総理大臣評価論6-麻生太郎-

 では麻生太郎総理です。
 
 麻生太郎という政治家について、世間ではタカ派的なイメージで見ている人が多いと思いますが、やえはこの人のコトはリベラルだと思っています。
 それは政策的なお話ではありません。
 日本政治史で言うタカ派やハト派、保守的なリベラル、そして保守本流と保守傍流などという場合の定義論というのは、多くの要素によって成り立っているので一概に言えるモノではありませんし、見る方向によっても定義が変わってくるのですが、ではこの場合、やえはどういう理由を持って麻生太郎さんをリベラルと見ているのかと言えば、それは「権力に対する姿勢」の問題です。
 この面において麻生太郎さんは極めてリベラルであり、言い方を変えれば極めて保守本流・宏池会的な人だと思っています。
 
 保守本流・宏池会的の人は、権力は極力抑制的に使い、また極めて公的に公平に使おうとします。
 保守傍流・清和会的の人は、権力は積極的に使うものだと考え、また可能なら自らのために使おうとします。
 これらは政治哲学的なお話であり、また何事にも例外があります。
 例えば前回取り上げました福田康夫総理は、まったく清和会的なにおいを感じさせない人でしたよね。
 そういう中で、麻生太郎さんは雰囲気は清和的な感じを醸し出しつつ、しかしよくよく見れば、その本質は宏池会的な姿勢で政治を行ってきた総理大臣だとやえは思っています。
 
 麻生太郎さんの総理としての評価は難しいです。
 なぜなら、結局国民によって途中退場させられたからです。
 本来、総理大臣の職責を1年だけで評価しろという方が無茶なのであって、だからこそ第一次の安倍総理や福田総理の評価は難しく、しかしそれは自らが投げ出したという点をもって厳しい評価を付けざるを得ないのですから、自らの意志に反して総理から引きずり下ろされた麻生太郎総理については、評価は難しいのです。
 それは「国民の意思なんだから当然だろ」と言う人もいるかもしれませんが、そもそもとしてやえはあの時の選挙は国民の判断が間違っていたし、過ちだったとずっと批判していますので、やえとしたら当然ではないのです。
 国民の判断によって暗黒の民主党政権が誕生したという十字架は、日本国民はずっと背負っていかなければならない、そして教訓にしていかなければならないでしょう。
 麻生政権の時の国内の雰囲気は本当に異常でしたし、選挙後の民主党へのメディアの持ち上げ方も異常でした。
 しかしそれはすべて国民が望んだコトであり、そしてその結果があの3年間だったコトについての責任は国民にあるのです。
 
 麻生総理はそんな異常な雰囲気の中で、さらにリーマンショックという前代未聞の出来事と対峙するコトになります。
 
 当時麻生政権は、選挙管理内閣になると言われていました。
 安倍・福田と続く1年しか持たなかった政権と自民党に対し、マスコミと世間は「もはや選挙待ったなし(=自民党政権の終わりを決定する)」という雰囲気になっていました。
 そんな中で自民党が切った最後の切り札が、当時「国民的人気がある」とされていた麻生太郎さんだったんですね。
 自民党としては、負けるかもしれないけど麻生太郎の人気によってギリギリイーブンぐらいになれば大成功、ダメでも少しでも傷を浅くしたい、という思いがありました。
 よって、麻生政権としてはできるだけ政権発足直後、まだ期待値が高い時点で解散を行い、元々の麻生人気と期待値によって選挙を可能な限り有利に進めたいと考えていたのです。
 
 しかしその思惑は、リーマンショックによって打ち砕かれました。
 
 打ち砕かれたというのはちょっと違うかもしれません。
 というのも、麻生総理は自らの判断によって、解散ではなくリーマンショックと戦うコトを決めたからです。
 衆議院議員選挙となれば実質的に2ヶ月ぐらいは政治が止まりますし、特にこの時の選挙ともなれば、政権交代か否かの関ヶ原になるワケですから、こういう言い方もどうかとは思いますが、行政なんて構ってられなくなってしまいます。
 少なくとも自民党総裁である麻生総理は1秒も休むコトなく全国を応援で飛び回るコトになるでしょうし、他の閣僚もそうです。
 最低限の行政の職務は官僚が行うにしても、閣僚不在では大胆な政策が打てるハズもありません。
 自らの使命は「選挙に勝つ」というコトは麻生総理も身にしみて分かっていたハズですが、こういう事情から、自民党総裁としての責任を捨て、総理大臣としてこの国難から背を向けるコトが麻生太郎総理にはできなかったのです。
 
 あの時、自民党の中でさえ、いえ自民党の中だからこそかもしれませんが、この姿勢を批判する人達がいました。
 「リーマンショックは分かるが、だからこそ速やかに解散した後に次の内閣に任せるべきだ」と。
 もちろんそれは、できるだけ支持率が高い今のうちに選挙をしたいという意図なワケですよね。
 麻生太郎さんは、日本国内閣総理大臣であると同時に、自由民主党総裁だったのですから、その両方のプレッシャーは相当だったでしょう。
 麻生さんの有名な言葉ですが「(総理大臣とは)どす黒いまでの孤独に耐えきれるだけの体力、精神力がいる」と語っているように、本当に色々なところからの期待や責任やプレッシャーが、麻生太郎という一人の人間に集まっていました。
 その中で出した結論が、選挙を先送りにしてでもリーマンショックと対峙する、というモノでした。
 
 その結果どうだったかというのは、やえはかなり高く評価しています。
 たぶん麻生総理があの時多くの対策をしなければ、日本経済はもっと悪くなっていたと思っていますし、できれば次の政権も自民党政権であればもっとマシだった、アメリカ並みの復活ができたのではないかと思っていますが、その辺は残念なお話です。
 そして、この姿勢こそが、麻生太郎という政治家が極めてリベラルな人だという証拠でもあると思うんですね。
 
 他の人だったらどうしていたかは分かりません。
 それは所詮「もし」のお話ではありませんから。
 しかし確実に言えるコトは、麻生太郎総理は、自らの権力よりも、日本国の公のために権力を使うコトを選択したのです。
 そしてそれで救われた部分はかなりたくさんあるでしょう。
 例えば、この時総理だったらどうしていたのかというのは分かりませんが、小泉総理というのはどこまでも自分のために権力を利用しましたよね。
 だからこの人は、政治政策はタカ派かどうかはともかく、政治哲学はかなりタカ派であり保守傍流の清和会的な人だと言えるワケなのです。
 逆に麻生太郎という政治家は、政治家として公のために権力を使うコトを決断した人だったのです。
 できればあと2年は麻生政権を見てみたかった、というのが、やえの麻生太郎総理の評価です。
 
 では次は、民主党政権を超えて、第二次以降の安倍総理についてです。
 とは言え、まだ続いている総理ですから、評価は断言できません。
 ですから主に、第一次の時とどう違うのかっていう視点が多くなるかと思います。