核兵器抑止力に関する議論のレス

2014年4月26日

 では今日は、核兵器抑止力に関する問題で、コメント欄で色々と議論になっていますので、そちらにレスしたいと思います。
 コメントくださっています皆さん、ありがとーございまーす。
 
 

 核という兵器はなんというか、トランプのジョーカーのようなもので、オールマイティーというわけでなく。
 これを出されると、他のカードでは対抗できない。そんなカードです。
 日本に向かって核を突きつければ、アメリカが報復してくれるかもしれませんが、日本自体には報復手段はありません。
 そして核を持つという事は、共倒れになる覚悟を相手に突きつけることができます。
 だからどこの国も核を欲しがるんです。
 核を撃ち返されるかもしれない。自国民に対して核の被害に甘んじろとは言えませんから、あまり追い詰めないようにしよう、となります。これが核の抑止力の正体です。核とは戦争手段ではなくて、報復手段ですよ。
 それを勘違いしてはいけないと思います。

 
 まずですね、今回のやえの更新で最も言いたかった事柄のひとつが「核兵器に対抗するのは核兵器しかないという考え方は本当に正しいのか」という点にあります。
 「これを出されると、他のカードでは対抗できない。そんなカードです」とのコトですが、その根拠はなんでしょうか?
 例えば今回何回も言ってますように、北朝鮮なんかはそのデッドラインは「金王国の崩壊」であって、それを超える価値を金王国の面々は持ち合わせていませんから、すなわち「金王国の崩壊」と「国民が放射脳で苦しむ」とを天秤にかけたら、金王国の連中はあっさりと後者を選択するでしょう。
 ですから北朝鮮の核に対する抑止力=北朝鮮が恐怖する行為というモノは、「金王国を崩壊させる力や行為」なんですね。
 北が核を撃ったら「金王国を崩壊させるぞ」と脅しが効く状態こそが、「北の核に対する抑止力が効いている状態」と言えるワケです。
 そしてこの「金王国を崩壊させる力や行為」は何も核兵器に限る必要はありません。
 通常兵器でも経済力でもいいんです。
 北朝鮮が恐怖するような手段を持っているコトこそが抑止力そのものですから。
 
 むしろ北朝鮮のような普段から国民の生活なんて一切顧みない、金王国の奴隷としか考えていないような国ほど、核兵器なんて抑止力にならないと言えるでしょう。
 一発で金王国、もっと言えばキムジョンウンの命を絶つ可能性のある爆弾を持っているという意味では抑止力としては働きますが、それは日本ぐらいの軍事力を持つ国にとっては核兵器がそれを占める割合はかなり低い、つまり持っていても持っていなくてもそうは変わらないというコトなんですね。
 もちろんこれは憲法九条を改正した後の場合です。
 ただ核兵器自体も憲法改正が絶対条件ですから、日本が現在よりより北朝鮮に対して抑止力を発揮しようと思うのであれば、まず行うべきコトは憲法改正であり、それが達すれば核兵器の保有自体は抑止力の大きさにほぼ影響を及ぼさなくなります。
 そして経済大国日本としては、核のない世界の方が相対的にあらゆる他国に対して軍事的優位に立てますから、そのメリットを勘案すれば、抑止力として効果の薄い核兵器を持つという手段よりも、核廃絶の方向に国際社会を誘導させる戦略をとった方がメリットは大きい、というコトなのです。
 
 「核に対抗出来るのは核だけ」という言葉はよく見るのですが、それが固定概念になってはいませんでしょうか。
 しかしそれも根拠を考えなければなりません。
 変なお話、世界の人間が全て日本人のような国であれば、「オーバーキル」の兵器である核兵器に対抗するのは、同じく核兵器になるかもしれません。
 為政者が「自分たちが負けた後の国」を考えるコトができるからです。
 でも残念ながら実際の世界の中にはそんなコト露程も考えない人間も少なくないのです。
 現実問題を考える上では、こういう現実問題もキチンと考慮しなければならないのです。
 
 

