法治国家だからこそ法を第一に

 では今日は、いただいたコメント「他の案件と違い極めて危険なものなのですから政府権限でやってしまえばよかった」について、考えてみたいと思います。
 もう一度コメントを引用させてもらいます。
 

原因かどうかはまったく違うと思います。
ただ政府としての対応が遅かったことは否めません。
東電を大人扱いしすぎたのでしょう、民間会社ということで関与を遠慮しすぎたのでしょう。
政権をとってから結構な期間がたつのにあまりにも原発事故の収束をスルーしすぎていました。
民主党からかわってすぐに2年もほったらかしにされていた応急処置でしかない現状にメスをいれるべきだったのです。
国民の顔色を伺うあまり緊急対処を怠ってしまったと考えます。
福島の事は東電の処理能力を超えており(自己利益ばかり追って無能すぎるからですが)政府がやるべきです。
他の案件と違い極めて危険なものなのですから政府権限でやってしまえばよかった、国民もそれに文句は言わないでしょう。
もし文句が出るとしたら法家原理主義者か反日主義者ぐらいのものでしょうし。
繰り返しますが2年間の間で東電はすでにその資格がない事を知らしめているのですから。
青山繁晴氏と同じく私は東電にも民主党にも、現政権にも現状維持以外何もしてこなかった責任があると考えます。
少なくとも素晴らしい対応をしたことはありません。

 
 端的に言えばこれって「緊急事態なんだから法を越えろ」という意味ですよね。
 これ、やえは反対です。
 コメントでは法を越えて良い理由として
 

2年間の間で東電はすでにその資格がない事を知らしめているのですから。

 
 とありますが、しかし、資格がないコトを「知らしめている」というのは、あまりにも法を越えて良い理由として不明瞭極まりないとしか言いようがありません。
 「知らしめている」とは、具体的にどういう状態を表しているのでしょうか。
 
 一番危険視しなければならないコトは、その線引きが人の考え方によって曖昧なのに、それを根拠としてしまえる前例を残してしまう、というコトです。
 つまり「緊急事態」とか「知らしめている」とかって、その具体的な事象はかなり人によってその中身が変わってきますよね。
 放射能騒動ひとつとっても、いまの段階でもはや日本は滅亡しているんだと言わんばかりに大騒ぎする人もいれば、普通に淡々と日常に戻っている人もいますよね。
 そういう人によって中身が曖昧で線引きがハッキリしていない理由を持って、巨大な権力を行使する理由や根拠がその人の中だけでの考え方で行使されるというのは、これはもはや人治国家のあり方そのものと言うしかなくなってしまうのではないのでしょうか。
 ここをどう考えるか、ですよ。
 
 法治国家より人治国家の方が対応が早いというのは確かです。
 その人の権限だけでその人が思うように権力と実力を行使できるのですから、そりゃ早いですよ。
 もっと言えば、民主主義よりも王政の方が色々な面で対応が早いのも同じ理由です。
 法律一つ作るのも、民主主義では多くの人間が集まって議論して審議して決めなければなりませんが、皇帝がいる国なら、皇帝一人が「この法律を作る」と言ってしまえば、それで終わりですからね。
 早いのは早いです。
 よって、どちらの制度が優れているとかは安易に比較は出来ません。
 こういう面も含めて、人治や王政の方が優れている面も多々あるでしょう。
 
 ただ、現在の日本は民主主義国家であり法治国家です。
 日本の立法府も行政府も司法府も、全ては現行憲法と法律のもとに全ての行動が規定されています。
 公権力は法律によって担保されているのであって、法律を越えて公権力が揮われるコトはあってはならないのです。
 それは国民こそがその制度を是認しているからこそ、いまの日本を日本たらしめているのです。
 
 そうした中で、「緊急事態だから」とか「知らしめているから」とかという、全く具体性のない、人によってどうとでも捉えられるような根拠で公権力がふるわれるというのは、あってはならないコトです。
 ある人がそれを緊急事態と思っていても、別の人はそれを緊急事態とは捉えていないかもしれません。
 これが人治国家や王制国家であるなら、為政者が緊急事態と判断すれば緊急事態なのでしょうが、これが民主主義であれば「他人の意見も自分の意見と同等」なのですから、「自分がこう思うから緊急事態だ」と断言するコトは出来ないのです。
 常に「他人の意見の存在」を意識しなければならない、してこその民主主義なのです。
 
 で、民主主義では他人の意見も尊重しなければならないってだけでは国家として機能しなくなるので、まずは選挙という形で「自分と他人の意見」を集約して、ある程度の「ひとつの答え」を出します。
 そして選ばれた代表達でもって法律という規範をつくるワケです。
 どこかしら妥協しつつも、他人の意見を集約して「ひとつの答え」を現実的にこうやって作っているワケですね。
 これが民主主義を担保しているのです。
 
 ハッキリ言ってしまえば、「緊急事態だから」とか「知らしめているから」という理由だけで法律を越えろと言うのであれば、それはもう法治国家の破壊を示唆していると言えてしまうのです。
 だからやえは反対です。
 民主主義国家である以上、その論拠は民主主義の根幹である選挙に根ざした法律でもって規定されておかなければならないのです。
 日本が民主主義国家である以上は、民主主義国家の本文を守らなければなりません。
 
 また、この法治国家としての責務を放棄するコトは、同時に国民を甘やかすコトにも繋がるという点も考える必要があります。
 前回も言いましたように、政府主導で東電の原発事故を対応しようと思えば、法律を作って東電を半国営化させる必要があります。
 つまりそれは、主権者である国民に根付いた上での法律が根拠となり担保となって公権力の発動となるワケです。
 しかしこの「緊急事態だから法を越えろ」という考え方は、つまり国民を蔑ろにし、国民不在のまま権力を動かせと言っているコトになるのですから、同時にそれは国民の甘やかしにしかならないのです。
 本来は国民が考えて国民のもとの法律を作りそれを根拠として公権力を動かさなければなりませんす。
 それなのに国民自身がその責務から逃れて、自分ではない他人に好きにやって下さいと言ってしまうのは、あまりにも無責任であり、甘やかしとしか言いようがないでしょう。
 この意味からも、やえは「緊急事態だから法を越えろ」というような主張には反対します。
 
 一言で「復興しろ」「早くしろ」と言っても、現実は様々な事情や都合が複雑に絡み合っています。
 もし他人を批判するのであれば、その辺もキチンと考慮した上でないと、それはただの悪口になってしまうコトでしょう。
 批判するなとはまったく言いませんが、批判が批判であるためにはキチンと筋を通したいモノです。