終戦日
今日は日本が大東亜戦闘に負けた終戦日、敗戦日です。
日本の未来のために命を散らした全ての人に感謝申し上げ、鎮魂の祈りを捧げたいと思います。
そしてこの日についての思いは今まで何度も書いてきましたので、敢えて繰り返しません。
過去ログを読んでいただければと思います。
その上で今年はさらに先のコトを考えたいと思います。
やえがサイトをはじめた頃というのは、まだまだ世の中はサヨク思想が強くてですね、今日という日でなくても特別な思いで靖国神社に行くっていうだけで右翼扱いされるような世の中でしたから、そう考えれば、もういまの雰囲気というのは隔世の感があるとすら実は言えるんですね。
小泉総理がこの日に靖国神社に参拝する前は中曽根総理が最後に参拝したというのはよく知られているお話ですが、ではなぜ長らく総理大臣の参拝がなされないのかと言えば、そしていまでも結局小泉総理以降総理大臣の参拝がまた断絶してしまったのかと言えば、やっぱり世論なんですよ。
中国や韓国がわーわーバカみたいに騒ぐというのは理由として1つありますが、しかしそれをはねのける世論があれば総理は必ず参拝します。
例えばついに支持率低下のためにトチ狂ってしまった韓国のイ大統領の天皇に対する不敬すぎる物言いが現在大問題になっていますが、しかし韓国からこういう物言いがあるとそれに日本は全て従いますか?
従いませんよね。
それは当然、日本の世論の方が優先させるからです。
本来これは世論とかでない国体の問題ですから世論にすら左右されてはならないとは思うのですが、残念ながら靖国の問題は世論に左右されてしまっています。
ですから、なによりも世論こそがシッカリしていれば総理は靖国神社に再び参拝するようになるでしょう。
国民はここを忘れてはならないと思います。
なんだか過去ログを参照していただきたいと言いつつ今までのまとめなようなモノになってしまっていますが、一応言っておきますが、やえはこの日に必ず総理が参拝する必要はないと思っています。
終戦日は節目としてはありますが、命を賭けて戦っていたのはこの日だけではありませんから、もし総理が日を選ぶのであればどちらかと言えばその神社の一番大切な日と定めている例大祭ですとか、あとは靖国神社の場合はみたままつりとかですね、そういう日の方が節目としては適切だと思っているからです。
まぁこの辺は長々と繰り返しませんが、ここはひとつこの日というのをあまり神聖視しないようこだわりすぎないようにすべきだと思っています。
さてここからが今日の本題ですが、そろそろこの問題はもっと先を見据えるべきだとやえは思っています。
先、というのはですね、この問題は総理が参拝すればそれでいいっていう問題じゃないってコトです。
先人に感謝の気持ちを持つのは当然のコトではありますが、それはなにも大東亜戦争で命を散らした人だけではなくてですね、この悠久の歴史の中で過去から受け継いだ日本を将来に受け継ぐために必死になって、時には命をかけて尽くしてきた人というのはたくさんいるのですから、それは当然のように全ての人に感謝すべきなんですね。
先祖を思う気持ちと同じようにです。
大東亜戦争は日本有史以来最も日本の危機だったというのはその通りですが、しかしだからといってその人達だけを特別視するのは違うと思うのです。
例えば元寇だっていまと同じ日本の国の危機だったワケですし、戦争でなくても日本の未来のために命を賭けた人はいっぱいいるのですから、そこに差を付けるというのは、神武天皇家を戴く悠久の歴史を持つ日本という全く違わない1つの同じ国の同じ人間の尊い行為として同じ意味があると言えるでしょう。
つまりやっぱり「先祖を大切にしましょう」という一言に全てが集約されるハズなんですね。
ですから、お盆という日に先祖を思い、また先人達を思って、いま我々がこうして平和に暮らしていけているのは先人達の努力の賜であるというコトを感謝するっていう、当たり前のコトを当たり前のようにするのが本来の姿であって、8/15に毎年のようにわーわー大騒ぎするっていうのは、これは本当にあるべき姿ではないとしか言いようがないのです。
やえが今日という日にこういう事を書くのも、本来はあるべき姿じゃないんですよ。
日記的に「今日はお盆だからお墓参りにいきましたー☆」程度に書く程度のお話にすべきなのです。
そしてさらに先を見据えましょう。
日本は確かに戦争に負けました。
でも日本は終わっていません。
世界で最古の歴史を持つ国として、いまでも日本は日本であり続けています。
であるなら、次もし戦争が起きたとすれば、次は勝つんだと気概を持つべきです。
戦争はできるなら避けるべき手段ですが、しかしイザという時に備えて放棄してはならない手段です。
そしてやるからには勝たなければなりません。