 核は核抑止(報復用)、戦略的な意味合いが強く。
 攻撃用の兵器と考えない方が良いと思います。
 しかし、威力と被害の大きさから、核で攻撃される場合の対策は常に求められます。
 そこで、「核」に対する選択肢の中で、「核武装」という選択をするのであれば理解出来ます。
 ただ、個人的には核武装(核抑止)には穴と限界があると考えてまして、
 現状では、多大なコストが掛かるでしょうし、
 それなら、新たな選択肢を生み出す。又は他の選択肢を育てる事にした方が良いのかな?っと思ってます。
 現状、事実上同盟関係も機能しているみたいですし。

 
 これまた後にも書くと思うんですが、核兵器っていうモノを1つ取り出してその核兵器だけを考えた場合の抑止力論と、「日本が核武装する歳の抑止力論」って、これ別モノなんですね。
 例えば小国が核兵器を持つ意味というのは、これは本更新でも書きましたように、かなり効果は大きいとやえも認めるところです。
 北朝鮮が核兵器を持ちたがる理由は分かるワケです。
 もちろん日本としてはそれを認められるハズがありませんが、そもそも核兵器とは、「通常兵器で戦力差が大の国の間において、それを一発で埋めるコトが出来る兵器」なんですね。
 例えば日本の通常兵器に通常兵器で対抗しようと思えば、まずは経済力を日本並みにしなければなりません。
 でもそんなコトはほぼ不可能なワケですよね。
 そんなコトができるもんなら、どの国ももうしているでしょう。
 でも現実的には様々な要因でそれが出来ない、でも戦略差はどうしても埋めたい、ではその差をどうするのかって考えた時に、唯一の方法として出てくるのが核兵器なのです。
 つまり核兵器は「小国の武器」なんですね。
 
 日本が核を手に入れて「オーバーキル」の能力を持っていたとしても、そのオーバー分は完全に無駄でしかないのです。
 多ければ多いほどいいってモノではありません。
 だったらやっぱり別の選択肢をとる方がいいのではないでしょうか。
 その方が、「核武装した日本vs核武装した他国」と「核武装していない日本vs核廃絶された世界の他国」で比べれば、断然に後者の方が日本にとって優位な立場に立てるのです。
 別の選択肢の方がいいですよね。
 
 

 そもそも、なにがなんでも今すぐ核武装だとか絶対核武装は永久にしないとかいう考え方はおかしい気がします。
 私は核武装論者だけど状況次第で半永久的に先送りしてかまわないと思っています。
 現時点で将来核武装するかどうか決めるのではなく、安全保障環境次第で505氏のいうハードルを一つ一つ越えるなり取り下げるなりすればよいのではないでしょうか。それ自体が政治的なカードになるわけですし。
 現状では日米安保体制の範囲で可能な集団的自衛権等の法整備や敵基地攻撃能力などの通常戦力拡充を目指していくのが妥当だとは思います。

 
 まず憲法改正と自衛隊の国軍化は最低条件なんですよね。
 通常兵器でも抑止力としては十分っていうお話も、全て国軍化された後のお話であって、いまでは完全に不十分です。
 だっていまの自衛隊の装備っていうのは空爆すら出来ないのですから、これでどう相手を叩くのかってお話になるからです。
 だから現在はアメリカと不平等な日米安保(もちろん米国の方が負担が大)が必要ですし、そしてそれを信用出来ないっていうなら、まずは核兵器なんかより憲法改正の方が超特急で必要なワケです。
 変なお話、核武装論を説くコトに時間を割くよりも、未だ憲法改正がままならない現状に対してもっと支持者が増えるように説くべきでしょうね。
 
 ここにコメントしてくださっている方がそうとは言いませんが、しかし世間に散見する日本核武装論者の中には、単にモデルガンをほしがるおこちゃまでしかないような人も多く見受けられるんですね。
 核兵器さえ手に入れればなんでもできるようになると錯覚しているとしか思えないような人です。
 核兵器論に限らず、とにかく結果だけを求めるような人は少なくないワケですが、しかし実際の政治論というのは着実な一手一手の前進でしか結果を出すコトは出来ないのですから、そこをまずは現実的に考えてほしいなぁと、よく思うところです。
 少なくとも憲法改正ひとつとっても、未だ反対する人が国内にも少なくない数いるのですから、それを無視して一足も二足も飛び越して核武装論を唱えて、それで納得しろっていう方が難しいでしょう。
 現実世界には、憲法改正や国軍化には賛成するけど核武装には反対だっていう人もいるのですし。
 
