比例復活について考える

2012年4月15日

 選挙が近いせいか、衆議院の定数削減問題がよく話題に上るようになりました。
 正直やえは、国会議員の数を減らすコトが正義だと言わんばかりのいまの風潮には真っ向から否定したいところですが、今日はそのお話ではなく、比例制度についてちょっと考えてみたいと思います。
 こちらの記事をご覧下さい。
 

 衆院選挙制度改革:小選挙区0増5減 民主方針、自民案「丸のみ」 比例は80減
 
 民主党は17日、国会内で政治改革推進本部(本部長、樽床伸二幹事長代行)の役員会を開き、衆院の「1票の格差」是正について、まず各都道府県に1議席ずつ割り振る「1人別枠方式」を廃止し、小選挙区を「0増5減」する自民党案を取り入れた衆院議員選挙区画定審議会(区割り審)設置法改正案の骨子をまとめた。また政権公約(マニフェスト)通りに衆院比例定数を80削減する公職選挙法改正案骨子もまとめ、両法案を次期通常国会で提出する方針を確認した。

 
 衆議院の比例定数を一気に80も削減するという記事ですが、そもそもこの比例制度に関しては批判も多いですよね。
 曰く、選挙区で否定された候補者が復活するというのは理屈に合わないという感じの批判です。
 この比例復活した議員のコトを俗に「ゾンビ」なんて言うワケですが、まぁ気持ちは分からなくもありません。
 小選挙区での結果は×だったのですから、それが小選挙区で勝った議員と全く変わらない権限を持っている議員になっているというのは、感情的には理解は出来ます。
 
 ただ、やえとしては、どうですかね、単純比例の方がどうなのかなという気持ちの方が強いです。
 選挙活動しなくても議員になれる人が出てきますし、というよりも、選挙活動があまり当落の結果に直結しないという点が、つまりその議員は民意を受けていると呼べる存在になり得るのかどうかという点が、大変に疑問なのです。
 そういう意味では、比例復活の議員の方が、まだ民意を一定数受けていると言えるでしょう。
 
 比例っていろいろとやり方があるので小選挙区と比例と重複立候補している人が全てそうだというコトではないのですが、基本的に小選挙区で立候補している人は、その惜敗率で復活できるかどうかが決まります。
 簡単に言えば、ギリギリで負けた人ほど比例で復活しやすいというコトです。
 ですから、比例復活する人というのは、それなりに票を集めた人、自分の名前をそりなりに書いて貰った人というコトになりますから、やっぱりそれはそれなりに民意を受けていると言えるでしょう。
 少なくとも、何もしなくても議員になってしまうような名簿上位の人よりは、よっぽど国民の声を聞き付託を受けていると言えるのではないでしょうか。
 
 例えば1票の差で負けた人も、負けは負けですけど、それは国民の声を受けたという意味ではもったいないと思うんです。
 選挙は確かに勝負ではありますが、本来の選挙の意味というのは勝った負けたではなくて、どれだけ国民の負託を得ているのかというのが本当の意味のハズです。
 そういう観点から、それなりに国民の負託を得ている人を、単に負けたからという理由だけで切り捨てにしてしまうというのは、むしろ国家的民主主義的には損失になっていると言えるのではないでしょうか。
 
 よって、比例をどうこうしようとする際には、やえは、単純比例は一切無しにして、小選挙区との重複のみ、そして完全に惜敗率だけで誰が復活するかを決める方式に変えるべきだと思っています。
 さらに言えば、現在惜敗率の比較対象は地方ごとのブロック分けになっていますが、これを全国一律に変えるべきです。
 こうすれば、何もしなくても当選してしまうような人や、ただ風に乗って、数合わせで名簿に載せていたような人、タイゾーさんのような人が議員になってしまうようなバカバカしいコトは免れるでしょう。
 なにより、選挙を戦い国民の負託を背負っている人が政治を行うという民主主義の原点に沿っています。
 
 もっと言えばですね、政党分けもやめてしまえばいいんですよ。
 つまりですね、現在の衆議院の定数は「小選挙区300・比例区180」なのですけど、これを「小選挙区でトップの人が300人、その他全国で惜敗率を出して上位180人が復活」という風にする分け方です。
 となれば「比例」という言葉が無くなってしまうワケですが、これこそ、全員がキッチリと国民の負託を得ている日本の代表者たる国会議員と呼ぶに相応しい人たちと言えるのではないでしょうか。
 
 やえは、そもそも選挙を政党で選ぶっていう考え方は好きではありません。
 国会議員は「人で選ぶ」べきです。
 そういう意味でも、いまよりはいいのではないかと思っています。
 どうでしょうか。