政治に対する知識の全体的な向上を目指すべき
当サイトのような小難しいサイトにわざわざ足を運んでくださる方というのは、政治に対して一般的よりもだいぶ意識の高い方なんだろうと思います。
手前味噌かもしれませんが、当サイトは新聞なんかよりも具体的にもっと詳しく政治や永田町の動きを説明したりしているつもりですから、それを楽しめる方が集まってくださっていると言えるでしょう。
正直バラエティ色なんてほぼ皆無ですしね。
もちろんそれはやえがそう書いているからであり、まぁそうとしか書けないという言い方もできるのでしょうけど(苦笑)、それはそれでまぁこういうサイトもそれなりに需要があるワケですよね。
それは大変ありがたいコトなんですが、でもやっぱり民主主義政治においては、意識の高い低いに関わらず成人すればみな等しく政治に一票投票する権利を持つ以上、意識の高い人が一定数いればそれでいい、とはなりません。
これはデモと全く同じ理由で、仮に1万人の意識の高い人がいたとしても、それだけでは衆議院選挙には当選するコトはできず、10万人の「政治を適当に考える人」の意見が優先させられるのは当然であるワケです。
これが過ぎればいわゆる衆愚政治になるワケですが、ただそれを衆愚と一言で片付けたとしても、現実問題、民主主義の最後の手段である多数決を前には、その言葉も意味をなさなくなってしまいます。
ですから、これはもう民主主義の本懐として、意識の高い人をできるだけ多く増やさなければならないというのはあるワケです。
民主主義の性質上、下を足切り出来ない以上は、下の底上げを狙わなければならないワケですね。
先日の東京秋葉原で、こんな音声を耳にしたんです。
「北朝鮮はすごいですね。一斉処刑しても何の問題もない。国家全体が秘密保護の国です。やっぱり一党独裁はいけません。日本は二党独裁ですからいいんですよね」
正確に記憶しているワケではありませんが、だいたいこんな調子で、もちろん最後の日本の下りは厭味的に言っているワケです。
よく言っても「皮肉」です。
ましてこのあと秘密保護法の関係で散々批判、というか、政府を小馬鹿にしたようなセリフを続けていましたから、完全に厭味でしかありませんでした。
まぁ秋葉原に詳しい人は、どこのお店でこんな音声を流しているのか、わりとすぐにピンとくるコトでしょう。
結構有名なお店ですからね。
当たり前ですが、政府の批判はけしからんとか許さないとか言うつもりは毛頭ありません。
批判があれば堂々と、それこそ自分のお店で音声を流したって構わないです。
自由に好きにすればいいと思います。
でも、それにしてもこんな稚拙で幼稚なセリフを、よくもまぁ堂々と吐けるモノですねと、強めの表現になりますが、批判せざるを得ません。
北朝鮮が独裁なのは、キム党が一党だけで政権を担っているからなのではなく、その国の憲法下法律かは知りませんが、北朝鮮の国家制度がそうなっているからです。
これは中国も同様なのですが、中国なんかは中国の憲法によって「国家は共産党に指導される」と明記してあるんです。
つまり「国家よりも党が上」と憲法が規定しているんですね。
国家の制度として「国家よりも共産党が上」だと定められているのです。
だから中国は共産党の独裁体制であり、法よりも共産党の意思の方が優先させられるのです。
共産党一党だけが政権を握っているから独裁なのではなく、国家の制度として独裁を認めている、いや独裁でなければならないとしているからこそ中国や北朝鮮は独裁なのです。
ここがもう日本と全然違うワケです。
日本はその真逆で、国民自身が政権を選ぶコトができますし、制度だって出来るだけ権力を分散させ抑制させるよう努めている形になっています。
その象徴が三権分立です。
立法権と行政権と司法権は日本ではそれぞれ別であり、例え法律を作った張本人と言えども、法律が施行された後はその人の意思に関係なく法律の方が優先させられるコトになります。
つまり日本は国家の制度として、憲法や法律の方が人の意思よりも上位だと位置づけられているのです。
それによって権力を抑制し、一極集中を阻んで、独裁かを封じているのです。
いくらその時の権力者が横暴であっても、それは制度からして独裁的な制度での権力の使い方よりはよっぽど抑制されるモノですし、その権力者も数年で権力に座から退けられるような制度になっているのです。
日本国憲法には「自民党が常に政権を担うコト」なんて書いていますか?
もうここからして、根本からして、日本と中国や北朝鮮とは全然別モノであって、比べるコト自体が間違いなんですよ。
こんなコトはですね、義務教育で習う範囲ですよ。
政治の基礎中の基礎です。
それなのにですよ、これすら理解出来ていない内容の政治批判を天下の往来で垂れ流すんですから、本当はこんなの嘲笑されるようなレベルですよ。
でも、それが「政治批判」というレベルに受け止められてしまうのですから、それはもうなんと言いましょうか、本当に残念ですねとしか言えないワケです。
繰り返しますが、政治批判をするなとは一切言いません。
また稚拙でも主張する自由はどこまでも保証されなければならないのでしょうから、そこを抑制しろとも言いません。
ただ、「国民の質」として、この程度の主張であれば誰からでも一笑に付されるような程度の笑い話にしなければならない、むしろこんな程度のお話なんて話をしようと想像するだけでも恥ずかしいと思うようにならなければならないんじゃないんでしょうかと、そういうお話なのです、今回のお話は。
北朝鮮と日本を同レベルに考えて「独裁」なんていう主張が一定数受け入れられるようでは、いつまでたっても民主主義政治の質は上がらないでしょう。
ですからやえは国民として国民を批判します。
政治家ではこんなコトは言えないでしょう。
ですからやえは一国民として、「国民の政治に対する知識の全体的な向上を目指すべきだ」と言います。
それこそが根本的な意味での「政治レベルの向上」であり、「国家レベルの向上」だと思うからです。
ディスカッション
コメント一覧
「こんなコトはですね、義務教育で習う範囲ですよ。政治の基礎中の基礎です。」
→そもそも、その義務教育で政経(中学の公民では不足)を習う者がどれだけいるか、ということでしょう。
何しろ、昔ならばいざ知らず、特定の学部でも行かない限りは政治・経済を採る学生は殆どいないでしょう。大半は、楽で(?)あらゆる科目(つまり受験)に通用する地理や歴史に流れていく事は、楽を望む人間たるもの自然であります。
そうなってくると、その教育の過程において、政治・経済を必修にするなりの対策が必要だと思われます。その為の具体策が欲しいところです。