 

 兵器=相手を殺すものというイメージに引きずられすぎてるのではないでしょうか。
 主張が核による攻撃とそれを撃たせない抑止力というイメージしか持てていないように思われます。
 核抑止力は防御に必要な物になります。なので盾も兵器であるというイメージが必要だと思います。
 核を所有する金体制を核を持たない日本が崩壊させる事ができるとお考えのようですが残念ながらできません。
 理由は核抑止力という盾を持たないからです。
 核を持つという事は相手国の国民数百万人以上を人質に取るのと同義です。
 現実的な視点で考えましょう。民主主義国家で数百万人以上の人間が危険に晒される状態で政権を維持できる政党なんで存在できると思いますか?
 大戦中ならまだしも、現代ではそんな事北朝鮮でもできません。
 そりゃ日本よりはやれる可能性は高いですが、現実的に考えて北朝鮮も一枚岩じゃない以上、無理です。
 ここら辺の国体の違いから、核兵器が民主主義国が思っている程、独裁国家に対し効果が薄いというのなら多少は理解できます。
 しかし、国体の違いや思想、理想を吹き飛ばす程、多数の死という物が持つ恐怖は、圧倒的な普遍性を持っています。
 なので核兵器が必要になります。
 戦争の本質は暴力ではなく、それに伴う恐怖によって相手を従わせる事にあります。
 残念ながら、非核思想は尊い物だと思いますが、現実的には相手が恐怖を持つならこちらも恐怖を持つというしか無いのです。
 現在の技術では空爆で核兵器を防ぐ事はできません。核兵器は移動可能ですから。

 
 「核を持つという事は相手国の国民数百万人以上を人質に取るのと同義」だから「核を持たない日本」が「核を所有する金体制を崩壊させる事ができない」ので日本は核武装すべきだ、というご主張だと見受けられるのですが、しかしこれ片手落ちですよ。
 だってこの理屈で核武装すべきだと言うのであれば、「日本が核武装すれば核を持つ金体制を崩壊させられる」、その裏には「日本が核を持てば北は絶対に核兵器を撃ってこないと国民数百万人以上を納得させられるだけの確証を示すコトが出来る」という理屈が成立しなければならないからです。
 しかしこれには大変に疑問です。
 つまり「日本が核武装すれば100%北朝鮮は核兵器を撃たない」という前提のもとで成り立つ理屈となるワケですが、残念ながらそれはあり得ないでしょう。
 なぜなら、北朝鮮は自国民の命なんてそんなに大切には思っていないからです。
 これは論拠を付けるまでもないですよね、普段の北朝鮮の政治施策を見れば一目瞭然です。
 ですから日本が核を持っても北朝鮮は躊躇わずに日本に向けて核を撃ってくる可能性は否定できないワケで、よって「国民数百万人以上を納得させらる」コトは不可能であり、その結果日本の視点からすれば「核を持っていても持っていなくても同じ」ぐらいの意味しか持つコトができないのです。
 
 北朝鮮が金王国の崩壊を目前にした時、このまま通常兵器と戦うのか、それとも一か八かで核兵器を撃つかの選択肢を迫られた時に、金王国の面々がどちらを選ぶのかと言えば、それは後者の方がまだ金王国の崩壊を防ぐ可能性が高いと践めば、その相手国が核を持っていようが持っていまいが、北朝鮮は何の躊躇もなく核兵器を撃つでしょう。
 北朝鮮にとっては、その結果として自国民が放射脳で苦しむよりも、金王国が存続するコトの方が優先順位が高いですからね。
 つまり「金王国は滅びるが、国民はこれからも生活していける」と「国民は地獄の苦しみを味わうが、金王国は存続する」では、今の北朝鮮では確実に後者を選ぶのです。
 と考えた時、「数百万人以上の人間が危険に晒される」という恐怖は北朝鮮に対しては全くといっていいほど抑止力として効果を発揮しないのですから、よって日本が核武装するメリットはほとんどないとしか言いようがないワケです。
 
