持論と選挙の結果

 あけおめでございます。
 ことよろでお願い致します。
 
 今年はやえの年です。
 というのも、NHKの大河ドラマが今年は「八重の桜」でして、主人公が「山本八重さん」と言いましてですね、ここ最近テレビでやえやえ呼ばれまくってるんですね。
 八重はその度にビクッてしちゃっています(笑)
 最近ではちょっと珍しい名前ですしね。
 というワケで、今年は「やえ年」として頑張っていきたいと思います。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 さて今年一発目ですが、一発目から渋めの内容です。
 
 自分が信じる主張を正しいと論じるのは、それはそれで問題ありません。
 それは誰でも持っている権利であり、やえも当然として自分が正しいと思っているからこそこうやって公の場で自分の主張を論じているワケですから、それは覚悟さえ持っていれば誰でも出来るコトです。
 そして自分の論が正しいと信じるのも自由ですし、むしろそうだからこそ公の場で主張している、正しいと思わないのであれば主張なんてすべきではないとすら言えるでしょう。
 いくら反対の主張が世の中にあったとしても、自分の論、持論が正しいかどうかは、それは人数によって決せられるモノではありません。
 
 しかし政治は違います。
 特に民主主義政治においては、論の正しいか間違いかよりも、数が多い少ないの方が重要視されるコトはよくあります。
 選挙なんてその最たるモノで、例えばいくら自分が「民主党の方が正しい」と思っていたとしても、選挙の際において得票数の多かった自民党が政権与党を担当するコトになっています。
 政治の全てが多数決で決するワケではありませんが、しかし多数決を無視するのも民主主義政治としては間違っていると言えます。
 
 ですから「自分の考えは正しいんだから、全ての人が無条件で自分に従うべきだ」と言ってしまうのは、これは完全に間違いです。
 主張の上での正しさと政治上の決定は、大きく異なります。
 まして「自分の考えは正しいハズなのに、世間では全くその論が受け入れられないのは世間が歪んでいるからだ」と言ってしまうのは、もうとんでもなくデタラメだと言わざるを得ないでしょう。
 
 これをやってしまっているのが、いわゆる「放射脳」の方々です。
 原子力発電を嫌悪するのは勝手ですが、それを実現しないからと、日本政府や日本国民の方がおかしいんだと言ってしまうのは違います。
 まして官公庁などに迷惑行為をかけていい理由には一切なりません。
 「脱原発が唯一の正義なのに、なぜ政府はこれを推し進めようとしないのか」というようなコトを言う人がいますが、残念ながらこの前の総選挙では脱原発が正義とはならない、むしろ原発はある程度必要なんだというコトを国民が選挙で示したのです。
 ですから、それを踏まえて今後自分の論が正しいコトを主張や議論によって浸透していこうというコトでしたら全く構いませんが、受け入れられなかったからといって受け入れなかった側を攻撃したり、政府を攻撃したりするというのは、それはもはや逆ギレとしか言いようがないワケです。
 論と結果は別問題です。
 反原発の主張は主張として主張を行うのは勝手ですが、それを多数決の結果である国民の代表たる政府に対して強制させようとする物言いは間違いなのです。
 ここをごちゃ混ぜにしてはいけません。
 
 国民は間違います。
 やえは、民主党政権を誕生させた国民の判断は間違っていたと、ずーっと言い続けてきました。
 ですから多数決が必ずしも良い結果を、正しい結果を導き出すとは思っていません。
 しかし、選挙の結果は結果です。
 それを無視して政治に結果を出させるというのは、自分だけが権力を持つべきという、ある意味の独裁の考え方です。
 政治に結果を求めるのであれば、まずは国民にその論の正しさを説いて納得させる方が先なのです。
 
 選挙の結果が全てで、その結果が出たから持論を全て捨てろとは言いません。
 そんなコトは必要ありません。
 しかし選挙の結果を一切無視して、そんなモノは無かったと現実から目を逸らして、まして現実を攻撃するのも、それはむしろ論としても破綻してしまうコトでしょう。
 選挙の結果を受け入れ、その上で自らの主張は主張としてすべきなのです。
 
 最近ひとつの極端な論だけを政治に求める風潮が流行っている気がしてならないのですが、ここの切り分けというか、バランス感覚こそが、なにより今の政治に対する国民の責任として必要なのではないでしょうか。