やえは大東亜戦争はすべきでない戦争だったとは言いませんが、でもやっぱりやるなら勝つべき戦争だったとは、確実に言えるコトです。
なぜ勝てなかったというのは本題ではありませんし、かなり難しい戦略と戦術議論になりますからここでは言いませんが、でもやっぱりやるからには勝たなければなりません。
負けても意味のある戦争であるコトも否定ませんが、勝てばもっと意味のある戦争になっていたのは間違いないのですから、やっぱり戦争は勝たなければならないのです。
こういう気概を日本人は持つべきです。
先人に感謝の念を持ち、先祖を大切にして、機会があればお墓でも神社でも参拝して感謝の気持ちを表し、そして日本はいつでも日本であり続けるよう誇りを持って、そしてその誇りが傷つけられる危機に見舞われる事態が起きれば、それを守るために戦わなければなりませんし、戦うのであれば勝たなければなりません。
ここまでの気持ちを持ってこそ「普通の国」なのではないでしょうか。
どんな国の人だって戦争はイヤです。
どんな人だって戦場に行くのはイヤです。
でもそれでも戦わなければならない時があるからこそいつの世だって戦争は無くならなかったですし、無くなるための努力は必要ですが、しかしそれは「負けてもいいや」っていう気持ちを持ってしまうコトとは全く次元が別のお話です。
「戦争はなるだけ忌避すべき。自分も戦場には行きたくない。でもやるからには勝つべき」
これはなんら矛盾する考え方ではありません。
いまの日本人にもっとも欠けている気概でしょう。
そろそろ日本人はこの次のステージに進むべきだと思います。
マイナスからのスタートで、未だプラスにはなっていませんが、でも前進し続ける必要は絶対にあるのですから。
昔に比べればいまはよい雰囲気になってきました。
でもまだまだです。
もっともっとこれからも、日本が日本であり続けるためにはどう考えるべきなのか、シッカリと未来を見えて考えていかなければならないでしょう。
ディスカッション
コメント一覧
昔と比べてよくなった点=国民に真実が伝わってきた事
昔と比べて悪くなった点=トンデモ政党が与党でトンデモ政治が行われている事
全体の雰囲気としては私はここ10年くらいしか知らない若い世代ですが風通しはかなりよくなってきていると思います
歯がゆい事がとても多いし理不尽な事ばかりですが、それらを是としない世論は確かにありますね
戦争はともかく舐めて挑発的な態度でかかってくる相手には恐怖を教えてあげなくてはなりません
お互い戦力を見極めて落としどころを話し合いで決める、戦力があるからお互いの勝手な行動が縛れるのです
それが外交の偽らざる姿だと思います、個人的にはどうかと思いますがそれが世界の常識のようで
竹島を不法占拠する暴力を行使するなら暴力をもって排除するのが国際常識、この国は当たり前の気持ちをなくしていますね
戦いも辞さない覚悟こそが戦いを避けられるのです
>>友駒
ほんの10年くらい前まで北朝鮮の拉致を口にすることも出来ず、
自衛隊は殺人者の集団扱いで、
核武装なんて議論をしようと提案しただけでも罷免されて、
改憲なんて絶対悪で9条改正なんてとても発言出来なくて、
日米安保なんて諸悪根源・・・
みたいな空気だったんですよ。それと比べれば。
勝つべき戦争だったと言うのは、違う気もします。
戦争は勝つことよりも負けない事に重点を置くべきかと思う。
スポーツと違って戦争の決断は慎重に行わなければならないかと。
『昔に比べればいまはよい雰囲気になってきました。』
・・・やえさんのこの言葉に今はすがりたくなるような思いがします。
いくら舐められても、政府はうつむくばかりでそればかりか外交の切り札はさっさと「使いませんよ」と放り投げ、愛想笑いをして。そして、「盆休み」。
マスコミも、やっぱりまったくいつもどおりの頼りなさ。
・・・・・・日本人は、外国に無茶を言われてもにこやかに譲歩を重ねる、とよく言われますね。相手は内心驚きながら、ためしにとさらに無茶をいう。それでも譲歩。調子に乗った相手はさらに無茶を・・・。で、あるラインを超えると、急に切れて「もう許さない」となり、そこからは相手が逃げ出してもどこまでも追いかけて戦う、とか。つまり駆け引きが不得意な民族。
まだだめなんでしょうか。もっともっと唾をはきかけられて、相手にしてみれば、「お、まだいける。まだ怒らない。これはどうだ、じゃあ、これは」
ラインはまだまだ先なのかな。ほんとに今の日本にラインはあるのかな。あるのなら、もっともっと侮辱してきてほしい。お願いだからそれに届いて欲しい。
絶望は愚か者の結論ですね。でも今日の私はほんとに愚かです。先の大戦で体を張って日本を守ってくださった英霊を思い、ちょっと泣いてしまいました。