 むしろ日本が核兵器を持ったら相手国は絶対に撃ってこないと言える論拠って何なのか、やえにはちょっと分からないんですね。
 結局「民主主義国家で数百万人以上の人間が危険に晒される状態で政権を維持できる政党なんで存在できると思いますか?」っていう抑止力論は、これは「民主主義国が成熟している大国」に対する抑止力にしかならないのです。
 これはかなり世界的に見れば数が少ないと言えるでしょう。
 つまり具体的に言えば、「日本から見た北朝鮮」であり、さらにその民主主義国は核兵器を持っている必要すらなく成り立つ方程式です。
 確かに北朝鮮が核兵器を持っている以上、日本が仮に自衛隊を国軍化させたとしても、おいそれと攻め入るコトはできません、それはまさにおっしゃるとおり「民主主義国家で数百万人以上の人間が危険に晒される状態で政権を維持できる」のは極めて困難だと思うからです。
 そしてこれは、日本が核兵器を持っていようが持っていまいが、一切関係がありません。
 果たして北朝鮮にとっては「自国民を無慈悲に見殺しにできる」という“強み”を持っているからこそ他国が持っている核抑止力を無効化させるコトができる一方、北朝鮮にとっては日本などの成熟した民主主義国家は自らが勝手にその手足を縛って核兵器を撃つコトができないでいるとしか目に映らず、たいへんにおいしい状況になっているワケなんですね。
 
 繰り返しますが、北朝鮮という小国が核兵器を持つ意味はあります。
 これはあるんです。
 実際、核兵器を持っていない北朝鮮と持っている北朝鮮を比べたら、日本が戦争した場合どっちがやっかいかと言えば、それは確実に核を持っている方ですよ。
 核を持つだけで戦争という道は、民主主義が成熟している日本側からは、ほぼ絶望的と言えるでしょう。
 しかしこれはあくまで北朝鮮が核兵器を持つべきかどうかのお話です。
 日本が核兵器を持つべきかどうかのお話ではないんですね。
 では日本が核兵器を持つべきかどうか、その意味はどこにあってどれぐらい大きいのかというコトを考えたらですね、少なくとも日本は攻撃に核兵器を使おうという考えはないのであり、核兵器に対抗するための核兵器という視点しかないのですから、それを踏まえて言えば、小国に対する抑止力は通常兵器だけで必要十分だというコトと、小国は必ずしも国民の命を最優先に考えないのだから核兵器を日本が考えるよりも恐怖に感じておらず、よって核を撃つコトを踏みとどまらせる抑止の力がかなり弱まるワケであり、この2つの理由から日本が核兵器を意味合いはかなり小さいと言うしかないのです。
 
 これらを勘案した場合、日本が下手に核武装して北朝鮮に正当化の口実を与えるよりも、核開発するだけで罪だと国際的に圧力をかける方がよっぽどかメリットがあると考えられます。
 やえは決して尊いから核廃絶を訴えているのではありません。
 その方が日本にとってメリットになる国益になると考えるからです。
 
 

 ならば、所謂大国が何故「無意味な核兵器」を今もって、しかも云百も所有しているかが気になるところですが。無論、核兵器の製造、保持、発射基地の費用を鑑みれば決して安くはないのですから、単なる既得権ではないのは明らかでしょう。となれば、それだけの費用を受け持つだけの利益がある、と核保有国は考えているのでは?となれば、核保有には百害あるが利益あり?
 なお、ことわっておきますが、自分としては核保有の是非は、「日本国憲法は弊害だから即刻無効化せよ」と同じレベルだと思っていますので、悪しからず。

 
 これは歴史的経緯を無視するコトは出来ないでしょう。
 第二次世界大戦時に原爆を開発するコトができ、実際に落とすコトが出来たのは、あの当時であれば大きな利益となっていたコトでしょう。
 また第二次世界大戦前から終わって十何年間、おそらくベトナム戦争までですかね、は、未だ気に入らないという理由だけで他国を攻めて植民地化できる雰囲気が世界には色濃く残り、いまより戦争を認める雰囲気が格段に簡単でしたから、そういう世界では核兵器のメリットも今と比べれば遥に高かったというのは現実的なお話でしょう。
 また米ソの冷戦時における核開発競争の雰囲気も無視出来ない状況です。
 あの時はまだ、大国が攻撃のために核兵器を撃つっていう可能性を十分に孕んでいた時代だったのです。
 よって、あの時は大国でも核兵器を持つ理由、理由というよりは必要性があったというのはその通りだと思います。
 
