのニュースショーで、「元々大阪維新の会の前身は松井氏が中心になって作った」というようなことも言っており
松井氏のこれまでの府議としての実績にも基づいて、かなりの部分で組織固めされた票で維新の会が支えられたと思っています。
なので政策の方向性では現在は橋下氏の私的政党かも知れませんが、組織としては決して私的政党ではないと思いますよ。
てな訳で、今日の記事で『いまの大阪府知事というのは、結局は橋下さんありきの政治家だというコトを暗に認めている』という点は個人的には承服しかねる部分ではあります。。。
(別に院政の定義を政策的に思い通りにするか、組織を思い通りにするか、という議論のすり替えをするつもりではないですよ、笑)
要は、大阪府下という地盤だったから維新の会は大躍進したけど、国政では通用しないだろうってことです。
あと、やえちゃんが院政は許されないと言われているのは、社会背景としてのイメージだけで簡単になびいてしまう浮動票に代表される、日本国民(有権者)の問題でもあるわけですよね。
これはやえちゃんも常々問題視されていますよね。
だから、もっと主権者である我々がちゃんと見る目を持っていれば、そして全て国会議員(と候補者)が自分の意思(政策)を持って国政に参加していれば、どんなに頑張ったって国政を院政で操ることはできないはずなんですよね。
調子の乗って長文コメントになりました。ごめんなさい。
それにしても頭のいい人と意見交換(今回は議論とは呼べないので、笑)するのは楽しいですね。
また興味がある話題の時にはコメントさせてもらいます!
橋下市長の事で、どういうわけか問題視されていない事を書きます。それは政治塾とやらに参加するのに年間12万円も必要な事です。橋下市長の名声を利用して国会議員になりたい人には高くは無いのかも知れません。しかし、応募者は、3300人以上ですよ。参加費用と参加人数を考えると決して無視して良い額だとは思えません。選挙の供託金を賄えなえてしまいかねない額なのですから。