同調圧力に屈せず冷静に科学的な議論を (上)
「万が一事故が起きた時に処理しきれない」から原発反対と主張してるのでは?
というコメントを頂いたのですが、これこそですね、キチンと科学的に冷静に議論しなければならない問題なのではないのでしょうか。
「処理」とひとことで言っても、色々な行為がありますよね。
例えば、現在も行われています学校の校庭の除染作業です。
結局除染と言っても、やっているコトは土の入れ替えですから、けっこう大規模な工事をしなければならず、お金もたくさんかかってしまいます。
今日はこの「除染のための土の入れ替え作業」を題材にして、ちょっとひとつ立ち止まって、冷静に考えてみたいのです。
現在文部科学省が定めている校庭の除染作業、つまり土の入れ替え作業ですが、これの基準については以下のように定めています。
「原子力被災者への対応に関する当面の取組方針」を踏まえ,更なる安心確保のため,文部科学省または福島県による調査結果に基づき,校庭・園庭における土壌に関して児童生徒等の受ける線量の低減策を講じる設置者に対し,学校施設の災害復旧事業の枠組みで財政的支援を行うこととする。対象は,土壌に関する線量低減策が効果的となる校庭・園庭の空間線量率が毎時1マイクロシーベルト以上の学校とし,設置者の希望に応じて財政的支援を実施する。
簡単に書けば、「毎時1マイクロシーベルト以上」の作業について財政支援しますよってコトです。
この放射線の問題は単位がよく変わるので注意して読んで貰いたいのですが、まずここは「毎時マイクロ」です。
で、しかしなんですが、文科省はこれで基準を定めていますが、実際のところ地方自治体は別の基準で作業しているようなんですね。
首都圏でも、学校や公園の砂や土を入れ替え、側溝を清掃する動きが広がっている。東京電力福島第一原発の事故による放射性物質を除染しようという取り組みだ。政府が除染方針を示したのは8月末で、各自治体はそれに先駆けて独自の対応をとってきた。
東京都内では足立や葛飾、練馬の各区などが砂場の除染を進めている。足立区は8月10日から小学校や幼稚園、公園などの砂場593カ所のうち、毎時0・25マイクロシーベルト以上が出た35カ所で砂を入れ替えるなどした。原発事故による被曝を年間1ミリシーベルト以下とする国際放射線防護委員会の目標値を参考に、毎時0・25マイクロシーベルト以上の場所は年1ミリシーベルトを超えると計算した。葛飾区も同じ基準で20カ所の砂揚で砂を入れ替える。
文科省が基準を出す前に、東京都内の区(これは他の県の市町村に相当する行政区分です)が独自に「国際放射線防護委員会の目標値を参考」にして、「年間1ミリシーベルト以下≒毎時0.25マイクロシーベルト(単位に注意!)」という基準で入れ替え作業をしたと、この記事では伝えています。
さらに同じ記事に、似たような事例も出されています。
茨城県守谷市は8月22日から、市内の公立小学校や保育所11カ所でグラウンドの土を入れ替えた。文部科学省が主に福島県内の学校向けに示した除染基準の毎時1マイクロシーベルトを超える地点はなく、当初、本格的な除染はしてこなかった。しかし6月、市民ら1千人余から文科省基準より低い放射線量でも対応するよう、「子供の被曝を年間1ミリシーベルトに近づける」ことを求める請願が出され、市議会が採択した。橋本孝夫副市長は「少しでも放射線量を下げてほしいと思う親たちが安心してくれるのであればと考え、方針転換した」。土の入れ替えの費用は私立幼稚園などへの補助も含め約6千万円かかったという。
こちらは市民の要望によって、文科省の「毎時1マイクロシーベルト」ではなく、「毎時0.25マイクロシーベルト」を基準にして除染作業をやれというコトになったワケです。
どうも地方自治体の、実際の除染作業をする現場判断の場においては、「年間1ミリシーベルト」を基準にしているようです。
ちょっと引用記事が多くなって、数字も色々出てきてゴチャゴチャになってしまっているかもしれませんが、まとめますとですね、
1.文科省の基準は「毎時1マイクロシーベルト」
2.でも地方自治体によっては「毎時0.25マイクロシーベルト」で除染作業する
と、こういうコトになっているワケです。