 ですからもしあの当時であれば、日本が核を持つべきだという論にやえも賛成していたかもしれません。
 でもあの時とは違うんですよ、今は。
 今の時代を冷静に考えれば、日本は核兵器を持たない方がメリットが大きいのです。
 
 また、これはもはや人間の性でしょうけど、一度持ったらなかなか手放せないっていう心理的な要素も無視出来ないかと思います。
 その意味からも大国は今でも核兵器を持っていると説明できます。
 なかなか人間は過去の自分の行いを否定出来ないのです。
 特に実際に原爆を投下したアメリカは尚更でしょう。
 また、それでも核軍縮はゆっくりながらも進んでいますし、それは米ソ冷戦時代でも実現出来たコトですから、もはや時代が進めば進むほど大国における核兵器の役割の割合は小さくなっているというのは大国も認めるところだと言えるハズです。
 でなければ、核軍縮どころか、まだまだ核開発を大国は推し進められているコトだと思います。
 
 

 そうじゃなくて、追い詰めすぎると核を撃つかもしれないから、そこまで追い詰めないようにしようと思わせるのが、核保有の目的。抑止力。
 それプラス報復手段。
 小国も大国もその部分は変わりない。
 北朝鮮の金体制だって倒そうとすれば、倒せるでしょう。
 でも後始末(難民や経済的意味を含む)が大変だから倒さない。それに本当に体制崩壊になってしまうと核だって使うかもしれない。
 自国の国民に金体制を倒す代わりに、核の被害に甘んじろとはいえないのは、どこの国も同じ。
 だからどこの国も現状維持を望んでいる。
 核がなかったら、経済と難民問題だけだからもしかしたらとっくに打倒して終わりだったかもしれない。
 ある意味、核抑止力の見本になってるじゃないですか。

 
 これは何度も言ってますように、小国の理論ですね。
 それはやえも認めるところです。
 小国にとっては、桁違いに違う経済力を根底とする通常兵器の差を埋めるために核兵器を持つっていう選択肢は、いまのところでもかなり大きな意味があると思います。
 これからはそのメリットを消していく必要があると思いますが、現在でもそれは否定出来ないところだと思います。
 理由はおっしゃるとおりです。
 
 しかしこれはあくまで小国だけに限ったお話です。
 北朝鮮なんかは、核の被害に甘んじて金王国が存続出来るなら、喜んでその道を選ぶじょう。
 だって現状だって似たようなモノですからね。
 国民の幸福よりも金体制の存続の方が大切っていうのは、現状見れば簡単に分かるコトです。
 ですからいくら日本が核兵器を持っていたとしても北朝鮮は「後始末が大変だ」なんて思わないですから、抑止力にならないのです。
 北朝鮮は日本が核を持とうが持つまいが日本に向けて核兵器を撃つ可能性はあるんですよ。
 まずここは冷静に受け止めなければなりません。
 つまり核を持っている北朝鮮に対して日本は追い詰めるコトはできないと言えますが、それはその通りですが、その理屈が北朝鮮にも同じように作用するとは全く言えないんですね。
 北朝鮮は心理的圧迫がない分日本よりも簡単に核ボタンを押すコトができるのです。
 自国民に被害を甘んじさせるコトなんて日常の出来事なんですから。
 よって日本の核武装は、キムジョンウンの決断を迷わせる要因とはなりはしないのです。
 日本はその上でどう対峙するのかを考えなければならないのです。
 
 大国が核兵器を持っているからと言って、小国が核兵器を撃たないという保証を得られるモノではありません。
 小国の中には、国民の命よりも価値を上にするモノがあるとする国や民族はいっぱいいるのです。
 ここを見誤ってはなりません。
 
 
 さて最後にいっぱいコメントしてくださっているhanさんにレスをしておきたいと思います。
 いっぱいあるのでどこを引用したらいいのか迷いましたので、というか、この議論の流れて一部だけ引用しても違う感じになりそうなので、敢えて引用無しでレスさせていただきます。
 
