またもや政策ではなく印象操作で倒閣運動するマスコミ

 最近マスコミがまた気持ち悪い言葉をよく使うようになってきました。
 「自民党は最近おごっている」とかいう言葉です。
 特にこの前の滋賀県知事選挙の結果を受けて、こんな言葉をよく使っていました。
 

 <記者の目>滋賀県知事選 自公候補の敗北=石川勝義
 
 ◇おごる政権への反発
 政権与党の自民、公明両党が推薦する元経済産業省官僚の小鑓(こやり)隆史氏(47)が、嘉田由紀子・前知事の後継指名を受けた前民主党衆院議員の三日月大造氏(43)に敗れた13日の滋賀県知事選。私が取材を担当した小鑓氏陣営には当初、楽勝ムードが漂っていたが、集団的自衛権行使を容認する今月1日の閣議決定を境に、逆風が日増しに強まるのを感じた。「卒原発」などを訴えてきた嘉田氏の人気が三日月氏を支えたのは確かだ。しかし、数を頼りに世論を二分する政策を強引に決着させようとする、安倍晋三政権のおごりが敗因の大きな要素だったことも間違いない。

 
 この記事の言い方では、「数を頼りに世論を二分する政策を強引に決着させようとする」というのがおごりなんだそうですが、ちょっとよく意味が分かりませんよね。
 何を持って「二分」とするのかの根拠も良く分からないところですが、これでは国政選挙とは何だったのか、全く意味を成さないコトになってしまいかねません。
 こんなの言い出せば、この滋賀県知事選だって結果で言えばかなり僅差の結果だったのですから「県民の世論を二分したのに決着をつけた」と言えないコトもないワケで、これだけでこの言葉がいかに適当な言葉なのか分かろうというモノです。
 そもそも原発問題にしても集団的自衛権にしても、自民党の公約集には原発は再稼働、集団的自衛権は行使を明確化すると記載されていたワケで、いったいこの記事はどういう根拠でこんなコトを言っているのか、果たして「おごり」とは何なのか、かなりレットルにしかなっていない記事だと言わざるを得ないでしょう。
 
 朝日新聞や毎日新聞などが安倍政権や自民党を嫌うなら、まぁそれはそれでいいんですが、しかしだとしても、政治を批判するのであれば政策をもって批判すべきです。
 ただなんとなく雰囲気だけで、レッテルをもって、具体性の無い印象操作だけで批判するっていうのは、それはもはや批判ではなくただの誹謗中傷ですよね。
 別に政権や政治を批判するなとは言いませんが、批判するなら論拠をもって具体的に政策に対してすべきなのではないのでしょうか。
 むしろそれがマスコミの本来の役割のハズなのですから。
 
 最近こういう印象操作が増えてきている気がしてなりません。
 例えば集団的自衛権についても「政府の説明が足りない」という批判がありましたが、果たして本当にそうなのかどうか、大変に疑問です。
 安倍総理や政府が国民に対して今回の集団的自衛権の問題についてどう説明しているのかと言えば、例えばGoogleで「安倍総理 集団的自衛権 記者会見」と検索すれば、すぐに安倍総理がパネル付きで今回の集団的自衛権についての説明をしていた記者会見のページがヒットします。
 またそこは、ただ動画を流しているだけではなく、キチンと文字起こしもされていますから、いちいち動画を見る時間がないっていう人にも問題ありません。
 もちろんこの記者会見はテレビでも中継されていましたので、それを見たっていう人も少なくないでしょう。
 
 さらに国会でも集団的自衛権の議論はかなりされているんですね。
 この前も野党が「審議時間が足りないから国会閉会中でも審議しろ」とか言ってましたが、その言葉にはかなり疑問でしかありません。
 衆議院参議院の予算委員会だけでなく、外務委員会とか安全保障委員会とか、集団的自衛権の問題を取り扱う委員会は色々ありまして、そこでもかなりの時間をかけて審議がされているんですね。
 6月6日の衆議院外務委員会の審議の議事録ですが、ここで「集団的自衛権」っていうワードでページ内検索すると、48件ヒットします。
 この日だけでも多くの政党が集団的自衛権に関して多くの時間を割いて岸田大臣等と審議をしているコトが分かります。
 また他の日の議事録を検索すれば、この日だけでなく複数の日に渡り、本当に多くの時間をかけて審議しているコトが簡単に分かるでしょう。
 委員会の審議は動画でも公開されているワケで、こんなにも簡単に調べるコトができるのに、なぜこれで審議時間が足りないと言えるのか、やえには全く理解できないワケです。
 
 こういう事実を前にして、なにがどう「説明が足りない」と言うのでしょうか。
 何度も言ってますが、国家は国民の安楽装置ではありません。
 ですから、もし主権者として納得がいかないのであれば、まずは自分で政府の考え方を自ら知るコトから始める必要があるワケで、そして今はネットが発達していますから、それはとても簡単に行うコトができます。
 そうすれば、安倍総理の考え方も、政府全体の考え方も、記者会見や委員会審議で知るコトが、そう難しくなくできます。
 もちろんその上で自分自身がそれに納得できるかどうかっていうのは別問題でしょうけど、しかしこの場合はすでに「政府の説明が足りない」という状態ではありませんよね。
 それはただ単に、「自分はそれに賛成できない」っていう状態でしかありません。
 果たして政府は本当にこの件に関して説明が足りないと言われる程度しか説明をしていないのでしょうか。
 いえ、総理は国民に対する説明だけが職務なのではなく、数多くの仕事がある中で記者会見を開き、その記録も公開して、また委員会でも閣僚がそれぞれキチンと審議を行っている中において、それでもまだ「説明が足りない」と言うのであれば、それはもう受け取る側に問題があると言わざるを得ないのではないかと思います。
 
 そしてなにより、これを伝える役割を担っているのがマスコミですよね。
 つまり国民が「説明が足りない」と言うのであれば、それはマスコミの能力不足であると言っているコトと同義でしょう。
 それなのにマスコミはしたり顔で「説明が足りない」と言う。
 自分の無能さを喧伝して恥ずかしくはないのでしょうか。
 
 レッテルだけでふわっとした具体性のない批判は、しかしこのようにキチッと中身を検証すれば、それがいかにデタラメで間違いなのかハッキリしてしまいます。
 ですからこれにまた騙されないようにしなければなりません。
 民主党が政権を取る直前、日本にはこんなデタラメが横行していました。
 まして一部の具体的な反論に対しても、さらなるレッテルを貼られるだけで、本当にあの時の世論はメチャクチャだったと言うしかありません。
 またあのような雰囲気になるのは、同じ過ちをまた繰り返すコトだけであり、それは最も愚かなコトでしかありません。
 政策論争ではなく、「おごっている」とかなんとかと言うレッテルに騙されないように政治を見る必要があるのです。
 マスコミこそが国民の側から正していかなければ治らない存在なのですからね。