デモとは人数を目に見える形で示す示威行為でありある意味暴力行為

 せっかくですのでデモについて一言言っておきたいと思います。
 
 やえはデモが嫌いです。
 なぜなら、デモとは人数を目に見える形で示す示威行為であり、ある種の暴力行為だからです。
 だってデモって、「いまからお前の働いている場所に大人数の人間が押しかけるぞ。ほらこれだけの人数が集まってるのが見えるだろ。大声も出すぞ、建物を取り囲むぞ。だから自分達の主張を受け入れろ」というモノなのですから、これはある種の暴力行為ですよね。
 さらに言えば、デモには理屈とか論理とか議論というモノも存在しません。
 そういうモノをすっ飛ばして、ただただ「見た目の数の力」をもって自らの主張を押し通そうとする行為がデモなのです。
 やっぱりこれは暴力行為ですよ。
 直接暴力を振るっていなくても、脅迫とか、その辺に近い行為であると言えてしまうワケです。
 
 だからまず嫌いというモノはあります。
 相手に対して恐怖をもって考え方を変えさせる行為なのですから、正直やえの普段の活動とは対極にあると言っても過言ではないでしょう。
 だか嫌いなのです。
 
 ただデモは民主主義社会においては認められている行為、日本においても手続きを踏めば認められる行為ですから、してはならないとは言いません。
 もちろんですが暴力とか、子供を楯にするとか、卑怯な行為は絶対にしないというのが当然としての大前提ですが。
 考えてもらいたいのは、デモはこういう暴力的行為が本質にあるというコトを知って貰いたいのです。
 デモは権利だとわーわー何やってもいいんだと勘違いしている人が結構いるようですが、しかしそれは他人に迷惑をかけ、人数が多いという優位性を保ちながら、対象者に言論以外の圧迫感をかけているという、非論理的行為だというコトは忘れてないでほしいです。
 
 民主主義とは議論と選挙です。
 そもそも政治以外においても、問題が発生し意見が対立すれば、まずは議論です。
 ここでいきなり選挙だと多数決だと言う人がいますが、それは違います。
 そういうのは数の暴力って言います。
 まずは議論です、言論です。
 そして議論に数は関係ありません。
 あくまで言論の中身において、内容で闘わせ、改善点や妥協点がないか探すのが議論です。
 
 多数決とは、こうした議論を十分に尽くした上で行われるモノです。
 議論した結果これ以上妥協点がないというコトになれば多数決によって意見を集約するワケで、選挙もそうですね、選挙もただただ数の勝負をするワケではなく、選挙期間中に各候補者は意見を主張しますし、そもそも選挙前からずっと政治家は自らの主張をし続けているのですから、有権者はそれらを判断基準にして投票しますよね。
 政党だけで考えても、いま民主党なのか自民党なのか、それとも別の政党なのかっていうのは、全て各政党とその議員の主張や行動によってどうしようかって国民はみな考えているワケで、決して椅子取りゲーム的な数字の上だけで考えては誰も投票しません。
 まさか「自民党は自民党だからイヤだ」っていうちょっとおかしいコトを考えている人なんていませんよね!?
 ですから言論をもとに選挙が行われ、そしてその選挙の結果によって政治を決めましょうというのが民主主義の大原則なワケです。
 
 デモはここから外れる行為です。
 
 例えば先日首相官邸で行われたデモも、主催者は15万人とか言ってるらしいですが、警察発表だと1万5千人ぐらいだそうです。
 やえ、首相官邸の辺りに行ったコトあるのですが、正直あの辺にスペース上の関係で物理的に1万人も集まれるのかどうか甚だ疑問なのですが、それはともかく、実際デモで1万人も集まれば、それはかなり大規模なデモだと言われます。
 でもちょっと考えてみてください。
 1万人って、選挙の際においては1万票と呼ばれる数字になるワケですが、たった1万票では衆議院小選挙区では箸にも棒にも触れないぐらいの得票でしかありませんよ。
 衆議院小選挙区ではだいたい10万票前後がラインです。
 選挙区によっては少なくとも8万ぐらいですかね。
 ここから考えれば1万なんて泡沫候補もいいとこですよ。
 つまり、ここから見ても、デモっていうのは民主主義から離れた行為なのです。
 いくら1万人も集まったぞーおーって言っても、選挙の際には1人の国会議員も出すほどの力の無い数字でしかないのです。
 
 これが仮に10万人だったとしても同じコトです。
 だってその10万人が全員同じ選挙区に住んでいるワケではないのですからね。
 例えば参議院の全国比例の場合、参議院の全国比例は政党名と個人名が合算されての数なのでなかなか単純に比較はできないのですけど、前の参議院選挙で自民党が得た得票数は1407万票で、この数字で当選した議員数は12人ですから、単純に割ってひとりの参議院議員が当選するためには117万票が必要な計算になります。
 ちなみに参議院全国比例では1人しか当選出来なかった新党改革もその得票数も約117万票、ひとりも当選出来なかった国民新党は約100万票、そして2人当選した社民党は224万票と、だいたいボーダーラインが110万強必要だというコトが見て取れますね。
 全国規模だとこうですよ。
 10万人?
 1/10以下ですね。
 
 首相官邸が東京にあるというコトを鑑みて、では東京都という範囲だけでも見てみましょうか。
 参議院の東京都選挙区で最も得票数が少なく当選した人は、みんなの党の松田公太議員で約65万6千票です。
 つまり東京都全域での選挙をして国会議員を1人当選させるためには、最低でも65万票以上は必要だというコトなのです。
 10万人?
 10万票って言ったら、そうですね、たちあがれ日本の小倉あさ子候補が12万票です。
 この方みなさんご存じですか?
 やえは知りません。
 ちなみに、日本創新党の山田宏候補は20万票を獲得しています。
 ごめんなさい、政党名も含めて誰でしょうかっていうレベルです。
 これが現実なワケです。
 
 もし、デモの参加者がこの数字を無視して自分達の意見こそが政治に反映されるべきだと言うのであれば、それは「自分は他人よりも大きな権利を持っている」と言っているに等しいコトになりますよね。
 なんという思い上がりでしょうか。
 一人一票だからこその民主主義なのに、それを根底から覆す発想だと言わざるを得ません。
 民主主義においては、数でもって意思を表明するのであれば、それは選挙によって示すべきです。
 見た目の声の大きさや圧迫感で示すのは、それは外道なのです。
 そこを忘れてはいけません。
 
 まずは言論です、議論です。
 冷静に論拠を持って政治も思想も社会問題も議論するのがまず最初です。
 その上で多数決ならまだいいのですが、しかしデモはそれらを全て吹っ飛ばして見た目だけの示威行為によって圧迫感を持って自らの主張を押し通そうとする行為です。
 それは暴力的行為なのです。
 ですからやえはデモについてはつねに批判的です。
 嫌いです。
 自分の主張は自分の口で世に問うて欲しいと思います。