 今回のやえの一連の更新とは、特に「現実的な核兵器運用」と題した更新については、その本題は「そもそも抑止力とは何だ」という命題がメインで据えられていました。
 しかしhanさんは、「核を持てば100%の抑止力を得られる」という前提で議論を進めていませんか?
 これでは議論は噛み合わないのです。
 今回の命題は、「果たして本当に核兵器には、特に日本が核兵器を持った場合には抑止力になるのか、あったとしてもどれぐらいの割合を占める抑止力になるのか」という部分を考え直そうという部分が大きいワケで、かなり早い段階でやえは「核に対抗出来るのは核だけ、という理屈はまず疑うべき」という趣旨のコトを言っています。
 まずここが今回の命題なんですね。
 抑止力の存在そのものを疑うのが命題であって、もしあるというのでしたらあるという論拠、無いのでしたら無いという論拠を示してこそ、今回の一連の更新の答えになるのです。
 それなのに、「核を持てば100%の抑止力を得られる」という前提で議論をしても、全然お話が噛み合いませんね。
 
 この「本当に日本が持つ核兵器に効果的な大きさの抑止力が存在し得るのか」という命題に対し、やえはひとつの答えを出しています。
 これまで散々言ってきましたように、北朝鮮のような国は、国土の保全や国民の安心よりも自らの権力保持の方を優先させる国ですし、また聖戦と称して命よりも価値を置くモノを守るために後先なく攻撃を仕掛ける民族も世界にはいるのですから、それに対しての核の抑止力は相当に低いと、日本の国益に対する通常兵器に上乗せして効果を上げる程の意味は無いと、そう答えを提示しているのです。
 核兵器を撃たれるコトを想定しても先に敵に核を撃つ理由を持っている国はたくさんあるのです。
 
 例えば9.11の時、もし核兵器を持っていてアメリカ本土で爆発させる技術や機会があったら、タリバンやアルカイーダは核攻撃していたと思いますよ。
 何よりアメリカに一泡吹かせるのが目的だったというのが理由のひとつであり、さらに言えば、アメリカが核報復するにしてもゲリラ的な動きをするアルカイーダに対してアフガニスタンの国土を無差別に核攻撃するワケにはいきませんからね。
 世論が持たないというだけでなく、そもそも無意味にしかならないからです。
 よってアルカイダやタリバーンのような組織にとっては、アメリカが保有する核兵器なんて、何ら抑止力にはなりはしないのです。
 そもそも一泡吹かせた後どうするかっていうところまで本当に考えているのかどうかすら疑わしいんですよ。
 結果的にはタリバンは政権の座を失いましたし、アルカイーダもゼロになったとは言いませんが、確実に当時よりは力を失っていますよね。
 大きなスポンサーも失いましたし。
 それともアメリカが軍を出さずに逃げられるとでも本気で思っていたのでしょうか?
 それはあまりにも甘すぎますよ。
 ですからこれらを見れば、「歴史的な一撃を加えるコト自体」が目的だったのであり、その「神の一撃の歴史」が残ればそれで最低限の目的は達成されたとしている、と見るのが一番自然ではないでしょうか。
 そういう価値観の人間もこの世の中にはいるのです。
 
 残念ながらhanさんは、ここを無視してしまっているんですね。
 核兵器には絶対の抑止力があると、それを根拠にして議論してしまっているように見受けられますが、しかし今回のやえの論旨は、そうではなくてその前の段階として、その核兵器の抑止力に疑問を持ってみましょうというところにあるのです。
 「核兵器は絶対の抑止力じゃないですよね。だって国民の命よりも重要視する為政者は世界に確実に存在しますから」っていう問いかけに対して、hanさんは「いや核兵器は100%の抑止力がある。抑止力があるから日本も核武装すべきだ」と言ってしまっているのです。
 議論が噛み合っていないですよね。
 議論すべきポイントがズレてしまっているからです。
 
 hanさんは「指導者になる人はいくら異常性があると言われている人でもちゃんと計算して戦争してます」とおっしゃっていますが、これの論拠がよく分かりません。
 北朝鮮の普段の施策を見ていれば、全くの真逆の政治が行われているようにしか見えません。
 それを眼前にしてどうして「指導者になる人はいくら異常性があると言われている人でもちゃんと計算して戦争してます」と言えるのか不思議でなりません。
 北朝鮮だけでなくアルカイーダの件にしても、どう考えても世の中には、自国民の命よりも自分の身の保全の方が大切だと思う為政者がいるとする方が自然でしょう。
 そしてそのような現実がある以上は、日本の今の立場を考えれば、核を保有するという選択肢よりは、核廃絶を訴える選択肢の方がメリットが大きいと思えるのです。
 
