G7サミット外相会合in広島

 やえのふるさと広島において、歴史的なイベントが開催されるコトになりました。
 

 G7外相、広島の平和記念公園訪問…岸田氏発表
 
 岸田外相は2日、広島市で開かれる先進7か国(G7)外相会合2日目の11日、各国外相がそろって平和記念公園を訪問すると発表した。
 各国外相は、被爆資料を展示する広島平和記念資料館の視察や、原爆死没者慰霊碑への献花も行う。核を保有する米英仏3か国の外相が同公園を訪れるのは初めてとなる。
 岸田氏は広島市内で記者団に、「世界の指導者に被爆地を訪問してもらい、被爆の実相に触れてもらうことは、核兵器のない世界を目指そうという国際的な機運を盛り上げるうえで大変重要なことだ」と述べた。また、「核兵器のない世界を目指そうという機運がしぼみつつある時だからこそ、広島からしっかりとしたメッセージを発出したい」と語った。

 
 今年のG7サミットは日本で開催され、その首脳会合は伊勢志摩で行われるコトになっていますが、サミットは首脳会合だけでなく財相会合や環境相会合などいくつかあり、その中でまずは外相会合が広島で行われるコトになっています。
 そして、外相会合が広島で開催されるコト自体は前から決まっていましたのですけど、ここにきてG7の外相が揃って平和祈念公園や原爆資料館を訪問するコトが決まったというニュースが入ってきました。
 
 G7はアメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・カナダそして日本からなる先進国の枠組みですが、核問題の視点で見れば、アメリカ・イギリス・フランスという約半数の国が核保有国であり、日本・ドイツ・イタリア・カナダが非保有国になるという枠組みになります。
 すなわち、核保有国の主要国と、非保有国の主要国が、同じ枠組みの中にいるというのがG7とも言えるワケです。
 そんなG7という枠組みで、史上初となるG7外相が揃って広島と、平和公園・原爆資料館を訪問するというのは、とても画期的だと言えるでしょう。
 そもそもアメリカ・フランス・イギリスの現職の外相が広島の地を踏むコト自体が史上初のようでしすね。
 
 この歴史的なイベントについて、広島出身者として、おそらくこれが広島市民の中庸というか最大公約数というか、真ん中と言いましょうか、そんな感じでしょうという感想を述べておきたいと思います。
 
 もしかしたらこれを機会に、「原爆投下に対してアメリカに謝罪を求める」というような意見が出てくるかもしれません。
 そしてそれが新聞などのマスコミで報道されるかもしれません。
 しかしそれは決して広島市民の総意ではありませんし、また多数の意見でもありません。
 むしろそれらは、右か左かへに極端に寄っている人たちの意見でしかない、というコトをまず言っておきたいと思います。
 
 今さらアメリカの謝罪なんて求めたところで、それで何が変わるというのでしょうか。
 仮に賠償が出たとしても、それに意味はないとは言いませんが、決して現状が何か変わるというワケでもありませんし、なにより広島の人間にとってはもっと優先すべき重大な案件があります。
 それは、核兵器の廃絶です。
 
 例えば、せっかく広島に来て貰ったのに「謝罪しろ謝罪しろ」と言われまくって気分を害して帰してしまうよりも、真剣に真摯にひとりの人間として原爆の実相を知ってもらい、そうすることによって核廃絶への思いを強くしてもらい気運を高めるという方が、よっぽど現実的ですし、最終的な目的に合致します。
 アメリカの国務長官に「謝罪しろ謝罪しろ」と投げかけるコトは、その人個人の感情を高揚させるコトはできるのかもしれませんが、ハッキリ言って実利などありはしません。
 目先の自分の中だけの感情を満足させるだけ、つまりは自己満足が得られるだけで、しかし実際のところは害悪しか撒き散らしていないワケです。
 こういう人、最近よく目にしますよね。
 
 でも広島の大多数の人の思いと願いは、そんなちっぽけなところにはありません。
 その思いは、核廃絶です。
 もちろん米英仏の外相が広島を訪問するだけでそれが達成できるなんて思っている人はいませんが、しかしいくら小さくても前進のための歩みであるコトは間違いないでしょう。
 なぜ核兵器は廃絶しなければならないのか。
 それは、直接的に被爆を経験していなくても、身近に被爆者がいなくても、原爆の現実と共に歩んできた広島の人間が肌で感じている部分が大きいのです。
 だからこそ、それをぜひ一端でもいいので体感してもらいたい、そうすれば広島の人間の思いがほんの一部でも理解してもらえるのではないか、G7外相会合広島にはそんな期待が込められています。
 
 今後、核兵器に対する報道が増えていくかもしれませんが、ぜひとも過激な言葉に惑わされないようにしてもらいたいです。
 報道で出る言葉は、尖っていたり過激だからこそ報道されるのですが、多くの広島の人間はそれらに与していません。
 なぜなら広島の人間は「原爆と共に生きてきた」からです。
 日常から常に怒り続けるコトなんでできるハズもなく、原爆と共に生きてきたからこそ、誰かを憎むのではなく、静かにそして力強く核廃絶を願っているのです。