失敗(民主党)から学べ 2

 シリーズ「失敗(民主党)から学べ」です。
 本日二回目の議題は、日本は官僚が牛耳っている官僚政治だ」というセリフについてです。
 
 「日本は官僚が牛耳っている官僚政治だ」については、民主党政権でイヤというほど違うコトが証明されたかと思います。
 確かに官僚制度というのはある程度の推進力はあります。
 極端なコトを言えば、大臣という運転手がいなくても、官僚だけである程度政策を前進させる力は持っています。
 しかしあくまで官僚は推進力だけでしかなく、操縦役・運転役ではありません。
 ですから、運転役がデタラメな運転をすれば、いくら官僚組織が存在していたとしても、デタラメな方向にしか行かないのです。
 それが民主党政権でした。
 
 民主党政権は「政治主導」という言葉を悪用してデタラメな運転をしました。
 一番分かりやすいのは、事業仕分けでしょうか。
 政治主導と無駄撲滅という言葉を旗印に、予算を獲得したい役人をテレビの前でさらし者にして、役人は悪だと思い混んでいる国民の溜飲を下げさせるタメだけに開かれた「政治ショー」でした。
 その結果、科学技術予算ですとか防衛関係予算ですとかスポーツ関連予算ですとか、無意味に削りまくって大批判を浴びたコトは記憶にまだまだ新しいかと思います。
 そしてその結果、どれだけ日本の国益を失わせたのか、説明するまでもないかと思います。
 これは、いらく官僚がある程度前進するための推進力を自ら持っていると言っても、運転手がデタラメならデタラメな方向に行くしかないという最たる例と言えるでしょう。
 
 そしてなにより、「官僚政治」という言葉が全く当てはまらない例でもあるワケです。
 
 官僚が牛耳っている官僚政治であれば、民主党がいくらデタラメでも、政治はある程度良い方向に向かっていたハズです。
 でも実際は、戦後最悪と言って良いほどのデタラメぶりでした。
 つまり、政治家が行政に占める力の割合は小さくない、いちいち「政治主導」と言わなくても政治家の大臣の思想や資質や手腕はとても大きいというコトが、これだけで見て取れると言えるでしょう。
 
 事実、自民党政権になってから、全ての面で民主党政権との違いが、もうたった1ヶ月だけで鮮明になっています。
 具体的な方策を省庁に実行させる前の段階、考え方を明らかにするっていうだけで、経済に大きな影響を与え、そして同時に省庁もすでにこの流れには逆らえないようになっています。
 あの日銀でさえ、無条件降伏、完全白旗状態です。
 またアルジェリアの事件も、安倍総理と岸田外務大臣などが冷静で着実な対応を取ったために、結果は残念なコトになってしまいましたが、外交対応としては安心して見ていられました。
 なにより、安倍総理や岸田外務大臣のアルジェリアやフランス・イギリス・アメリカなどの、まさに「政治家の場」である電話などの会談では、これ以上ない日本としての対応ができたと思います。
 もしこれが民主党政権だったとしたらどうなっていたかと思うと、寒気どころでは済みません。
 近年「話題にのぼる」「テレビに取り上げられる」コトが政治を評価するという風潮になっていますが、本来は、話題にのぼらないコトはつまり安定しているというコトであり、アルジェリアの件で言えば、事件の状況については話題になりましたが、政府の対応についてはあまり話題にのぼらず、これは丁寧に着実に確実に対応しているからこそであって、こここそが本来は主権者である国民として評価すべきポイントなんですね。
 こういう着実性を無視して民主党は「官僚政治だ」とか「政治主導でやる」とかうそぶいて国民を騙したワケで、だから事業仕分けなんていう「政治ショー」を仕立て上げて、とにかく話題になるコトを演出するコトによって評価を得ようとしたのです。
 その結果が「二番ではダメなんですか」ですよね。
 デタラメのカラクリです。
 
 もやは「官僚政治」という言葉は通用しません。
 こんなモノは存在しないコトはハッキリしました。
 ただもちろん官僚制度自体にある程度の推進力はありますので、あとは政治家が、どの場面でハンドルを切るのか、どれぐらいアクセルを踏んで、いつブレーキを踏むのか、という判断をするだけです。
 少なくとも、運転席に乗った政治家は操り人形でしかないかのような批判は当てはまりません。
 日本の政治は、運転席に乗った以上は、運転者の意志で運転できるのです。
 
 そして運転は政治家にかかっています。
 デタラメな政治家であればデタラメな方向にしか進みません。
 ここを国民が判断して決断を下さなければならないのです。