 もうひとつ論拠を付け加えておきましょうか。
 石井光太という最貧国でさらに底辺の生活を強いられている人間や子供達と共に生活してその体験談を本に顕しているルポライターの人の著書の一節です。
 

 しかし、武装勢力は戦争をつづけるためには、絶えず兵員を補修していかなくてはなりません。兵士は消耗品ですし、勝利のためには絶対条件として兵の数が必要になってくるのです。が、政府の軍隊とは違って、多額の給料で兵士を集めたり、徴兵制によって定期的なリクルートをしたりすることができません。そこで、武装勢力のなかには、子供をさらってきて無理やり兵士に仕立て上げることがあるのです。たとえば、ウガンダや今後の武装勢力は、地方にある農家を襲撃して食料や現金などを強奪したついでに、幼い子供までつれさります。そして、その子供達を脅かして、兵士として働かせるのです。
 
 石井光太『ルポ 餓死現場で生きる』ちくま新書

 
 もしかしたら、こいつらは所詮ゲリラであって為政者ではない、と言うかもしれませんが、しかしその所詮ゲリラがでは核兵器を手にしたらどうしますか?
 もしくはゲリラ戦で勝ってしまって、そういう人間がそのまま為政者になる可能性だって否定出来ないでしょう。
 そうなれば、その相手国が核武装してようがしてまいが、目的のためなら手段なんていっこうに構わない人間が政治を司るコトになるのですから、兵器で核攻撃する可能性は絶対に否定出来ないですし、むしろ高いと言えるでしょう。
 それこそ消耗戦を仕掛けてくる可能性はどこまでも消えない、むしろ消してしまってはいけないでしょう、日本の国防論的に。
 
 ここで言いたいのは、ゲリラに核兵器が渡るかどうかではなく、「世の中には国民の命を脅されても何とも思わない人間は確実に存在する」というコトです。
 むしろ守るべき国民、まして子供までをも道具以下にしか見ていない人間なんてゴマンといるのです。
 この現実を直視してください。
 
 もうちょっとこのお話を続けましょうか。
 当サイトの管理人のあまおちさんが数年前に中央アジアに行ったコトがあるそうなのですが、例えば現地の人の説明によると、その都市の人口は○○人だが、街中にもスラムはいっぱいあって、そこの統計はとってないから正確な人口は分からない、と言っていたそうです。
 まぁこれはなんとなく想像出来ますよね。
 でも現実はもっと厳しいのです。
 さらに説明では、まだスラムはいい方なんだそうで、さらにその下に、路上で生活している人もいて、その実態は全く把握出来ていないんだそうです。
 たまに「ストリートチルドレン」という言葉を聞くコトがあると思いますが、もちろんそういう子供達もたくさんいますが、さらに一家全員が路上で暮らしている例も珍しくないんだとか。
 実はスラムも家賃があるらしいんですね。
 これは地域によって違うのかもしれませんが、そういうところもあって、スラムの家賃すら払えないような人が、路上で寝泊まりして物乞いやゴミあさりでその日暮らしをしているんです。
 
 そして政府はこれらに全く対応をしていません。
 できないのかもしれません。
 でも、何もしていないのは事実です。
 まして逆にですよ、先ほどの著書の例ような誘拐がなされてしまっても、警察は見て見ぬ振りなんだそうなんですね。
 むしろマフィアから賄賂をもらっていて、「この国の警察はマフィアそのものだ」なんて言う人もいるぐらいなんだそうです。
 