だいぶ離れてしまっていますから、これはちょっと考えちゃいますよね。
文科省は「毎時1マイクロシーベルト」でいいと言っているのに、さらに基準を厳しくして公金を使って作業をしている自治体があるのです。
その間は4倍もの開きがあるんですよ。
やえは科学者ではないのでどちらが正しいとは断定しませんが、仮に文科省の方が正しいのであれば、これはやっぱり無駄な作業、無駄なお金が使われているのではないかと思ってしまうワケです。
もちろん気持ちというか感情面で不安だと思ってしまうのは、それは一定の理解は出来ます。
最終的には様々なコトを総合的に検討すべきですが、でもその前にはやはり科学的に冷静に考える必要もあるワケで、むしろ総合的に考えるためにもその1つの材料として科学的見地や冷静な状況分析も、絶対に必要なハズですよね。
特に「原発が事故を起こした時に処理しきれるのだろうか」という部分を考えるのであれば、まずは感情の面をひとまずおいておいて、科学的に考える必要が絶対にあるでしょう。
処理できるかどうかというのは、どこもでも現実的科学的問題だからです。
ここに人の気持ちというモノは関係がありません。
ですから、ここの場面においては、その「毎時1マイクロシーベルト」と「毎時0.25マイクロシーベルト」という数字を果たしてどう評価すべきなのかというコトが、一番のポイントになると言えるでしょう。
この問題は調べれば調べるほど色々な事実が分かってくるのですが、論点を絞るために具体的なモノでの数字の評価にいってみたいと思います。
文科省ではなく地方自治体が基準として使っている「年間1ミリシーベルト」ですが、茨城県教育委員会のサイトではこのような記載があります。
Q2 「一般公衆の線量限度」である、年間1ミリシーベルトを守るべきではないか?
「一般公衆の線量限度」は平常時、一般公衆の無用の被ばくを可能な限り減らすことを目的とし、原子力発電所の通常運転等による放射線の影響等をできるだけ低く抑えるために定められた基準です。
今後できる限り、児童生徒の受ける線量を減らしていくことを目指していることには変わりありません。
参考:日本の一人あたりの自然界からの放射線(年間・全国平均)…1.48ミリシーベルト
世界の一人あたりの自然界からの放射線(年間・世界平均)…2.4 ミリシーベルト
つまり、「年間1ミリシーベルト」という数値は、原発事故が起こる前に日本人が普通の生活をしている際に浴びていた量よりも少ない数値なんですね。
世界平均で言えば半分以下です。
こう考えれば、この「年間1ミリシーベルト」というのは、かなり厳しい基準なのではないでしょうか。
敢えて「事故前並」と表現したとしても、それを「土の入れ替えをしなければならない基準」としては適切かどうかというのは考える余地のあるところだと思います。
ここで重要なのは、「年間1ミリシーベルト」という数値はあくまで「普通の生活を送っている場合」の数値であるというコトです。
例えば、病院でレントゲンを撮るなどの行為は含まれていません。
こちらのページに表が載っていまして、これ新聞の表ですかね、ちょっと引用させて貰いますと
こうでして、よく見てくださいね、胃のX線検査をすると“一回”で0.6ミリシーベルトを浴びるコトになります。
胸部だと6.9ミリシーベルト/1回です。
ですから、仮に年に一回胸部のレントゲン検査をするとすると、「6.9ミリシーベルト+約1ミリシーベルト(自然放射)」で「約8ミリシーベルト/年」の放射線を浴びる計算になるのです。
半年に一回だと、合計「15ミリシーベルト/年」ですよ。
では、胸部のレントゲン検査を受けた人で、放射線が原因で重大な病気になった人って果たしているでしょうか?
これは1つの例です。
やえは科学者でも専門家でもないですから、断定はしません。
ただ調べた結果、こういう科学的な数値が出ているのですから、それに対する疑問を発し問題提起をするというのは、これは誰にも批判されるコトではありませんし、むしろ社会にとっては必要なコトではないのでしょうか。
もう1つ例を挙げます。
(つづく)
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