皇室問題に対する世論の現状認識と、国民が主体的に政治に参加するための意識のお話

 今日の文章は、先日コメントくださいました.さんにレスする形での文章となりますが、内容的には一般論として書いてますので、多くの方に読んで頂ければと思います。
 皇室問題とその現状、そしてやえの姿勢に関するコトです。
 
 まずですが、たぶん2つの点において現状に対する認識がやえとはちがうんじゃないかと思います。
 1つは、やえは決して現状において「男系継続優先論」が今の国民の間で主論にはなっていないと思っている、という点。
 もう1つは、政治家にどういう形で伝えるべきか、という認識の点です。
 
 まず1点目ですが、もしかしたら.さんは、政治家が男系継承のための方策について具体的に案を提示すれば国民のほとんどがすぐに納得する、というように認識しておられるのではないかと、これまでの一連のコメントを拝見して感じているところですが、しかしやえはむしろ現状は真逆だと思います。
 確かに「男系で繋いでいくべき」という一言であれば、確かに多くの国民は理解するでしょう。
 しかし具体的方策、例えば旧宮家の復帰や、当サイトでは女性皇族の方に旧宮家の男性の方とご成婚してくださり、その際に宮家に復帰して頂き、皇位継承権はその子供から、という主張をしているところですが、こうした具体的な方法を今の国民に提示したら、おそらく多くの国民は反発するのではないのでしょうか。
 少なくともやえはそう認識しています。
 するとどうでしょうか。
 いま政治家が具体案を提示するのは、むしろ反発を招くだけで、男系継続への道が難しくなるだけのような気がしてなりません。
 
 よって、具体的に提示しない政治家が悪い、とは言えないと思っていますし、同時に政治家の方達も同様な感想を持っているのではないかと、やえは想像しています。
 政治家や、特に政府と自民党がどのような具体案を持っているのかはやえには分かりませんが、しかし少なくとも「宮家を増やす」「女性皇族の身分に関する現状を変更する」という部分についてはマストだと思いますので、ここについての具体案をいま提示するのは、むしろ男系継続にはマイナスになってしまうのではないでしょうか。
 それは当サイトにいただくコメントを見ても、ある程度見えてくるコトではないでしょうか。
 「男系ってなに?」
 「天皇を継承するために、なぜそんなコトまでしなければならないのか?」
 今の国民の認識というのは、こういう感想の方が圧倒的に多い気がしてなりません。
 
 また、特にこの件は単なる法律改正の問題ではなく、皇族のあり方を考えるモノです。
 もちろん技術的には法律改正にはなりますが、しかしいまの日本の憲法法律のあり方を考えれば、「政治家が一方的に皇族のあり方を変えてしまう」という形になってしまいます。
 これって本来大変に危険なんですよね。
 これは象徴天皇という現憲法の規定だけの問題だけでは無く、古来より日本政治の一番の課題となってきた天皇の政治利用のお話にまでなってしまう問題なのです。
 だからこそ、これは普段の法律の問題以上に、国民の側から声を上げるべき問題だと思うのです。
 
 理想を言えば、政治家の側からではなく、国民の側から、こういう形での継承をすべきだとコンセンサスがとれる方向が最もいいと思っています。
 少なくとも、「じゃあ具体的な手続きは政治家に任せますので、男系継続を最優先にしましょう」と多くの国民が理解できるところまでは必要なのではないでしょうか。
 
 もう1点。
 例えばやえがここで「政治家は具体案を出さない。けしからん」っていう趣旨の更新をアップしたとしましょう。
 しかしそれって、結局やえが普段やっているコトと同じですよね。
 まぁ万が一当サイトを国会議員の方が読んでくださっていたら全く無意味とは言いませんが、正直やえはその自信は持てません。
 また、どう考えてももし読んでくださっていたとしても、その国会議員さんの数よりも、読んでくださっている一般国民の方が、人数は多いですよね。
 それならやっぱり国民に向けた文章を書いた方がいいじゃないですかと。
 
 もちろんそれは、前回お話をしましたように、政治は国民こそから広めていくべきだという基本を守るというコトでもありますし、さらに言えば、ここで政治家批判をしたところで、政治家本人には届かない上に、国民が「そうだそうだ政治家が悪いんだ。政治家が動かないからダメなんだ」と自分は外側にいるような感覚になってしまいガチになってしまい、やえはこれが一番マズいコトだと思っています。
 だって主権者は国民なんですから。
 この姿勢っていうのは、いつまでたっても当事者意識が持てない日本の野党のような思考に凝り固まってしまう危険な考え方なのではないでしょうか。
 政治家批判は、耳当たりはいいですが、当事者意識を奪ってしまう方法だと思っています。
 
 ネットというのは、個人が主体的に動かなければ何も得られない点が良いところなんですね。
 国会を取り囲むデモは暴力的であり非民主的だと前回申し上げましたが、国民や政治家が個人として主体的にネットの文章を読みに行くというのは、自らの意志での行動であり、国民自らの主体的な行動です。
 だからやえはここに大きな可能性を信じているのです。
 以前にも言われたコトがあるのですが、やえは運動家や扇動家になるつもりはありません。
 ネット思想アイドルとして、ここでやえの考えを表明し主張するコトがやえの活動です。
 もしもっと違う形での活動を期待してくださるのでしたら大変光栄でありがとうございますなのですが、やえはこれらの意味で、いまのところは今の形をずっと続けていきたいと思っています。
 
 ネットが無い時代は、テレビと新聞が世論形成には大きな力となっていました。
 それはもう説明するまでもないですよね。
 でもいまネットが発達して、いよいよその旧態依然の体制から脱却できる時が来たのです。
 でもそれなのに、結局テレビなどと同じ手法によって世論を誘導しては、そんなの意味はありません。
 そして残念ながら、一部サイトにはそのようなキライが見えるところもあります。
 テレビや新聞の「発言切り貼り」は批判しておいて、自分たちはもっとひどい切り貼りや、趣旨とは180度も違うようなタイトルをつけてアクセスを得ようとするサイトですね。
 確かに多くの人からの注目を集め、また意見を1つの方向に(それが捏造まがいであっても)向かわせるという目的には、その手法の方が効果的なのかもしれませんが、やえは絶対にそんなコトしたくないのです。
 政治とは、民主主義とは、国民一人ひとりが自らの意志によって政治の方向性を決定づけてこそだと思っています。
 
 1億人以上いる国家の政治を考えて動かそうとするのですから、その1/1億でしかない個人でできるコトなんてそんな大きくありません。
 むしろそれは当然でしょう。
 やえはそれを自覚した上で、これからもやえの考えをここでアップしていきたいと思っています。
 もし、あんなコトもしてほしい、こういう方法もあるんじゃないか、というコトがあれば是非コメントして頂ければと思います。