 何が言いたいのかと言えば、hanさんの「核兵器には抑止力がある」という結論には「指導者は最低限ちゃんと計算して戦争する」という論拠の下で成り立たせていろ結論であるワケですが、しかしこの論拠の部分が必ずしもそうは言えないってコトを指摘しているんですね。
 核兵器を本当に撃つかどうかは、その場その時その為政者の判断になりますから、今の段階では世界の誰でも断言はできないでしょう、為政者自身もその時になってみないと判断なんて出来ないでしょう。
 だから今の世界中にある全ての論は全て仮定論です。
 しかしだからこそ普段の言動から判断するしかないのです。
 そして普段からの言動を鑑みれば、決して全ての為政者が善人である、国民の生命財産こそを最優先しているとは断言出来ず、場合によっては簡単に国民を見捨てる可能性は否定出来ない、少なくともすでに見捨て続けている現実があるというこの事実は事実として認めなければなりません。
 ストリートチルドレンだから捨てるんだろ、キチンと家に住んでいる人間は見捨ててないじゃないか、と言うかもしれませんが、そうじゃなくてですね、日頃そういう考えのもとで政治を行っているのですから、いざという時にその「見捨てる範囲」が広がる可能性は否定出来ないじゃないですかってお話なんですよ。
 普段自分たちの都合の悪い人間を見捨てているのですから、いまはその国民の存在が都合が悪くなくても、今後都合が悪くなればその国民も見捨てる選択肢をとるのではないかと見る方が自然ですよ。
 北朝鮮なんかその最たる例で、少なくとも普段からそれを実戦している為政者に対しては、いざという時も同じように見捨てるのではないかと想定して対峙するのが、むしろ当然ではないのでしょうか。
 そうしなければダメだと思いますよ。
 
 この事実を前にすれば、「指導者は最低限ちゃんと計算して戦争する」と言ってしまうのは間違いだと言わざるを得ないのです。
 そしてこの「指導者は最低限ちゃんと計算して戦争する」が間違いであるならば、「核兵器には抑止力がある」という結論も見直す必要があると言うしかないのです。
 
 「核兵器を保有すれば他国から核兵器を撃ち込まれる心配はなくなる。だから核武装しよう」という論は、その根底から考え直す必要があると言うしかないのです。
 いまのネットも含めた多くの論は、「核を持てば核を撃たれない」という論に下支えされていますが、実はこれ論拠がないってコトをやえは指摘しているんですね。
 たぶんこれを言っている人はそうは多くはないでしょう。
 多くの核廃絶論者も感情論の域を出ない人がほとんどですし、核武装論者も論拠無き絶対抑止力論を無批判に信じている上での主張でしかないワケで、だからやえのこの言わば「戦略的核廃絶論」を唱える人はほとんどいない、下手したらやえが日本初かもしれません。
 だから、感情的核廃絶論者も絶対抑止力核武装論者も、その根底を覆すこの考え方はいきなりは理解しづらいかもしれませんが、でもよくよく現実を見て考えてください。
 この世の中には、国民の命なんてどうでもいいと思っている為政者は確実に存在するのです。
 日本人は違うと言うのは結構ですが、しかし日本人の常識が通用しない外国を相手にする国防論は、その現実に対してどう対処するかってコトを考えなければならないのです。
 これを考えれば、決して核武装が対核兵器になるとは断言できません。
 
 これらを全て踏まえた上で、すなわち「核を持っていても核攻撃される可能性は存在する」「核を持っていなくても通常兵器やミサイル防衛システムや経済力などで対核抑止力になる可能性は存在する」という二つの命題を前にすれば、今現在の世界状況に置ける日本の立場を総合的に考えれば、やはり核廃絶を訴える方がメリットが大きいとやえは思うのです。
 通常戦力と経済力が小さい国がその差を埋めるために核兵器を当てはめるのは有効ですが、すでに桁違いの戦力と経済力を持っている日本がさらに核兵器で上乗せしても、無駄なオーバーキルの部分が増えるだけで、無駄は無駄であって、抑止力という心理的な箱の中身は何ら一切変わらないからです。
 それよりも、通常戦力と経済力が小さい国がその差を埋めさせない戦略をとる方が、相対的な戦力差・国力差が大きい分、日本にはメリットなのですから。
 
 
 ごめんなさい、もしかしたらブログに移行してから最長の文章になってかもしれません(笑)